先日あるところで同業者に出合った。普段の付き合いはなかったのだけれど彼がガンで体調悪く営業を止めなければならなくなったことを人づてに聞いていたので声をかけてみた。見た目はさほど変わったとは思えなかったが、抗がん剤のせいで一昨日迄枕から離れられなかった、との事。容態については口だす立場でないので店の後始末の話になった。以前に店舗の移転をしたときは「先がある」というので倉庫を借りて保管したが、この度は店のビルそのものを売却するので「すべて片付けなくてはならないのが実に大変」とのこと、さもあらんと思った次第。
我店も小生はすでに76歳、どう頑張っても活動できるのは後数年でしかないだろう。しからばこの店・住まいはもとよりまず在庫の本、家具や蒐集物の行き先、あるいは処分をもっと真剣に考えなくてはならない。 これこそ「わかっちゃいるけど・・・」でなかなか進まない。
在庫の本もこのところ市場での入手はもとより、宅買いも控えているのだけれども、それでも一向に減ってくれない。ネットで売ろうと思ってもその本に十数人多いものはもっと出品されている品を今更わざわざ掲載する気にならない。「ちょっと面白そう」と思っても世の中には腐るほど出回っていることを知らされてゲンナリさせられる。
上記の書店はまず半額セールをやり、残ったものの一部は市場に出品したが、括りの一般的な本の山には買い手がつかず、という状態だったそうで、どこの本屋も似たような「中途半端」な本は多すぎて持て余しているし、今は「これは売れる」という分野がなくなって平準化してどれも「急がなくてもそのうち手に入る」というものばかりで無理に買わなくなっている。ほかの市場でも似たようなもので、中途半端な本は「ゴミ扱い」である。
我店の柱の一つであった炭鉱関連の資料も「資源枯渇」、出てくる、または所持しているであろう、と見込める機関・事務所・人が全くなくなってしまって、入手の見込みがないのだ。一方の郷土史も似たようなものだが、これはまた売り先も先細り。ある市では市史編纂の事業が済んで、資料購入の予算がなくなってしまって「もう買いません」と。資料になる物はいつ出てくるかわからないのに期限が来たので買わない、とは何という事かと思うけれど、これは複数の市での現実である。
「一般書は安くすればいいではないか」ともいえるが、通り値が数百円の物を百均にする気になれず、また百均にしたとしても売れないことは実感している。
せめて今の在庫を半分にしたいと思っているけれどかなり厳しいですなあ。