本についてとは違いますが・・。前に触れたけれど 眼について、やはり手術することになりました。其時期はズット順番待ちで、三月半という事に。以前別のことでやはり10日以上閉じ込められたことはあったのですがそのころはネット通信などなく休んでも大して問題はなかったのですが、今やそうはいかない、通販の方は出品を一時差し止めでいいのですが普通の他の連絡事は困る。 どうするか今検討中。 一方もう一つの変調はある部位の痛みを訴えても医者はそんなところの痛みは内臓疾患にはつながらない、という。しからば何かという事になって調べると思わぬことに膵臓がおかしいことがわかってしまった。おかげで「禁酒」を申し渡されてしまった。肝臓の心配はしていたがまさか。医者はこれまで人一倍飲んできた結果だし、先に3週間止められたならもっと止めるのもできるでしょう、と変哲もなく言う。そのへんのことはこのブログの主題ではない。
酒を断たれたことと、楽器の稽古・練習もなく、暇でこのところ夕方7時乃至7時半からのFMの音楽番組をよく聞くことになった。再生機は変哲もないラジカセだがこれで十分。楽しい反面おかげで自分の音楽の知識がいかに狭く偏ったものであったかを知らされることとなった。「知らざるを知る」ことになったわけだ。 この音楽については別に書きかけの短文がある、そのうちここに載せるかもしれない。
猪瀬直樹「マガジン青春譜・川端康成と大宅壮一」(著作集3)小学館
あと少しで読み終えるところ。面白いです。猪瀬は以前「ミカドの肖像」も大変面白く読んで、「ノンフィクション作家」という看板は本物だと思っていた。その後の政治からみの言動で失望してほかのものを読む気がなかったのだが、これもたまたま入手したので手に取ったものです。二人の周りの菊地・芥川他との係わりに知らなかった事柄が多いだけに大変面白かった。文壇とは狭い世界なのだなと思った次第。小説家を目指す、あるいは画家を、音楽家も、その「熱意・情熱」に今一つ思い至らない。「書かずに居れるか」という思いに対して「作品の完成度」、自己満足だけではちょっと困る。
それにつけても猪瀬は新聞・日記・書簡その他の記録をどれだけ目を通したのだろうか、と思うだけでも感心するしやはりすごいことだと思わざるを得ない。もっとも小生の知らないことについては「本当にそうか」という点で保留はしておこう。以前書いたことがあるけれど「間違い」というのは結構ある、学問的なものにさえあって、まして 大衆向けの一応「小説」であっては鵜呑みにするわけにはいかない。
音楽の世界でも言えることだけれども「純文学と大衆小説」の線引きや如何、書きかけの音楽に関しても似たようなことが言える。 眼の手術とあって入院中本を読むことがどの程度可能かまだ不明。ずっと以前40年も前、肝臓で少し長く閉じ込められた際には漱石の書簡集を持って行った。読むというより「筆写」した。いわゆる「候文」を書けるようになろうと思っていたから、そしてもう一つ、漱石は「借金申し込みを断る」のが上手だったと聞いていたから。