今朝も空気が澄み切って谷の村がスッキリ見えます。
越前甲、加賀大日の残雪もほんの少しとなりました。
山の恵み山菜も盛りとなった事でしょう。
曾祖母や祖母は農作業の合間によく山菜を採りに行きました。
6月ごろ蕗のころになると、キジのタマゴなども持って帰って来ました。
桑の葉を重ねて包み、囲炉裏の灰床の中入れて蒸し焼きにしてくれました。
山菜なにどを採る時もよく言われたのが、3本のうち一本は我がため、
もう一本は次に来た人のため、残りの一本は次の年のために残して置くようにと言われました。
こういう事は昔の人たちが自然と身に付き守って来た事だと思います。
三密を避けるとか自粛とか叫ばなくても出来たのが日本人だったのではないでしょうか。
梅田整形さん
の30周年の記念品として頂いた血圧計です。
明日のために測ってみました。
体温も36.4度。
大丈夫そうです。
未だカエルの鳴き声は聞こえて来ません。
タマゴが残っています。
ササユリが元気よく伸びて来ました。
昨日の薬師寺のお写経で気になった事があって
日本姓氏語源辞典をネットで調べてみました。
源野の語源は
石川県羽咋郡宝達清水町荻島では飛鳥時代の天皇である推古天皇の時代に悪病を防ぐため京都から
神社を奉じて来住したと伝える。源(みなもと)参照。とありました。
推古天皇は592年に即位しているので薬師寺よりは100年昔の事になります。
日本海沿岸を南下しながら越前松島水族館の近くに埼という集落があってそこにも
源野姓があると聞いた事がありますが、そこから三国に出て白山にひかれて
九頭竜川沿いに登って来たのではと勝手に想像しています。
御所が原に住み着いて私で21代目と言われています。
今から500年ぐらい以前とすれば1500年ごろという事になります。
私には、悪病を防ぐ術は持ち合わせていませんが
悠久のロマンを感じます。