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内外行動日記です。blog復帰しました^ ^

そういえば

2011-08-16 23:06:56 | 歯科臨床

炭酸ガスレーザー


昨年末でしたか??
いつだったか忘れましたが、ウチもこういう炭酸ガスレーザーを導入していました。
普段からあるのが当たり前すぎる状況になったため、触れるの忘れていました(^^;

このレーザーは「水」と反応します。

ですので身体の硬い歯や骨よりも

「歯肉」や「皮膚」

に有効です。

用途は「止血」「蒸散」といった創傷の治癒。そして「切開」があります。
血が止まりにくいことは時おりあるものです。
ですが、出血点を見つけ、ジュッ。と。
止血完了です。
止血と共に血液凝固もある程度可能です。

蒸散は、歯肉炎に効きます。
もちろん最重要は歯ブラシと歯石取りといった環境ですが。

そして「切開」
メスで切るのに比べ、出血しにくい傾向があります。
血液を凝固してくれるからです。


レーザーにはさまざまな種類がありますが、
ウチでは
・軟組織に有効な炭酸ガスレーザー
・軟組織、硬組織の両方に有効なYagレーザー
を揃えています。

ただ、私も含め、ウチの先生はレーザーに頼ることはありません。
「頼る」ではなく「利用している」のです。
それは、難しい技術よりも、基本的な手技を大切にしているからです。
歯科の臨床の90%は基本的な知識、技術で網羅できます。

しかし、10%は、多少なりとも高度な技術と設備が必要です。

時おり使う道具ですが、幅広い臨床に少しでもお役に立てれば光栄ですね(^^)
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敗戦の日(終戦の日)

2011-08-15 23:43:29 | 今日は何の日
8月15日。
この日は日本人にとって特別な日と考えています。
1945年の 正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられました。
これにより、日本の敗戦(終戦)の日 としています。


・玉音放送(ぎょくおんほうそう)とは??
→天皇の肉声(玉音)を放送することをいう。特に1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、社団法人日本放送協会(当時)にてラジオ放送された、昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)の音読放送を指すことが多く、この放送は、大東亜戦争(太平洋戦争)における日本の降伏を国民(当時は「臣民」と呼んだ)に伝えるものであった。


この日は正午に黙祷を行っています。
本日は靖国神社や、日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で黙祷を行いました。


とても多くの方々が参拝にいらしていました。



昇殿をし、参拝をすることもできます。

・二拝
・二拍手
・最後に一拝

が基本的な参拝の作法になります。


イベントも行われていました。

この炎天下の中、すごい人だかりでした。


神社の回りは、さまざまな思想がありました。
現政権のこと、過去の総理談話のこと、現在国会で通ろうとしている法案のこと、中国共産党のこと、教科書問題のこと。etc。
こうして見て回ってみると、日本て平和なようで、知らないうちに色々なことが起きているのだな。と実感しました。

靖国神社の戦争別合祀者数
・明治維新  ・・・7751人
・西南戦争  ・・・6971人
・日清戦争  ・・・13619人
・台湾征伐  ・・・1130人
・北清事変  ・・・1256人
・日露戦争  ・・・88429人
・第一次世界大戦・・・4850人
・済南事変  ・・・185人
・満州事変  ・・・17176人
・支那事変  ・・・191250人
・大東亜戦争 ・・・2133915人

計・・・・・・・・・2466532人

約250万人のうち、大多数が大東亜戦争時の死者です。

そもそも大東亜戦争って何??という疑問がありました。
太平洋戦争として習ったことでしたので。
では、そもそもなぜ、呼称が変わったのでしょう??

昭和16年12月10日、いわゆる真珠湾攻撃の2日後です。
「大東亜戦争」と呼称することが閣議決定されました。
これは、陸軍が提案したものです。
海軍は「太平洋戦争」と考案していました。

この二つの考案に非常に深い意味があり、
「大東亜戦争」は、当時の内閣情報局の発表によると
「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」
と発表されています。
大東亜新秩序とは、日本、中国、満州国の協力のもと、に建設される東アジアの国際秩序の理念を表し、当時のアジアは日本、中国、、を抜いてほとんどが植民地でしたので、欧米の人種差別意識に基づくアジア被植民地体制を打破し、人種、民族平等による新しいアジア国際の真秩序を目指すものを言う。
よって、自衛とアジアの解放という戦争目的を明確に示した呼称となります。

「太平洋戦争」は、海軍の発表によると、
今次の戦争は、主に対米戦争であり、主戦場たる太平洋で決定的に戦い全戦力を傾注しなければならない。
という戦争指導上の方針に基づく主張から出た呼称でした。


現在広く使われている「太平洋戦争」は、また違った意味だそうです。
そもそも海軍の主張ではないものだそうです。
敗戦後、日本を占領したGHQは、昭和20年12月15日「神道指令」を発し、その中で、大東亜戦争などの用語を「国家神道、軍国主義、過激なる国家主義」を連想させるとして使用停止を命令した。 とあります。
その時に特に、新しい呼称は用意していなかったといいます。
代わりに各新聞社が連合軍司令部提供の「太平洋戦争史」を連載させ、検閲によって大東亜戦争は全て太平洋戦争へ書き換えさせた。
この、太平洋戦争史では、日本の「侵略戦争」を遂行した「戦争仕掛人」や、「日本国民の責任を明確にする」といった目的があるようです。

つまり、大東亜戦争と、太平洋戦争では、歴史上同じ事象でも意味合い、目的が全く異なるものなのです。
こちらの動画がわかりやすいと思います。


この意味合いの違いが、靖国参拝が外交上の問題となっている大きな原因ではないかと思われます。
中曽根内閣の時から色々と問題視され、現内閣に至っては、ほとんど参拝していません。
今回参拝に来た議員は720人中50人程度と言われています。

この敗戦の日を侵略戦争の終戦として捉えるか、自衛戦争の敗戦(終戦)として捉えるべきかは政府が迷っていますが、
ひとつ言えることは、こうして参拝に行くことで、今まで知らなかったことが知ることが出来ました。
言い忘れましたが、私は今回、初めて靖国神社を参拝しました。

こんなにも深い意味があるなんて到底わかりませんでした。
この関連の本は何十冊も読んだので、詳しいつもりでしたが、実際には知らないことだらけでした。

「Seeing is Believing」なんてことわざがありますが、
まさに百聞は一見にしかず。だと思います。

今回、私は、あえて「敗戦の日」と呼ばせて頂きます。
終戦記念日と呼ぶ声が多いですが、日本が戦争に負けた日を記念日になんかしたくない。というのが根底にあります。

事実として、日本はABCD包囲網により追い詰められ(震災後のガソリン不足の極大な状態を想像してください。)
「ハル・ノート」
をつきつけられ、戦争に突入しました。
当時、国際法上合法であった領土を放棄しろ。
と言われれば、戦争か従属しかない状況です。その後、上記のスローガンのもと、戦争に突入し、結果負けた。
しかし、本当のスローガンは家族という最も近い人を守りたかった。
ということだと思います。

今の時代があるのは戦没者のおかげです。戦没者に敬意を持って参拝に行くことは日本人として当たり前のことだと思います。
それをおかしい、と言ってくること自体がおかしいことです。
相手の顔色をうかがって、参拝に行かない国会議員も同じです。

8月15日は、そんな日本が戦争に負けたことを認めた「敗戦の日」なのです。

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広島、ヒロシマ、Hiroshima

2011-08-06 01:25:28 | 今日は何の日
1945年(昭和20年)
8月6日
午前8時15分

アメリカ軍は日本の広島市に原子爆弾を投下しました。
使われた爆弾は

「Mark‐1:リトルボーイ:Little Boy(小さな少年?)」
ウラン型の核爆弾です。

ちなみに8月9日に長崎で投下された爆弾は
「Mark‐3:ファットマン:Fat Man(太っちょ?)」
プルトニウム型の核爆弾です。


核爆弾の歴史を少しおさらいしてみたいと思います。
原子爆弾の歴史はアメリカ合衆国から始まります。

アメリカ合衆国
1942年      : アメリカが開発を進める、(マンハッタン計画)
1945年7月16日 : 人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行。ニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で行われる。
             → 原子爆弾のコードネームはガジェット (Gadge)
ソビエト連邦
1943年      : 開発を始める
1949年8月29日 : 核実験成功(プルトニウム型原爆RDS-1)カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場。

イギリス
1952年10月3日 : 核実験(ハリケーン作戦)、モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁で行った。

フランス
第二次世界大戦直後から開発を続けていたが、一時停止、その後
1948年      : 開発
1960年2月13日 : 核実験に成功。(アルジェリア領のサハラ砂漠)

CHINA(中国)
1960年代より開発第9学会と呼ばれる研究都市を海北チベット族自治州に設けて、核開発を推進してきた。
1964年10月16日 : 原子爆弾実験に成功。
1967年 6月17日 : 初の水素爆弾実験に成功。

インド
1974年5月18日  : 核実験。

パキスタン
1998年5月28日  : 核実験。

北朝鮮
2006年10月9日  : 核実験(1回目)
2009年5月25日  : 核実験(2回目)

実際に核実験がどのくらい世界で行われてきたか、よく知るべきです。

A Time-Lapse Map of Every Nuclear Explosion Since 1945 - by Isao Hashimoto

現在の事故よりもはるかに規模の大きな実験がこんなにもされてきました。


こうして核保有国が次々と増えていくわけです。
では日本は??
実は原子爆弾の開発は進められていました。
1943年1月 研究開始
1944年3月 ウラン濃縮実験
1945年5月15日 : 東京大空襲で熱拡散塔が焼失し、研究の続行不可
昭和天皇が植物学者だったこともあり、研究は敗戦直前に潰えました。
ただ、研究はアメリカやソビエトとほぼ同時期に行っていたのは事実です。
ここに将来の原発大国となる伏線が存在していたと思います。


当時、第二次世界大戦の末期でアメリカの大統領、ルーズベルトは急死しており、
副大統領だったトルーマンが大統領職を引き継ぎました。
最初に核実験を行って成功したのが1945年7月16日
そのわずか1か月も経たない後に実践されてしまいました。
広島では「ウラン型」
長崎では「プルトニウム型」
ここに様々な意味が推測できると思います。

実戦で使われた世界最初の核兵器、リトルボーイ。この一発の兵器により当時の広島市の推定される人口35万人のうち約14万人が死亡したとされています。
広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」とカナ表記される場合は、広島市への原爆投下の関連での言及を意味するようになりました。

広島市中区の爆心地に近い平和記念公園では毎年、鎮魂を込め、黙祷を行い「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)を営んでいます。

今年は福島第一原子力発電所の事故もあり、過敏な年になっていると思います。
原爆による放射線は「被爆」
原発による放射線は「被曝」
それぞれ字が異なります。
前者は「虐殺、戦争」、後者は「人災」を意味すると思います。

一ついえることは、どちらも人の手により防ぐことが可能だということだと思います。


脱を訴える考えもありますが、国そのものが弱体化したら本末転倒です。震災と円高で大打撃中ですので、さらに弱体化する危険も考慮しなくてはいけません。
人の手により未然に防ぎ、かつ国の力を保つ。
そんな政策が今は必要だと思います。まあ、今の人には全く期待していませんが、このあたりにも注目してみたいと思います。
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「国際法」について

2011-08-05 02:27:05 | 学問
最近よく(最近だけではないのですが)「国際法違反だ」
というフレーズを耳にします。

最近では日本の国会議員が韓国で入国拒否され、国際法違反だ
なんて聞きました。

では「国際法」とはなんでしょう??

法律を分類するとき、国内の法律が存在します。
それに対し、国際法というのがあると考えるとよいかもしれません。

国内では法を破ると捕まり、法の秩序で裁かれます。
つまり、国内法では、法の施行を行う機関があるわけです。

一方国際法では法を施行する権力がありません。
つまり、国家が悪いことを行っても制裁することができない。ということになります。

これは、世界政府という機関が存在しないためです。
まあ、漫画の世界ではよく見ますが(^^;

そもそも国家間とは平等であり、各国家は戦争を行う権利がある。そうです。
自衛でなく、侵略であっても戦争を行いたければ戦争をしても良い。ということです。
宣戦布告は国家の権力で、弱くて負けたらそれでおしまいです。
例を挙げると、湾岸戦争
イラクはクウェートを侵略しましたが、多国籍軍がイラクをクウェートから追い出した戦争です。


なんだかとても怖いお話になってしまいましたが、何が言いたいのか??
というと、国際法で、戦争を防ぐことはできないですよ。
ということです。


国際法は慣習法と国際条約から成ります。

慣習法、とは外交の慣習を示し、これは二国間の条約がそれにあたります。
お互いが得とするので守りましょう。といった意味が込められています。

国際条約(Modas viverdy)は、争いの中の暫定的協定で、最終的な解決を先延ばしにする、妥協案。
といった考え方です。


つまり、A国とB国が条約を結んでいるにもかかわらず、B国が破ることがあるとします。
その場合、A国がB国を制裁できないと、何も国際法を適用できないのです。
言い換えると、A国はB国に国際法を守らせるだけの国としての強さがないと、国際法を守らせることはできないわけです。
だから、国益を巡り、両国間に争いがあるわけです。

ですので、国際法裁判所も、A国、B国の両方が行くという取り決めがあり、初めて機能するわけで、どちらかが行かない方針を取れば、永遠に機能しないのです。


1748年にモンテスキューが、「法の精神」を表しました。
これは、三権分立を示し、三権とは、
「独裁制」「貴族性」「民主制」の三つです。
独裁制は、堕落すると、僭主制(個人が権力を持てばなんでもOK)
貴族制は、堕落すると、寡頭制(少ない頭数の支配)
民主制は、堕落すると、愚民制(国家を解体する愚かな政治)

これら三つは堕落する可能性を秘めているので、三つを組み合わせれば落ち着くんじゃないの??
という考え方と見ればいいのでしょうか。

大統領制は、大統領、議会、裁判官から成りますが、
大統領:独裁制
議会 :貴族制
裁判官:民主制
と三権分立を使いこなした制度です。
一方議員内閣制は、独裁制が存在しません。

どちらが良いかはわかりませんが、国際法を知るには、国内の法律を知らないと何もわからないのです。

難しいお話ですね(^^;



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