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まじめは自然じゃない

2020-01-21 17:56:00 | お話

🍀🍀まじめは自然じゃない🍀🍀


2回目の練習は、翌週の週末だった。今回も湖山先生の部屋🚪で相対し、お茶🍵が出された。

お茶を出してきた男性は、西濱さんとは対照的で色白で背が高く痩せていた。

無表情だが、きらりと光る✨メガネと鋭い瞳👁は、彼がかなり切れ者⚡️であることを物語り、

細い顎に長い前髪が、繊細な人柄も感じさせた。

肩幅が狭く、それが余計に彼を細身🍀に見せていたが、

背筋のしっかりと伸びた隙のない佇まいが印象的🌸だ。

芯💓の強い人なのだとそれだけでわかる。

まるで浮ついたところのない落ち着いた様子も、西濱さんとは対照的🌟だった。

西浜濱さんには作業着👕が似合うけれど、
この人にはスーツ👔が似合いそうなだなと反射的に思った。

僕はなぜかふと芥川龍之介の写真を思い出したけれど、

芥川龍之介よりもその男性🍀の方がはるかに美男子🌸だった。

「ああ、斉藤君だよ。

西濱くんより後に入ってきた私の弟子で、

西濱くんともども今は教室🚪を任せている。

斉藤君、こちらはこの前話した青山くんだよ」

この人も先生クラス🌟の人なのだ。

斉藤さんは、何かの儀式のようにかしこまってこちらに座り、両手をついて頭を下げた。⤵️

「斉藤 湖栖(こせい)です。どうぞよろしくお願いします」

そう言って視線を上げると、鼻梁にかかる良くできた陰影のそばにある2つの目👀が、

レンズ越しに、こちらを眺めていた。

目を合わせれば吸い込まれそうな、静かな瞳だった。

僕を見ているはずなのだけれど、僕の何を見ているのかよくわからない。

怖くはないがすごく遠い、そんな気持ちを抱いてしまう。

この人はまるで水💧のようだ、と思った時に、

誰かにその印象🌸を感じたことなど一度もないことに気がついた。

この人も、西濱さんや湖山先生に通じる不思議🍀な雰囲気☁️のある人だと思った。

「斉藤君は、最年少で湖山賞👑を受賞した俊英🌸だよ。

若いが技術に関しては国内でも文句をつける人間🍀は誰もいないだろう。

青山くんも彼の水墨画から学ぶところが多いと思うよ」

そう言われると斉藤さんは、もう一度頭を下げた。

僕は慌てて、モゴモゴと名前🍀を名乗った。

斉藤さんは、僕の声🎵を聞き届けると、その後頭をきれいにあげた。

少しの間だけ、僕を見ていて、わずかに目を細めた。

それからすぐにお盆を持って出て行ってしまった。

湖山先生と目が合うと、先生🍀は少しだけ微笑んだ。😊

「斉藤君は、人付き合いはちょっと不器用だけれど、優しい人だから安心💓していいよ。

何か困ったことがあったら、西濱くんともども頼ってくれていいからね」

「あ、ありがとうございます。
花🌸がとても似合いそうな男性🍀ですね」

「はは。そうかもしれないね。
確かに彼は花卉画(かきが)が得意だ。

いつか機会🌸があれば彼の技法🖊を見てみるといいよ。

さて、では今日は、いよいよ基本💚をやってみようか。

やる気はあるかな?」

「大丈夫🍀です。がんばります」

そういうと湖山先生は笑った。

今日は、僕の前にだけ道具が置いてあった。

白い下敷きに、硯(すずり)に、水の入った容器、
棒状の墨、一本の筆に、内側に仕切りのついた丸みを持った花形の陶器のお皿、最後に布巾だ。

「下敷きは白いものを使う。

これは紙を敷いたときに墨の濃淡がはっきりとわかるからだ。

水墨画と言うのは、墨を水💧で薄めて使って様々🌸な変化⚡️を出していく。

その変化をなるべく見やすくするための工夫🍀だ。

次にその仕切りのついたお皿は梅皿(うめざら)という。

形も梅の花のようだろう?

パレットだと思えばいい。

絵を描く人間ならお馴染み🌸の道具だが、
描かない人はあまり見たことがないだろう。

水💧を張った容器を筆洗という。

そして、あとは硯(すずり)に、筆に、墨。

墨は固形墨を使う」

「墨液(ぼくてき)ではないんですね。本格的🌟な感じがします」

「墨液を使って教えることもあるが、私はあまり好きではない。

それに良い硯に墨液を注ぐなんてもったいないよ」

「これは良い硯なのですか?」

「ああ、とても。

使いこなせれば、この世界🌏と同じほど微細な墨がすれる」


僕はびっくり😵して硯をまじまじと見た。👀

手のひらよりも少し大きいくらいの何てこともない長方形の硯に見えたが、

確かに立派🌸な木箱に入っていて蓋もついている。

良いものだと言われると、なんとなく良いものだという気がしてしまうから不思議☁️だ。

ただの石だが石以上のものに感じる。💓

「硯は、書家や水墨を描く絵師にとっては、刀🗡みたいなものだよ。

そこから、すべてが始まるんだからね」

「そんな大事なものを使わせていただいて、いいんですか?」

「大丈夫🍀。大丈夫🍀。

手に入るのなら道具🖊は良いものを使わないとね。

良い硯だから大事🍀にしてあげてね」

「わかりました。大事に使わせてもらいます」

うれしそうに湖山先生は微笑んだ。

湖山先生自身も道具にたくさんのこだわりがあるのだろう。

超一流🌟の絵師なら当然のことなのだろうけれど、

その当然の言葉🍀でも本人☀️から聞くと嬉しい。

「では、まず墨をするところから。

これがなければ始まらないからね。

おっと、水滴(すいてき)がなかったね」

湖山先生は立ち上がって、後の道具箱から、小さな急須(きゅうす)のような容器を取り出した。

そこに水💧が入っているらしい。

湖山先生のしわしわの手が、硯に水を注いで、硯の面を濡らした。

「さぁ、どうぞ」

と、湖山先生は墨をするように促した。

僕は恐る恐る墨を持って、硯の上でゴシゴシとすり始めた。

おもしろいくらいに墨はすれて、透明な水は真っ黒⚫️になっていた。

しばらくすっていると粘りが出てきて、

あとどれぐらいすればいいのだろう、と視線を上げると、湖山先生は居眠り💤をしていた。

確かに退屈だろうけれど、居眠りしなくても、

と思ったが、とりあえず湖山先生🍀を起こすと、

「もうできたかね?」

と、私はまるで居眠りなんかしていなかったぞというような顔で、起き上がった。

それから、僕の座っている席のほうへやってきた。

ぼくは背筋がぐっと伸びた。

着ている作務衣から漂う清潔そうな匂いは何なのだろう、と思っていると、

湖山先生は無造作に筆をとって、

目の前の紙に何かをバシャバシャと描き始めた。

この前と同じ、湖畔の風景が出来上がり、

次に紙をおくと、渓谷が出来上がり、

最後には、竹が出来上がった。

どれもまさしく神業⚡️(かみわざ)で、

一瞬⚡️の出来事🌟だった。

どうしてこんな速度で、こんなに高齢な老人が筆を操れるのだろう?

それを感じさせない若々しい動きだった。☀️

そして何より速い⚡️。

動きの細部についてはあまりに早すぎてわからない。😵

手に持った筆が、先日と同じく、硯と梅皿と布巾と筆洗の間を回転🔄するということしかわからなかった。😵

気づくと墨はなくなり、硯の中は空っぽになっていた。🌟

描かれた絵は床に広がっていた。

そして湖山先生は衝撃的⚡️な一言を、僕に告げた。

「もう一回。もう一回、墨をすって」

僕は唖然😵としながらも、
また一から墨をすり、湖山先生はうたた寝を始めた。

何が起こったのだろう?😀

何か、気に障ることをしてしまったのだろうか?😀

いろいろと思案しながら、惑いつつ墨をゴシゴシすり、
これでいいだろうというところで湖山先生を起こした。

特別に機嫌が悪そうでもなく、かといって良さそうでもなく、

また筆を取ると一気呵成⚡️にバサバサと描き上げて、硯の中身を空っぽにした。

それからまた、さっきと同じセリフが帰ってきた。

「もう一回🌟」

僕は眉をひそめて、一体何が起こっているのだろう?

と墨をすりながら考え続けた。🔄☁️

僕はとにかく墨をすり、湖山先生を呼んだ。

湖山先生は居眠りから目覚めて描いて、描いて、僕はまた同じ言葉🍀をもらい、

また墨をする…と、

そんなことを何度か繰り返した。🔄

もういい加減疲れてきたので、

いろいろ考えるのをやめて、

ただなんとなく手を動かし、
有り体(てい)に言えば適当🌸に墨をすって湖山先生を呼んだ。

すると湖山先生は最初の時とまったく同じく、

特に不機嫌でもなく不愉快でもなさそうな顔で、筆をとると、

「筆洗の水💧を換えてきて」

と、言った。

僕は言われたとおり廊下に出てすぐの場所にある流し場で、筆洗の水を新しいものに換えた。🔄

湖山先生の前に真新しい水を置いて席に行くと、

湖山先生は待ち構えていたように筆🖊をとって、

墨をつけて筆洗に浸した。

その瞬間⚡️、湖山先生は口👄を開いた。

「これでいい。描き始めよう」

僕は湖山先生が何を言っているのか、わからなかった。😵

どうして真面目にすった墨が悪くて、適当にすった墨がいいんだ?

僕はなんとも腑に落ちないという表情🌸をしていたのだろう。

湖山先生はにこやかに笑って答えた。

「粒子🌸だよ。墨の粒子🌸が違うんだ。

君の心💓の気分が墨に反映✨しているんだ。

見てみなさい」

湖山先生は、筆をもう一度取り上げて、いちばん最初に描いた風景🌸とまったく同じものを描いた。

木立🌲が前面にあり、背景に湖面が広がり、さらにその背後に山⛰が広がっているという絵で、レイアウトはまったく同じ🌟だ。

だが湖山先生が筆を置いた瞬間のすれの広がりや、きらめき✨が何もかも違った。

画素数✨の低い絵と、高い絵の違い⚡️と言ったらいいのだろうか。

実際に粒子🌸が違うというのなら、そういうことなのだろう。

小さなきらめき✨や広がりが積み重なり、

1枚の風景が出来上がったとき、

最初に見たときは、漠然と美しい🌸としか感じられなかったが、

二枚目になると、懐かしさ☁️や静けさ☁️やその場所🍀の温度や季節🌸までを感じ💓させるような気がした。😊🎵

細かい粒子🌸によって出来上がった湖面の反射✨は、夏☀️の光を思わせた。

薄墨で描れ枯れた線のかすれが、ごく繊細な場所まで見てとれるので、
眩(まぶ)しさや、色合いも思わせ、

波打つ様子は静けさ🍀までも感じさせた。🌟

その決定的な一線⚡️は、たった一筆によって引かれたものだった。

同じ人間🍀が同じ道具で、同じように絵を描いても、

墨のすり方一つで、これほどまでに違うものなのかと、僕は愕然(がくぜん)😵とした。

とたんに僕は恥ずかしくなった。😥

僕はとんでもない失敗をさっきまで繰り返していたのだ。😵

湖山先生は相変わらず、にこやかに笑っている。

私は何も言わなかったのが悪いが、と前置きした後に湖山先生🍀は言った。

「青山くん、力✊を抜きなさい」

静かな口調🌸だった。

「力✊を入れるのは誰にだってできる、

それこそ初めて筆を持った初心者🔰にだってできる。

それはどういうことかというと、

すごく真面目🍀だということだ。

本当は力✊を抜くことこそ技術⚡️なんだ」

力を抜くことが技術?😕

そんな言葉🍀は聞いたことがなかった。

僕はわからなくなって、

「真面目ということは、よくないことですか?」

と訊ねた。

湖山先生は面白い冗談🌸を聞いた時のように笑った。😁

「いや、真面目というのはね、

悪くないけど、

少なくとも、自然🍀じゃない」

「自然🍀じゃない」

「そう。自然🍀じゃない。

我々はいやしくも水墨🖊をこれから描こうとするものだ。

水墨は、墨の濃淡、潤渇(じゅんかつ)、肥痩(ひそう)、

階調(かいちょう)でもって森羅万象🌲🌏🌔(しんらばんしょう)を描き出そうとする試みのことだ。

その我々が自然🍀というものを理解🌟しようとしなくて、

どうやって絵を描けるだろう?

心💓は、まず指先☝️に表れるんだよ」


僕は自分の指先を見た。👀

心💓が指先☝️に現れるなんて考えたこともなかった。

それが墨に伝わって粒子🌸が変化したというのだろうか。

だが、確かにその心💓の変化🔄を墨のすり方だけで見せつけられた身としては、うなずくしかない。

「君はとても真面目な青年🍀なのだろう。

君は気づいていないかもしれないが、まっすぐな人間🍀でもある。

困難なことに立ち向かい✊、それを解決しようと努力🌸を重ねる人間🍀だろう。

その分、自分自身🌸の過ちにもたくさん傷つく⚡️のだろう。

私はそんな気がするよ。

そしていつの間にか、自分独りで何かを行おうとして心💓を深く閉ざしている。

そのこわばりや硬さが、所作に現れている。

そうなると、そのまっすぐさ⚡️は、君らしくなくなる。😊

まっすぐさ⚡️や強さが、それ以外を受け付けなくなってしまう。🚫

でもね、いいかい、青山くん。

水墨画は孤独な絵画ではない。

水墨画は自然🍀に心💓を重ねていく絵画🎨だ」


僕は視線👀を上げた。

言葉🍀の意味を理解🌸するには、湖山先生の声🎵があまりにも優しすぎて、

何を言ったのか、うまく聞き取れなかった。😵

不思議そうな顔で、僕は湖山先生を見ていたのだろう。

湖山先生は言葉🍀を繰り返した🔄。

「いいかい、水墨を描くということは、

独りであるということとは無縁🌸の場所にいるということなんだ。☀️

水墨を描くということは、

自然🍀との繋がり🍀を見つめ👀、学び✊、

その中に、分かちがたく結びついている自分を感じて💓いくことだ。

その繋がり🌸が与えてくれるものを感じる💓ことだ。

その繋がりと一緒🌸になって絵を描くことだ😊」


「繋がり🌸と一緒に描く」

僕は言葉🍀を繰り返した🔄。

僕にはその繋がり🌸を隔てているカラスの部屋の壁が見えていた。

その壁の向こう側の景色を、僕は眺めようとしていた。

その向こう側にいま、湖山先生🍀が立っていた。

「そのためには、まず、心💓を自然🍀にしなさいと」

そう言って、また湖山先生は微笑んだ。😊

湖山先生が優しく筆を置く音が、耳👂に残った。

その日の講義は、ただそれだけで終わった。


何か、とても重要⚠️なことを惜しみなく与えられているようで、

そのすぐ前を簡単🌸に通り過ぎてしまいそうになっている自分🍀を感じていた。

小さな部屋🚪に満たされた墨の香りと、

湖山先生の穏やかな印象🌸が、

カチコチに固まっていた水墨画のイメージ☁️をボロボロと打ち壊していくのが分かった。

父と母が亡くなって以来、誰かとこんなふうに長い時間、

穏やかな気持ち💓で向き合ったことがなかったのだと僕は気づいた。


(「線は、僕を描く」(講談社)砥上裕將さんより)


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