道元⑦
🔸境野、道元禅師と言えば、この歌も忘れることができません。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり
🔹大谷、ああ、これはいい歌ですね。
私もぜひ挙げたいと思いでいました。
川端康成氏がノーベル文学賞もらった時に「美しき私の日本」という講演の冒頭で紹介したことで有名になりました。
この歌は道元禅師が鎌倉の時頼のところに行かれた時、時頼夫人の求めでつくられたものですが、
日本古来の花や月、鳥といった風物が、言ってみたらただ並べられているだけの歌です。
しかし禅師はこれに「本来の面目(めんもく)」という題をつけられている。
「本来の面目」とは事々物々(じじぶつぶつ)、森羅万象(しんらばんしょう)、各人の本来備えている真実のありようで、
その真理をこれだけの短い言葉で見事に言い表わされています。
そこには道元禅師の透徹する清涼感が漂うばかりで、
世俗的な名門利養(みょうもんりよう)の陰など微塵もありません。
🔸境野、私は春になると何となく体がだるいんですよ。
おまけに夏は暑がり、冬は寒がりときいています。
早く季節が変わらないかなといつも思ってきました。
だけどこの歌を通して、それじゃいけないと気づかされました。
桜の花を眺めていたら何か楽しい気持ちが湧いてくる。
夏に聞くホトトギスの鳴き声は気持ちがいい。
秋の月を眺めて凛とした気持ちになる。
こんなふうに自然のいいところを見ることで、
自分の悩みが減っていくことを感じるようになったんです。
そして、それは対人関係も同じだと思いました。
人間はだれでも欠点があれば必ず長所もある、
いいところだけを見ていけば、どんな人とも和することができる。
そう考えると、道元禅師の歌を現実の世界の中で生活の中で活かすことができます。
いまの若い人たちの中には、こんなに恵まれた環境の中にありながら、
文句ばかり言っている人が少なくありません。
道元禅師が厳しい寒さの中で
「雪さえて すずしかりけり」
とおっしゃったように、
少しくらい厳しい環境でも「すずしかりけり」と捉えるような感性を磨いていったら、
もう少し楽に生きられる気がしています。
🔸境野、それと道元禅師の言葉で忘れてはいけないのは
「愛語(あいご)能(よ)く廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり」
ですね。
🔹大谷、ええ。道元禅師は衆生(しゅじょう)は皆、赤子(せきし)であるとの思いを持って慈愛の言葉をかけてあげるのが愛語だとおっしゃっています。
🔸境野、「ありがとう」「ごめんなさい」「大変だね」と言うと、
いつの間にか不機嫌なかみさんのご機嫌が直っている。
これが廻天の力なんですよ(笑)。
愛語という禅の言葉は、生活から離れたものでも難しいものでもありません。
学校や職場に当てはめれば、欠点や失敗ばかりを責めるよりも、
「俺も昔こんな失敗をしたよ。だけど君ならこの失敗から何かを学べるよ」
と伝えれば、
言葉が相手の心に届いて元気になってくれる。
と同時に自分も嬉しく安らかな気持ちになる。
道元禅師は愛語は念仏やお経よりも強い力があるとおっしゃっていますね。
🔹大谷、道元禅師のいう愛語は、いまでいうその場しのぎ的な癒やしではありません。
いわば魂の安心(あんじん)の世界なんです。
私は道元禅師は日本人が確として矜恃(きょうじ)すべき心のかたち、日本人の魂の安心をデザインした一人と思っています。
🔸境野、「日本人の魂の安心をデザインした」という表現は、長年道元禅師を研究なさってきた大谷先生ならではの表現だと思います。
さて、もう一つ私が心の支えにしてきた道元禅師の歌があります。
水鳥の 遊(ゆ)くもかえるも 跡たえて
されども道は わすれざりけり
私は若い時、自分がこれからどう進んでいったらいいのか分からず自信を失った時期がありました。
そんな時に励ましてくれたのがこの歌です。
自由自在に飛んでいる水鳥のように、
まずはとにかく動いてみようじゃないかと。
人と比べるのではなく、自分が信じた道を歩んでいこうじゃないかと。
そして歩み続ける中で東洋思想家としての道が自然にひらけていったんです。
🔹大谷、道元禅師は「まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし」とおっしゃっています。
要するに一つの道をしっかりと貫きなさいと言うことですね。
その意味では、道元禅師はまさにそういう方でした。
これは如浄禅師と出会って身心脱落された時、
「一生の参学ここに終わりぬ」
と宣言されています。
いままで参究したことが完結したというのですから、すごい言葉だと思います。
でも、そこで決して終わりではない。
道元禅師はその後も一貫して精進を続けられました。
建長4年(1253年) 54歳で亡くなる前に遺偈(ゆいげ、遺言)を残されるのですが、
如浄禅師の遺偈そのままの内容です。
如浄禅師がいかに道元禅師の中で生き続けたかということなんですね。
私は一器の水を一器に移す師資相承(ししそうじょう)の姿をそこに見る思いがします。
きょうは道元禅師の残された言葉を中心に境野先生とお話しさせていただきましたが、
禅師の言葉の中には真実を衝いたものが無数といってよいほどあります。
よくぞこういう言葉が発せられるな、言葉の魔術師そのものだなと心から驚嘆します。
道元禅師の言葉は文章でも偈頌でも、
極めて慎重に整理された全く無駄なく彫琢(ちょうたく)されたもので、
それが文字となって示されると、
それがまた判然とした行動の基となり認識される。
それが道元禅師の言葉だと思います。
🔸境野、悟りというと日常生活から離れているように思いますが、
実は人の口から出てくる言葉が私たちの人生の疑問を解決してくれるんですね。
発言された音の力の中に実に不思議な解脱(げたつ)の力がある。
私自身、これからも道元禅師のお言葉に感応道交しながら、
もっともっと自分を磨いていきたいと思っています
(おわり)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)
🔸境野、道元禅師と言えば、この歌も忘れることができません。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり
🔹大谷、ああ、これはいい歌ですね。
私もぜひ挙げたいと思いでいました。
川端康成氏がノーベル文学賞もらった時に「美しき私の日本」という講演の冒頭で紹介したことで有名になりました。
この歌は道元禅師が鎌倉の時頼のところに行かれた時、時頼夫人の求めでつくられたものですが、
日本古来の花や月、鳥といった風物が、言ってみたらただ並べられているだけの歌です。
しかし禅師はこれに「本来の面目(めんもく)」という題をつけられている。
「本来の面目」とは事々物々(じじぶつぶつ)、森羅万象(しんらばんしょう)、各人の本来備えている真実のありようで、
その真理をこれだけの短い言葉で見事に言い表わされています。
そこには道元禅師の透徹する清涼感が漂うばかりで、
世俗的な名門利養(みょうもんりよう)の陰など微塵もありません。
🔸境野、私は春になると何となく体がだるいんですよ。
おまけに夏は暑がり、冬は寒がりときいています。
早く季節が変わらないかなといつも思ってきました。
だけどこの歌を通して、それじゃいけないと気づかされました。
桜の花を眺めていたら何か楽しい気持ちが湧いてくる。
夏に聞くホトトギスの鳴き声は気持ちがいい。
秋の月を眺めて凛とした気持ちになる。
こんなふうに自然のいいところを見ることで、
自分の悩みが減っていくことを感じるようになったんです。
そして、それは対人関係も同じだと思いました。
人間はだれでも欠点があれば必ず長所もある、
いいところだけを見ていけば、どんな人とも和することができる。
そう考えると、道元禅師の歌を現実の世界の中で生活の中で活かすことができます。
いまの若い人たちの中には、こんなに恵まれた環境の中にありながら、
文句ばかり言っている人が少なくありません。
道元禅師が厳しい寒さの中で
「雪さえて すずしかりけり」
とおっしゃったように、
少しくらい厳しい環境でも「すずしかりけり」と捉えるような感性を磨いていったら、
もう少し楽に生きられる気がしています。
🔸境野、それと道元禅師の言葉で忘れてはいけないのは
「愛語(あいご)能(よ)く廻天(かいてん)の力あることを学すべきなり」
ですね。
🔹大谷、ええ。道元禅師は衆生(しゅじょう)は皆、赤子(せきし)であるとの思いを持って慈愛の言葉をかけてあげるのが愛語だとおっしゃっています。
🔸境野、「ありがとう」「ごめんなさい」「大変だね」と言うと、
いつの間にか不機嫌なかみさんのご機嫌が直っている。
これが廻天の力なんですよ(笑)。
愛語という禅の言葉は、生活から離れたものでも難しいものでもありません。
学校や職場に当てはめれば、欠点や失敗ばかりを責めるよりも、
「俺も昔こんな失敗をしたよ。だけど君ならこの失敗から何かを学べるよ」
と伝えれば、
言葉が相手の心に届いて元気になってくれる。
と同時に自分も嬉しく安らかな気持ちになる。
道元禅師は愛語は念仏やお経よりも強い力があるとおっしゃっていますね。
🔹大谷、道元禅師のいう愛語は、いまでいうその場しのぎ的な癒やしではありません。
いわば魂の安心(あんじん)の世界なんです。
私は道元禅師は日本人が確として矜恃(きょうじ)すべき心のかたち、日本人の魂の安心をデザインした一人と思っています。
🔸境野、「日本人の魂の安心をデザインした」という表現は、長年道元禅師を研究なさってきた大谷先生ならではの表現だと思います。
さて、もう一つ私が心の支えにしてきた道元禅師の歌があります。
水鳥の 遊(ゆ)くもかえるも 跡たえて
されども道は わすれざりけり
私は若い時、自分がこれからどう進んでいったらいいのか分からず自信を失った時期がありました。
そんな時に励ましてくれたのがこの歌です。
自由自在に飛んでいる水鳥のように、
まずはとにかく動いてみようじゃないかと。
人と比べるのではなく、自分が信じた道を歩んでいこうじゃないかと。
そして歩み続ける中で東洋思想家としての道が自然にひらけていったんです。
🔹大谷、道元禅師は「まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし」とおっしゃっています。
要するに一つの道をしっかりと貫きなさいと言うことですね。
その意味では、道元禅師はまさにそういう方でした。
これは如浄禅師と出会って身心脱落された時、
「一生の参学ここに終わりぬ」
と宣言されています。
いままで参究したことが完結したというのですから、すごい言葉だと思います。
でも、そこで決して終わりではない。
道元禅師はその後も一貫して精進を続けられました。
建長4年(1253年) 54歳で亡くなる前に遺偈(ゆいげ、遺言)を残されるのですが、
如浄禅師の遺偈そのままの内容です。
如浄禅師がいかに道元禅師の中で生き続けたかということなんですね。
私は一器の水を一器に移す師資相承(ししそうじょう)の姿をそこに見る思いがします。
きょうは道元禅師の残された言葉を中心に境野先生とお話しさせていただきましたが、
禅師の言葉の中には真実を衝いたものが無数といってよいほどあります。
よくぞこういう言葉が発せられるな、言葉の魔術師そのものだなと心から驚嘆します。
道元禅師の言葉は文章でも偈頌でも、
極めて慎重に整理された全く無駄なく彫琢(ちょうたく)されたもので、
それが文字となって示されると、
それがまた判然とした行動の基となり認識される。
それが道元禅師の言葉だと思います。
🔸境野、悟りというと日常生活から離れているように思いますが、
実は人の口から出てくる言葉が私たちの人生の疑問を解決してくれるんですね。
発言された音の力の中に実に不思議な解脱(げたつ)の力がある。
私自身、これからも道元禅師のお言葉に感応道交しながら、
もっともっと自分を磨いていきたいと思っています
(おわり)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)