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動物の始まり

2020-02-04 13:42:00 | お話

🐁🐁動物の始まり🐁🐁


地球は現在、約46億歳と言われている。
生物の歴史は約38億年前に始まったとされる。

そして、いわゆる「動物」が誕生したのはずっと後のことだいわ。

動物の誕生は約10億年前か、それより後と言われている。

つまり、地球の歴史の大半は、

生物はいても、動物はまったくいないという時代だったわけだ。

海の中に単細胞の生物だけがいる、という時代が非常に長く続いた。

実は、現在でも、生物のかなりの部分を遠い過去とあまり変わらない単細胞生物が占めている。

動物以前の長い時代の様子を絵に描くときには、単細胞生物をそれぞれ孤立した存在にしがちである。

小さな単細胞生物が無数にいるが、どれもが孤立して、海の中を漂う以外のことはほとんどしない。

せいぜい、食べ物(果たしてそう呼ぶべきかはわからないが)を取り入れ、

時々2つに分裂するくらいで、あとは何もせずにただそこにいるだけ、というふうに描かれる。

しかし、実際の単細胞生物はそれほど単純なものではないし、

孤立してもいない。

多くは互いにもっと複雑に関係しあっている。

少なくとも現在はそうだし、過去もおそらくそうだっただろう。

ただそばにいて、共存しているだけのものもいるが、協調し合って生きているものも多い。

協調の中には非常に緊密なものもある。

その緊密な協調が、生物が単細胞から多細胞へと変化する第一歩だったのかもしれない。

ただし、単細胞生物の協調と、動物を構成する細胞どうしの協調とでは大きく違っている。

私たちはつい行動や感覚など動物のものだと考えがちなので、

動物がいない世界には行動も感覚もないように思ってしまう。

だが、実際にはそうではない。

単細胞生物にも感覚はあるし、感覚刺激に反応を示す。

その反応、多くの人が思う「行動」に含めて良いかは判断が難しい。

それでも、周囲の出来事を察知し、それに反応して動いたり、

対応に必要な化学物質をつくったりということはできる。

そのためには、必ず細胞の一部は外からの情報を取り入れられる仕組みになっていなくてはいけない。

光、臭い、音などを取り入れられる必要がある。

そしてまた別の部分には、外の世界に能動的にはたらきかけられる仕組みが必要だ。

当然、2つの部分はつながっていて、互いに連絡が取れるようになっていなくてはならない。


たとえば、私たちの身近に多く存在する大腸菌は、研究の進んでいる単細胞生物だが、

確かにそうした2つの部分を持っている。

大腸菌には味や匂いを感じ取る部分がある。

自分にとって好ましい物質とそうでない物を区別することができるし、

好ましい物質であればその濃度の高い方に移動するし、

逆に好ましくない物質であれば濃度の低い方に移動する。

大腸菌の外面には、そうした「感覚器」が並んでいる。

この「感覚器」は正確には、大腸菌の外膜を構成する分子である。

この分子が外から情報を取り入れる装置として機能する。

一方、外の世界に働きかける出力装置には、たとえば鞭毛などがある。

鞭毛は長い繊維で、このおかげで大腸菌は移動することができる。

大腸菌の移動には大きく分けて2つの種類がある。

一つは直線的な移動である。

そしてもう一つは、無作為に進む方向を変える移動だ。

移動の種類を次々に切り替えることも可能である。

ただし、自分の今いる位置で食物になる物質の濃度が高まっていると判断すれば、運動の速度は低下する。

大腸菌のような細菌はあまりに小さいので、そのセンサーには、良い物質にしろ悪い物質にしろ、

どこから来るのかまで知らせる機能はない。

この問題を解決するため、細菌は「時間」を道具として利用する。

細菌は、今、この瞬間、その場所にどの物質がどのくらいの量存在するかには関心を示さない。

関心があるのは、特定の物質の量が、今、増えつつあるのか、減りつつあるのか、ということだけだ。

細胞は、自分にとって好ましい物質の濃度が高まっていることを察知すると、

まずは直線的な移動をする。

方向はデタラメなので、移動することで、

好ましい物質の濃度がより高いほうに進めるかもしれないが、

反対にかえって濃度の低い方へ進んでしまうかもしれない。

この問題を最近は秀逸なやり方で解決している。

彼らが外界を感じ取るとき、一つの仕組みで現在の状況を感知しつつ、

もう一つの仕組みで少し前にどうゆう状況だったかを記録するのだ。

好ましい物が直前よりも増えているようなら、そのままの方向に進み続ける。

逆に減るようなら方向変えたほうがいいだろう。

単細胞生物にも多くの種類があり、細菌はそのうちの1つに過ぎない。

また、細菌は単純な構造の生物である。

動物も含む「真核生物」を構成する細胞(真核細胞)に比べれば、

多くの面で単純なつくりになっていると言える。

真核細胞は細菌よりも大きく、内部の構造も複雑だ。

真核細胞が生まれたのは今から約15億年前だ。

細菌のような小さな細胞が、他の種類の細胞を飲み込んで自らの一部にしたことがきっかけで生まれたとされる。

たとえば単細胞の真核細胞であっても、その機能は細菌などよりも複雑で洗練されていることが多い。

外界の情報取り入れる能力も、移動する能力も複雑になっている。

また重要なのは、「視覚」という重要な感覚に非常に近いものを持っているということだ。


光は生物にとって2つの意味で大切なものだ。

まず、光は大多数の生物にとって、直接、間接にエネルギー源となっている。

そして、光は情報源にもなり得る。

自分以外の何かが存在することを知るうえで光は非常に役に立つ。

情報源としての光の役割は、もちろん私たちには馴染み深いものだ。

しかし、ごく小さな生物にとって、光を情報源にす?ことはそう簡単ではない。

単細胞生物のほとんどは、エネルギー源としてのみ光を利用している。

そうした単細胞生物は、植物と同様、太陽の光を浴びることで生きている。

細菌の中には、光を感じ取り、光の存在に反応できるものもいる。

単細胞生物は小さすぎるため、通常、光のやってくる方向を見極める機能までは持つことは難しい。

ましてや光を利用して像を結ぶなどということは極めて困難だ。

しかし驚いたことに、単細胞の真核細胞のうちの一部のもの、

およびごく数種の特筆すべき細菌もおそらく、

原始的ではあるが物を「見る」能力を備えている。

たとえば、ある種の真核細胞には、「眼点」と呼ばれる光を感じる斑点がある。

眼点で感じ取った光を何らかの方法で遮る、あるいは光を絞り込む仕組みを持つ生物もいる。

そうした仕組みがあれば、光源についてより有益な情報が得られることになるだろう。

真核細胞の中には光を追い求めるものもいれば、反対に光を避けるものもいる。

また、状況によって両者のどちらにも変わり得るものがいる。

たとえば、エネルギーを取り入れたいときには光を追い求め、

エネルギーが十分に得られたあとは光を避ける生物がいる。

かと思えば、光が強すぎないときには追い求め、

強すぎて危険な状況になれば避けるという生物もいる。

いずれの生物も、眼点と運動機能と結びつける制御システムを持っている。

小さな生物が感覚器を持つ目的は、ほとんどの場合、食物を見つけ、毒を避けることである。

だが、大腸菌に関する最も初期の研究を見ても、単にそれだけではないことがわかる。

大腸菌は、食物にならない物質であっても、その存在を感知し、反応することがある。

だから、大腸菌を主に研究している生物学者たちの間では、

細菌の感覚は必ずしも食べ物の有無を知るためのものではないという見方がますます強まっている。

むしろ細菌の感覚は、自分の周囲にどのような細胞があり、

またその細胞がどのような運動しているかを知るためにある、という見方だ。

細菌の細胞表面の受容器官は、さまざまなな物質の存在を感知する。

感知する物質の中には、その細菌自身の排泄によって出てくる物質も含まれる。

細菌は、いろいろな理由で化学物質を排出する。

たとえば、代謝処理が追いつかず、オーバーフローを起こした場合などには、

余った物質を排泄することになる。

同種の細菌の排泄物を感知する機能は、
それ自体、さほどたいしたものには思えないかもしれない。

だが、実はこれが重要な意味を持つのだ。

この機能があれば、同種の生物がそばにいることを察知できる可能性があるからだ。

同種の生物がそばにいることが察知できれば、お互いに協調できる可能性も生まれる。

つまり、「社会的行動」が芽生えるところまで行くわけだ。

たとえば細菌の中には、「クオラムセンシング」と呼ばれる能力を持ったものがいる。

自分と同種の細菌がだす物質を感知し、

周囲にどれくらいの数の仲間がいるかを知ることができる。

そのため、一定の数以上の仲間が周囲にいて一斉に化学物質をつくらないと意味がない場合、

条件に満たないときに物質を無意味に作らなくて済む。

はじめのうち、クオラムセンシングは海で観察されることが多く、

また、本書のテーマである頭足類が関わっていることが多かった。

ハワイヒカリダンゴイカの体内で生きる細菌は、化学反応によって光を発することができる。

ただし、光を発するのは、周囲に存在する同種の細菌が十分な数に達した場合だけである。

この細菌は、同種の細菌がつくる誘導物質の濃度を感知できる。

周囲に誘導物質分子がどの程度存在するかを感知し、

それに基づいて自らの照明を制御するのだ。

つまり、細菌の個体にはそれぞれ、周囲にどれぐらいの発行減が存在するかを知る能力があるということになる。

ただ光を発するだけではなく、

「周囲に発光源が多いほど、光を明るくする」というルールに従って行動できるのである。

発せられる光が十分に明るくなれば、細菌の宿主であるイカには大きな利益になる。

外敵から身を隠すのに有利になるからである。

ハワイヒカリダンゴイカを狙う捕食者は夜に狩りをする。

通常、夜は、月の光が差し、その光によってイカの身体の影ができる。

影ができると、その存在を、下にいる捕食者たちに知らせることになってしまう。

だが、イカの身体が発光すれば、その影を打ち消すことができる。

影が消えれば存在を捕食者に気づかれにくい。

一方、細菌のほうも、宿主であるイカが安全であれば、自らも安全にその中で生きることができる。


生命の歴史の初期について考察するうえでは、こうした細菌は非常に役に立つ。

もちろん、あくまで細菌なので、進化の段階としては、頭足類などが誕生するよりかなり前ということになる。

まず言えることは、生物の中での化学反応には、水が大きく関わっているということだ。

初期の生物は全て海の中にいたからだ。

生物が陸上に進出するには、相当な量の「海水」を自らの体内に抱え込む必要があった。

海水を持って陸に上がったということだ。

初期における生物の進化の大半は海の中で起きた。

初期の段階では、生物の感覚、行動、協調などはすべて、物質が自由に水の中を漂う海という環境に依存していた。

今のところ、私たちの知っている細胞はすべて、

何らかのかたちで外部の状況を感知する能力を持っている。

なかには、他の生物(自身と同種の生物も含む)の存在を察知する特別な感覚を持つ細胞もある。

またその中には、他の生物が単に何かの副産物としてつくる物質ではなく、

自らの存在を知覚させるためにつくる物質を感知する能力を持つ細胞もある。


何らかの物質をつくることで自らの存在を知らせると、他者がそれに対して反応する。

これはもう、ごく簡単ではあるが、一種のシグナリング、あるいはコミニュケーションと呼んでいいだろう。

これには、生物の個体と個体のコミュニケーションが可能になる、という以上の意味がある。

水中の単細胞生物の個体どうしが、ある種の物質を媒介にして互いの存在を知らせ合う例があることはすでに書いた。

だが、これは単細胞生物から多細胞生物の進化の足がかりでもあるのだ。

多細胞への移行が起きれば、細胞どうし情報を伝え合うことが、

生まれつつある多細胞生物の体内の細胞のコミニュケーションの基礎にもなるからだ。

つまり、生物にとってのまた新たな能力がそこから生み出されるということだ。

個体間のコミニケーションの場合、細胞は、外部の環境を感知してそれに反応していた。

だが、個体内の細胞間コミニケーションでは、

主として体内の環境を感知してそれに反応することになる。

多細胞生物の場合、細胞の「環境」とほぼ「同じ個体内の他の細胞」と考えていい。

多細胞生物という、比較的新しく、大きな生物が生き残れるかどうかは、

その生物を構成する細胞どうしの協調、連携に依存することになる。


(「タコの心身問題」(みすず書房)ピーター・ゴドフリー=スミス、夏目大訳より)


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