次にくる言葉は、Yさんは描く。H君と私は、書く、だな、たぶん。
幸せになるために描く、または書くということができるのだろうか。
たぶんできるということなのだろう。なんとなくわかる気がするし、そうなっている気もする。少しだけど。
もっとわかりやすいのは、幸せになるために、読む。だ。これは多くの人が経験していると思うし、幸せを感じるから再び読むんだな。
「趣味は読書です」は、多くの人が言っている。その中には見栄や、カッコつけで言っている人もいるからたぶん読書は、いいことなんだ。いいことと皆が認めているんだな、きっと。
私が小学生の時に、先生や親から読書がいいぞ、と教えてもらったり、中学の時には好きな先生から読書を勧められ、図書室に通うようになったのもその一環だと思う。
でも、幸せになるために書くのがいいぞ、と言われたことは一度もなかった。もちろん描くのがいいぞとは決して言われたかった。こっちのほうは私には不可能と思うから。
でも書くのが、ひょっとしたら幸せにつながるのではないかと思うことはある。確かに。実際書いていて楽しいと感じることもあるし、自分で書いたのを読み返して、けっこういいんじゃない、とうぬぼれることも確かにある。それだけでいいんじゃないかな。
幸せになるために、書こう。