晴耕シ 雨読書ク

農業と文章、大事にしたいです。この2つで友達できるのがうれしい。

6/30(金) 楽しみにしていた田植え…

2023-06-30 17:56:47 | 日記

楽しみにしていた田植えから1週間。

田植えは楽しみ以上のものだった。


今年植えるのは2枚、計81a(8,1反)

子供と妻含め4人だから、午前中で終わればいいなと思いながら、一人5時半から仕事始めた。

苗の水かけとか、田んぼの芥(ゴミ)取りとか、狭いほう6aの田んぼの植え付けを先にやっておこうかなとか。



ところが、これが大間違い。

もともと狭いうえに、変形田んぼ(三角形)なもので切り返しを何度もしなければならない。

しかも今年はあえてというか、以前の反省を込めて最初の田起こしをやや深めにしていた。ところが緩かった田んぼで、水を入れた荒代掻きで深さ調整ボタンを修正するのを忘れていたので、水田はさらに深く。

でも、まあなんとかなるか、と思っていたのがならない。



田植機は、泥水にうずまった。

這い上がろうと何度も切り返すと、ますます深くなり、ギブアップ。いつものN先生にヘルプを頼んでトラクターで上げることを試してもらうが、

それでもうまくいかず、こりゃJAに頼むしかない…。

で、さっそく、TELすると4月に異動してきた農機担当のO君が30分で行きます。と、頼もしい応え。ほんとに30分で大きなクレーン車で来てくれた。


こりゃ大ごとと思っていた田植機は、あっという間に、田んぼ横の道路に上がってくれた。

さすがは農協、さすがは農機指導員さんと思った次第。


蛇の道は蛇というけど、ほんとその道はその道の人に早く聞いたほうがいいね。頭を下げて、はやくお願いすること、手を打つことに限ると思った。

誰が言ったか、「われ以外はみな師なり」って、これは、ほんとだ。

そのあと、終わってはいなかった狭い田んぼは後回しにして、広い75aの田んぼを息子にあっという間に植えてもらい、最後に、元の6aの田んぼを仕上げることに。うまくしないと、またはまってしまうので、埋まった近くまでバックで行って、前進植え付け。またバックで戻って植え付けを4回ほどしたら、うまくいった。

ただ、最後の埋まったところを含む周回コースは機械ではやはり危ないかな。手植えするしかないかな、でもきつそう。迷ったので、一日考えてからにしようと本日はやめることにした。


それで、その夜、期待通りに夢が解決してくれた。手植えがよい、と。



その通りに手で植えたのが写真のようにちょっとばらばらに植わっているように見えるところ。わかりにくいかもだけどアップにしたら、わかる。




ほんとばらばら植え、だけど、ぬかるんで、ぬかるんで、膝ぐらいまで埋まって手植えした結果だよ~。

あとでN先生に聞いたら、「正解」。バックでうまくいったからと言って、肝心の場所も行ってしまったら、また埋まってしまう。欲はいかん。

よかった~。


さて、あまり登場しなかった子供たちと嫁だけど、大きな田んぼで頑張ってくれた。そして最後の6aの田んぼの私のバック、前進の繰り返し運転を心配しながら見守ってくれたのだった。

なおかつ、翌日手植えした最後の仕上げ田んぼの写真を送ると、娘が「おつかれっした!!!」の返信。

楽しみ以上に、勉強させられ、たくさんの人に感謝ばかりの田植えであった。


最大の楽しみは、田植えだ!

2023-06-14 02:07:43 | 日記

5/21(日) 苗箱への泥入れ

5/28(日) 苗箱への水稲播種

6/24(土) 田植え

この3日間は、一年のうちでもっとも楽しみ日だ。子供たちと妻、家族で農作業ができるから。この日だけは子供たちもちゃんと心積もりをしてくれて、農作業に励んでくれる。

特に今年の播種作業5.28は、二人が中心になって仕事をしてくれた。力仕事を息子が、その助手兼采配係を娘がしてくれて、私はほとんど監督をしておればよかった。私から言ったわけではなく、子供たちが自主的になったのが、嬉しい。楽をさせてもらった。

水田の荒代かきが昨日終了し、来週代かき作業をしたうえで、最大の楽しみ、6.24の田植えだ。




写真は昨年の田植え(息子)と、今年の荒代かき後の水田





6月12日 本年初泳ぎ

2023-06-12 01:06:29 | 日記

一昨日、田植え準備真っただ中での出来事。

6月も10日、田んぼへ水を入れる日がやってきた。さっそく2枚の田んぼに入れ始めたところ、二つのトラブル。一つは潅水ポンプの蛇口からねじが緩いせいか、水が噴水みたいに散水。これは何とか制御できた。

ところがもう一つはやっかいだ。排水パイプの筒先が割れているみたいで、そこから水が勢いよく、クリークへ飛び出ている。

業者さんにお願いしようとも思ったが、自分でも様子を見ようと、該当箇所の土を掘り起こして、と、簡単に言っているがこれ結構たいへんなんだよね。でもやってみると、割と早めに割れた個所が出てきた。

用事でやってきたNさんの話では、昨年の護岸工事の際、業者さんのユンボーのアームが当たったのではないかとのこと。

さっそく家に戻って修理用のパイプとジョイントの部分を探して、修理にあたったが、見つけるだけと、修理とでは、該当箇所の土を掘る範囲が違う。もう少し、もう少しと土を掘ったり、あいにく桑の木の根っこがあったりと四苦八苦で鋸を使ったりと、していた。と、その時、事故は起こった。力加減が悪く、岸の斜面でバランスを崩した私は、あらら、と言いながらクリークのほうへ体が、ゆっくり傾き、そのまま水の中へ。

ざぶん、っと。

でもクリークは子供のころから親しんでいたので、慣れている。足は届いたし、少し難儀はしたが、岸へ上がることができた。びしょ濡れだけど作業してる間に乾くだろうと、そのまま作業を継続。

何とか割れた個所を切断して、ジョイントを当てて、継ぐことができた。

やったー^。なんとかできたぞ、業者さんにも頼まず、自分でできたぞ。替えの部品も家にあったので、ただで済んだぞ~。不器用な自分にしては偉い!

と喜んだのもつかの間。

大変なことを思い出した。

私は農作業の時には、たいていウエストポーチをしている。

と、目を下に移すと確かに、ポートは腰についている。中には小銭入れとスマホを入れていた。

5万円超の出費になりました。


6月3日 テレビが来たぞ

2023-06-05 22:14:54 | 日記

 テレビが来たのは小学校のたぶん5年生ぐらいだったろうか。

よく、プロレス観戦が当時の思い出として映し出されるが、わが家では相撲と巨人の星が一番の想い出だ。

 

相撲はじいちゃんがよく観ていた。学校から帰ってくると、植木屋の仕事をしていたじいちゃんが先に帰っていて、テレビの相撲を観ていた。当時は相撲の面白さがまったくわからなかったので、それを観ているじいちゃんは、なんで観るのだろうと思った。

ただ、お酒をちびりちびり吞んでいたと思うので、その動きに合っていたのではとは思っていた。特に何回も仕切りをするので、えらく間延びのする運動だなとは思っていた気がする。当時は相撲はスポーツだとは思わなかった。国技とは言われていたが。

 

巨人の星は学校でも唯一すすめられた漫画だった。当時はアニメという言葉はなかった。

夕方の6時50分になるとわが家はNHKの天気予報から700730くらいまでのニュースに至るまで父が独占していたので漫画を観たい子供たちとは喧嘩になった。でも父にはかなわないので、仕方なく従っていたが、、巨神の星だけは担任の先生が勧めてくれてたので、両親も優先的に見せてくれたと思う。当時は土曜日の700からだったか、600からだったかはっきりは覚えていない。

私が父親になったときは、すでに私の部屋にテレビを持っていたので子供とテレビで喧嘩することはなかったが、一緒にアニメを見る機会はほとんどなかった。どっちがよかったのだろう。

 

 

私のじいちゃんは65歳で亡くなったが、私は、すでにその年齢を超えた。でも、まだ実質じいちゃんにはなっていない。子供が結婚しないから、孫も生まれないのだが、そこは子供の任せるしかないよね。とやかくは言いたくないけど、言うべきなのかな?