晴耕シ 雨読書ク

農業と文章、大事にしたいです。この2つで友達できるのがうれしい。

11/10 その2 電信柱

2023-11-12 20:15:27 | 日記

宮沢賢治の童話に電信柱が歩くのがあった気がする。詳しくは覚えてないし、間違えてるかもしれないけど、。あえて調べない。

このイラストとは違うイメージの絵があった気がするけど。宮沢賢治は絵も描いたんだ。

今回のイラストはうちの集落の電信柱だ。少し寂しい外灯だけど。

その外灯が時々、切れる。すると区長の私は役場へ連絡して電球を変えてもらわなければならない。

ところがこれがメイン道路だと、役場がしてくれるけど、独自の集落のやつだと、区長自らが電球を替えないといけないらしい。

ところが問題あり。

この電信柱の上り杭は間隔が大きくて、ちびっこの私は上れそうもない。まず怖い。どうすりゃいいの?


11/11 小学校が見える、わが家から

2023-11-11 16:49:36 | 日記

 わが家の2階、私の机を置いている部屋の窓から昔通った小学校が見える。体育館と教室棟の2階が見える。

昔は見えなかったよな。と、考えていたら、そうか、昔は麦藁ぶきで、2階はなかったんだ。

何歳の時か、台風でその屋根が吹き飛ばされて。朝起きたら、青空が広がっていた。あれは忘れない。どうやって修復したんだろう。思い出せないが、たぶんじいちゃんと父は苦労したんだろうなあ。

 さてその小学校いろんな思いであるよ。

友達と遊びもしたし、縄跳び競争もしたし、ドッチボールもした。でも一番の思い出はひょっとしたら、一つ上の上級生と大きな喧嘩をしたことかもしれない。仲間がその人たちにいじめられていたから。そんなことするな、と年下ながら言ってしまったのが原因だ。

  結論だけ言うと、喧嘩には多分負けなかった。先に泣き出したのは上級生だったから。

でも、家に帰ってから何かに気づいた母親に聞かれて、話していたら涙がとまらなくなった。

いい思い出かそうでないかわからないが、その後、上級生と周りの先輩たちとは仲良しになったのは覚えている。ひょっとしたら、同級生の信頼も少しは、増したかな?どうかな。


11月10日 農に人あり

2023-11-10 19:20:01 | 日記

参った。まいった。

山下惣一さんの流れで本を読んでいたら、この本に行きついた。



「農に人あり、志あり」

とにかく参った。

11組、12人(1組だけ、夫婦です)の聞き語りだけど、皆さんすごい人たちです。

私は力が抜けてしまいましたよ。こんなことなんでできるの、こんな考えどうして出てくるの。!!!マークの連続だ~。



少しだけ引用。マイペース酪農の三友盛行さんの話から

『私は、農業をやる人は大変なことがあっても、苦労だと思う人は本質的にいないと思う。特に酪農家は苦労はない。牛がいるからです。牛がいることで安心が保証されている。


牛がいて、草を食べて牛乳を作ってくれる。要はその牛乳生産を良しとするかしないかです。人の幸せは何か、農民の成長は何か。農民の先生はこの牧場のすべてです。それは牛であり。草であり、ふん尿であり、日々であります。



先生です。語りあって、聞いて、学んで。その学びがいつもあるから不安はない。もう一つは牛がいるから経営が安定する。乳量が多いとか少ないとかは関係がない。

大事なことは、自分の身の回りに起きた現象を受け入れるか否かという問題です。

農業をしていれば、、いいことも悪いこともある。それを受け入れる。許容の範囲を広げることが農民の成長です。』

きりがないからこれでやめますが、こまでくるのは、やっぱすごい。

頭が下がります。私はここまで到底いけない。でも、学びたい。


百姓の5段階 11/1

2023-11-01 03:49:04 | 日記

ふたたび、山下惣一さん。

今読んでるのは山下さんが書いたのではなく、佐藤弘さんが聞き書きしたもので、「振り返れば未来」。とても面白い。勉強になったというか。うなることばかり。とっても共感するがすごい考え方とおもう。

その中の一節を抜き書きします。

組織に役職があるように、百姓にも段階がある。

最下位の第1段階が「生活のための百姓」

虚栄と浪費の生活に追われ、「食えん、くえん」とぼやきながら生涯を終える百姓。



第2段階が「芸術化の百姓」。作り育てる喜びに芸術を見いだし、仕事に没頭する百姓。百姓が楽しくなり、作業の苦痛を忘れて百姓に没頭するから、日々幸福になり、失費の機会なく、家が栄える。また、仕事を労働とするな。道楽とせよ、とも。



第3段階は「詩的情操化の百姓」田園生活にポエムを感じ、こころ安らかに生きる百姓。山の端に沈む夕日を見て、美しいと思える心。

4段階が「哲学化の百姓」

人の世の真理を追究する学問を哲学といい、天の声、地の声を聞く「旧同心」を持たねばならぬ。あえて私自身が学んだことは3つ。

「成長が早いものほど寿命が短い」「自然界には全くウソが通用しない」「農業は論より証拠」



そして、最高位の5段階が神仏に近づく「宗教化の百姓」。

日本人の信仰の対象の神は自然だから、自然の懐に抱かれて自然に寄り添い、自然とともに生きる百姓こそが、神仏に最も近い位置にいると言いうわけだ。

生活だけなら、二十姓でしかない。早く」四十姓に進め、六十姓に届け、八十姓に上れ、そして、百姓に坐せば成らぬ。

就農して70年、小農として生きてこれたのは人と競争せず、ウソをつく必要がなく、だれにも命令されず。定年もノルマもなかったから。なぜ好きになったかは農作物も家畜も手を加えた分だけ、応えてくれるから。人は裏切ることがあるけど、作物や家畜は努力を裏切らない。

「娯楽の楽しみは、生産の喜びにかなわない」



70年農業をしたからといっても、田植えも稲刈りも70回しかしたことない。

農業は日々発見。自然環境は常に変化するから絶対というものがない。謙虚にならざるを得ない。

だから私は「市民皆農」を提唱する。「半農半x」「定年帰農」「年金プラス農業」「週末農業」…。

儲けようと考えなければ楽しいもんだ。

前回の文章で山下さんは今年亡くなったと書いてしまいましたが、正確には昨年でした。

改めて恐れ入りました。

With the nature-自然とともに生きる百姓

前回のポスターにつながっているところがうれしい。