どちらも「ほい」と読む。「ほいほし」と「ごみほい」だ。
一応匿名で描いているので、出がわかりそうだが、仕方ない。
これも冬の農業行事というか文化というか作業というか。
堀干しはクンチで客をもてなすための鮒ということでもあるが、私の集落ではこれはなかったので、もっぱら自給自足のためのものだった。とった魚は串にさし、焼き陽干していわゆるヒボカシ(というらしい)にして、副食の味付けを兼ねた乾物魚として、食べた。わが家では、焼きふなごと呼んでいた。
また、祖父や父は酒のつまみとしていた。子供の頃は生臭いのと、鮒は骨ばかり多かったので、苦手であったが、この年になってくるとうまそうだったなあと、妙に懐かしい。
ごみほいは堀(クリーク)のごみ泥を田んぼに上げて、クリーク掃除と田んぼの肥料にする一石二鳥の作業だった。とった魚は食用にしたので一石三鳥かな。
このときの魚も前の焼きふなごにしていと思うが、自信はない。ただこの時の魚はごみとともに、堀の底から上げるので鯉や雷魚などの大型魚が多いのが特徴だった。また、タニシやドジョウなどもたくさんとれた。
揚げたごみ泥は、栄養分をたくさん含んだ有機肥料になったので、農家はその順番が来るのを待ちに待っていたと思う。
子供たちはタニシや雷魚などを隣町の業者さんに売りに行って小遣いにしていた。
これ以外でも刺し針(さしばい)といって、前日の夕方までにドジョウなどを餌に、堀に仕掛けた置き針でウナギを捕る漁法を子供たちは、やっていた。もちろんこれも隣町に売りに行ってお金を稼いだので、昔の子供たちはたくましかったなあと思う。
ただ、先日書いたホンゲンギョウも今日の刺し針なども私が小学校低学年ごろまでが盛んで、私が高学年になった頃はすたれていた。坊ちゃま育ちの私が引き継げなかったのもあるが、いわゆる高度成長期だったのもあると思う。ちょうど減反政策が始まった頃でもあった。
今書いていて、ほんとに懐かしくなった。惜しいことを引き継げなかった無念さもある。これだけは昔に戻ってやり直したいなと思う。
今だったら率先してがんばる、と思うのだが…。