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【神社】最大・最古の鮮やかな朱色の社殿 国宝「八幡造」~石清水八幡宮@京都府八幡市八幡高坊

2024-08-12 09:04:53 | 磐座・巨石・社寺
以前から懸案だった「石清水八幡宮」へと今回の京都行きでようやく参拝する事が出来ました。
京都駅より JR奈良線 一駅目東福寺で、京阪本線に乗り換え石清水八幡宮駅 1時間ほどでしたでしょうか。地味に遠い場所にあるため中々足が向かなかったのも事実です。
一の鳥居 歩いて登るとたっぷり30分ほどはかかってしまうのでここはお気楽参拝でケーブルカーを利用しました。往復¥600(交通系ICカード利用可能)



山上駅より薄暗い参道を10分ほど暫く登ります。
三の鳥居 
参道を振り返ります。ケーブル駅はこの右手から登って来ます。
残念ながら南総門は現在補修中で観られず。
八幡造と呼ばれる独特な造りです。
この日は雨で鮮やかな朱色の社殿が栄えずちょっと残念でした。
参道の延長上と社殿の向きの角度が変えられているのが気になりました。

出展:Googleマップ
調べたところ参拝のあと神様へ尻を向けるのは失礼な行為にあたるため社殿の向きを変えているとのことです。(自分は正北に合わせるためとも思ったのですがそれでも若干西へずれています。)
楼門

装飾彫刻が見事です。龍と虎の組み合わせです。
いわゆる拝殿や本殿などは、周囲が廻廊で囲まれているため外からはその一部しか見られません。(公式では周囲を取り囲む廻廊となっている全体をご本殿としているようです。)
祭祀:
中御前:応神天皇(誉田別尊)
西御前:比咩大神(多紀理毘賣命・市寸島姫命・多岐津毘賣命)
東御前:神功皇后(息長帯比賣命)
由緒:
日本三大八幡宮の一つで、伊勢神宮に次ぐ天下第二の宗廟といわれている。
二十二社の上七社のひとつとして、京都の裏鬼門を守護する神社とされている。860年、男山山頂に六宇宝殿を建てたところから鎮座したとされている。
男山の中腹には冷泉として「石清水」が湧き出ており、本宮が鎮座する前には行基が開いた石清水寺という山寺が存在したとも言われている。 
 鎮座以来、特に源氏一門の氏神として崇敬が厚かったそうだ。
源氏の中でも、甲斐武田氏の神器として知られる御旗を所有した源頼義が家紋の繁栄を祈願したことや、その嫡男の義家は「八幡太郎」と名乗るなど、厚く崇敬を寄せたという。
どうやら、ここは期待していた“石”には、関りが無かったようです。
参拝した後は、社殿の周りを左回りに摂社を巡ってみましょう。
御神木「楠」 楠木正成公が建武2年に先勝祈願のため植えたと伝わります。

西総門
廣田社・生田社・長田社
校倉(宝蔵)
住吉社・一童社
貴船社・龍田社

若宮社 京都では珍しい日吉造です。
鬼門封じの石垣 社殿の北東隅に石垣部分をワザと斜めにした切欠き部分があります。御所の鬼門封じは有名ですが京都では、店舗や自宅にも施すことが今でも多くあるそうで人々の厄除けの意識が色濃く残っていた地域と言えるでしょう。
若宮殿社(右)若宮社(左)と共に国の重要文化財に指定されています。ご本殿で祈祷ののちは「浄め衣」に願いを書き男性は若宮社、女性は若宮殿社へ奉納するのだそうです。
気比社・水若宮社
おかたまの木(招霊の木)古くから霊力が宿る木とされ、その実が鈴なりにつくことから「神楽鈴」のモデルと云われています。
東総門
信長塀(築地塀) 信長が天正八年(1580)に寄進した土塀 耐火性、耐久性に優れているんだそうです。
境内外にある末社 三女神社 祭祀:宗像三女伸


駅前に戻り駅周辺を散策していると「エジソン通り」と書かれた標識を発見
エジソンの胸像 果たして現在の八幡市民はどの様に思われているのでしょう?

エジソン記念碑 エジソンは、白熱球のフィラメントに使用する竹を世界各地から採取し試行錯誤を繰り返していた石清水八幡宮に自生していた竹が最も優れていた逸話から建てられた記念碑(ちなみに背後生えている竹は関係ないとのこと。)
※トップは、季節限定刺繍御朱印
【マップ】


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