親愛なる、くそったれな自分へ

いままでとこれからの大したことない人生を文章にしてみようと思う。
頑張れない、続かない、くそったれな自分へ愛をこめて。

繊細なところあるよね、意外と。

2023-05-26 18:59:41 | 日記

 

わたしはそんなこと、言われるタイプじゃないんですけどね。

 

繊細なところあるよね、意外と。と思う、仕事仲間のお話しです。

 

 

その人は、社用携帯に電話がかかってくと、決まってこう言う。

 

「この番号誰だっけなー」

 

はじめのうちは、番号を登録していない人からだったり、滅多に連絡とらない人からの電話なのかと思っていた。

 

でも、なんか違う。

どの電話に対しても、「この番号誰だっけなー」と言っているようだ。

 


???

どういうこと?

 


なんと、その人は、社用携帯に電話番号を登録していなかったのだ。

 

え、そしたら誰から電話がかかってきたのかわからないじゃん。

 

そうなんです、わからないんです。

でも、それでいいそうなんです。

というより、それがいいそうなんです。

 

 

??????

どういうこと?

 

 

「番号を登録してしまうと誰だかわかっちゃうでしょ?」と、その人は言う。

 


そうだ、当たり前のこと言っている。

誰から掛かってきたかを知りたいから、番号を登録するのだ。

 

でも、どうやら、その人はそうではないらしい。

 

「それだと、苦手な人からの電話もわかっちゃうでしょ?出たくなくなっちゃうでしょ?」

 

なるほど、そうきたか。

 

 

苦手な相手からの電話は、出たくないなとか、負の感情が先に立って声色に出てしまいそうだと。

 

そんな感情になる相手って、どんなことがあったの?って、ちょっと心配になりますが。

誰に対しても同じテンションで電話に出るための、その人なりの工夫らしいです。

 

 

ただ、たまに、似た番号からの電話に対して、「○○さんかな?」と言って出ることがあります。

電話が終わると、「違った!△△さんだったわ!」と。

 

いやいや、そうならないように、みんな番号を登録してるんだけど。

そもそも、番号を覚えちゃったら、登録してるのと変わらないやん!なんて思ったり。

 

 


ちなみにその人は、制作系のお仕事をされてる方なので、営業さんのように、電話がバシバシかかってくるような方ではないです。

制作中のコンテンツについて、お客様や仕事仲間から、たまに連絡くるくらいの頻度です。

だから、こういうことができるのだと思うんですけどね。

 

 

社会人としてどうなんだ。とか、それって相手に失礼なんじゃない?とかは、今回は一旦なしで。


変わった人がいるもんだな、くらいの温度感で読んでいただけたら幸いです。

 


ちょっと変わってるなとは思いながらも、人それぞれ、自分なりの工夫をしながら仕事に臨んでいるのだなと。

 

そんな気づきがあった出来事でした。

 

 

いろんな人がいますね。

 

 

 

 

 


今日はゆるめにこのへんで。

 

 


明日、また

 


徐々にで、徐々にでいいから。

2023-05-25 19:41:36 | 日記

 

何事も徐々に。

徐々にでいいから、進んでいこうと思う、今日この頃です。

 

 

昨日からの続きです。

 

木を見て森を推測する。

これは、監査用語でいう「リスクアプローチ」という言葉を、読者にわかりやすく伝えるために用いられた表現。

 

「リスクアプローチ」の意味は、

全体をしっかり調べようとすると、ものすごい時間がかかっちゃうから、「ちょっと気になるな」「おかしいな」ってところを重点的に調べたら、効果的・効率的に不正が見つかるんじゃない?っていう考え方。

らしい。

 

この考え方って、日常生活のいろんなことに使えそう!ところから今日はスタートしたいと思います。

 


いろんなことに使えそう!とか書いちゃいましたけど、実際は、自然と日常生活の中で使われている気がします。

 

例えば、スーパーにお魚を買いに行ったとき。

魚の全体をながめてもよくわからない。

なので、今回は魚の目に注目してみる。

「濁っていないか、血走っていないか」確認する。

目は澄んでいて、きれいな方が鮮度はいいらしい。

これはまさに、その一部を見て、全体を推測するということ。

 

街で外国人に英語で話しかけられたとき。

このとき、わたしを含め英語に苦手意識がある人はわかるはず。

「無下に断るわけにもいかないし、どうしよう…」と。

でも力にはなりたいし、もちろん、助けてあげたい!

なので、必死に聞き取れる単語をつなぎ合わせる。

そして、相手が伝えたいことを必死にくみ取ろうと頑張る。

これも、ある一部から、全体を推測することになる。

 

 

なるほどってかんじです。

 


カタカナだし、監査用語だし、そもそも難しそうと思っていた、「リスクアプローチ」という言葉も、的確な表現手法を使えば、多くの人に伝えることができる。

 

しかもわかりやすく。

 

 

木を見て森を推測する。

 

 

とても勉強になる表現との出会いでした。

 


ちなみに、今更ってかんじですが、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」を読んだのです。

 

山田真哉さんのです。勧められて。

 

 

そしたら、ちょっと感動してしまって。

 

知らないことが多いと、少しのインプットで生活の見方が変わります。

 

無知って怖いですね。

 

そして、コスパ良いです、わたし。

 

 

 

 

では、今日はこのへんで。

 

 

 

明日、また

 


大は小を兼ねる、わけでもない。

2023-05-24 19:41:03 | 日記

 

夕焼けが白いシャツを染める

 

この一文を読んだら、

今は夕方で、夕日が出てる。
しかも白いシャツの色が変わるくらい、一面オレンジ色なのかな。

って、ことが想像できる。

 

いま聞いてる曲の歌詞の一節なんですけどね。

きっときれいな夕焼けなんだな。

(そのときの本人の感情によって、きれいか、悲しいか、いろいろあると思いますが)

 

 

世の中には、いろいろな表現手法が溢れている。

もちろん、言い得て妙なものばかりではないですが。

 

以前から、うまい表現、面白い表現は、なるべく自分のものにしようと、日夜収集を続けている。

真似ることから、学ぶ。

毎日、文章を書くようになってからは尚更。

もう、必死です、血眼になってってやつです。

 

すみません、血眼は嘘ですね。でも、必死なのは本当です。

 

 

なので、最近、いいなと思ったものを書き出してみようと思います。

 

 

水滴を集めて、海を作ろうとしているんですよ。

 

何をしようとしてるのかはわからないけど、えらい大変なことをしようとしていることが伝わります。

これは、この前、仕事中に聞いた会話の中で、出てきた表現。

 

お仕事で、とある宣伝用の映像を制作しているのですが、そこに海が出てくるのです。

CGのことは詳しくはわからないのですが、

海という「大きな水」を表現するのと、ペットボトルからコップに注ぐような「小さな水」を表現するのとでは、アプローチの仕方や、使う技術が全然違うらしいのです。

普通に考えればそうですよね。


仕事にしても、何にしても、不必要な労力はかけたくないありません。

いかに、大変なことをしようとしているのかを、先方にわかりやすく、的確に、伝えるにはぴったりの表現だったと思います。

さすがです。

 

 


木を見て森を推測する。

 

最近読んた本のなかで出てきた言葉。

木を見て森を見ず、とは逆ですね。

こっちの方が頭良さそうです。

 

これは、監査用語でいう「リスクアプローチ」という言葉を、読者にわかりやすく伝えるために用いられた表現。

「リスクアプローチ」の意味は、

全体をしっかり調べようとすると、ものすごい時間がかかっちゃうから、「ちょっと気になるな」「おかしいな」ってところを重点的に調べたら、効果的・効率的に不正が見つかるんじゃない?っていう考え方。

らしい。


木を見て森を推測する。といいう表現はわかりやすい。

 

 

これ、日常のいろいろなことに使えそうです。

 


次はそのへんについて書いてみようかな。

 

 

無事、明日の献立も決まったところで。

 

 

 

今日はこのへんで

 

 

 

 

明日、また

 


ひねくれながら、まっすぐ結んでいく。

2023-05-23 19:41:32 | 考え方

 

前回まで、対人関係について、書いていて思ったこと。

もうちょっと、他人とのコミュニケーションで大事にしてること、について書きたいなと。



今日はそれにお付き合いいただけたらなと。



すこし、自分のことを書きます。


わたしは、可愛いわけでも、美人なわけでも、スタイル抜群なわけでもない、そんな女です。
(自分で書いてて悲しくなってきた。)

じゃあどうするのか。

それなら、面白いやつって思ってもらえるようになろうと。

「こいつと一緒にいるとなんか楽しい。」

このポジションを狙っていこうと。



え、いきなり、自虐ネタぶち込んできたんだけど!って、びっくりされましたよね。

でも、大丈夫です。

比較的、通常運転です。

怖くないですよ、ついて来てください。



話を戻します。



面白いやつを目指そうと思う!と言うと、どこ目指してんの?ってよく言われます。


じゃあ、ちょっと表現を変えます。


わたしは、ユーモアがある人になろうと思う!です。


何気ない会話の中で、ふふっと笑わせたり。

その場を、ハッと和ませたり。

その人がいるだけで、なんか楽しいことが起きそう!と、思わせてくれる人。

 

わたしは、他人とのコミュニケーションの中で、ユーモアを大事にしたいのです。

 

 

なんか良さそうじゃないですか?

 

 

ユーモアって、ファッションでいう、着崩しに似てる気がします。

ただ着る、のではなくて、わざとちょっと乱す。崩す。

会話の中であえて比喩表現を使ってみたり、ちょっとボケてみたり。

自虐ネタをはさんで、自分でツッコんでみたり。

普通に話せる内容に、すこし余計なことを付け加える。


仕事でもプライベートでも、会話に遊び(ここでは余裕やゆとり)がある人の方が、とっつきやすく、面白味のある人間に見えそうな気がします。

少なくとも、わたしはそういう人が好きです。

 

もちろん、どちらの場面でもやりすぎは禁物ですが。



ただ、ちょっと難しそうなんですよね。


着崩しには、ファッションの基本が必要だと思うし。

ユーモアも、対人関係スキルが乏しいと難しいと思うし。

しかも、どちらもセンスが問われそうです。



センスってあまり好きな言葉ではないんです。

努力すればセンスはみがけるものだから!

これ苦手です、そんなことはわかってるんだわ!ってなります。


だから、センスをみがく、ではなくて。

ちょっと、自分なりにかみ砕いてみることにします。



日々、なんとなく感じているものに対して少し意識を向けてみる。

こんな感じでどうでしょうか。及第点ならそれで十分です。

 

そんな感じで、日々、積み重ねていこうかと思います。




文章でもユーモアが伝わるように、精進します。


温かく見守っていただけますと嬉しいです。




今日はこのへんで





明日、また

 


人それぞれのマイウェイ。

2023-05-22 20:33:01 | 恋愛・人間関係

 

昨日の続きです。
お付き合いいただけますと嬉しいです。

ふたつめは、

質問は少なめ、リアクションは薄め。

これです。


これ、わたしがやられたら、すごくヘコむんだけど。

なんて思いながら。


彼は、質問が少なめなのが標準装備です。

質問が少ないのは、そもそも、相手に興味がない場合の典型なのではないかと。

それなに付き合いが長くなれば、質問は減るかもしれないですが、なくなることはない気がします。

 

もちろん、質問が苦手な人はいます。

であれば、リアクションやあいづちで挽回するのはどうか?と思うわけです。

少ない会話のチャンスを無駄にしないような、会話が長続きするような、そんなリアクションを心がける。

これだけで、結構変わる気がします。


決して、大袈裟なリアクションが必要なわけではないのです。

そんなものは、わたしも苦手中の苦手です。


大切なことは、
「わたしの話をちゃんと聞いてくれてるんだ」と、相手に思ってもらうこと。


例えば、

・そうなんだ、それで?
・それからどうなったの?
・そのあと大変じゃなかった?
みたいな、続編期待パターン

これなら、ちゃんと聞いてくれてる感じする。
しかも、もういち往復はできそう。


・それは辛かったね、わたしなら無理だよ。
・すごくいいね!楽しそう!
みたいな、自分の感想パターン

こちらも、話を聞いてくれてるっていう安心感を与えられそう。
相手も悪い気はしないはず。


あいづちに、もうひと工夫するだけで、会話はそれなりに続くものになる気がします。



ひとつめも、ふたつめも、共通していることは、

・相手を観察すること。
・自分に置き換えてみること。

これではないかと。

バッチビトンで、100%ハマることはなくても、不快にさせないくらいの受け答えはできそうです。

 

と、ここまで書いててわかりました。

お読みいただいた方も、お察しの通りだと思います。

みなまで言うな、ですね。

でも、言います。

 

今回、彼に対して一番思ったこと。

 

この人は他人に対しての興味や関心が薄い

 

ということ。

 

他人に興味・関心が薄い人は、観察することも、自分に置き換えてみることもしないのではないかと。

よっぽどのことがない限り。

 

わたしに置き換えて考えてみる。

わたしは人付き合いが好きなので、人といるときは、いかに楽しく過ごすかを常に考える。

意識してるとかではなく、勝手に考えてしまうこと。

これはわたしの性格、キャラクターといってもいいかも知れません。

 

次は、彼に置き換えてみる。

彼が他人に興味・関心が薄いとしたら、わたしと同じ考えで他人と過ごしてはいない。

でも、それが彼のキャラクターであって、彼からしたら普通のこと。

 

そう、そもそも、感覚や価値観が違うのだ。

感覚や価値観が違うのは、当たり前のことだけど。

 

これは同じ職場にいる時点でわかる場合もあるが、そうじゃない場合もある。

今回は後者が近いかもしれない。

 

まぁ、実際にはうすうす感じていたのだけど。

 

同じ職場にいたときは仲が良くても、やめてからも付き合いが続くとは限らない。

同じコミュニティにいれば、共通言語が多い分、意思疎通には困らない。

だから、今回のように感覚や価値観が多少違っても、大した問題ではなかったりする。

 

ただ、長く付き合っていくためには、感覚や価値観が合うことが大事になってくる。

感覚や価値観は「同じ」である必要はない、「合う」ことが大事。

多少違っても、違いを受け入れて、認めることができればいい。

感覚や価値観も、一つの個性だと思うから。

 

環境が変わったときにこそ、その人との関係の本質がみえる。

職場が変わってからも付き合いが続く人は、これからも、わたしの人生の登場人物になってほしい人、なんだと。

 

それだけ、その人には魅力があるということ。

わたしもそんな人になりたいものです。

 

今回は職場でしたが、学校や習い事、その他、いろいろなものに当てはまると思います。

 

 

これはあくまでも、わたしの主観です。

ここに書いたことは、自分への備忘録でもあります。

人付き合いに正解はないですし、人それぞれのマイウェイだと思います。

 

人付き合いは避けては通れないと思うので、無理なく、でも、なるべく楽しんで、他人と関わっていきたいものです。

 

自分にとって負担になる人間関係は断捨離していいと思います。

死ぬまで一生付き合っていくのは自分。

だいじなのは自分です。

 

わたしはやっとそう思えるようになってきました。

日々、成長ですね。

 

 

 


今日はこのへんで

 

 


明日、また