女優を辞めよう。そう決めたのは、映画『チルソクの夏』の最後のシーンを撮影したときでした。炎天下、多くのエキストラもいる。私の顔がアップになった瞬間、「ピクピクッ」。最悪のタイミングで右目の下が痙攣したのです。「もうカメラの前に立つ資格はないんじゃないか」と打ちのめされました。14年の夏でした。
最初に顔の痙攣に気付いたのは9年の春。1日に6回、治っては、目元がまたピクピク。知人からは「ウインクのしすぎじゃない」と言われましたが、疲れかなと深くは考えませんでした。
しかし、突然やってくる痙攣はだんだん頻度を増し、目元から次第にほおまで動くようになった。困ったことに睡眠中もお構いなし(笑い)。痙攣すると脳の中が波立つように反応して、3時間ごとに目が覚めてしまう。不眠症になり、心身ともにヘトヘトでした。
もちろん、「おかしい」という自覚はあった。けれど、女優の仕事が大好きだったし、監督やスタッフに迷惑はかけられない。誰にも知らせず治そうと鍼や気功に通いましたが、よくならない。何とかごまかして仕事は続けたけれど、目の芝居ができなくなり追い詰められて15年、事務所に電話で「辞めます」と告げました。
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違う人生を歩むつもりで、洋服もバッグも化粧品も貴金属も捨てました。さらに口元まで痙攣するようになり、髪の毛で顔の右半分を覆うクセがつきました。ビルのトイレの清掃など、アルバイトも顔を見られずに済む職種を選びました。元女優とばれるより、顔の痙攣を見られるのが嫌で。半ば、ひきこもり状態でしたね。
「片側顔面痙攣」という名の病だと知ったのは18年の夏。脳神経外科であっさり診断がつきました。原因不明の病ですが、医師は「強いストレスに関係する」。思えば発症当時、結婚生活がうまくいかず、心がズタズタ、しっかりしなきゃと興奮状態だったのが悪かったのでしょうか。顔面神経が血管に触れているので治療には脳の奥のほうの手術が必要で、生存率は7割と言われました。
それを聞き、家族はみんな「顔はどうなってもよいから、生きて」と手術に反対。正直、私も逃げたい気持ちでしたが、医師から「もっと楽しい人生にした方がよい」と言われ、精神的なつらさを分かってもらえた気がして、生命を預けようと決めた。
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手術は5時間。全身麻酔から目覚め、「ぐっすり眠ったの、何年ぶりだろう。もう痙攣に眠りを邪魔されずに済む」。翌日、鏡を見たときは「私、こういう顔してたんだ」と旧友に再会したような気持ちでした。
もう一度、人生を楽しむために。一番大好きだった仕事に戻ろうと、20年秋、「復帰したい」と事務所に連絡しました。勝手をして辞めたのに、事務所はずっとプロフィルをホームページに載せていてくれたのを知り、本当にありがたかった。昔からファンでいてくださる方だけでなく、同じように病気で悩んでいて、新たに応援してくださる方もいらっしゃる。
「なんで私が」と思ったこともあったけれど、病気を経験して、ちょっとおおらかになれた気がします。再発させないため、「リラックスして」「頑張るな」と医師から言われます。あせらず、ちょっとずつ、地に足の着いた活動をして、待っていてくださった方々に恩返ししたい。そう思います。 【産経ニュース】
このような訳の分からぬ病で苦しんでいるいる人は、何千何百人と居るはずだ。思い切った5時間の手術に耐えて楽しい女優生活に戻れたことに本人の喜びようは幾ばくだったろう・・・・
また、現在は成功率も8−9割に上がっているはずです。これを見て手術を不必要に怖がる人がいませんように。