芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

人のとなりに 楽しい寓話

2015年12月25日 | エッセイ
                    

 世界中の誰もが一度は、子どもの頃に聞かされたり読んだりした物語に、イソップの話がある。「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「ずるいキツネ」「犬と肉」「ガチョウと金の卵」「馬をうらやんだロバ」「太陽神と北風の神」…。
 イソップ寓話とは、紀元前600~500年頃に実在した古代ギリシャのアイソーポスの寓話である。彼は奴隷だったという。…まるで家畜のような扱いではないか、しかし知能ではあいつらの方が動物並みではないか。…その鬱屈、その不条理な境涯を生き抜くため、考えをめぐらし様々な知恵を身に付け、自らを慰め、戒め、その諷意に満ちた考えを寓話や格言に託して、周囲の同じ境涯の人々や頑是無い子どもたちにも語ったものなのだろう。アイソーポスは相当な「考える人」であり、したたかな知恵者だったに違いない。当然のように動物に仮託した話が多い。
 そのアイソーポスの寓話に、ヨーロッパ各地の民話や俚諺、格言が童話風に付け加えられ、翻案されて「イソップ寓話」「イソップ物語」「イソップ童話」として後世に、世界中に伝えられていくのである。

 17世紀のフランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは数々の寓話詩を書いた。当然、動物に仮託された話や自然現象に仮託した例え話が多い。「金の卵を産む雌鶏」や「北風と太陽」はよく知られている。つまり、ラ・フォンテーヌの話の元はイソップ寓話である。ラ・フォンテーヌの寓話詩はそのイソップの翻案、あるいは「再話」である。日本で言えば「本歌取り」であろう。彼の寓話詩は詩人の本領が発揮されているのに違いないが、翻訳ではなかなかそれが伝わらないのではなかろうか。
 余談だが、むかし競走馬でラフオンテースというお調子者の快速牝馬がいた。フランスの詩人・寓話作家と同じ名にするつもりだったらしい。馬名を登録した際「ヌ」を「ス」と読まれて登録されてしまった。また「ォ」を「オ」に誤認されている。よほど字が雑だったのだろう。
 またアザルトオンワードという恐ろしく強い馬がいた(故障で大成しなかった)。アザルトでは意味不明である。実は馬主(オンワードの樫山純三氏)が電話で登録を頼んだ人に「アダルト」と伝えたのに、「アザルト」と聞こえてしまったらしい。…(ヌイマセン、えらく脱線してしまって。ヌイマセン?…なんじゃそりゃ?)

 18~19世紀にかけて活躍したロシアの劇作家イヴァン・アンドレーヴィッチ・クルイロフも、ラ・フォンテーヌの寓話を翻案(本歌取り)し、ロシア文学伝統の古い国民詩や民話、俚諺、慣用句を取り入れ、簡潔でユーモアと諷意、諷刺に満ちた寓話に仕立て直し、それを数多く残した。帝政ロシアの圧政下での痛烈な諷刺である。
 クルイロフの寓話も動物もののオンパレードである。「鴉と狐」「鴉と鶏」「蛙と牛」「真鶸(まひわ)と針鼠」「狼と子羊」「猿たち」「四十雀(しじゅうから)」「驢馬」「尾長猿とめがね」「二羽の鳩」「鷲と雌鶏たち」「ライオンと豹」「猟犬小屋の狼」「狐とマーモット」「鷲と蜜蜂」「猟をした兎」「子鴉」「驢馬と鶯」「象と狆」「猿」…。動物に仮託した諷刺は韜晦しやすく、また誰も傷つけぬような配慮なのかも知れない。彼はロシアで最も偉大な国民的作家の一人とされている。ロシア人は民間伝承の唄や話、俚諺が大好きなのである。「完訳クルイロフ寓話集」は岩波文庫(内海周平訳)で誰でも読める。

 ドイツの作家エーリッヒ・ケストナーは、ナチの発禁・焚書の弾圧や言葉狩りに対抗した。彼はナチから執筆や出版を禁じられた。しかし「話す」のは禁じられていないと考えた。誰でも知っている子どもたち向けのお話を「再話」したのである。決してめげない人なのだ。トーマス・マンら他の作家たちが亡命するなか、彼はドイツに踏みとどまった。
 ケストナーの試みた「再話」もまた「本歌取り」だろう。日本で言えば、太宰治の「お伽草紙」がそれに近い。いや太宰の作品は、少し意地悪で残酷だ。ケストナーは落語に近い。古典落語が数多くの演者に語られ、それぞれに微妙に表現や解釈や味付けが異なる。ケストナーは新解釈や新しい物語を加えることはしなかった。古典や、おなじみのお話を尊重したのだ。彼は長い物語を簡略にし、子どもにも分かりやすく簡潔な言葉に言い換え、微妙に視点を変え、テーマをずらし、より物語の風景を滑稽化した。
 やがて彼はこの「再話」をスイスのドイツ語圏で、たくさんの挿画を入れた絵本として出版したのである。スイスでは彼の本は禁じられていないからである。ほら、ケストナーがウインクしている。それらの作品は戦後映画化されたらしい。
「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「長靴をはいた猫」「ほらふき男爵」「シルダの町の人びと」「ドン・キホーテ」「ガリバー旅行記」を収録した「ケストナーの『ほらふき男爵』」は、ちくま文庫(池内紀・泉千穂子訳)で誰でも読める。この文庫版の帯の言葉が微笑ましい。「おなじみのおはなしの裏側で、ケストナーがウインクしてる。」
 彼の再話にも、たくさんの動物たちが登場する。

 はじめてロシアに行ったのは、冬のさなかのことだった。…見わたすかぎり白皚々、道もなければ木も見えない。道しるべなど、もとよりなし。ただ一面の雪ばかり。
 ある夜、半ば凍りつき、疲れはてて馬からおりた。雪の中に木の梢がのぞいている。これに馬をつないで、わが身はひとり、ピストルを抱き、マントを敷いて、仮り寝の宿とした。
 目が覚めると、キラキラ太陽が輝いている。辺りを見回し、あらためて目をこすった。おどろいたね、村にいる。しかも教会の墓地ときた! 誰だって墓石のあいだで目覚めたくないではないか。それに馬がいない。昨夜、すぐ近くに手綱を結びつけたはずだ。
 突然、頭の上で馬のいななきがした。はるか上、教会の風見鶏につながれて、わが馬がもがいている! いったい、どのようにして教会の塔までのぼったのか? やがて、ことのしだいが呑みこめた。教会もろとも村全体が深い雪にうもれていたのだ。木の梢と思ったものは、実は教会の風見鶏だった。夜のあいだに寒さがゆるんで、雪が溶けた。…とどのつまりは墓石のあいだで目が覚めた。さて、どうしたものか。幸いにも射撃にかけては自信がある。ピストルをとり出し風見鶏に結びつけた手綱を狙ってズドンとやった。馬が地上に落ちてくる。四つ脚でスックと立って、さもうれしげにいなないた。
 そこでヒラリと馬にとびのり、さらに旅をつづけたしだい。

「ほらふき男爵」の「教会の塔にのぼった馬のこと」だが、続く「馬を丸呑みした狼のこと」「じゅずつなぎの鴨」も面白い。「ほらふき男爵」も面白いが「ドン・キホーテ」はもっと面白い。これはやっぱり落語だ。…ドン・キホーテの大真面目な騎士道は、旅(放浪)の間にあちこちで大迷惑な事件を引き起こし、ついに捕らえられ、カゴに入れられ帰郷する。

 …家に着く。ドン・キホーテは書斎に閉じ込められた。家政婦と姪っこが世話を焼く。主人をベッドに押し込んだ。
 サンチョ・バンサも家に戻って女房と子どもにキスをした。
「何を持って帰っておくれだね」
 キスのあと女房がきいた。
「ぺこぺこのこの腹よ」
 とサンチョは答えてテーブルにつく。
「ほかには何も?」
 女房はがっかりした。
「この次だ。いずれは島を一つもらって、おまえは総督夫人だな」
「島なんてもらったらどうすりゃいいんだね。この家じゃ小さすぎるというのかい。総督夫人っていったい何さ」
 サンチョがいった。
「総督の女房よ」
「総督ってのは何だい」
「総督夫人の旦那さ」
 女房はひざを叩いた。
「ああ、なるほど」

 ケストナーの「再話」のドイツ語原文は知らない。訳者・池内紀と泉千穂子の高い日本語の能力か、簡潔で素晴らしくリズムがあって心地よい。「ガリバー旅行記」も「長靴をはいた猫」もテンポがよくて心地よい。

                                                                    

光陰、馬のごとし 伝説のカブトシロー

2015年12月24日 | 競馬エッセイ

 寺山修司の数多くの競馬エッセイの中でも、カブトシローという馬について論じた作品は最も優れたものである。彼はカブトシローを度々取り上げた。「影なき馬の影」「カブトシロー論」等である。それらはカブトシローという馬の異常性、悪魔性、幻想性、裏切り、八百長、破滅という負の言葉で彩られていた。
 カブトシローは昭和39年夏にデビューし、43年の暮れまで走っていた。私はカブトシローのレースを同時代的に目撃していない。作家で血統研究家の山野浩一や寺山のエッセイで「魔王カブトシロー」を知り、強い興味を抱いた。寺山の言葉を借りれば「想像の荒野」へと駆り立てられたのである。
 後年、東京競馬場内のミュージアムで、伝説の馬カブトシローの「裏切り」のレース映像を、繰り返し繰り返し何度も見た。それはモノクロで不鮮明に粗れた画面であった。
 古いレース映像の中のカブトシローは、ちっぽけで、格好悪く、すぐにカメラフレームの外に置き去りにされ、レース実況中その名が呼ばれることもほとんどない。その名はゴール寸前に突然叫ばれるのだった。映像中に伝説の魔王の片鱗は何処にもないのだが、最後に絶叫される名がカブトシローなのである。その撃破した人気の実力馬のことや、数々の裏切りの戦績を考えると、彼は確かに凄みのある魔王だった。

 カブトシローの父はオーロイという、たったの1勝馬で、エリザベス女王の所有馬だった。種牡馬としての実績も全く無く、底力血統の名馬ハイペリオンの血を引くという理由で日本に輸入されたのである。オーロイは晩成型の長距離血統だろう。その子供たちのほとんどが全く走らない駄馬であった。
 母はパレーカブトといい、5勝を上げた馬だが、気性が荒く、血統は三流だった。彼女が名牝と言われるのは後のことである。曾祖母は輸入馬でメイビイソウといった。つまり「かもね…」「たぶんね」という意味の、何ともいいかげんな、人を喰った名前なのである。
 カブトシローはパレーカブトの初仔、三流血統、黒鹿毛の420~30キロ台のみすぼらしい馬体、気性も悪い…そんな馬だったのである。2勝目を挙げるまでに14戦を要し、21戦目にダービーに出走し人気薄で5着に入線して賞金を獲得した。その年の晩秋、人気薄で重賞のカブトヤマ記念を制覇した。
 カブトシローは全く人気薄の時に勝ち、本命になると惨敗した。出遅れ癖があり、馬群からポツンと一頭大きく離され、トボトボと後を追った。ゴール直前、まるで内ラチに身体を擦りつけるように飛んで来て、全ての馬を抜き去った。
 寺山は「人生は四コーナーから」だとカブトシローを讃え、冴えない中高年たちを励ました。だがある時は、大きく離されたままゴールインした。カブトシローのレースデータには「殿り冴えず」「後方まま」「殿り伸びず」等と書かれている。
 彼は追い込み脚質の馬と見られていた。だがある時は、向こう正面から引っ掛かって暴走し、ある時は博打的大逃げをうった。スタンドは大きくどよめき、溜息をついた。これでカブトシロー絡みの馬券は紙屑となったも同然だからである。しかしその まま大差で逃げ切ってしまうと、再びスタンドはどよめいた。
 だがある時は、直線で馬群に沈んだりもした。データには「引掛かり後退」「逃げ一杯」等と書かれている。

 実に分からない馬なのだが、確実なことはただひとつ。彼は本命になると惨敗し、 全く人気がなくなると人気の良血馬たち強豪馬たちを撃破するのだ。スタンドは常にどよめき、失笑し、嘲り、罵り、悲鳴をあげ、溜息を吐き、拍手した。
 彼は酷使にも近く69戦も走った。14勝を挙げたが、その内容が凄い。天皇賞1着1回「離れ殿り一気」、2着1回、3着1回。有馬記念1着1回「向正面先頭、大差逃げ切り」、2着1回。これらのレースは真の底力を要求される。彼のこの成績は、 実に底力のある一流中の一流馬の証なのである。
 カブトシローの主戦ジョッキー山岡騎手は、他の馬とレースで八百長の嫌疑をかけられ、競馬界を永久追放された。カブトシローのレースにも疑惑の目が向けられた。しかし彼の魔性のレースぶりは、加賀、大崎、久保秀、郷原、増田らが騎乗した場合でも同様だった。また途中で馬主が替わった。新たな馬主は三流血統カブトシローの成功で気を良くし、たくさんの二流三流血統馬を買い漁って破産した。またカブトシロー馬券に金を注ぎ込み、勤務先での横領がばれた男が逮捕された。
 人々はカブトシローが翻弄した人生について囁いた。寺山もその一人である。寺山は魔王カブトシロー論で「競馬が人生の比喩なのか、人生が競馬の比喩なのか」と書いた。
 やがて私はカブトシローの子を目撃した。その名はゴールドイーグル。黒いちっぽけな馬体の、地方競馬の馬だった。彼は一瞬、父の伝説を垣間見せてくれたのである。

          (この一文は2006年5月4日に書かれたものです。)

                        

競馬エッセイ わからない馬

2015年12月23日 | 競馬エッセイ
                                 

 先日の第151回天皇賞(春)をテレビで見た。久しぶりで馬を可愛いと思った。勝ったゴールドシップのことである。
 この馬はパドックではいつも温和しく、落ち着いて周回していた。こういう時、解説者の多くが「いいですね。テンションが上がり過ぎず、気合を内に秘めて落ち着いてますね」「毛艶も脚の踏み込みも良いですね」等と言う。 
 彼はパドックではいつも、そういう様子なのである。落ち着いている?…しかし私には、気が抜けてボーっとしているように見えたものである。芦毛なので、毛艶も発汗の状態もよく分からない。案の定、レースでは人気を裏切り、よく負けた。しかし特に引っ掛かったり、騎手と喧嘩したり、不利を被った様子もなく、意外に伸びないのだ。ゴールドシップはもうレースに飽きていて、真面目に走る気が起こらなかったのではないか、と私には思えた。…もう引退させてやれよ。

 先日のNHKの解説・鈴木康弘元調教師は、ゴールドシップを「よく分からない馬」と言った。彼もゴールドシップの解説では、何度も裏切られてきたのである。実況を担当した藤井アナは「今日は気分がよいかどうかですね」と言った。私は笑ってしまった。まるでかつての「気まぐれジョージ」こと天才エリモジョージではないか。
 この日、テンションが上がり過ぎないようにと、横山典弘騎手とゴールドシップは一頭だけ早く、白い誘導馬のずっと前を悠然と本馬場に向かった。ゴールドシップが本馬場に出たとき、スタンドの多くのファンは、彼を誘導馬と見間違えたかも知れない。
 ところがゴールドシップは、厩務員さんが引き綱を外しても、緑の芝に立ったまま、しばらく動こうともせず、スタンドの大勢の観客を見つめていた。私には「フン」と言ってるように見えた。横山騎手が微笑み、軽く首のあたりをさするように叩いて、返し馬(ウォーミングアップ)を促した。何度か促されると、蟹歩きから、やっと走り出した。
 これも、かつて菊花賞でのイシノヒカルが、四肢をターフに突っ張り、梃子でも動こうとしなかった姿にそっくりだった。そのとき増沢騎手は笑いながら、イシノヒカルが気の済むまで、そのまま好きにさせたのであった。これで機嫌がなおったイシノヒカルは、後方からライバルたちを一気にゴボウ抜きにして勝ったのである。

 ゴールドシップは輪乗りまで落ち着き払っていた。ファンファーレが鳴りゲート入りが始まると、突然彼はそれを嫌った。何度も後ずさりと尻っ跳ねをした。後ろ向きでゲートに誘導され、方向転換させて入れようとすると、また怒って後ずさりし、尻っ跳ねした。はて、彼はこれまでもゲート入りを嫌がって、こんな風にダダをこねたことがあっただろうか。もう六歳馬という古馬としては珍しい。確かに彼の灰色の尾には「蹴り癖あり、要注意」の小さな赤いリボンが付いているから、蹴り癖はあるのだろう。
 やっと係員によって顔に黒い布をかけられ、そのままゲートに入れられた。先にゲート入りして待たされた馬たちにとっては、いい迷惑である。スタート前の激しい入れ込み、消耗…もうこの時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 ゲートが開くとゴールドシップは出遅れ、最後方から行った。彼の前は1番人気のキズナである。流れは縦長の、やや緩やかにも思える平均ペースである。緩い流れは先行馬に利し、後方からの追い込み馬には不利なのである。この時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 と、ゴールドシップは突然引っ掛かったように、ぐんぐんと前に出て、中団やや前まで取りついた。仕掛けとしては早過ぎ、しかもその行きっぷりに使った脚は速すぎるように見えた。ここでそんな速い脚を使ってどうする! この時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 直線、早めにゴールドシップは前を行く馬たちとの差をグイグイと縮め始めた。しかし一杯になったかにも見えた。多くのファンは思っただろう。「やはり…な」…スタート前の激しい消耗、出遅れ、途中での引っ掛かったような早い仕掛け…。もうここまでが限界ではないのか、さらに先頭に踊り出る脚は残っているのか。
 しかし、ゴールドシップはそこから最後の力を振り絞るように、グイグイと前に出て先頭に立ち、さらに猛追するフェイムゲームを、クビ差退けた。これは強い! ゴール前、脚色が一番良かったのはステイヤーのフェイムゲームである。しかしそのクビ差は、おそらく底力の差であろう。
 山野浩一の定義によれば「底力とは、力を振り絞って限界に達してから、さらに絞り出される力のことである」…とすれば、まさに我々はゴールドシップの「底力」を目の当たりにしたのである。
 1番人気のキズナの復活はならなかった…いや、キズナにとって天皇賞・春の3200メートルは、おそらく長すぎたのである。もし復活するとすれば、宝塚記念(2200)の距離だろう。そしてキズナ陣営にお願いだ。もう海外挑戦はしないで欲しい。ちなみに、ゴールドシップと同世代のディープブリランテ陣営は、ダービー制覇に調子づき無謀にもイギリスに遠征したが(大惨敗)、おそらくそれが祟って菊花賞前に故障したのだ。まあデイープブリランテ、ゴールドシップの世代は、ディープブリランテが無事だったとしても、ゴールドシップの方が一枚も二枚も上だと思うのだが…。

 ゴールドシップの白い芦毛は、母の父に伝わるメジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンの3200メートルの天皇賞馬の遺伝であり、典型的なステイヤーの血なのである。この勝利は、かつてのメジロの御大・北野豊吉氏の信念だった「3200メートルの天皇賞を勝つ馬が一番強い」という言葉の実現に違いない(そう言えば、メジロの主戦騎手は、横山典弘騎手の父でメジロムサシの横山富雄騎手であった)。
 ゴールドシップのやんちゃぶりは、父ステイゴールド似なのだろう。あるいは配合が同じオルフェーヴル同様、メジロマックイーンに伝わるリマンドの激しすぎる血のせいかも知れない。
 レース後のゴールドシップは何事もなかったように、涼しい顔で帰って来た。その様子が実に可愛い。横山典弘騎手は言った。「みんなに迷惑をかけて…ずうっと気を緩めないように気合いを入れ続けた。…いやあ、こんなに疲れたレースはない」…確かに横山騎手は終始気合いを入れ続けたのだろう。それが途中の一気になってしまったに違いない。いったん、なんとか馬をなだめ、抑え、直線に入ってからは再び激しく追い続けた。一番消耗したのは横山典弘騎手だったろう。ゴールドシップは追っつけ続けなければならない「ズブい馬」の典型なのだ。
 ファンは面白かった。ゴールドシップが面白かった。発馬前の消耗、出遅れ、途中で一気、直線グイグイ、そして限界、そこからまたグイグイ…。
 25戦13勝、内Gを6勝。現役最強馬に違いなく、また彼も、どうも「分からない」稀代の癖馬の一頭に違いない。
 ゴールドシップや先輩のオルフェーヴルには、叙情的で劇的な、ラフマニノフの曲がよく似合う。

           
                     

競馬エッセイ

2015年12月23日 | お知らせ
                 

 競馬は観戦スポーツであると認識するところから、競馬エッセイが生まれる。スポーツを演じる、闘う人馬、コミュニケーションを交わす人馬、そして彼らに関わる人々から物語が生まれる。
 かつて寺山修司は「馬の個人史」ということを言った。ヒカルメイジ、コマツヒカリの兄弟は青森の盛田牧場に産まれ、雪解けの泥田のような牧場を走り回って育った。だから彼らは重馬場や不良馬場を苦にしない。
 こうして一頭一頭の個人史や物語に、仮託する応援者の個人史や物語が重なる。
 競馬は面白く、ファンの脳裏に競馬エッセイのアンソロジーも編まれ続けていく。


                 

日本の報道について

2015年12月23日 | コラム

 ふと、日本のメディアは中国や韓国が大好きなのだろうかと思ってしまう。セオル号の沈没事件も、天津の化学兵器廠大爆発事件も、数日前の深圳の土砂崩落事故も、また北朝鮮ネタも、大好きなのではないか。特に報道バラエティ、報道もどき番組は連日にぎやかに報道し続けている。報道陣や行方不明家族を規制する多くの警官たちの姿も、何度も映し出されている。
 
そのトーンはやや揶揄ぎみで、中国や韓国は、杜撰で、人命を軽視し、民主化に程遠い酷い国だと言わんばかりである。確かにそうだと思うが、呆れる、揶揄するような態度はいかがなものか。日本人の、また報道機関の品位が疑われる。
 また中国の一人っ子政策が37年ぶりに見直され、二人以上でも可という報道もなされている。本当に中国、韓国、北朝鮮が、あるいは彼らを揶揄するネタが好きな国だなあと、呆れるばかりである。
 
 いいですか、韓国や中国でも、辺野古のお爺やお婆が、屈強の機動隊に排除され、あるいは蹴られているネット映像が、彼の国の報道番組にも援用されていることを思え。辺野古の海で基地新設工事に反対するピースボートの人々が、海上保安庁の屈強の海猿たちに体当たりで沈められ、その顔や頭を抑えられて海水を飲まされていることも、彼の国に報道されていると思え。
 あるいは中国や韓国でも、もちろん欧米でも、福島第一原発事故に関する日本政府や東電の情報の小出し、隠蔽に近いデータ隠し、子どもたちの甲状腺癌の異常な増加等が報道されていることを思え。
 子どもたちの甲状腺癌も作業員の白血病発症も、福島原発事故の放射能との因果関係は不明とか、はっきりしたことは言えないとか、もはや制御も解決策も不能に陥った放射能汚染水処理や海への流出も、海外に報道されていると思え。日本では政府の箝口令に近い圧力と空気で、まともな報道番組ですら取り上げられないことを思え。

 ところで中国のこれまでの一人っ子政策を、私は嘘だと思っている。なぜなら知り合いの中国人たちは皆、二人兄弟、三人兄弟ばかりだからだ。聞けば男の跡取りが必要だという理由と、日本円で百万円ほど納めれば許可が出るのだと言う。
 彼の国の一人っ子政策を、もっと子どもが欲しい両親もいるだろうにと批判した人もいたが、ひるがえって日本を思え。
 子どもの数は、経済的にも子育ての環境的にも、一人を育てるのがやっと……一人っ子政策と結果は同じではないか。二人、三人は経済的にも子育て環境的に無理。政府の子育て支援は嘘、政府は実際なんの手立ても打っていないのだから。
 
 中韓が日本より素晴らしいとは思ってもいない。ただあの得意げに揶揄するような報道バラエティの軽薄さは品位に欠け、いかがなものかということ。他国を揶揄するように、他国も同様に日本が直面している事件や課題を、自国の政治的世論操作やガス抜きに使い、揶揄しているということ。…日本の報道機関は、重大、深刻な日本の問題も、より真剣に報道せよということ…である。