芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

競馬エッセイ わからない馬

2015年12月23日 | 競馬エッセイ
                                 

 先日の第151回天皇賞(春)をテレビで見た。久しぶりで馬を可愛いと思った。勝ったゴールドシップのことである。
 この馬はパドックではいつも温和しく、落ち着いて周回していた。こういう時、解説者の多くが「いいですね。テンションが上がり過ぎず、気合を内に秘めて落ち着いてますね」「毛艶も脚の踏み込みも良いですね」等と言う。 
 彼はパドックではいつも、そういう様子なのである。落ち着いている?…しかし私には、気が抜けてボーっとしているように見えたものである。芦毛なので、毛艶も発汗の状態もよく分からない。案の定、レースでは人気を裏切り、よく負けた。しかし特に引っ掛かったり、騎手と喧嘩したり、不利を被った様子もなく、意外に伸びないのだ。ゴールドシップはもうレースに飽きていて、真面目に走る気が起こらなかったのではないか、と私には思えた。…もう引退させてやれよ。

 先日のNHKの解説・鈴木康弘元調教師は、ゴールドシップを「よく分からない馬」と言った。彼もゴールドシップの解説では、何度も裏切られてきたのである。実況を担当した藤井アナは「今日は気分がよいかどうかですね」と言った。私は笑ってしまった。まるでかつての「気まぐれジョージ」こと天才エリモジョージではないか。
 この日、テンションが上がり過ぎないようにと、横山典弘騎手とゴールドシップは一頭だけ早く、白い誘導馬のずっと前を悠然と本馬場に向かった。ゴールドシップが本馬場に出たとき、スタンドの多くのファンは、彼を誘導馬と見間違えたかも知れない。
 ところがゴールドシップは、厩務員さんが引き綱を外しても、緑の芝に立ったまま、しばらく動こうともせず、スタンドの大勢の観客を見つめていた。私には「フン」と言ってるように見えた。横山騎手が微笑み、軽く首のあたりをさするように叩いて、返し馬(ウォーミングアップ)を促した。何度か促されると、蟹歩きから、やっと走り出した。
 これも、かつて菊花賞でのイシノヒカルが、四肢をターフに突っ張り、梃子でも動こうとしなかった姿にそっくりだった。そのとき増沢騎手は笑いながら、イシノヒカルが気の済むまで、そのまま好きにさせたのであった。これで機嫌がなおったイシノヒカルは、後方からライバルたちを一気にゴボウ抜きにして勝ったのである。

 ゴールドシップは輪乗りまで落ち着き払っていた。ファンファーレが鳴りゲート入りが始まると、突然彼はそれを嫌った。何度も後ずさりと尻っ跳ねをした。後ろ向きでゲートに誘導され、方向転換させて入れようとすると、また怒って後ずさりし、尻っ跳ねした。はて、彼はこれまでもゲート入りを嫌がって、こんな風にダダをこねたことがあっただろうか。もう六歳馬という古馬としては珍しい。確かに彼の灰色の尾には「蹴り癖あり、要注意」の小さな赤いリボンが付いているから、蹴り癖はあるのだろう。
 やっと係員によって顔に黒い布をかけられ、そのままゲートに入れられた。先にゲート入りして待たされた馬たちにとっては、いい迷惑である。スタート前の激しい入れ込み、消耗…もうこの時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 ゲートが開くとゴールドシップは出遅れ、最後方から行った。彼の前は1番人気のキズナである。流れは縦長の、やや緩やかにも思える平均ペースである。緩い流れは先行馬に利し、後方からの追い込み馬には不利なのである。この時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 と、ゴールドシップは突然引っ掛かったように、ぐんぐんと前に出て、中団やや前まで取りついた。仕掛けとしては早過ぎ、しかもその行きっぷりに使った脚は速すぎるように見えた。ここでそんな速い脚を使ってどうする! この時点で多くのファンは思っただろう。「今日のゴールドシップはないな」
 直線、早めにゴールドシップは前を行く馬たちとの差をグイグイと縮め始めた。しかし一杯になったかにも見えた。多くのファンは思っただろう。「やはり…な」…スタート前の激しい消耗、出遅れ、途中での引っ掛かったような早い仕掛け…。もうここまでが限界ではないのか、さらに先頭に踊り出る脚は残っているのか。
 しかし、ゴールドシップはそこから最後の力を振り絞るように、グイグイと前に出て先頭に立ち、さらに猛追するフェイムゲームを、クビ差退けた。これは強い! ゴール前、脚色が一番良かったのはステイヤーのフェイムゲームである。しかしそのクビ差は、おそらく底力の差であろう。
 山野浩一の定義によれば「底力とは、力を振り絞って限界に達してから、さらに絞り出される力のことである」…とすれば、まさに我々はゴールドシップの「底力」を目の当たりにしたのである。
 1番人気のキズナの復活はならなかった…いや、キズナにとって天皇賞・春の3200メートルは、おそらく長すぎたのである。もし復活するとすれば、宝塚記念(2200)の距離だろう。そしてキズナ陣営にお願いだ。もう海外挑戦はしないで欲しい。ちなみに、ゴールドシップと同世代のディープブリランテ陣営は、ダービー制覇に調子づき無謀にもイギリスに遠征したが(大惨敗)、おそらくそれが祟って菊花賞前に故障したのだ。まあデイープブリランテ、ゴールドシップの世代は、ディープブリランテが無事だったとしても、ゴールドシップの方が一枚も二枚も上だと思うのだが…。

 ゴールドシップの白い芦毛は、母の父に伝わるメジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンの3200メートルの天皇賞馬の遺伝であり、典型的なステイヤーの血なのである。この勝利は、かつてのメジロの御大・北野豊吉氏の信念だった「3200メートルの天皇賞を勝つ馬が一番強い」という言葉の実現に違いない(そう言えば、メジロの主戦騎手は、横山典弘騎手の父でメジロムサシの横山富雄騎手であった)。
 ゴールドシップのやんちゃぶりは、父ステイゴールド似なのだろう。あるいは配合が同じオルフェーヴル同様、メジロマックイーンに伝わるリマンドの激しすぎる血のせいかも知れない。
 レース後のゴールドシップは何事もなかったように、涼しい顔で帰って来た。その様子が実に可愛い。横山典弘騎手は言った。「みんなに迷惑をかけて…ずうっと気を緩めないように気合いを入れ続けた。…いやあ、こんなに疲れたレースはない」…確かに横山騎手は終始気合いを入れ続けたのだろう。それが途中の一気になってしまったに違いない。いったん、なんとか馬をなだめ、抑え、直線に入ってからは再び激しく追い続けた。一番消耗したのは横山典弘騎手だったろう。ゴールドシップは追っつけ続けなければならない「ズブい馬」の典型なのだ。
 ファンは面白かった。ゴールドシップが面白かった。発馬前の消耗、出遅れ、途中で一気、直線グイグイ、そして限界、そこからまたグイグイ…。
 25戦13勝、内Gを6勝。現役最強馬に違いなく、また彼も、どうも「分からない」稀代の癖馬の一頭に違いない。
 ゴールドシップや先輩のオルフェーヴルには、叙情的で劇的な、ラフマニノフの曲がよく似合う。

           
                     

競馬エッセイ

2015年12月23日 | お知らせ
                 

 競馬は観戦スポーツであると認識するところから、競馬エッセイが生まれる。スポーツを演じる、闘う人馬、コミュニケーションを交わす人馬、そして彼らに関わる人々から物語が生まれる。
 かつて寺山修司は「馬の個人史」ということを言った。ヒカルメイジ、コマツヒカリの兄弟は青森の盛田牧場に産まれ、雪解けの泥田のような牧場を走り回って育った。だから彼らは重馬場や不良馬場を苦にしない。
 こうして一頭一頭の個人史や物語に、仮託する応援者の個人史や物語が重なる。
 競馬は面白く、ファンの脳裏に競馬エッセイのアンソロジーも編まれ続けていく。


                 

日本の報道について

2015年12月23日 | コラム

 ふと、日本のメディアは中国や韓国が大好きなのだろうかと思ってしまう。セオル号の沈没事件も、天津の化学兵器廠大爆発事件も、数日前の深圳の土砂崩落事故も、また北朝鮮ネタも、大好きなのではないか。特に報道バラエティ、報道もどき番組は連日にぎやかに報道し続けている。報道陣や行方不明家族を規制する多くの警官たちの姿も、何度も映し出されている。
 
そのトーンはやや揶揄ぎみで、中国や韓国は、杜撰で、人命を軽視し、民主化に程遠い酷い国だと言わんばかりである。確かにそうだと思うが、呆れる、揶揄するような態度はいかがなものか。日本人の、また報道機関の品位が疑われる。
 また中国の一人っ子政策が37年ぶりに見直され、二人以上でも可という報道もなされている。本当に中国、韓国、北朝鮮が、あるいは彼らを揶揄するネタが好きな国だなあと、呆れるばかりである。
 
 いいですか、韓国や中国でも、辺野古のお爺やお婆が、屈強の機動隊に排除され、あるいは蹴られているネット映像が、彼の国の報道番組にも援用されていることを思え。辺野古の海で基地新設工事に反対するピースボートの人々が、海上保安庁の屈強の海猿たちに体当たりで沈められ、その顔や頭を抑えられて海水を飲まされていることも、彼の国に報道されていると思え。
 あるいは中国や韓国でも、もちろん欧米でも、福島第一原発事故に関する日本政府や東電の情報の小出し、隠蔽に近いデータ隠し、子どもたちの甲状腺癌の異常な増加等が報道されていることを思え。
 子どもたちの甲状腺癌も作業員の白血病発症も、福島原発事故の放射能との因果関係は不明とか、はっきりしたことは言えないとか、もはや制御も解決策も不能に陥った放射能汚染水処理や海への流出も、海外に報道されていると思え。日本では政府の箝口令に近い圧力と空気で、まともな報道番組ですら取り上げられないことを思え。

 ところで中国のこれまでの一人っ子政策を、私は嘘だと思っている。なぜなら知り合いの中国人たちは皆、二人兄弟、三人兄弟ばかりだからだ。聞けば男の跡取りが必要だという理由と、日本円で百万円ほど納めれば許可が出るのだと言う。
 彼の国の一人っ子政策を、もっと子どもが欲しい両親もいるだろうにと批判した人もいたが、ひるがえって日本を思え。
 子どもの数は、経済的にも子育ての環境的にも、一人を育てるのがやっと……一人っ子政策と結果は同じではないか。二人、三人は経済的にも子育て環境的に無理。政府の子育て支援は嘘、政府は実際なんの手立ても打っていないのだから。
 
 中韓が日本より素晴らしいとは思ってもいない。ただあの得意げに揶揄するような報道バラエティの軽薄さは品位に欠け、いかがなものかということ。他国を揶揄するように、他国も同様に日本が直面している事件や課題を、自国の政治的世論操作やガス抜きに使い、揶揄しているということ。…日本の報道機関は、重大、深刻な日本の問題も、より真剣に報道せよということ…である。