芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

吉本隆明

2016年04月08日 | コラム

「青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。」
多くの青年たち、つまり彼らの、青春の思考や行動に影響を与え続けた吉本隆明は、一貫して「青春」そのものを嫌悪し続けていた。彼が「青春」に対して、相 変わらずの辛辣さと不信感を保ちながらも、その嫌悪感を多少とも和らげたのは、すでに彼の「青春」が遙か半世紀以上も過ぎた頃である。死を待ちながら吉本隆明はその遠く過ぎ去った青春を想い出し、「すべて羞恥、自己嫌悪の別名にしかすぎない」と、再び思い至ったものであろうか。
少年時代から自らを「小人」と知り「利己主義的」と知り、「偏奇」で「特異」で「異端」と思ったのだ。でもそういう自意識や苛立ちが、青春というものなのではなかったか。

 青春の嫌悪の中で、吉本隆明が最初に発見した認識は、嫌悪すらこの世の幻想体系の一部なのだということだった。人は誰でも実生活と乖離して存在できず、現実の関係の絶対性に定位される。無論、現実との関係性すら、その背後に広がる幻想体系に組み込まれているのだった。
 イエスは悪魔から浴びせられた問いに答えられない。「人はパンのみによって生くるにあらず」とイエスは言った。ただ我々は別の価値観にしたがって生きるのだと言うばかりである。「パン」という「物質」のみによらぬ別の価値観とは、宗教であり、思想哲学であり、芸術や文学にも置き換えられるだろう。
 かつてサルトルは問うた。「文学は餓えたアフリカの子どもたちを救えるか」と。
 吉本隆明もまた「マチウ書試論」で、理想への希求と現実と幻想の間に広がる亀裂と深淵と、癒やしえぬ懐疑に触れた。ジュジュ(イエス)は神を語り奇蹟を語りながら、決してパンを石に変える奇蹟も、石をパンに変える奇蹟も起こしえず、飢えた人々の前では空しく無力なのである。ジュジュはただ、人はパンとは別の価値観に生きるのだと言う ばかりである。これらが、おしなべて幻想でなくて何であろうか。しかし幻想は、その時の現実、その時の魂を救済するのも事実なのである。たとえその時の現実が餓死であろうと。
 吉本隆明は、宗教的幻想の排除、幻想による救済を否定すると、特定の情況下における関係の絶対性という概念が残るとした。
「人間は、狡猾に秩序をぬって歩きながら、革命思想を信じることもできるし、貧困や不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意思は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。」
 人間は神も革命思想も信じられるし、苛烈な現実を前に神も革命思想も唾棄できるのだ。その時代の情況下で人はファシストであり、日本的ナショナリ ストなのである。それは恥部である。またマルキシズムを信じ、転向してナショナリストとなり、戦後の民主主義も無条件で信じる者も出る。それもまた日本的 恥部である。
 吉本隆明は思想と現実の「実践的矛盾」を衝いた。「しかし、悲劇的でない思想などは犬に喰われたほうがいいのである。」…こうして彼は「修羅の行路」を歩み始める。

 吉本隆明は、戦前のファシストたち、ナショナリストたち、マルキストたちや転向者たち、戦後の民主主義やポレミックな花田清輝、丸山真男らを念頭 に、「『民主主義文学』批判」「転向論」「丸山真男論」と、批評の俎上に載せていった。
 彼はもともと詩人だった。その感性は鋭敏な痛覚そのもので、彼の全神経叢が重い苦しみと悲しみを感知した。しかし彼の本質は理性の勝った論理の人なのだっ た。だから彼はやがて詩を離れ、より論理を鍛えながら評論、批評へと向かったのである。あえて無用とも思える論争を好み、その論争が彼の論理を鍛えていっ たのだ。
 だが彼の思想が現実に実践的であり、有効だったことはあるだろうか。それが救済だったことはあるだろうか。彼は現実の飢餓を前に何をなしえたの か。無論、 彼は自ら青年たちや社会に影響を与えよう等とは思いもしなかっただろう。彼は批評の著述を職業としていただけなのに違いない。しかし、青春の餓 (かつ)えや、苛立ち、凶暴さを帯びて彷徨する魂に、「幻想」「共同幻想」というキーワードを与えたことは事実である。少なくとも吉本隆明は、私に思想の面白さを示し、たくさんの語彙を与えてくれたのである。
「青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。」

 それにしても吉本隆明は、現代の文学や批評の終焉、思想の衰退をどのように思いながら亡くなったのだろうか。

                                                 
                                  

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