芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

地球物理学者の随筆

2016年08月23日 | コラム
 パソコン内を整理していて、2012年の1月17日付で書いた雑文を見つけた。とりあえず、プログに移すことにした。

 「地球物理学者の随筆」

 年末に久しぶりに何冊かの新刊の新書本と文庫本を買いこみ、これらを大晦日から正月三が日にかけて読んだ。読書テーマは「通貨」「恐慌」 「TPP(三冊)」「貿易」「農業」、そして「明治」(新撰組の永倉新八が見た明治維新の本質、明治天皇と元勲)、「猫小説」である。
 さらにひとつは寺田寅彦の「天災と国防」である。むろんこれは3.11後に緊急に復刻・文庫化として企画・刊行されたものであろう。
 私は寺田寅彦の随筆や、語り伝えられるその人柄が好きで、自分で書くものに彼をしばしば登場させてきた。彼の随筆の中でも特に素晴らしかったのは 「どんぐり」である。随筆なら「どんぐり」、小説なら中島敦の作品は、私が理想とし憧憬する文体である。 

 以前グレッグ・アーウィンさんの童謡絵本出版の企画中、イラストレーター候補として彼が一冊の本を私に示した。それはピーマンハウスという出版社が出 した寺田寅彦の「どんぐり」で、絵は「しもゆきこ」とあった。その随筆は昔読んだものだったが、私は「しもゆきこ」の絵に心を奪われた。これは版画であろうか。シンプルで太い線で簡略化された絵ながら、描かれた童女の姿態の愛くるしさや、その指先や足のつま先のリアリティに目を奪われた。これは素晴らしい実力派の絵描きである。
「しもゆきこ」はグレッグさんの友達の友達らしく、その友達からの推薦らしかった。グレッグさんはその絵にあまり 気乗りしない様子であったが、私が縷々絶賛するとようやく納得した。

 さて「天災と国防」である。この本は彼の死の三年後に、岩波書店から刊行されたものである。寺田の主な研究分野は地球物理学であった。その地球物 理学者による関東大震災、昭和八年の三陸大津波、九年の函館大火、浅間山噴火など、地震、津波、噴火等に関する随筆である。
「天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発露するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはも う少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないか…」
「…新聞で真っ先に紹介された岸壁破壊の跡を見に行った。途中ところどころ家の柱のゆがんだのや壁の落ちたのが目についた。…石造りの部分が滅茶 滅茶に毀れ落ちていた。これははじめからちょっとした地震で、必ず毀れ落ちるように出来ているのである。 
…この岸壁も、よく見ると、ありふれた 程度の強震でこの通りに毀れなければならないような風の設計にはじめから出来ているように見える。設計者が日本に地震という現象のあることをつい 忘れていたか、それとも設計を註文した資本家が経済上の都合で、強い地震の来るまでは安全という設計で満足したのかもしれない。地震が少し早く来 過ぎたのかもしれない。」
「…関東大震災のすくあとで小田原の被害を見て歩いたとき、とある海岸の小祠で、珍しく倒れないでちゃんとして直立している一対の石灯籠を発見し て、どうも不思議だと思ってよく調べてみたら、台石から火袋を貫いて笠石まで達する鉄の大きな心棒がはいっていた。こうした非常時の用心を何事も ない平時にしておくのは一体利口か馬鹿か、それはどうとも云わば云われるであろうが、用心しておけばその効果が現れる日がいつかは来るという事実 だけは間違いないようである。」
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。」

 長い引用ばかりとなったが、ほんとうは全文引用したいくらいである。「強い地震が来るまでは安全」とは、まるで原発の設計者や安全神話を強烈に皮肉ったかのようである。千二百年に一度が、存外(想定外)「早く来過 ぎたのかもしれない」…と。
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたり」とは、まるで今の放射能ヒステリー、原発ヒステリーを言っているかのようである。表題作や「火事 教育」「災難雑考」「流言蜚語」「神話と地球物理学」「津波と人間」など、ぜひ一読をお勧めしたい。「通貨」「恐慌」「TPP」等については次回にしたい。


 ※そういえば「エッセイ散歩 何おかいわんや」でも、寺田寅彦の「天災と国防」を取り上げたことがあった。
                                                                 

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