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芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

また「口辞苑」を

2016年04月05日 | コラム
                                                   
                                      

 私は温順、穏やかな性格にして、政治や社会に無関心なため、あまりそれらに目くじらを立てて激しく非難することもほとんどない。
 話が変わるが、私は辞典辞書が大好きで、よく引いていたが、最近は目が疲れるので、字の細かい辞書をほとんど見ることもなくなってしまった。しかしたまに自ら辞書を編むという、途方もない野望に唆されることもある。その辞書を「口辞苑」と名付け、以前から少しづつ、すでに何度か公開してきたが、その度に後悔の念に囚われる。
 公開、後悔、航海……「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」…至言である。小説や映画に「舟を編む」という良い作品があった。私は自前の辞書を編みながら、退屈さからいつしか「舟を漕ぐ」状態となり、そのまま横倒しになって眠りにつく。

【青天井(あおてんじょう)】青空の下で開催されるオリンピックのように、開催費用、建設費用に上限がないこと。
【唖然(あぜん)】安全と同義。
【アベ過ぎる】JKの間で使われる流行語で①馬鹿すぎるの意。②度し難い嘘つきのこと。
【アベノミクス】①経済が好転するという幻想のこと。②転じて「おまじない」③手段を選ばず株価をあげる経済政策のこと。
【甘利(あまり)】斡旋利得など甘い利を吸うこと。医学的に覚醒剤同様の常習性があり、吸い過ぎると睡眠障害に陥るとされる。
【安全(あんぜん)】事故が起きる前の状態のこと。「唖然(あぜん)」とも言う。事故後については→「想定外」の項。
【育休(いくきゅう)】国会議員が使う売名パフォーマンスのこと。用例「育休不倫」
【噓(うそ)】総理が連発したヒット曲。党員がカラオケでよく歌う。
【衛星(えいせい)】ミサイルのこと。恫喝衛星ともいう。「衛星」の字に「ミサイル」とルビをふって使用することが多い。
【大飯原発(おおいげんぱつ)】大災害や重大事故が起きないことを想定して稼働した原子力発電所のこと。N国の第一標的。
【オトタケもの】①江戸川乱歩「芋虫」など、世にも不思議な興味をそそる愛憎劇。②手も足も出ない苦境を指す。
【黒田(くろだ)バズーカ】①禁じ手をもってしても効果が全くないこと。②空砲と同義。転じて③大失敗のこと。
【権力濫用(けんりょくらんよう)】①政治資金 規正法というザル法・虚偽記載といった些末な罪で起訴すること。②天の声を頻繁に響かせること。
【高校生未来会議(こうこうせいみらいかいぎ)】安倍官邸の指示で安倍の親類が作った「アベッチユーゲント」のこと。
【ケーソン】瓦礫処理の画期的な一方法。
【県外移設(けんがいいせつ)】福島原発による放射能で住民の帰還困難地域に、米軍普天間基地を移転させるという画期的計画のこと。
【鼓腹撃壌(こふくげきじょう)】日本のテレビ界の現状を表す四文字熟語で、白痴的ノーテンキに天下太平を謳歌するさま。
【ジェー(J)アラート】①いざという時に鳴らない広域警報システムのこと。②ミサイル等が着弾してから相当の時間を経ても、なお沈黙したままの 広域警報システム。
【サノケン】物真似名人。特にビリケンの顔真似が上手い。
【笑止化(しょうしか)】少子化対策のこと。育児・子育て支援の減額や廃止、待機児童対策に手をこまねき、一億総活躍社会などと言うこと。
【ジョンウン】①「ねエねエ、あれ撃ったことあるの」って子供のようにはしゃぐこと。②おじいちゃんの物真似をすること。用例 :「話し方から敬礼までも見事にジョンウンせしが…」(金怪集)
【仁義(じんぎ)なき分裂(ぶんれつ)】①おおさか維新と維新の党の下らない分裂のこと。転じて②山口組と神戸山口組の分裂のこと
【スピーディ(SPEEDI)】①宝の持ち腐れの意。②いざという時のために準備していても、その時が来ても全く「信用しない、活用しない、知らせない」の意。
【尖閣諸島(せんかくしょとう)】実効支配のため右翼的愛国者やヤクザ、半グレ、ヤンキーと呼ばれる暴走族たちの移住予定地。→尖閣セツルメント(定住)計画。
【想定外(そうていがい)】事故後に使用する便利な言葉。
【待機児童対策(たいきじどうたいさく)】①参院選対策のこと②ブログやツィッターなどSNSの監視対策③保育士に平均4千円賃上げする温情政策。④保育士にも叙勲するというありがたい政策のこと。
【大補凶(だいほきょう)】野球界用語で、他チームやメジャーリーグ等からスラッガー、エース級を豊富な資金力にものを言わせて獲得するも、その意図ことごとく失敗し低迷すること。
【高木効果(たかぎこうか)】巨人軍の高木投手の野球賭博を受け、老害をトップから排除した功績を指す。高木投手唯一の功とされる。
【高木出世(たかぎしゅっせ)】①下着泥棒でも出世できること。②親の威で出世する世襲議員。③原発利権享受者。
【掌返(てのひらがえ)し】政治家が選挙前にとった態度や公約と、当選後の態度と政策の大きな差をいう。ほとんどの場合、ペコペコからゴーマンに変じ、公約は180度変更される。実例「TPP断固反対。ブレない」
【凍土壁(とうどへき)】地下水の建屋への流入と汚染水の海への流出が、全く止まらぬことに気付いた関係者が、土色の顔になって壁のように凍りくこと。
【トランプ旋風(せんぷう)】アメリカの伝説のコメディアン「レニー・ブルース」風のタブーを恐れぬ大放言、大暴言の嵐を意味する。
【林立ち往生症候群(はやしたちおうじょうしょうこうぐん)】①先天性アルツハイマー症。②転じて、質問に応えられないさま。③不勉強の意。
【保育園(ほいくえん)】保健所のこと。
【朝鮮中央咆哮(ちょうせんちゅうおうほうこう)】①某国のアナウンサーが過剰な激情演技で原稿を読み上げること。②あまりにも大袈裟なので思わず笑っちゃうこと。
【日米同盟(にちべいどうめい)】①日本を思考停止にさせる呪いの言葉。②安全保障の意。用例 :「日米同盟のためにもTPPという笑止な論」
【ハシズム】橋下徹的な子供じみた暴言、放言、虚言ポピュリズムと全体主義的な傲慢、傲岸主義を言う。主張の内容はほぼアメリカの新自由主義的市場原理主義の口移し。
【酷(ひど)い】帰還困難地域に補助金で野菜工場を建設し、その野菜をスーパーなどで販売する復興計画のこと。
【ひな壇(だん)】①バラエティ番組で芸人たちが座る段々状の席。②無意味に笑ったり、雰囲気を盛り上げるために手を打ったり騒いだりすること。 用例 :「ひな壇芸人」③鼓腹撃壌のためのステージ。→鼓腹撃壌。
【ベントフィルター】原発で重大事故が起きるまでは不要なフィルターのこと。
【放送遵守(ほうそうじゅんしゅ)を求める視聴者の怪(しちょうしゃのかい)】安倍官邸の走狗として政権を批判するジャーナリストたちを潰す言論弾圧の怪グループ。
【ホラッチョ】熊本出身のホラ吹きを指す言葉。熊本の隠れキリシタンの賛美歌「ほーらしょほらしょ」から派生したと考えられる。
【免震重要棟(めんしんじゅうようとう)】原発の安全性を措置するための施設ではないので、重大事故が起きるまでは不要な建物のこと。
【松龍(まつりゅう)】①下品で恫喝的に威張り散らすこと。②○差別長者のこと。
【ゆ党】野党に徹しきれず与党との政策の違いも曖昧で、野党と与党の中間「やゆよ」の中間を立ち位置とする「ぬるま湯」のような政党のこと。党のシンボルマークは♨で「揶揄(やゆ)」の意を含む。
【翼賛系新聞(よくさんけいしんぶん)】旧産経新聞のこと。あまりにも官邸・政権寄りの偏向記事が多いという指摘を受けて、社名と紙名を「翼賛系新聞」に変更した。
【読売虚人(よみうりきょじん)】①日本最大の発行部数を誇る読売新聞グループ会長で尊大な領導者を指す。蔑称・別称「ナベツネ」とも。②転じて老害の意。

数字の噓

2016年03月16日 | コラム
                                         

「この世には三つの嘘がある。嘘、ひどい嘘、そして統計」と言ったのは、19世紀のイギリスの宰相で数多くの警抜な名言を残したディズレリーである。ヴィクトリア女王が最も信任した政治家である。
 私が彼の名を初めて目にしたのは、高校の世界史の教科書であった。その後、イギリス映画「カーツーム」の中で、チャールトン・ヘストン演ずるゴードン将軍の台詞の中に、彼の名を耳にした。
 ディズレリーがあげつらった「統計」を、「計算方式」「計測方式」の相違による「数字」の嘘と置き換えてもよい。嘘と言うより、その作為的で恣意的な利用が招く「詭弁」「ごまかし」と、それによる相対的混乱である。
 計算方式が作り出す数字は、国家の食糧自給率や輸出依存度、対GDP比純債務残高、将来の年金制度の試算、原子力発電のコスト、電力の過不足の計算等に作為的、恣意的に利用されることが多い。計測方式の違いが生み出す混乱は、放射能における安全危険論議、近未来の巨大地震の確率等に頻繁に利用されている。
 放射能に関して言えば、そもそも政府、行政、東電、原子力安全規制委員会、電事連等の原子力村の、隠蔽体質と数々の詭弁が、あらゆる数値や説明の信頼性を損なってきた。そのため放射能ヒステリー症とさえ見える人たちも出た。しかし彼らは正しいのかも知れない。取り越し苦労なのかも知れない。
 どちらにせよ、もはや専門家から出される見解や数字の、信頼性が損なわれているのである。放射能を心配する人々には、もはやどんな計測数字でも安心も信用も与えるものではない。彼らは全く聞く耳も持たない。もし彼らの症状を癒やす者がいるとすれば、それはただ一人、児玉(龍彦)教授のみであり、彼による断固たる保証しかないのである。
 それにしても政府、行政、東電、規制委員会もあまりにも不誠実だ。行き当たりばったりで、いいかげんだ。福島第一は安倍首相のいうようにアンダーコントロールはされていない。収束どころか、悪化の一途をたどっているのではないか。こう言うと、地元から風評被害を広げるつもりか、復興の邪魔をするなという声が上がる。政府系、行政系の専門家や医者は、子どもたちの甲状腺癌は原発事故と関係ないという。第一原発で働く人間が減ると、年間の浴びても安全な放射線量を恣意的に上げたりする。その数字の根拠は何なのか。そもそもいい加減な数字なのか。

 社会学の祖と呼ばれるデュルケームは、社会的事実や客観的事実、統計資料を元にした分析を重視し、その方法を確立した。だから彼は社会学、社会「科学」の祖とされたのである。統計は科学なのだ。
 彼の代表的著作「自殺論」は、地域や信仰する宗教・宗派(ユダヤ教、カトリック、プロテスタント)による自殺率という統計を駆使したばかりではない。デュルケームは、月曜日や火曜日より木曜日や金曜日に、昼より夜に、そして夏より秋に、秋より冬に自殺率が高まると書いた。

「死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」(太宰治「葉」)

 あんがい人は、こんな理由で死ぬ時期を選ぶのかも知れないのだ。あるいは、明るい光に満ちた真っ青な空を見て、ふと言いしれぬ悲しみに襲われ、死のうと思うかも知れないのだ。また人の心理や、個々人が抱えた苦悩の深さを、絶望を、その時代や社会が与える圧力や閉塞感を、また芥川龍之介のような「唯ぼんやりとした不安」を、デュルケームの統計の「科学」が何も語ることができないのは当然である。
 かと言って、フロイトやユング等による精神分析という「科学」でも、何も解き明かすことができないのは当然である。人の心は解説不能の謎なのである。
 繰り返すが、あの大政治家ディズレリーは「この世には三つの嘘がある。嘘、ひどい嘘、統計」と言ったのである。
 村上春樹は「作家は真実を書くのが仕事」と言った。つまり彼の作品は全て真実を書こうとしたものなのでる。これは比喩、寓意、仮構に託して、人の心や時代や社会の真実を描くという意味であろう。優れた作家の真実は、彼が凝視し、比喩、寓意として抽出した仮構の視像の中にある。

 だいぶ以前も書いたが98年以降、私は東谷暁という経済ジャーナリストの著作や論文を愛読し、彼を高く評価している。東谷は経済学者ではない、エコノミストでもない。経済誌や論説誌の編集者、編集長を経てフリーの経済ジャーナリストになった。
 特にいわゆるエコノミストと呼ばれる経済学者、経済評論家の言説をウォッチし続け、分析し、彼らの無責任で矛盾だらけの怪しげな言説を厳しく批評してきた。
 主な著書に「グローバル・スタンダードの罠」「BIS規制の嘘」「経済再生は日本流でいこう」「IT革命 煽動者に糺す」「誰が日本経済を救えるのか」「アメリカ経営の罠」「エコノミストは信用できるか」「日本経済新聞社は信用できるか」「民営化という虚妄」「世界金融崩壊 7つの罪」等があり、また共著に「IT革命? そんなものはない」(柳沢賢一郎)「TPP開国論のウソ」(三橋貴明)がある。私の尺度ではいずれも名著に入る。

 東谷はケインジアンであろう。彼にもっとも近いエコノミストは山家(やんべ)悠紀夫や佐伯啓思、柳沢賢一郎あたりであろうか。彼がもっとも唾棄した政治家は詭弁を弄した売国奴の小泉純一郎、もっとも軽蔑した経済学者は詭弁を弄した売国奴の竹中屁蔵である(私はこの男を平蔵と記したことがない)。
 東谷も多くの経済統計や指標を引用し、駆使する。彼が軽蔑する売国奴エコノミストたちが示す統計、指標がいかに恣意的に利用され、その計算方式、数字がいかに作為的に国民に喧伝されてきたかを示すためである。彼らの作為は嘘やデマという言葉に置き換えてもよい。私は東谷の著書から、何度も目から鱗…の様々なことを学んだ。 
 東谷の最新刊は「間違いだらけのTPP」である。いま東谷がもっとも真剣に取り組んでいる言論案件が、関岡英之、小倉正行、三橋貴明らとの共闘によるTPP参加反対運動なのだ。TPPは「郵政民営化」に次ぎ、再びアメリカに国を売り渡す行為だからである。

 ちなみに、TPPを「平成の開国」と呼んだ馬鹿者どもを、あの魔女のような浜矩子が鼻先でせせら笑っていた。彼女が鼻先で「フン」と笑うことほど恐ろしいことはない。とは言え、私は魔女好きである。
 浜については、だいぶ以前書いたことがある。毎日新聞に寄稿した彼女の短文を読んだ際に、私はえらく感心してしまった。それ以来、彼女のすこぶる過激な著作を愛している。最近の彼女のいささか過激な発言に、「1ドル50円が妥当」「リーマン・ショック前に戻れは大きな間違い。…リーマン前に戻ることは、百年に一度の危機が三年ごとに起き続けるということだ」「震災前の生産水準に戻す必要はない」…それらの言説は、これまでの統計、指標、計算方式と数字の「経済の常識」と嘘を突き崩すものである。もちろん彼女は、別の統計や指標、数字の提示をしているのである。まあ経済の常識や嘘と言うより、我々があまりにも不勉強だったのだ。
 TPPに関する浜のあっと驚く発言は、「TPPは平成の開国どころか現代の鎖国である。特定地域の経済圏として囲い込もうとする集団的鎖国主義、閉鎖主義である。…TPPが実現すればそれだけ貿易の自由度が高まるという発想はおかしい。それどころか…状況は1930年代的な様相を呈してくる。」「基軸通貨が存在しない時代、1ドル50円時代に備えよう」等…というものである。
 TPPを「現代の鎖国」と言い放った人は、おそらく浜矩子だけではあるまいか。私は寡聞にして他に知らない。

        (この一文は2012年の2月26に書かれたものである。)

世論調査

2016年03月14日 | コラム

 どうも世論調査は疑わしい。つい先日も世論調査の電話を受けたという方の驚きの逸話を拝見した。RDDという方式の世論調査らしい。最初の質問に「安倍内閣を支持しますか?」という設問に「しません」と答えると、そこで電話は突然切られたという。世論調査の相手からである。つまり彼らは「支持しない」人をそこで恣意的に切り捨てて、回答サンプルを電話口で操作しているわけである。「支持しない人」はそこでカウントされない。
 同様の逸話を数年前にも知人から聞いたことがある。その時は「何かの理由でたまたま電話が切れたのでは」と言っておいたが、もしかすると電話口でのサンプル数操作は本当にあるのやも知れない。
 例えば「安倍内閣を支持しますか?」「しません」回答の二人に一人はそこで調査が打ち切られ、「はい、します」と答えた人が次の質問に進む。

 例えば安倍内閣を支持する。安保法制を支持する…など、自分の周囲の方々との話から推察するに、圧倒的に支持しないが多いのである。しかし発表される数字は全く逆だ。どうも、その乖離がはなはだしい。実態はどうなのか? 日本の大手マスコミの世論調査はほとんど信用できないのではないか?
 例えばNHKが「全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)方式で、何月何日から何日まで3日間をかけて調査」と言う。その電話は固定電話なのである。そのランダムに発生させたその番号に調査員が電話をかけ、世帯用だけを選別するらしい。

 これもおかしい。先ず今どきの青壮年のほとんどは携帯電話だろう。固定電話に出るのは年寄りが多かろう。固定電話にかけるから、サンプルの90%が50代から70代に偏っているのである。20代、30代のサンプルはほとんど取れまい。70代と20代、30代では政治に対する考えも要望も大きく異なるだろう。アメリカの世論調査では携帯電話にかけるという。固定電話と携帯電話の割合はとうに逆転し、携帯電話の利用者のほうが多いのである。
 また、その3日間には平日も含まれており、青壮年は昼間不在が多かろう。そもそも固定電話の相手が20歳以上とどうして分かるのだ。また固定電話に出た閑な老人が面白がって「若者のふり」をすることも考えられる。「マジ? 世論調査? こういう機会をチョー待ってた! 何でもええから訊いてチョーよ」
 設問の仕方でも回答はかなり変わるだろう。ある方向へ誘導する質問もあるだろう。質問相手にある程度の情報を伝えながら、あなたはどう思いますか? と訊ねる場合と、全く何の説明もなくイエスかノーかだけを問う場合もある。

 また聞き手側の恣意的な質問も可能なため、その数字はマスコミによって大きく違っている場合も多い。昨今の中央の大手マスコミと地方新聞の世論調査の差は大きい。安倍内閣の支持・不支持、その政策の支持・不支持の数字は真逆である。大手マスコミが官邸に餌付けされている様子は、総理とお食事会などの報道で明らかだ。また放送メディアが総務相や官邸から脅しを受けていることも明らかだ。
「翼賛系新聞」や「読売」系ならなおさら怪しい。官邸に揉み手をはじめたNHKも怪しい。特に「日曜討論」「党首討論」に政党にもなっていなかった「おおさか維新」を出し、歴とした特定の政党を党首討論から排除している。NHKは何をやっているのか。NHKはその説明を視聴者にしていない。見え見えではないか。
 安倍官邸に使嗾された団体や、政権与党から露骨に脅しをかけられているTBSやテレ朝系も、コメンテーターを替えたり政権批判の自粛をはじめた。

 数年前に鳥越俊太郎氏がインタビューに答えていた。「世論調査の数字に手が入れられる」と、彼も調査の結果に疑問を投げかけていたのである。
 世論調査が「本当に民意を反映しているのかというと疑わしいと思いますね。そもそも誰に投票しようか決めていない人が大半を占めていても、態度を決めている人の意見が〝民意〟となってしまう。
 人によってはそれを見て流されるということも大いにある。数字には影響力もあるし、誘導的な側面がどうしても出てくる」
「報道される数字が本当に公正ならいいのだが、それすらも疑わしい」と、彼は自らの経験を話した。
「僕が新聞記者時代は世論調査といえば、面接方式だった。どんな山の中だろうと雪の中だろうと、行って面接して集計していた。例えば総選挙では各選挙区を回って集められた調査結果は、東京にある新聞社の選対本部に送られる。ところが、その数字に政治部などが取材した情報が〝加味〟される。つまり、若干、世論調査の数字に手が入れられるんです。この数字はちょっと出すぎだろうといった具合に。そういうことを、僕は見聞きしてきたから、どうも疑ってみてしまう」 

ウォーター・バロン

2016年03月04日 | コラム
                                                                                                    

 亡くなられたが、畏敬してやまぬ経済学者・宇沢弘文の言葉に、次のものがある。
「農業や医療、教育、環境、水、空気…これらは新自由主義による市場原理型の利益追求をしてはならない」

 麻生太郎という売国奴が日本の全ての水道事業を民営化すると言った。彼は財務大臣だが、水道事業についても管掌するのか。いや、自民党そのものが売国奴たちで構成された政党だから、TPPと同様に安倍自民党の総意としての売国方針なのだろう。

 水を事業の柱に据えるグローバル企業は、ウォーター・バロンと呼ばれる。
 近い将来、三大ウォーター・バロンの、フランスのスエズ社とヴィヴェンディ社、ドイツとイギリスのテームズ・ウォーター社が、地球の水のほとんどを支配すると予測されている。
 ウォーター・バロンは世界銀行とつるみ、世銀の融資供与の条件として、公水道の民営化と、そのための法整備、法規制、貿易協定の改変を義務づけるよう働きかけ続けた。
 この3社は世界銀行と国際通貨基金、国際金融機関(米州開発銀行、アジア開発銀行、欧州復興開発銀行等)などの強力な後押しを受け、各国政府の政治家と癒着し、州や地方自治体等が営む水道事業の窮状(設備の老朽化、赤字構造)につけこみ、新自由主義的・市場原理主義が進める民営化政策で巨大な利益を上げ続けている。
 1990年、民間企業から水の供給を受けている人口は5100万人だったが、2004年に3億人を超えた。ウォーター・バロンの売上げはもの凄い勢いで伸び続けている。

 各国政府の政治家の癒着は、日本ならおそらく麻生や自民党の国会議員ということになるのであろう。日本の地方自治体が営む水道事業は、すでに設備の老朽化が指摘されて久しい。赤字もかさみ続けている。設備の更新を図ろうにも資金がない。優に1兆8000億円超に膨らむというオリンピック開催の金や、アメリカの軍需産業を支えるための拡大する防衛予算はあるらしい。大企業の内部留保を膨らませるための法人税の大規模減税を行い、日本の軍事産業も育てて輸出を促進するらしい。軍事産業を育てることに熱心だが、日本の子どもたちを育てる金はないらしい。人口減少を何とかするため子どもを産めと言いながら、戦争を賛美する稲田朋美は子育て支援を止めた。少子化を何とかしなければと言いながら、幼い子どもたちを保育園も保育所にも入れることができない。幼児を抱えた母親は働きたくても働きにも出られない。母親は怒りにふるえ、思わず「日本死ね!」と叫ぶ。「何が一億総活躍社会だ!」
 日本の政権党の売国政治家は、おそらく、ウォーター・バロンとの癒着を進めているのだろう。あるいはそれを期待しているのだろう。

 世界銀行は南ア、アルゼンチン、フィリピン、インドネシア等の国々に、電気・ガス・水道の公事業の民営化と自由市場経済の推進を勧告した。水の民営化はオーストラリア、コロンビア、カナダ、アメリカ各州、ヨーロッパでも進められた。いま世界各地で進行中の水の民営化の特徴は、少数の多国籍企業だけが入札に参加していることである。さらに水道事業の委託契約が結ばれると、その契約内容の全体もしくは一部は「極秘」とされているのである。
 民営化されるとウォーター・バロンは恒常的に水道料金を値上げし、利潤の上がらぬ地区からは数年もたたぬうちに、非情にも撤退した。
 2000年に南アフリカで発生したアフリカ史上最悪のコレラ感染は、水の民営化によって引き起こされた。スラム街では水道料金が払えず、川や湖沼の水を飲料としたことが原因となった。ボリビアではベクテル社が設立した会社が入札なしに水道事業の委託を受けると同時に、水道料金を150%値上げした。
 水事業各社は、3年以内の黒字化と資本コストの回収、最低3%の利益を追求している。そのために水道料金が何倍になろうとかまわないのだ。人間は水がなければ生きることはできないのだから。どうしても目標の利益があがらなければ、その地から撤退するだけである。私企業なのだから当然であるというわけだ。
 一方、水道委託契約は20年、30年と長期に亘り、安定した投資配当が得られ、将来的な拡大、成長の可能性は極めて大きいとし、各巨大銀行は「グローバル・ウォーター・ファンド」を創設し、年金基金、個人の投資・投機マネーを集めている。

 1996年に世銀と国連は世界水会議(WWC)を創設した。その創設メンバーのひとりは、元スエズ社の副社長だった。委員会メンバーは水道事業の民営化を推進してきた元スエズ社CEO、米州開発銀行総裁、世銀CEO等であり、委員長は世銀副総裁だった。
 ウォーター・バロン3社の売上げは2001年の段階で1567億ドルに達し、年10%の成長を続けている。3社とも世界上位100社にランクインしている。彼等は政治家への不正献金や賄賂で何度も提訴されているが、あまりにも有力政治家と結託しているため、逮捕を免れている。
「神様は牢屋に入らない」というジョークが言われるほどである。もはや彼等は人間の生命線を握る神様なのである。
 3社とも各国々で事業を展開するグローバル企業らしく、売上げを米ドルで計上しており、各国の為替相場の変動で生じた為替差損は、すぐ水道料金に転嫁された。
 3社はともにすでに六大陸に事業を展開しているが、最有力・最重要市場を北米、中国、東欧としている。そして今、日本に手を伸ばし、財務大臣の麻生太郎が、日本の全ての水道事業を民営化するとほざいた。TPPもその一貫だろう。TPPは全サービス分野を網羅する協定なのだから。
  
 しかし、何度でも繰り返すが、そもそも水は市場原理主義や、商品化にはそぐわない事業なのだ。それこそ人間の生命線、国民のライフラインであって、「安全な水を安価に」配給すべきもので、また水環境、水源林、自然環境の保全とともに重大な問題なのだ。巨大な設備費やメンテ費がかかる事業であるから、公が行うべき事業なのである。
 何度でも繰り返すが、日本の水道設備のほとんどは耐用年数を超え、2020年までにメンテ、取り替えを必要としているが、できない。なぜなら、地方自治体・市町村には金が無い。ならば、新国立競技場建設やオリンピック施設およびそのインフラ整備に数千億あるいは数兆円の大金をつぎ込むのは結構だが、それこそ国の金で、地方自治体の水道事業のメンテ費用、建て替え費用につぎ込むべきである。政党助成金や中国へのODAもすぐ取り止めて、地方自治体の水道事業を助けるべきである。海外にODAで金をつぎ込むなら水道事業の更新に回せ。海外へのODAは日本の商社を潤すだけだろう。日本の商社はその一部を自民党に政治献金し、泥棒たちを潤すだけだろう。

              (2004年の資料を参考にしている)
                                                                                                    

自由貿易TPP

2016年03月03日 | コラム

 NHKのアナウンサーが淡々とニュース原稿を読む。「経済成長には自由貿易が欠かせないことから…」
 ちょっと待て。経済成長をすれば貿易が増えることはある。しかし貿易が増えると経済成長するとは証明されていない、というのが近年の世界の経済学者たちの説なのである。また「経済成長には自由貿易が欠かせないことから…」WTO、TPP推進というのは、NHKの一経済記者が書いた原稿だろう。彼は記者クラブに配布された経産省か経団連あたりのレリースを、リライトしただけだろう。それとも一経済記者か一報道部員が自説を視聴者に押しつけたのか?

 経済理論のほとんどは、あり得ない仮説が成り立つことを前提の上に成り立つ。つまり、あり得ない机上の空論、虚妄なのである。しかしその仮説が、現実の枝葉や例外や雑駁な事柄や時間の進行や時空間や距離等を、全て捨象しているがために、大変解りやすく、俗耳に入りやすい。いったん脳や体内に取り込まれると、人を信念的に頑迷に奔らせる。

 例えば、自由貿易は常に正しく、自由貿易は経済成長をもたらす、自由市場原理のみが正しい、自由市場原理は極めて民主的である…。一国の首相、総理を誰にすべきかは「それは市場が決めることです」と言い放った某外資系アナリストがいた。彼女は現自民党の国会議員である。
 それらの根拠の淵源はアダム・スミスであり、デヴィッド・リカードである。リカードの「比較優位」はヘクシャー=オリーンの定理で理論構築され、今日に至っている。しかし、リカード、ヘクシャー=オリーンの定理は、現実には絶対あり得ない仮説が前提なのである。

 先ず、世界には二国、二財、二種の生産要素(資本と労働)があるとする。その生産は規模に関し収穫不変であること(つまり生産要素を二倍にすると収穫も二倍になり、五倍にすると収穫も五倍になる)。生産要素は「完全雇用」であること。生産要素は国内の産業間を自由に移動でき、その調整費用はかからず、国際的な移動はしないこと。国内市場は生産物市場も生産要素市場も完全競争であること、国際貿易の運送費用はかからぬものとすること。両国間で資源の相対的な賦存度は異なり、両国の各効用関数は同じ、とすること。…これらが定理の成立する前提条件なのである。

 そもそも完全雇用なぞはあり得ない。生産要素、例えば労働が国内の産業間を自由に移動できることなぞはあり得ない。ずっと農業とか漁業とかに従事していた中高年が、減反政策や漁業の不振から離職し、そのままIT産業や金融などの産業に移動するなんてあり得ない。またグローバル時代に国際的な移動がないとはあり得ない。完全競争もあり得ない。国際貿易の運送費用がかからないなぞ…あり得ない。