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芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

選挙の時の備忘録

2016年05月13日 | コラム

「呆・腐なる人材」

甘利明…典型的な斡旋利得罪。 山田俊男…JA関係者に公衆の面前で暴力をふるう。 菅原一秀…25歳以上は女じゃない、子供を産んだら女じゃない。国会を嘘の届け出で休み、愛人とハワイ旅行。 中山秀康…銀座ホステスお持ち帰り。経費は政治活動費で。 山田賢司…給与ピンハネを告発予定の秘書が、車内で練炭自殺。しかし顔は原型をとどめず謀殺疑惑。 宮沢洋一…SMバー費用を政治活動費で支出。 大西英男…新聞こらしめ・報道規制発言。セクハラ野次。巫女のくせに発言。 高木毅…若い頃の犯罪だが下着ドロ。親父がもみ消し。 丸山和也…黒人奴隷がアメリカの大統領に発言。 武藤貴也…ホモ連れ込み、未成年男性買春。 松島みどり…外務大臣答弁中の横で居眠り、大あくび、携帯電話に読書、うちわ。 小渕優子…観劇会とワイン配布。追求されると事務所のパソコン破壊で証拠隠滅。 佐藤ゆかり…政治資金規正法違反で身内が告発。 高市早苗…925万円の闇ガネ疑惑。 安倍晋三…相続税3億円脱税疑惑。 安倍実弟・岸信夫…政治資金規正法違反で、子分の江島潔ともどもオンブズマンが告発。 丸川珠代…放射能線量、科学的根拠否定。 島尻安伊子…北方担当相なのに歯舞が読めなかった。 石原伸晃…最後は金目でしょ発言。 宮崎謙介…育休パフォーマンスと政界ゲス不倫。 今井絵理子候補…情夫が未成年売春風俗店経営・逮捕歴。 江島潔候補者…安倍実弟・岸信夫とともに政治資金規制法違反でオンブズマンが告発。 これは氷山の一角。


「オッペケペ節」でというご要望にお応えして、「マックロケ節」に最後はオッペケペで…

甘利明先生の歌
〽TPP、TPP アメリカ様の要求は すべてOK TPP
 合意内容はマックロケのケ マックロケのケ
 あたしゃそれよりUR  なんとかもっと金を出せ
 おれの顔立て金を出せ  それで合意だUR
 甘い利得だ議員先生の特権だ  斡旋利得だ甘利さん
 それマックロケのケ~で オッペケペー オッペケペッポー 
 ペッポッポーィ

山田俊男先生の歌
〽TPP、TPP 選挙のときは反対だ 選挙のために反対だ
 だけど当選万歳だ ほれ万歳だ
 総理もTPP推進だ だからあたしも推進だ
 文句あんのか百姓め あたしに文句を言う奴は
 本当に殴るぞ百姓め ボディブローだアッパーだ
 それマックロケのケ~で オッペケペー オッペケペッポー 
 ペッポッポーィ

菅原一秀先生の歌
〽女はね女はね 25過ぎたら女じゃない 俺の定義は厳しいの
 女はね女はね 子ども産んだら女じゃない 
 保育園落ちても俺知らねえ 日本死んでも俺知らねえ
 それより国会休みたい 国会なんか俺知らねえ
 嘘の休暇を届け出て 愛人連れてハワイ旅行
 それマックロケのケ~で オッペケペー オッペケペッポー 
 ペッポッポーィ

技術の国?

2016年04月30日 | コラム

 だいぶ以前、よくセミナー、講演会なるものの企画やブッキング、実施の仕事を請け負っていた。広告代理店もクライアントも、よくTVで顔を見かける著名人のブッキングを好んだ。私の個人的意見、あるいは内心では下らないと思っている先生方がよく決まった。十人くらい実名を挙げたいが…やはり差し障りがあるので止めておく。
 ただ話の行きがかり上、申し訳ないがお二人の名前を挙げさせていただく。長谷川慶太郎先生、三原敦雄先生である。その講演の 内容は「カネカネトーシ、カネカネトーシ…」と蝉の鳴声に似ていた。
 三原先生は何度もお世話になり、個人的にはその気さくなお人柄が好きである。 しかし私の中 に「おかしい」という強い違和感があった。一年二年経ち、やがてバブルが弾けた。当然である。特に長谷川慶太郎先生は、軽薄にバブルを煽った戦犯の一人である。

 アメリカの「製造」業がその拠点を人件費の安い海外に続々と移転した。象徴的な例はナイキである。本国ではデザインとマネジメントをするだけなのである。 こうしてアメリカの製造業は空洞化した。チマチマとした物作りの利益などたかが知れている。日本は自国の販売価格より安い価格で輸出してくる。いわゆる内外価格差である。日本を急追する韓国、台湾は安い人件費という競争力で輸出攻勢をかけてくる。さらにマレーシア、タイや中国などが続く。
 それらとの競争は愚かである。製造は彼等に任せる。アメリカの製造はジャマイカやハイチ、インドネシア、フィリピン等の最貧国に作らせればよい。それより世界の金融を牛耳るのだ。こうしてアメリカは製造業から金融とサービスにシフトしたのである。これがアメ リカの戦略だった。金融と言っても、金を貸しチマチマと金利を稼ぐのではたかが知れている。新しい金融商品はデリバティブである。そして美味しいのは投機である。「金融工学」ともてはやされるギャンブルである。ワンクリックで数十万ドル、時に数億ドルの利益が可能なのだ。…これはおかしい。こういう経済システムそのものが、狂っているのだ。

 日本のバブルが弾ける前の話である。ある著名な経済評論家や東大の経済学の教授が、TVなどで明るい持論を展開していた。日本は技術立国である、 その高い技術を海外に売るというのである。よく聞けば、その高い技術の「製品」を海外に売るという話ではない。彼等の言う「技術」を売るというのは「技術移転」をいうのである。簡単に言えば製造 システムを売り、さらに技術料、技術指導料、技術コンサル料を稼ぐのである。私は強い違和感を覚えた。海外の優れた技術はどんどん導入すべきである。しかし海外より優れた日本の技術は移転してはならないと思うのだ。 技術が日本の競争力なら絶対「技術移転」してはならないのだ。

 さて、アメリカを追うように、日本も人件費の安い国々に生産拠点を移しはじめた。技術移転、生産拠点移転である。これらの企業は日本の雇用に何ら役立っていない。こうして製造業の空洞化が進んだ。
 さらに日本もアメリカの模倣をしてこれからは「金融サービス」だと後を追った。しかしたちまちアメリカ主導のBIS規制の罠にかけられ、日本の銀行は苦境に追い込まれていった。そのため貸し渋りに拍車がかかり、景気の浮揚が図れなかった。
 また日本の金融機関は「金融工学」…このババ抜きのようなデリバティブ、投機に弱かった。さらにアメリカ型の金融投機は世界各国に金融危機を拡散し、つい にリーマンショックを引き起こした。当然の帰結である。この強欲金融資本主義は、懲りることなく再びショックを起こすことだろう。

 昨年タイで洪水が起こり、これが長引いた。すると日本の有名企業の製品が日本に入ってこなくなった。ある日本の半導体メーカーだったと思うが、洪水で生産が停まったため、日本国内で代替生産することにした。ところが日本国内には若い派遣労働者しかおらず、彼等はほとんど技術がない。そのためタイ人従業 員(熟練 工)を日本に呼び寄せ、日本人の派遣労働者の技術指導に当たらせたのである。かつてタイ人を指導した熟練工はもはや日本には存在していないのだ。これは象徴的なことである。これが日本の技術の現実なのだ。…何が日本は技術立国だ、何が物づくりの国だというのだ。これが製造業、物づくり、技術の空洞化である。

 売国奴的小泉やアメリカの手先竹中屁蔵らによって規制緩和が唱えられ、社会はこれまでの知恵を愚弄され、コストカットの名目で社会のセーフティネットを破壊された。国際競争力の名分の元に賃金が抑えられ、いつでも気兼ねなく解雇できる雇用に関する規制緩和が、大量の派遣労働者を生み、大量の貧困を生んだ。
 いい気になって海外に技術移転し、さらに生産拠点を海外に移し、日本の雇用には全く寄与せず、移転先の国に技術を盗まれ、キャッチアップされる。 技術の高さが比較優位だった日本が、人件費の安さが国際競争力だったこれらの国に技術で並ばれ、さらにその技術の継承もなく、その技術で超された。
…こんな売国奴的財界がまた亡国のTPP(※)をごり押しし、原発ゼロなら電気代が上がるから海外に生産拠点を移さざるを得ないと政府を恫喝する。
 ふん、生産拠点を中国などに移しているから、焼き討ちにも遭うのだ。…そうしたら工場の門扉や店舗の入り口に中国国旗を掲げていた。そうかもはや日本企業ではないのか。こんな企業、日本でも不買運動をすべきである。
 (※)ちなみにTPPは途中からアメリカが乗っ取って主導権を握った。アメリカは再び日本を罠にはめるだろう。

 今年の春頃だったと思うが、NHKの「おはよう日本」が珍しく企業名を出して特集を伝えた。ビジネスジェット機をつくるホンダエアロインク(ホンダエアクラフトカンパニー)である。ホンダ全額出資の子会社であるという。自動車で研鑽した技術が活かされ、広い客席を実現(主翼上面にエンジンを配置) し、受注も順調だという。社長は日本人の四十代の技術者である。日本の優れた物づくりの技術が、高らかに報告されていた。
 しかしよく聞いていると、本社も工場もノースカロライナ州である。社長一人が日本人で、従業員はほとんどアメリカ人であるという。日本資本に違いないが、これはアメリカの会社であって日本企業とは言いかねる。日本の雇用には何の貢献もしてい ないのだ。これで日本(人)にこの技術の集積や継承が可能なのだろうか。工場で直接製造に携わっている日本人は誰もいないのだ。


          (この一文は2012年7月22日に書いたものである。)

鎮まれ山風

2016年04月16日 | コラム
                                               


「益城(ましき)」の地名が飛び込んできた。熊本大地震の最初の震源地である。

 以前「掌説うためいろ」の一編として「望郷子守歌」書いた。その中で高倉健主演の東映任侠映画の主題歌「望郷子守歌」と、高群逸枝(たかむれ いつえ)の「望郷子守歌」を紹介した。

      オロロンオロロン オロロンバイ 
      ねんねんねんねん ねんねんばい 
      おどまおっ母さんが あの山おらす
      おらすと思えば行こごたる

 高倉健の「望郷子守歌」は宮崎耿平(こうへい)の「島原の子守唄」と「五木の子守唄」の本歌取りであろう。その宮崎耿平の「島原の子守唄」は、「五木の子守唄」と山梨の「縁故節」の本歌取りであろう。

 高群逸枝(たかむれ いつえ)の「望郷子守歌」の詩はこうであった。

      おどま帰ろ帰ろ 熊本に帰ろ
      恥も外聞もち忘れて

      おどんが帰ったちゅて誰がきてくりゅか
      益城木原山風ばかり

      風でござらぬ汽車でござる
      汽車なるなよ思い出す 

      おどま汽車よか山みてくらそ
      山にゃ木もある花もある

 高群逸枝の「望郷子守歌」は、東京暮らしで遠くなった故郷を想い、胸が張り裂けるような恋しさと切なさを詩った。逸枝の「望郷子守歌」は、幼い頃から耳に馴染んだ「五木の子守唄」の本歌取りであろう。
 高群逸枝は1894年(明治27年)に熊本県の下益城郡豊川村(現宇城市)に、教育者の長女として生まれた。若き天才は詩や短歌でその名を知られ、上京し平塚らいてう等と無産婦人芸術連盟をつくり婦人運動の魁となった。婦人誌に執筆し活躍した。婦人運動から女性史の研究に入り、やがて民俗学と女性史の巨人となった。

 その「益城」の大地が激しく揺れ、最初の震源地となった。布田川・日奈久断層帯がずれ動いたためという。それらの活断層帯に沿って震源域は広がり、大分の活断層も動いた。それらはさらに広がりつつある。阿蘇山も小噴火を起こした。
 大地がかなりの頻度で大きく揺れ続ける。それは不安であろう。被災者には手厚い対策を施し助けてやってほしい。そして一日も早く鎮まってほしい。

経済成長がなければ 私たちは豊かになれないのだろうか

2016年04月10日 | コラム
                                                                                          

「世界一貧しい大統領」と称されるウルグアイの前の大統領ムヒカさんが来日し、話題になっている。彼は世界一質素な要人で、その清貧の思想哲学は実に感動的である。彼は多くの言葉を訥々と発した。その言葉は、現代の日本人に届いたであろうか。確かに彼は私たちに改めて「気づき」を与えた。

 表題はまるでムヒカさんの言葉のようだが、これはC・ダグラス・ラミスが2000年に出版した著作のタイトルである。畏敬してやまぬ彼の、「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」という本の一部を紹介したい。
 ダグラス・ラミスはこの本で、経済発展、戦争と平和、安全保障、日本国憲法、環境危機、民主主義などをテーマとして取り上げたのである。彼は「タイタニック現実主義」という象徴的な比喩を使った。
 自然破壊や環境破壊、食べ物の添加物、貧富の差、南北問題、飢餓の問題…誰もが分かっている。先進工業国の政治家は万能薬として自由化を勧めているが、その自由化が問題を悪化させていることも明らかである。
 貿易の自由化だけでなく、投資の自由化によって、世界一安い賃金を探す大企業による競争が、結果として先進工業国の実質賃金も下げていく。貧困は貧困を再生産し、貧富の格差はテロを生み出す。また周辺事態法も安保法制、憲法改正と、むしろ戦争への直接参加が近づいている。…しかしこれらの解決策は「非常識」「非現実主義」と呼ばれる。
 タイタニックが氷山に向かって進んでいることは、誰もが薄々感じている。すでに小さな氷の塊に何度もぶつかっている。船内放送も何度も「氷山にぶつかるぞ」と繰り返している。しかし巨大な氷山はまだ目に見えていないし、現実的な話だと思えない。
 見えているのはタイタニックという船だけで、これが唯一の現実なのである。船上では現実的な日常のルーティンがある。船員がやることはエンジンを動かすこと、燃料を補給し続けること、乗客の部屋を掃除し、ベッドメークをし、シェフは料理を作る。バンドマンはダンスホールで音楽を演奏し、バーテンダーはカクテルを作る。それをやり続ける人が「現実主義者」なのである。誰かが「エンジンを止めろ」と言えば「非常識」「非現実主義者」なのである。前に進むことだけがタイタニックの「本質」なのだ。
 現実主義的な経済学者や政治家、企業家たちが、タイタニックに「全速力」「スピードを落とすな」という命令を出し続ける。これが「タイタニックの論理、タイタニック現実主義」である。
 もしタイタニックが全世界とするなら、船の中だけが現実で論理的で、船の外にはリアリティがない。経済学者や政治家、ビジネスマンにとって船内の世界経済システムのみが論理的で、世界経済システムの外にリアリティを感じることができないのだ。
 ここでダグラス・ラミスは「白鯨」のエイハブ船長の言葉を紹介する。
「私の使っている方法と、やり方はすべて正常で合理的で論理的である。目的だけが狂っている」
 タイタニック現実主義者、政治家、経済学者、ビジネスマン、銀行マン、そして経済発展を勧めようとしているあらゆるエキスパート、その人たちが使っている方法、やり方は、そのシステムの中ではとても正常で論理的、現実的なのである。ただその目的だけが狂っている。…

 ダグラス・ラミスは、経済成長を追うのではなく、ゼロ成長こそ生き延びる道だと説いているのである。
 彼が、日本の平和憲法や安全保障の問題、環境問題、グローバル経済がもたらした貧富格差や貧困の問題、民主主義の問題、原発の問題などを語り続け、活動し、この本を出してから16年も経った。しかし、日本も世界の情勢も悪化の一途を辿っているように思える。

 昨日、内閣府が実施した「国民の社会意識調査」なるものが発表された。それによると現在の「社会全体」として満足、やや満足が合わせて62%で昨年より3ポイント増え、平成21年以降で最も多くなったという。また良い方向に向かっている分野として「医療・福祉」「「科学技術」がともに29%、「外交」が13%と平成10年以降で最も多くなったという。全く信じられない。
「景気」は7%と2年前の22%の3分の1にとどまったというが、これはアベノミクスが失敗だったことを表したものだろう。そもそもアベノミクスはアクセルとブレーキを同時に踏む政策で、市場原理主義に乗っ取られた思考停止状態の、幻想に過ぎなかったのだ。安倍自民は憲法改正草案の前文に「経済成長」を入れた。

                                                 

吉本隆明

2016年04月08日 | コラム

「青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。」
多くの青年たち、つまり彼らの、青春の思考や行動に影響を与え続けた吉本隆明は、一貫して「青春」そのものを嫌悪し続けていた。彼が「青春」に対して、相 変わらずの辛辣さと不信感を保ちながらも、その嫌悪感を多少とも和らげたのは、すでに彼の「青春」が遙か半世紀以上も過ぎた頃である。死を待ちながら吉本隆明はその遠く過ぎ去った青春を想い出し、「すべて羞恥、自己嫌悪の別名にしかすぎない」と、再び思い至ったものであろうか。
少年時代から自らを「小人」と知り「利己主義的」と知り、「偏奇」で「特異」で「異端」と思ったのだ。でもそういう自意識や苛立ちが、青春というものなのではなかったか。

 青春の嫌悪の中で、吉本隆明が最初に発見した認識は、嫌悪すらこの世の幻想体系の一部なのだということだった。人は誰でも実生活と乖離して存在できず、現実の関係の絶対性に定位される。無論、現実との関係性すら、その背後に広がる幻想体系に組み込まれているのだった。
 イエスは悪魔から浴びせられた問いに答えられない。「人はパンのみによって生くるにあらず」とイエスは言った。ただ我々は別の価値観にしたがって生きるのだと言うばかりである。「パン」という「物質」のみによらぬ別の価値観とは、宗教であり、思想哲学であり、芸術や文学にも置き換えられるだろう。
 かつてサルトルは問うた。「文学は餓えたアフリカの子どもたちを救えるか」と。
 吉本隆明もまた「マチウ書試論」で、理想への希求と現実と幻想の間に広がる亀裂と深淵と、癒やしえぬ懐疑に触れた。ジュジュ(イエス)は神を語り奇蹟を語りながら、決してパンを石に変える奇蹟も、石をパンに変える奇蹟も起こしえず、飢えた人々の前では空しく無力なのである。ジュジュはただ、人はパンとは別の価値観に生きるのだと言う ばかりである。これらが、おしなべて幻想でなくて何であろうか。しかし幻想は、その時の現実、その時の魂を救済するのも事実なのである。たとえその時の現実が餓死であろうと。
 吉本隆明は、宗教的幻想の排除、幻想による救済を否定すると、特定の情況下における関係の絶対性という概念が残るとした。
「人間は、狡猾に秩序をぬって歩きながら、革命思想を信じることもできるし、貧困や不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意思は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。」
 人間は神も革命思想も信じられるし、苛烈な現実を前に神も革命思想も唾棄できるのだ。その時代の情況下で人はファシストであり、日本的ナショナリ ストなのである。それは恥部である。またマルキシズムを信じ、転向してナショナリストとなり、戦後の民主主義も無条件で信じる者も出る。それもまた日本的 恥部である。
 吉本隆明は思想と現実の「実践的矛盾」を衝いた。「しかし、悲劇的でない思想などは犬に喰われたほうがいいのである。」…こうして彼は「修羅の行路」を歩み始める。

 吉本隆明は、戦前のファシストたち、ナショナリストたち、マルキストたちや転向者たち、戦後の民主主義やポレミックな花田清輝、丸山真男らを念頭 に、「『民主主義文学』批判」「転向論」「丸山真男論」と、批評の俎上に載せていった。
 彼はもともと詩人だった。その感性は鋭敏な痛覚そのもので、彼の全神経叢が重い苦しみと悲しみを感知した。しかし彼の本質は理性の勝った論理の人なのだっ た。だから彼はやがて詩を離れ、より論理を鍛えながら評論、批評へと向かったのである。あえて無用とも思える論争を好み、その論争が彼の論理を鍛えていっ たのだ。
 だが彼の思想が現実に実践的であり、有効だったことはあるだろうか。それが救済だったことはあるだろうか。彼は現実の飢餓を前に何をなしえたの か。無論、 彼は自ら青年たちや社会に影響を与えよう等とは思いもしなかっただろう。彼は批評の著述を職業としていただけなのに違いない。しかし、青春の餓 (かつ)えや、苛立ち、凶暴さを帯びて彷徨する魂に、「幻想」「共同幻想」というキーワードを与えたことは事実である。少なくとも吉本隆明は、私に思想の面白さを示し、たくさんの語彙を与えてくれたのである。
「青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。」

 それにしても吉本隆明は、現代の文学や批評の終焉、思想の衰退をどのように思いながら亡くなったのだろうか。