確か・・・。2000年の5月下旬だったと記憶してる。
まあ、この頃のことは記憶が曖昧なところが多いので勘違いしている可能性は
あるが、とりあえず高校3年生の初夏だったのは事実だ。
私は、偶然少々時間が空いていたので、Sに誘われるまま「国民の歴史」の
読書会に久しぶりに参加した。確か、3年生になってからは初めてだったと
思う。今にして考えてみれば、相性最悪で担任の梅岡(仮称)を少々深刻に
悩ませるほど人間関係がこじれつつあったSがオレのことを呼びに来る時点で
おかしかったと言えばおかしかったんだが。
まー、いわゆるクリムゾン的な罠にハマったというヤツでして。
私が顔を出さなかった数ヶ月間で、「国民の歴史」の読書会はえらくメンツを
変えていた。そう、Sとその愉快な仲間達は文芸部を乗っ取って、この
「国民の歴史読書会」に事実上再編してしまっていたのだ。で、その副部長を
呼んで問いつめるという目的に気づかず。私はまんまとその場所に来てしまった。
愚かだった
とりあえずその時の「国民の歴史」読書会はオレに対する糾弾会に事実上
費やされた。一応テーマは存在していたとは思うのだが、全て強引な理屈で
私の糾弾に結びつけられ、午後3時半ほどから始まった読書会は午後5時過ぎに
なっても終わる様子はなかった。
さすがに、「中年ハルヒ」の良心も咎めたのだろう。その日は、やや強引に
幕引きがなされた。しかし、それからが本当の地獄だった。
教室に戻ると、私の後をついてきたSを中核とする主要メンバーによる、
第二次糾弾会が始まったのだ。
セリフは端端ながら良く覚えている。
「おい、○○(私の本名)。お前この本のテーマを否定したよなあ(と言って
国民の歴史とかを見せられる)」
「おい、この本に謝れよこのサヨク」
「おい、日本人として恥ずかしくないのかこのサヨク」
「お前、中共の反日妄動に荷担するつもりかこの戦後民主主義者」
「お前のような反日勢力がいるからこの国はおかしいんだ」
・・・・
皆まで言うな、私はリアルで10人ほどに囲まれて問いつめられたんだ。
それに比べたら・・・。
更に私が何か反論すると
「それは売国奴の考え方だ。謝れ」
「それはホンカツ(あるいは丸山真男とか大江とかまあ分かり易い彼らの
仮想敵である文化人の名が入る)の考え方だ。そんな欺瞞が俺たちに
通用するとでも思ってるのか」
この流れが1時間以上、いや、30分ほどだったんかも知れないけど
続き、その日私はようやく解放された。
もう、私の身体に精神力は殆ど残っていなかった。
翌日、這々の体で学校に行った私を今度待っていたのは、人民裁判だった。
とにかくS達は私と関わり合いになった人間から徹底的に色々聞き出した
のだろう。Sは高校のオレのありとあらゆることを知っていた。
証人として何人かの友人や知り合いまで引っ張り出し、朝から夕方まで
休み時間を使った人民裁判は続き、それは一週間以上続いた。
その後、私は壊れた。まず、学校に行けなくなった。
学校の教室に入ろうとすると足が震えて動けなくなるのだ。しょうがなく
出席を取るまでは脂汗を流しながら教室にいて、その後教室を出て
ずっと定時制の玄関でヒトに見つからないようにジュース飲んだり、
弓道場で昼寝して学校に行ってることにした。当然担任の梅岡は怒った。
そりゃあそうだろうと今にして思えば言えるのだが、当時の私には
「この学校に味方はいない」という気分になった。
次に小児喘息が4年ぶりにぶり返した。
特に夏の終わりから冬の初めにかけては酷く、一度もしたことがない
「入院」すら掛かり付けの老医師から検討されるほどだった。
喘息というのは精神状態に酷く左右される。長いこと罹患している
人間ならある程度症状のコントロールさえ出来ると言っても良い。
ずっと私は布団に伏していた。二学期はほとんど高校に行ってなかった
のではないか。一応テストだけは出てたので卒業はさせてくれたが。
この状態で良く大学受かったよなあ・・・。
しかし、その後も苦難の道は続くのであった。
これが、私が今ここでこんなことをやっているそもそもの原因だ。
私はこのことで、政治思想の与える怖さというモノを知った。
それは戦争に繋がるとか、単独独裁に繋がるとかではなく、
人間を独善的にし、自らの過ちを考えられなくさせることだと私は考える。
このことによって、私は心に深い傷を負った。やりばのない苦しみ
なので、今でも夜中に当時のことを思い出しうなされる日もある。
小熊・上野の連名によって書かれた「癒しとしてのナショナリズム」を
読んだときに欠落していると思ったのはその部分だ。
日本の右傾化が叫ばれる中、右傾化の先鞭をつけた彼らについては
皆、忘れ去ろうとしている。丁度、それは日本が70年代80年代と世界一の
経済大国へと進む中で、学生運動家が殆ど忘れ去られたのと同時に、
マスコミや学会、教育界と言った閉鎖的な業界に生き残った様子と
どこか似ていやしないか。
私のこれは、紳士様の最前線で戦い、路線対立によりゲバ棒で頭を
たたき割られた男の遺書のようなモノだと思って下さい。
しかし、多分きっと分からないけれども、まほきゃすとの迷走ぶり
などを見ると、「癒しとしてのナショナリズム」に書かれた有閑
階級の愛国ごっこではない、私のような幼さと青さとバカさが
入り混じって生み出された暗黒版学園物語KOVA17歳のような状況が
きっとあの頃は(そして多分今でも)中学や高校や大学の片隅の
ヲタサークルなどで繰り広げられているのだと思います。
次回予告
「紳士様誕生神話7~友よアフター~」
まあ、この頃のことは記憶が曖昧なところが多いので勘違いしている可能性は
あるが、とりあえず高校3年生の初夏だったのは事実だ。
私は、偶然少々時間が空いていたので、Sに誘われるまま「国民の歴史」の
読書会に久しぶりに参加した。確か、3年生になってからは初めてだったと
思う。今にして考えてみれば、相性最悪で担任の梅岡(仮称)を少々深刻に
悩ませるほど人間関係がこじれつつあったSがオレのことを呼びに来る時点で
おかしかったと言えばおかしかったんだが。
まー、いわゆるクリムゾン的な罠にハマったというヤツでして。
私が顔を出さなかった数ヶ月間で、「国民の歴史」の読書会はえらくメンツを
変えていた。そう、Sとその愉快な仲間達は文芸部を乗っ取って、この
「国民の歴史読書会」に事実上再編してしまっていたのだ。で、その副部長を
呼んで問いつめるという目的に気づかず。私はまんまとその場所に来てしまった。
愚かだった
とりあえずその時の「国民の歴史」読書会はオレに対する糾弾会に事実上
費やされた。一応テーマは存在していたとは思うのだが、全て強引な理屈で
私の糾弾に結びつけられ、午後3時半ほどから始まった読書会は午後5時過ぎに
なっても終わる様子はなかった。
さすがに、「中年ハルヒ」の良心も咎めたのだろう。その日は、やや強引に
幕引きがなされた。しかし、それからが本当の地獄だった。
教室に戻ると、私の後をついてきたSを中核とする主要メンバーによる、
第二次糾弾会が始まったのだ。
セリフは端端ながら良く覚えている。
「おい、○○(私の本名)。お前この本のテーマを否定したよなあ(と言って
国民の歴史とかを見せられる)」
「おい、この本に謝れよこのサヨク」
「おい、日本人として恥ずかしくないのかこのサヨク」
「お前、中共の反日妄動に荷担するつもりかこの戦後民主主義者」
「お前のような反日勢力がいるからこの国はおかしいんだ」
・・・・
皆まで言うな、私はリアルで10人ほどに囲まれて問いつめられたんだ。
それに比べたら・・・。
更に私が何か反論すると
「それは売国奴の考え方だ。謝れ」
「それはホンカツ(あるいは丸山真男とか大江とかまあ分かり易い彼らの
仮想敵である文化人の名が入る)の考え方だ。そんな欺瞞が俺たちに
通用するとでも思ってるのか」
この流れが1時間以上、いや、30分ほどだったんかも知れないけど
続き、その日私はようやく解放された。
もう、私の身体に精神力は殆ど残っていなかった。
翌日、這々の体で学校に行った私を今度待っていたのは、人民裁判だった。
とにかくS達は私と関わり合いになった人間から徹底的に色々聞き出した
のだろう。Sは高校のオレのありとあらゆることを知っていた。
証人として何人かの友人や知り合いまで引っ張り出し、朝から夕方まで
休み時間を使った人民裁判は続き、それは一週間以上続いた。
その後、私は壊れた。まず、学校に行けなくなった。
学校の教室に入ろうとすると足が震えて動けなくなるのだ。しょうがなく
出席を取るまでは脂汗を流しながら教室にいて、その後教室を出て
ずっと定時制の玄関でヒトに見つからないようにジュース飲んだり、
弓道場で昼寝して学校に行ってることにした。当然担任の梅岡は怒った。
そりゃあそうだろうと今にして思えば言えるのだが、当時の私には
「この学校に味方はいない」という気分になった。
次に小児喘息が4年ぶりにぶり返した。
特に夏の終わりから冬の初めにかけては酷く、一度もしたことがない
「入院」すら掛かり付けの老医師から検討されるほどだった。
喘息というのは精神状態に酷く左右される。長いこと罹患している
人間ならある程度症状のコントロールさえ出来ると言っても良い。
ずっと私は布団に伏していた。二学期はほとんど高校に行ってなかった
のではないか。一応テストだけは出てたので卒業はさせてくれたが。
この状態で良く大学受かったよなあ・・・。
しかし、その後も苦難の道は続くのであった。
これが、私が今ここでこんなことをやっているそもそもの原因だ。
私はこのことで、政治思想の与える怖さというモノを知った。
それは戦争に繋がるとか、単独独裁に繋がるとかではなく、
人間を独善的にし、自らの過ちを考えられなくさせることだと私は考える。
このことによって、私は心に深い傷を負った。やりばのない苦しみ
なので、今でも夜中に当時のことを思い出しうなされる日もある。
小熊・上野の連名によって書かれた「癒しとしてのナショナリズム」を
読んだときに欠落していると思ったのはその部分だ。
日本の右傾化が叫ばれる中、右傾化の先鞭をつけた彼らについては
皆、忘れ去ろうとしている。丁度、それは日本が70年代80年代と世界一の
経済大国へと進む中で、学生運動家が殆ど忘れ去られたのと同時に、
マスコミや学会、教育界と言った閉鎖的な業界に生き残った様子と
どこか似ていやしないか。
私のこれは、紳士様の最前線で戦い、路線対立によりゲバ棒で頭を
たたき割られた男の遺書のようなモノだと思って下さい。
しかし、多分きっと分からないけれども、まほきゃすとの迷走ぶり
などを見ると、「癒しとしてのナショナリズム」に書かれた有閑
階級の愛国ごっこではない、私のような幼さと青さとバカさが
入り混じって生み出された暗黒版学園物語KOVA17歳のような状況が
きっとあの頃は(そして多分今でも)中学や高校や大学の片隅の
ヲタサークルなどで繰り広げられているのだと思います。
次回予告
「紳士様誕生神話7~友よアフター~」