北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

今日は雨

2005-08-10 10:30:10 | 社会とかそういうことについて
某巨大掲示板のコヴァ板のライブスレに久々に真面目に参戦したら、お子様は
沸くわファー様はいるわで大変なことに・・・。

なんて言うんだろうなあ。彼らのあのセカイ(←分かる人にだけ分かる嫌み)が
善と悪のセクターに分かれていて、自分に対立するヤツは一律悪でやっつけないと
いけないというような今日日特撮でももうちょっと相手のことを思いやった設定に
しているぞと言いたくなるような彼らの思いこみは・・・。

そらね、そういう妄想をたまに脳内で広げてみるのはイイとオレも思うんだよ。
オレなんか結構痛いレベルでそういうことをきっちりフィクションに落とし込んで
某ラノベ大賞に送ったら一次落ちしたしw
(まー、明らかにナニをモヂルにしたのが分かる人には分かる内容だったしな、平気で
引きこもりとか奈良の布団叩きオバチャンとか出して、結論がそこからの脱出だったから
内容だけでもアレの想定するセカイからは大きく逸脱した内容だったし)
まあ、それはともかく、オレが言いたいのはそういうことはきっちりとフィクションに
回収しなさいと。ホントにリアルワールドを「親日勢力と反日勢力の争う思想戦」に
脳内で書き換えている人はまずいと思うんだよねえ。それが祭りとは言っても。

そもそも「親日」と「反日」という外国から見た日本への評価を、国内事情に落とし
込んでいる時点でオレは彼らのものすごいリアルな日本社会からの疎外を感じちゃう
んですけどどうなんだろうね。「今、ここで」住んでいるこの国を、まるで外国人の
ように評してしまう。この時点で、オレなんかウヨサヨ以前の彼らの本質的な問題が
隠れているような気がするように感じる。普通、例えば朝日新聞の論調を見て
「政府に批判的だなあ」とか、読売新聞の論調を見て「政府に好意的だなあ」とか
感じる人はオレも理解できるんですよ。それを好きか嫌いかはオレらの判断に
任されるし、新聞側もまあ良くも悪くもいーかげんに書き散らしていることだから
そこに深い意味はないと考えるのが普通。それがどうもある種の人にかかっちゃうと
「これはこの国を貶める陰謀だ!こんな新聞なくなってしまえ!」となる。

まあ、オレは卑怯な人なのであえて主体をぼかしましたけど、これは左右問わず
言えることだと思うのも事実ですし、一応右のプロ無能団体にも左のプロ無能
団体にも関わりを持ったことがあるオレを舐めるなw

そんなこんなでまるで国との距離を外国人のように感じてしまう彼らですけど、
オレなんかそのこと自体を悪と思うよりは、何故彼らがそこまで追い込まれてしまった
かの方に強くひかれるんですよ。これはオレの勝手な解釈なので、ツッコミはむしろ容赦なく
入れて欲しいぐらいなのですが、いわゆる「在日」に右翼が多いというのはこの国の
不思議の1つですけど、オレなりに解釈するなら「この国は異分子に対しては、過剰な
までに国家との同一感を演じない限り仲間と認めない」ような気質があるのが原因だと
思っています。なんていうんだろうなあ、オレはそういう意味では普通の人ですけど
割合小学生の頃は変人だったので、周囲から浮いていて、みんなと馴染むために
ワザとキャラ作ったり面白いことを本人なりに考えて逆にイジメを悪化させたなんて
思い出がありますけど(でも、そんなん嫌な思い出でもないんだよな、まあ割と
忘れているが)、そういう感じなのかなあと全然部外者ながらオレは考えています。

だから、なんでそんな普通の人であるのに、彼らがそこまで追い込まれてしまったか
と言うのに個人的にはすごく興味があるんですよ。まあ、周囲の彼らを見たり、幾度か
大手マスコミで取り上げられた彼らを見る限り、例えば周囲の人を愚かだと見下す
「中2病」が30近くなっても継続しているSEとか、無謀な第一志望校に向けて勉強も
せず浪人を繰り返すメンヘル持ちとか、就職が思い通りに出来なかっただけでブチ切れて
引きこもる男とかあまりポジティブな見解は出せそうにないところが泣き所ですけど。
・・・別にさ、そういう日本の将来への不安があるならさ、オレなんか立派な社会人になる
とか治安を守るために公安系の職業に就くとかいろいろあると思うし、アエラで以前
取り上げられていた「憂国少年」はそういう地に足がついたタイプだったのに何で彼らは
こうなっちゃうんだろう・・・。

オレは基本的に個人は責めますが、システム全体に連帯責任を負わせることは基本的に
余り好きではないです(選挙とかはさすがに無理だけどさ)。でも、どうしてもこれだけ
は話を教育批判に持っていきたい自分がいる・・・。「一人一人は特別で選ばれた存在」的
な物言いは、確かに人命尊重とか相互理解の意味では貴かったのかも知れないけど、
「だからと言ってみんな光の当たる場所が与えられるワケではない」んだよね。
ある意味彼らは「個性尊重」「結果の平等」的な意識が最大限の皮肉として生み出した
「怪物」なのかも知れないねえ・・・。まあ、学校教育現場に置ける「個性」が「問題児」
の言い換えとして使われているなんて事情を知る人間だからこそ言えるセリフなのかも
知れないけど。

さて、明日からはそんな「自意識の怪物」がする「戦争」ってナンダ?ってこと