一時、便秘に悩まされてから極力、バナナや繊維食物に加えて、乳酸菌にお世話になら
なくちゃって訳で無理して飲んでいる。昔、牛乳販売店に居たわては、新製品と
してブルガリアヨーグルトを試食したが腐ってると感じたぐらいに不味かった
が、こんなもん!売れるかいな!って思ってたが、日本人の摩訶不思議なとこで
20年後の今でも存在してたので初めて買って喰ってみたら、昔よりも
食べやすくなってる。マ~何とか喰える。健康の為だから、腸内でちゃんと
君なりの働きをしてくれ給え!って ヤクルトも飲んでいる。
昔、子供の頃、親がこれをヤクルトのオバちゃんが届けに来てくれるのを
飲ましてくれた。瓶入りやった。貧乏な家やったのに何故買って飲ましてくれたのか?
なにせ貧乏で卵かけご飯なんか、弟と1個の卵を半分分けであった。隣の
親戚の家みたく”外米”は食べずにすんではいたが、ご飯には度々、薩摩芋
が混ざっていた。 鯨肉も”テキ”と称して喰わされ、刺身まであった。刺身は
流石に子供のわてはキライだった。今でもマグロの赤身が血の匂いがして
キライなのはその時のせいかもしれない。生レバーも駄目だ。焼きは好きだが、、。
我が家のすき焼きと言えば、肉が筋肉であったし、夕食の買出しは横暴な兄貴
のせいでわての役目であったから100円もらって”すき焼き”の材料買いに行ったが
全部で100円でお釣りがきた。 ジャガイモを洗ってたら、それじゃない!
って訳で交換しに行かされたが、濡れた物は交換できん!と言われて往生した
記憶がある。それにスイカを買いもしないのに傘の骨でブスリとやったところを
店員にバレテ買わされるという事件もあった。まだあの果物屋はあるのだろうか?
貧乏ついでに、ある時、姉ががんがら橋の”まると食堂”で親子丼を驕ってくれた
が余りにも旨くて、お代わりをしたが当然のごとく怒られてそのまま大きく
なったわては今でもその時の恨みか親子丼を食い漁ってる。それにテレビに
よく出てきてた、”天丼””カツどん”に憧れた。どんなもんやろう?
って成人になってから京都で食ったがやはりわてには”親子丼”が一番であった。
それに友達の家でご馳走になった”桃缶”が途方もなく美味しかった。
そんなもん!家で買ってもらったことはなかった。バナナも相当高価で滅多に
口に入らなかった。何となくうちは貧乏な部類なんやな~と感じたもんである。
それで京都に来てから給料を貰えるようになって贅沢が出来たかっていうと
これが又、所帯を持ったのが不運で子供が早速?産まれて共稼ぎも出来ず
10数年にわたって貧乏生活が続いた。やっと今の職業に就いて、バブルを
迎えてから”年いってからの抜けられない道楽”に嵌った次第だ。そりゃ~
遊びまくりました。女にも酒にも嵌り、湯水のごとく金も使った。
でも面白かった! 祇園で遊んだら、金なんか幾らあっても足りんかった。
博打はせんかった、というより金は有るんだから増やす必要はなく、そんな
時間はなかった。飲むのに忙しく、デートも毎晩、女をとっかえて冒険に
明け暮れた。 お蔭でメタボ対策しなきゃならない羽目の腹になっちゃった
が、、ま~がんばらなくっちゃあ~。
なくちゃって訳で無理して飲んでいる。昔、牛乳販売店に居たわては、新製品と
してブルガリアヨーグルトを試食したが腐ってると感じたぐらいに不味かった
が、こんなもん!売れるかいな!って思ってたが、日本人の摩訶不思議なとこで
20年後の今でも存在してたので初めて買って喰ってみたら、昔よりも
食べやすくなってる。マ~何とか喰える。健康の為だから、腸内でちゃんと
君なりの働きをしてくれ給え!って ヤクルトも飲んでいる。
昔、子供の頃、親がこれをヤクルトのオバちゃんが届けに来てくれるのを
飲ましてくれた。瓶入りやった。貧乏な家やったのに何故買って飲ましてくれたのか?
なにせ貧乏で卵かけご飯なんか、弟と1個の卵を半分分けであった。隣の
親戚の家みたく”外米”は食べずにすんではいたが、ご飯には度々、薩摩芋
が混ざっていた。 鯨肉も”テキ”と称して喰わされ、刺身まであった。刺身は
流石に子供のわてはキライだった。今でもマグロの赤身が血の匂いがして
キライなのはその時のせいかもしれない。生レバーも駄目だ。焼きは好きだが、、。
我が家のすき焼きと言えば、肉が筋肉であったし、夕食の買出しは横暴な兄貴
のせいでわての役目であったから100円もらって”すき焼き”の材料買いに行ったが
全部で100円でお釣りがきた。 ジャガイモを洗ってたら、それじゃない!
って訳で交換しに行かされたが、濡れた物は交換できん!と言われて往生した
記憶がある。それにスイカを買いもしないのに傘の骨でブスリとやったところを
店員にバレテ買わされるという事件もあった。まだあの果物屋はあるのだろうか?
貧乏ついでに、ある時、姉ががんがら橋の”まると食堂”で親子丼を驕ってくれた
が余りにも旨くて、お代わりをしたが当然のごとく怒られてそのまま大きく
なったわては今でもその時の恨みか親子丼を食い漁ってる。それにテレビに
よく出てきてた、”天丼””カツどん”に憧れた。どんなもんやろう?
って成人になってから京都で食ったがやはりわてには”親子丼”が一番であった。
それに友達の家でご馳走になった”桃缶”が途方もなく美味しかった。
そんなもん!家で買ってもらったことはなかった。バナナも相当高価で滅多に
口に入らなかった。何となくうちは貧乏な部類なんやな~と感じたもんである。
それで京都に来てから給料を貰えるようになって贅沢が出来たかっていうと
これが又、所帯を持ったのが不運で子供が早速?産まれて共稼ぎも出来ず
10数年にわたって貧乏生活が続いた。やっと今の職業に就いて、バブルを
迎えてから”年いってからの抜けられない道楽”に嵌った次第だ。そりゃ~
遊びまくりました。女にも酒にも嵌り、湯水のごとく金も使った。
でも面白かった! 祇園で遊んだら、金なんか幾らあっても足りんかった。
博打はせんかった、というより金は有るんだから増やす必要はなく、そんな
時間はなかった。飲むのに忙しく、デートも毎晩、女をとっかえて冒険に
明け暮れた。 お蔭でメタボ対策しなきゃならない羽目の腹になっちゃった
が、、ま~がんばらなくっちゃあ~。