Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

爆裂!ひよどり隊。

2009-01-30 13:20:15 | Weblog
毎年冬になると、野生の鳥達のために朝、エサやりをしている。
もともとは、ここに越してきた年の冬が物凄く寒くて、毎日のように雪が降る中、鳥も寒さに凍えエサがなくて大変だろうと思い始めたもの。

エサやりと言っても、買ってきた鳥のエサを地面に巻いたり、リンゴ、ミカンなどを木の枝に刺したりしているだけ。
もちろん春になったら止めている。


こちらの意思としては、メジロやシジュウカラのためにと思ってやっていることなのだが、
現実は、まずキジ鳩が占拠。続いてヒヨドリ、スズメが旺盛な食欲をみせながら、食べ物にありついている。



4~5年前には、特に我が家に居ついてしまったヒヨドリが出現し、1メートルぐらいまでなら私たちが近づいても平気にしているし、
庭を歩いていると後を付いて来たりするので大層情が移り、他のヒヨより体も小さかったのでチビピヨと名づけたりして可愛がったこともある。
その後3年ほどで姿を見せなくなり、悲しい思いもしたが。


そんなこんなで去年までは、ヒヨドリも縄張りがあるわけで、我が家にもきまった1~2羽が来るだけだったのが、何故か今年は様子が違う!!

一体どんな異変が起きたのか、毎日なんと、20羽ほどの群れでやってくるようになったのだ。名付けて【ヒヨドリ隊】。その様子はまるでゲリラのよう。

ふてぶてしくもお行儀悪いしぐさで裏のおじさんの畑の菜っ葉を、食べ放題のランチバイキングのように食い荒らし、他の鳥をけちらして我が物顔で庭を飛び回る。

ベランダには空からの爆撃を受けたかのようなフンの跡。
そこかしこにバタバタと機関銃で撃ったかのように落とされていて、さながらクソ爆弾投下の軍事命令でも受けたかのような惨劇である。

これにはさすがの私も、少し参っている。

門柱にも始終とまるので、門の引き手もフンだらけ…。毎日水で洗い流しているけれど、とても追いつかない。
その傍若無人たるや今までの群を抜いている。


かくして、最近はエサとして、ヒヨドリの食べそうな物はやってないんだけど、やっぱり庭に来るんだよね~。
遠くで囀るメジロの声を聞くたびに、あぁ、ミカンを食べさせてやりたいと思うけど、この現状ではやっても殆ど口には入るまい。かわいそうなメジロン…。


鳥の世界にも何らかの変化の波が押し寄せ、ギャング化してるのだろうか?
今までヒヨは集団化しないと思っていた私の認識が誤りだったのか、謎は深まる…。

今も辺りを切り裂く『ピィーッ!!』という大きな鋭い声が、こだましている我が家の庭。

理想だった、【可愛い小鳥の庭】よ、今何処…。

洗濯三昧。

2009-01-29 13:28:38 | Weblog
いつの頃からだろう。前の日に来た衣服が翌日、着れなくなったのは…。

何も一晩の内にむくむく太って、はまらなくなったと言うわけではない。


私としては、
別に泥汚れがあるわけでなし、特に冬場などは汗だって大してかいてないから、
もう1日ぐらいそのまま着たってなんの問題もないはずと思い、袖を通すのだけれど、
重い…。

それでもなんとか無理やり着てみるのだけど、なにか、ず~んと来るモノがある。

というわけで、たびたび挑戦を試みているものの、やっぱり着用できず、洗ってある衣服を着ることに…。
そして前日着用した衣服はすべて、そのまま洗濯かごへ、洗濯機送りへとなっている。


それだけならまだしも、何故だか家族全員がパッパ、パッパと衣類等、
やはり1度使用しただけで洗濯カゴに投げ入れるので、いつもカゴが満杯状態。

あいつらは、【ただの考え無し】で、多分理由なく放り込んでいるだけ。

息子などは、私が日々、
「バスタオルは、せめて2回ぐらいは使ってよ!」
と口が梅干になるほどしつこく注意しても、一向知らん顔。

(いい加減にしろよ!この【地球温暖化、貢献男】が!

と毒づいてみてもやるかたなし…。


(私は体が拒否するから仕方なく毎日着替えてるのよ。水道だって電気だって洗剤だってほんとはエコしたいのよ~。)

と思ってみたところで、事態は何も変わらず、相変わらず洗濯三昧の毎日が続いている。

(あ~あ。みんなはどうしてるのかな。エネルギーに敏感な人で私みたいになってる人他にもいるのかなぁ。
物理的に汚れてはいないのだから、サッと前日のエネルギーをクリアにする方法、知ってる人がいたら教えてもらいたいものだわ。

と呟きながら、今日も家族の人数の割りに大量な洗濯ものを、干させていただきました。

今日は天気も晴れ、3月中旬並みの暖かさだそうで、洗濯物も気持ちよく乾いてくれそうなところがせめてもの救いですね。


『他のために祈る者となれ。』

2009-01-27 12:11:45 | Weblog
今日は、今朝方見た夢の話。



※   ※   ※

ある大きな会社の工場で、その社のエラ~い役員が一人退職されるというので、長年の労をねぎらうための祝いの席が屋外の広場に設けられている。
私はその方の秘書の一人だったため、料理万端手落ちがないように、色々とチェックをし指示を出しながら忙しく立ち働いている。

しばらくして無事、宴会も終わり最後の挨拶となって、突然役員側から社員に向かって、ナゼだかこんな声が上がった。


「この中で、会社のために祈る者~?」
                      大勢の人々がいっせいに手を上げた。  (役員の手前、点数かせぎぃ?!)

「では自分のために祈る者~?」
                      さきほどより大分少ないが、バラバラと数人が手を上げた。  (ちょっと正直ぃ?!)

「それでは他のために祈る者?」
                      手を上げたのは、私を含め2~3人だった。  (なんで私手を上げてるのぉ…?)
                   
(ホントのことを言えば、『他のために祈る』なんて如何にもカッコつけのようで、大っぴらに手を上げるのには随分と人目がはばかられた。
だから実際には人目に付かぬ様、ソロソロと小さく手を上げた私がいた。)

  【↑その時、ベッドに寝ていた私の手も上がったので、この時点でこれは夢なのだと気づいたのだけど、そのまま続きを見ることに…】



『…今、此処(←地上の意味?)で他の為に祈る者はいません。かつてはムーの人々がそれをしていました。』

女神?と思われるような女性の声が、どこからか聞こえてきて、はっと気づくと私は意識だけの状態で、はるか高い所から地上を見ていた。眼下には暖かい日の光を受けた緑の山並みが広がっており、ここが九州であり、湯布岳の南東、熊本との中間ぐらいを山に分け入ったところにさっき居た会社の工場が建っていたのだと分かった。

そしてその後、そのまま地上に近づいて見てみると、広場はすっかり片付けられ、社員の人々は皆建物の中へ入った様子。


すると次に、これまた突然、大きなUFOが空から降りてきて、その工場のすぐ脇にかなり接近して停止。空中に留まりながらチカチカ点滅を繰り返し、建物の中を何か調査しているように思われた。
しばらくチカチカした後、そのUFOの中から一人の巨人が地上に降りてきた。体の大きさは3メートルぐらいだが2歳ぐらいの男の子ような風貌。可愛い大きな眼をクリクリさせて、辺りを物珍しそうに探索している。

ふと、何かに促されるように、その巨人から視線をはずすと、そこから離れた場所に人影が現れ、再び女性の声で

『あの方が、あなたのお父様ですよ。』と言われた。


驚いてよく見てみると、見るからに一般的に知られるイエス・キリストのお姿そのものの一人の男性がその場に立っていた。

(イエスさま?!イエスさまがお父さんてどういうこと?!)

私の頭がハテナ?でイッパイになってるのもお構いなしに場面は先へ続き、
そのイエスさま(らしき人)、なんと私の目の前でパッと姿を1個のボルトのようなものに変えられ、その巨人の男の子の足元へ転がって行かれた。

それを興味深げに拾った巨人の男の子。まじまじと観察した後、しっかりと手に握りそのままUFOに向かって歩き始めたが、乗る直前になって突然気が変わったのかポイっと地面に投げ捨てて行った。


その間私は、その一部始終を、自分は意識だけの状態のまま、
(あれほどの方なのだから、あの子に捕獲されたのも何かお考えのあってのこと。このままUFOに乗って行かれても何の心配も無いだろう…)
と思いながら見ていたので予想に反して、あっさり捨てられたのを見て返って驚いた。(なんで捨てたの?…)

びっくりしたままその行方を追って行くと、そのボルトのイエスさまは、投げ捨てられコロコロ転がって行く内にまた元のお姿に戻られ、そのまま今度は工場の建物の中に駆け込んで行かれた。

空中にはまだUFOが留まっている。


室内に入ると社員の人々が皆、恐怖でカチコチに膠着し、肩を寄せ合って座っていた。イエスさまは人々の間を走り抜けながら右手で、時計回りに天に向かって大きな円を頭上に描いておられる。
今のこの状態を回避するために、中の人々を護る?ために、どうもそれが必要らしいことが察せられた。
そしてすぐさまそこに居た人々もそれを察し、我も我もとその頭上に円を描くしぐさをマネし始めた。


それをご覧になったイエスさまは、一瞥のもとに

『マネだけしても、何の足しにもなりません。
あなた方は、ただ心静かにしていなさい。』

と穏やかにおっしゃると、そのまま建物の中心へと、滑るように駈けていかれた…


※   ※   ※

な~んて所で夢は終わり、目を開けて時計を見ると、すでにお弁当を作るのにギリギリの時間となっていたため慌てて台所へ。



さてもさても変な夢である。脈絡があるようでない?!
所詮夢なので、理路整然としてるわけもなし。イエスさまがお父さんで、UFOから巨人て何?!紫乃さんの九州コンサートのことが頭にあったので九州だったのかしらん。まして、途中からはすっかり夢と分かってて、私は視点があるだけ状態だったし…。ま~よく分かりませんね…


でも『他の為に祈る者になりなさい。』
という言葉と、
『マネだけしても何にもなりません。あなた方は、ただ心静かにしていなさい。』
という言葉だけは、ナゼだか大事なことに思われた。


【他の為に祈る者は自分を満たした者でなくてはならない。自分を後回しにしたり犠牲にして他を重んじることはやってはならないことで、それでなければ偽善になる。そういう在るべき状態で他の為に祈れる者=利他の心で生きる者は、今この地上で数えるほどしかいない。】(もちろん私もまだ、とてもその域には至っていませ~ん。)
また夢の中に出てきたこの建物は、理由は無いが、地球を意味するものとも思われ、
【今この、そこに住まう者すべてを含めた意味での地球全体のために祈れる者が、一人でも多く必要なのだ】
と呼びかけられた気もしたのだった。


そしてイエスさまのおっしゃた言葉については、

【波動がイエスと同じぐらいの所まで至っていない状態で、彼の成せる業、その形だけマネをしても何の助けにもならない。それよりも心を鎮めてひとりひとりが個々の内なる神に焦点を合わせることで、キリスト意識と共鳴することができ、助け手として役に立つことができるので、まずそれをしなさい】というメッセージであった気がした。


結局他の為に祈ることは自分の為に祈ることでもある。
魂レベルではすべてが繋がっており、すべてで一つなのだから、その行為は取り立てて崇高なものではなく、むしろ当たり前のことでもあるのだと思う。

(ふ~んなるほどね…。利他の心で祈れる私になれってこと?それを目指せってか?!)
と、手前勝手に感慨に耽っていてふと気がついた。

(もしかして、きのうからの流れで行くと、この夢って今年の私の初夢になるわけ?!)

急にちょっとドキドキしてきた。
これが今年の私の目標なわけ?

ひえ~い!ちょっと難しすぎじゃ、ありませんか…?


今年の西暦元旦の初夢は、

(ついに肉眼で霊が見えるようになっちゃった。ややこしいなぁ~。)
という、しょうもない内容のものだったので、なんだかこっちの方がメッセージ性が感じられてリアル…。

(きっとこれは、ブログに書いて縁ある人とシェアしなさいっていうことなんだわ。もれなくこれを見てしまった人は、私と同じくこの方向に導かれちゃうに違いない。こうなったらミンナ道連れにしてやれ!)
というヨコシマな気持ちも加わり、ここに記させていただきました。




さて皆様はきのうどんな目標?を立てられ、どんな初夢を見られましたか?

2009年、くいのないよう頑張りましょうね

















今日は旧正月。

2009-01-26 12:20:40 | Weblog
私の手元にある暦によれば、今日は旧暦の1月(睦月)1日、おまけに新月で金冠日食となっております。
これで新旧暦共に2009年になるわけで、おまけに新月やらも重なってちょっと特別な日って感じ。

新月といえば、何かを新しく始めたり、今後の目標を定めたりするのに好適なエネルギーの日らしいですね。
私としては、自分の望む意図をはっきりさせて宇宙に宣言したりすると、それが確定しやすい日なのではないかと思ったりしてますが、
まあ、何かのプロジェクトを始めたりするのにも最適な日ともいえるかも~。なんせ初めの日なわけですから。

だいたい、日本の神がみは、意地でも?旧暦か、もしくはマヤの宇宙に同期した暦に順じておられるのではないかと思うので、
実際には今日こそが【1年の計は元旦にあり】のその日といえるかもしれませんね。


そんで私はといえば、きのう、おとといと、旧暦大晦日のせいかどうかは定かではないものの、体のあちこちが痛み、どんより。
今朝はすっかりチョー寝坊で、あわや家族は大遅刻。慌てて弁当なしで寒空に送り出した後、
自分だけストーブにあたりながら「あ~あ…」と反省してたら知らぬ間にまた眠りこけ、気がついたら10時でござりました…。
なんちゅうこと!寝正月の再来か?!

その後仕方なくゴソゴソ動きだしたものの、ああしんど。
目がピクピク痙攣するのとか、足のつけ根が張って痛いのとか、こめかみがズキーン!と痛むのとか、いろいろ良くはなっきてるみたいだけど、以前体が重い~…。

まあそのうち治るでしょうが。よくあるコトですからね。

というわけで、心正しき皆さんは、今日のエネルギーを上手く使って、新たな波に颯爽と乗って行って下さいね。

私は十中八九 【すべておまかせ。大の字で再び昼寝。】になりそうですけどね…。

『ぐうたらぶりに~♪天もあきれる~♪次第かな~♪』  字余り。

お粗末でした。


紫乃さんの九州コンサートのお知らせ。

2009-01-23 13:58:15 | Weblog
「CosmoMarisu☆Piano Shino」の紫乃さんの九州コンサートが、来月、2月7日福岡、8日延岡で開催されます。
紫乃さんと出会って、かれこれ6~7年。ずっと親しくお付き合いさせていただいておりますが、いつもその謙虚で真摯な態度、まわりへの心配りや、暖かな思いやりに感心することしきりです。
紫乃さんが普段、神様から受け取られたメッセージに常に迅速かつ素直に従い、行動に移されるところなどは、
同じくメッセージを受けても、まず文句から始まるどこかの誰かの私などとは比べようもなく、見習わなければと反省すること多々ありです。


さて今回のこのコンサートに関しては、お・畏れながら一部分、私を通して降りてきたメッセージもあり、それが、
『高千穂で皆に【光に開く】祈りをしてほしい』というものでした。
(詳しくは紫乃さんのホームぺージをご覧あれ


話は少し飛びますが、私の場合、リーディングする時はいつも、事前にできる限り自分の浄化をし、祈りをささげてから行います。
繋がるエネルギーにより、多少やることが異なるのですが、すべて直感で受け取ったとおりに準備を進め、媒体となる自分の体を出来るだけクリアにし、
波動を可能な限り上限まで引き上げて、純粋なエネルギーとコネクトできるよう心がけます。

チャネリングは共鳴でもあると思うので、ドコと接続できるかは自分の波動次第。自分に見合う処とまでしか繋がることはできない、というのが持論です。
イメージとしては、せいいっぱい腕を伸ばして、天から降りて来てくれている手と握手する感じ?!
もちろん大地に深く根を下ろしていてこそ、上にも伸びられるわけで、日常生活と肉体の大切さは言うまでもありません。


それで話を元に戻すと、今回のリーディングの場合は、準備として大祓いの祝詞も上げさせて頂いたのですが、自分で言うのもなんだけど、その祝詞がいつもと違って朗々として、尋常な響きではありませんでした。
毎回大体、発している自分の声を聞いて、すでに準備の段階からどんなエネルギーが降りて来ているのか分かるのですが、その時、これはいつもよりかなり高い処から降りてきているものだと直感しました。
案の定、ハートを介して響いてくる言葉を、そのまま書き記す形で受け取っていると、そのエネルギーの大きさに体がついていくのがやっとで、リーディングが終わってからも暫らくボーっとした状態のまま…。
途中、何とか眠らずにいられたのが幸いでした。キャパシティオーバーだと意識が飛んでしまい、眠ってしまうこともしばしばあるので…。


紫乃さんにその内容をお伝えすると、いつものように早速、神々からの意志に従い、『2つのコンサートの間に高千穂で行う神事に賛同される方、どうかご参加下さいね』の旨、ご自身のホームぺージにアップされたのでした。


こんなご縁をいただいたからには、私も高千穂での神事やコンサートに参加させていただきたかったのですが、あいにくその日は他の場所に行かなくてはならない予定が以前より入っており行くことが出来ず、とても残念です。


そんなこんなで、私は不参加なのですが、このブログを読んで下さっている方の中には、九州の方はもちろん、他の地域の方がたでも、高千穂の神々や地元の神々の任を受けて、魂レベルで今回の神事やコンサートに導かれる方々も多くいらっしゃるかもしれません
それで今日はお知らせだけでもと思い、ご紹介することにしました


また高千穂というパワースポットに焦点をあてた場合、パワースポットと言われる土地、場の持つエネルギーの類は、そこに立つことで転写されたり、何らかの循環を引き起こしたりするという側面もあります。
その点ではその場に赴くことが重要。行けば例え何も感じなくとも自動的にその方に必要なことがなされ、起こってきます。
実際私自身、今までにそういったことを何度も経験してきましたしね。一気に浄化が加速されたり、その後の自分の人生のキーマンになる方とそこで出遭ったり…。などなど。


だからと言って闇雲に、例えば良い運気をもらおうとかいう自我の欲どおしい考えでパワースポット巡りをしたって、あんまり望む効果は得られないんですね。
何でも意図が大切で、神々は人間の欲望を満たすためだけに存在するわけでなく、まして土地の神霊などには、人間を助けることなど全く眼中にない方がたもあり…。

当然ですが、天からの命により祈ることは、結局自分のために祈ることにもなり、それによって結果的に自然な形で何らかの恩恵をいただいくことは、喜ぶべきことであると思います。
なんてったって自分の波動が引き上がることは、自動的に周りの人々や地元のエネルギーに良い影響を与え活性化させることにもなりますからね


今回に限らず、神事に参加するかどうか、パワースポットを訪ねるべきかどうかは各々のハートが、それがその方にとって必然(お役目?)であれば何らかの形で受け取り、衝動として感じているはず。

私がクライアントさんによくお話する言葉に、
『理由があることには、やってもやらなくてもどちらでもいいことが多いけど、
理由のないこと、何だかわからないけどそうしたいと思うことは大切なことが多いので、そこに注意してどう行動するか決めて下さいね』
というのがあるのですが、
自分に限界を設けず、自分の感覚やハートに耳をかたむけることを通じて、
ひとりでも多くの方が、限りある毎日を、充足したものにして行くよう日々行動して下さったらと思います。

そんなわけで、今日は紫乃さんの九州コンサートツアーのお知らせでした

今回に限らず今後も、神々のお呼びにより、全国各地を回られる予定なので、
興味をもたれた方は、是非彼女のホームページをご覧になってね
このブログのブックマークからも見れます。毎回素敵なダイアリーも書かれていますので、それも必見です



東京国際キルトフェスティバル。

2009-01-22 11:49:04 | Weblog
昨日、東京国際キルトフェスティバルへ行ってきた。
訪れたのは今回で3度目。

会場はおばちゃん達の熱気にあふれ、私のザットみたところでは殆どが5~60代の女性。
さながらお歳暮解体セールの会場のこどき混雑で、年々入場者数は増えているのではという印象だった。

東京ドーム会場のフロアが丸いため、歩き回っている内に、自分がドコにいるのか分からなくなるのがいつものことなのだが、ともかく端の列から順番に見ていくことに。


するとほどなくして古布通りのとあるお店に、カラフルな刺繍を全面に施したタペストリーを発見。
(キルトだけが好きなわけじゃないので、何でもキレイな布に目がいく私。)

お店の人の説明によると、その布はブータンの婚礼衣装とのこと。
かの国では娘が生れると、すぐにお母さんが娘のために婚礼衣装作りを始めるのだそうで、織から刺繍まで全部手仕事でするので完成するのに何十年もかかるのだそうだ。
衣装と言っても体に巻きつけるタイプなので、広げてしまえばタペストリーのような四角い形。布の中に糸を渡して刺繍していくやり方なので、裏には糸だまのついた結び目しか出て来ない特徴がある、極彩色のとても美しいお品だった。
そしてそのお値段は、木綿の糸で刺繍してあるタイプのものだったので、絹糸使用のものの半値、それでも39万円と言っていた。

(そうだよね、これだけの手間隙のかかったものだもんね、それくらいはするわよね…。)
と思っていると何故だか突然、
やおら店員さんが、
「でもこれちょっと悲しいいわくのあるもので、実は娘さんがこの衣装を着る前に亡くなってしまったので、未使用の新品なんですよね…。」
と言い出した。「だからキレイでしょ?」だって。

(ん?!)
そこに至って初めて私は、何故吸い込まれるようにこの布に引きつけられたか、突然理解した。

(そうか、ご供養なわけね…)


普段から人にはあんまり関わらないように、目を合わせないようにしているんだけど、布には油断していた。

(あちゃ~。こんなとこまで来ても、お御魂に引き寄せられるとは…)

と思ったけど、聞けば何とも気の毒な話。何年も娘のために幸せを願って針を動かしてきた母の心を思うと、子供に先立たれることほど、親にとってツライことはない。(←フツウはね。)


「でも逆のパターンもあるんですよ。お母さんが早くに亡くなって、衣装が完成しなかった場合とかも…」
店員さんの話はまだまだ続く…。

やっぱり今でも先進国と比べ、医療が整っていないため亡くなる方が多いのだそうで、それを考えると、母が作った婚礼衣装を身に着けて、祝福の中結婚できる娘は幸せ者といえるのかもしれない。


もちろんそんな思いのこもったお品は、値段も含めて買えるわけないので、早々にお店を立ち去らせていただいた。

でもしっかり、ご供養の契約はなされてしまったようで、その後帰宅して浄化するまで私の腰の痛いのは続いた。娘を失った母の悲しみというよりも、母の悲しむ様子に心を痛めて成仏できない娘さんの思いが強かったようだった。

光を呼んで『人生は今生限りじゃないから、ちゃんと浄仏して上に上がってから、お母さんが生きておられる間、お母さんを守ってあげて下さいね。来世は、そんなことはないと思いますからね。』と語りかけさせていただいたら、大天使達のサポートを受けて光の世界へ昇華されたようだった。まずはホッと一息。


まあ腰の痛いのは、日帰り強行軍の新幹線で出かけ、会場にいた4時間余り一口の水を飲むこともなくトイレに行くこともなく、ひたすら歩き回って作品やお店を見続けたせいかもしれなかったけどね。
ともかく見るものが多すぎて、いつも息つく暇なく歩き回って、やっと一通り見れるかなって具合なの。


そんで肝心のキルトはというと、今回は創作キルト部門や森のキルトコーナーに、個人的にいいなあと思う作品が多かった。
中でも一番私が好きだったのは、海外のキルト作家スーザン・シエさんの作品だった。
彼女の作品には、ハートフルなパッションと言うべき、あふれるような熱いエネルギーを感じた。

おしむらくは、写真撮影が禁止されていたこと。いつものことだけど。

作品を収めたオフィシャル本を売るためなんだろうけど、当然ながら一部の作品しか掲載されておらず、自分の好きだと思う作品がないこともしばしば。
今回のシエさんのも1点しか載ってなかったので、本を買うのは止めにした。
一般の人の作品は撮影オーケーで、作家さんのはダメというのは、他にも色々理由があるのだろうけど、入場料2000円払って見に行っているわけである。
ふつうの美術展レベルのぶ厚い画集を出せとは言わないまでも、もう少し何とかしてもらえないものかと思う。

まあそんなこんなで忙しい?1日でしたが、久しぶりに東京でエンジェリックデザインのMちゃんに会うこともでき、とても楽しい1日でした。






書きっぱなしはナリマセヌ。

2009-01-17 11:34:41 | Weblog
このいい加減な性格が存分に発揮されて、気がつけば書きっぱなしで終わっている記事のなんと多いこと?!
これではあまり良くないわね…と反省したので今日はその後の経過報告など。


常陸についてはその後神様より何の音沙汰もなし。
鹿島大明神からも音信不通。


テレビショッピングで買った、コアリズムとレッグマジックについては、
コアリズムの方は今となっては全ぜ~んやってない。
やれば効果があるのは実証済。買った後すぐ、1週間毎日続けてたら、この私のお腹でも4センチ細くなった。
しかしながら、続けなければすぐ元に戻るのも実証済…。
家族の面前でテレビを独占(うちにテレビは1つしかない)し、「キモい!」と子供に言われながら毎日続けるのは相当の努力がいり、当然のようにそんなガンバリを持ち合わせていない私は脱落。ツイニくびれに到達することはなかった。
結果DVDは、今では埃をカブって引き出しの奥にしまわれている。
「ほらみろ!やっぱり続かなかった!!」と鼻で笑う息子。グヤシイ…

でもレッグマジックの方は何とか続けている。1回につきマシーンに乗っかって左右の足を開いたり閉じたりするのを、初めは10往復するのがやっとだったのが、今では50往復まで出来るようになった!以前と比べると、内腿のタブタブが引き締まり筋肉になってきた気がする。でもちょっと無理してがんばりすぎると、股関節が痛くなるので気をつけながら1日2回はやるようにしている。説明書には、ホントは3回やれって書いてあるんだけどね、中々できないんだよね…。

そんな訳で、全体的に最近は運動をサボり気味。寝る前のストレッチをかねてヨガをしたり、朝、プラーナを取り入れるための呼吸法など試しているくらい…。ちょっとマズイかな?!



そのほか、物が壊れまくっていたのは、冬至までにすっかり落ち着いた。
ブログをお休みしたのも、エネルギーの転換期故の様々な事象に押されて、テンテコマイマイしていたせいもあり。
セッションルームなどは急に模様替えをせねばならなくなり、カーテンやカーペットなどもすべて新調、大きなテーブルや椅子も入れたし、今まで無かったメインの照明器具も購入して取り付けるなど、バタバタだった。
ともかく冬至までに一新するようにというメッセージだったので、慌しかったのだけど、前日20日に例のオルゴール時計が修理より戻り、それを機に?それからパタッとすべてが収まり、無事冬至を迎え新たな再スタートとなった。


それからはお陰様で平穏な状態が今のところ続いている。
落ち着いたので、友人のすすめもあり、新年よりブログも再び書くことにした。

というのがその後の経過報告で、まあこんなもんかな。取り敢えず思い出せる範囲だけど。


そして今日、別段変わったこともない土曜日。晴天だけれど寒いので、ナマケモノ課の私としてはストーブから離れたくないのだが、これがイケナイ・デブの基。
なので、大きなお尻にムチ打って、
(なるべく体を使うのよ、動けば寒さも吹き飛ぶし気持ちも明るくなるからね、一石二鳥ヨッ!)

気持ちを振るい立たせて主婦業にイソシムわけなのだった。…でも寒い…。

ああ、そういえば、『消えた1万円札』は消えたままですよ~

消えた1万円札。

2009-01-10 16:48:49 | Weblog
『消えた1万円札』と書いたけど、実はミステリーでもなんでもない。
『郵便局のATMに飲み込まれた』というのが、おそらくコトの真相なのだ。

お正月も明けて、普段どおりの生活にもどり、そんじゃ、ま、息子のお年玉でも彼の口座に入金してきてやりましょうと出かけたのが3日程前。

いつものように、入金し、家に帰って何気に通帳の入金額をみると、
「ん?!1万円足らない!!?」

何度見ても入金額の数字は、私の預けたお金より1万円少ない!
(そんなぁ、ばかな~!なんでぇ~?!!)

いくら叫んだって、残高が変わるわきゃないんだけど、ガーン ガーン ガーン…。

(途中で『もう一度入れなおして下さい』と幾らか機械に返されて、入れなおした経緯があったけど、もしかしたらアン時に落としたのかしらん…?じゃあその後、誰かがラッキーって拾って持ってッちゃったってこと?!)

ショックだった。
(でも落として気づかないことなんてあるだろうか…。操作画面の上で入れ直しただけなのに…。ちゃんと家で数えて、通帳に挿んで持ってったんだから1万円だけ失くなるのはオカシイし。)


私がカバンを引っかき回してギャーギャー騒いでるのに気づいた夫。一体何事かと問われコトの次第を説明したところ、
『入金操作をしている時にちゃんと金額を確認してないなんて、それがまず信じられない!!それはお前が悪い!これからはちゃんと確認するように。』と偉そうに説教されてしまった。悔しいけどおっしゃることはごもっとも。


(そりゃ、よく見もせで、ピッピッとボタンを押した私が悪いのよ。でも後ろに人も並んでたし、急いでたし、機械だから間違うはずないし…。)

その時突然閃いた!

(え?!今まで【機械だから間違うはずない】って思ってたけど、それってもしかしてタダノ思い込み?! エッ!?だから操作の途中に【確認】の画面があるの?機械が数え間違うこともあるから?!)

それは私にとって晴天の霹靂だった。これまでの人生、私はずっとあの【確認】画面は、預かり金額の【お知らせ】だとばかり思っていたのだ。いわばお客に対する【親切】?…。

でもそう考えれば、すべてに辻褄が合う

そうなのだ!ATMがお金をべ~ッと吐き戻して来た時、コイツは数えるのが苦手なヤツなんだとすでに警戒すべきだったのだ。折りしも新券ばかりだったから(なにせお年玉だからね)2枚を1枚にカウントしてても不思議はなかった…。

然しながら【確認】ボタンを押してしまった今となっては、真相は闇の中。
郵便局に、『もしかして、最終計で現金1万円多くありませんでした?』とも聞けない。なんせスーパーのATMだったしね。


かくしてその限りなく黒に近い容疑者、ゆうちょATMは、今日も何食わぬ顔でスーパーでのお仕事をこなしているのであろう。
なんでもいいからさ、飲み込んだ1万円、返してよ~


結局、折角息子がいただいた、大切なお年玉なので、その1万円は私が自腹を切って補充させていただきました。
これからは【機械も間違うかも】という疑いの視点を持ってATMに関わろうと思います。
新年そうそう、ツマラヌ思い込みと不注意のせいで泣きをみた私です。

事実は闇の中なれど、皆さまお気をつけあれ。





目標を設定するのは大事…?

2009-01-08 13:09:37 | Weblog
『目標を持つ』ってことは、やっぱり大事だよね…。
もちろん先のことに心を浮つかせず、目の前にあることをこなしてくのは大切なんだけど、
それプラス、なりたい自分や、現実化させたい未来とかを、『これ!!』って宇宙に意志表示すること。それも必要だなぁと思う。

<真我>にとっては、すべては完璧で今、生きてることが大きな喜びだから、結局いつも【すべて良し】なんだけど、悟りに至ってない普通人の我々としては、
<自我>ちゃんがバ~ンと存在の主張をしている訳で、それを無視して生きられないところ有り。

<自我>ちゃんサイドとしては、<真我>のいう何だか訳のわからない至福などというものより、現実的に欲しいものを手に入れるとか、理想の自分になるとか、人からチヤホヤされることなんかの方がよっぽど魅力的なわけで、【悟り】みたいなことを言われても、ちっとも嬉しくないのよね~。
<自我>ちゃんは単純明解。美味しい物を食べてば幸せを感じるし、キレイと言われれば嬉しく感じるし…。

そんでまた、そういう喜び?を、例えば【煩悩】とか言われて、自分はまだまだ修行が足りないのねと思ったりすると、落ち込むし、さりとて何も望まずひたすら日々淡々と生きる人生だけでは、やっぱりツマンナイから嫌になっちゃう。


別に願望を持つことがイケナイわけではないし、まして<自我>を否定したりする必要もないと思うので、私としては、色んな目標を設定してそこに向かって歩んで行くということも大切なことなんじゃないかなと思う。そこでポイントとなるのは、【目標】は設定しても【方法】を考えたりしないことでしょうけどね。マーフィー理論じゃないけどそこはハズさないようにしないと。そして後は天を信頼して、日々与えられてることをちゃんとやっていく。そうすれば自ずといつか、【目標】に辿り着いている自分を発見するのではないかと思う。
おぉ~!それも良しじゃん

そうこうする内に、<真我>と<自我>の距離も縮まって一体化するかもしれないしね。そうなった時には、願望は持った瞬間に叶っているので持つ必要がなくなり、何が起きても不動の喜びの中に生きていられるのかも…。私の場合、今生、生きてる内にそれはないと思うが…。

ナンデこんなこと言い出したかといえば、ここ数日。「私のお正月は自由な寝正月よ~」とばかりに、家事をさぼりにさぼり、だらけた生活をしてたら家の中がゴーストハウス化し、部屋の隅には虫の死骸やせんべいのかけら、吹き込む隙間風に、竜巻のように巻き上がる犬の毛…。冷蔵庫からは食べ損こねて期限切れになった残骸の数々…。(化石化する前に処分せねば…。)

そんで思ったのよね。やっぱり目標を決めとかなきゃね、って。

家事なんて、やればキリがないけどサボるのもキリがない。
目の前にあること【ちゃんとやれ】って言ったって、設定がなきゃ、どう【ちゃんと】かわかんないし。
そんならさ、《2日に1回は掃除機かける》に《よく体を動かし、スリムになった私》とかいう目標を足したら一石二鳥かもしれず…。



家事なんてセコイ話、どうでもいいって思う人も多いかしれんけど、これは一つの例で、他のこともみな同じと思うんだ。
設定の仕方も、漠然としたものから、具体的なものまで様々でいいと思うし。


人間関係でも仕事のことでも、収入のことでも、願いは大切な目標として設定し、後は自分のできること手抜きせずにやる。そういうことでしょうか?ね?!




『結婚しました~!!』のハガキは私への贈り物。

2009-01-06 14:12:58 | Weblog
年賀状に限らず、以前うちのサロンにお越し下さったお客様から、『結婚しました!』のお知らせをいただくと、ほんとに嬉しい!!

(わぁ~よかったね!うん、うん、この人となら幸せな家庭を築けそうだ。いい人に巡り会えてよかった!

などと、わが娘(もしくはわが息子)のことのように嬉しく、ウルウルしながら、1人で何度も頷いて写真に語りかけたりして…。

セッションに来られる時は、皆さん、人生の分かれ道の時だったり、どん底気分の時だったりが多いので、その後、
おそらく様々なことを乗り越えて前向きに生き、
その結果の現在である、喜びに満ちた姿を私にまで見せて下さるのは本当に嬉しいのだ!

結婚が幸せのすべてではないし、そこからが、またあらたな始まりなんだけど、
まちがいなく『幸せの一つの形』であり、『達成』でもあるので、まずは目出度く、
そしてその幸せそうな様子は無条件で喜ばしいもの。

結婚だけでなく、『元気になりました』とか、『新しい職場が見つかりました』、などのお手紙をいただくのももちろん嬉しい。
人生イイことばっかじゃないものだけど、一歩ずつでも着実に歩んで、みんなそれぞれの幸せを掴んでくれればと思うし、
私にまでその様子を知らせて下さるのはやっぱり有り難い。

赤ちゃんの写真入り年賀状もいただき、心弾む新年。

マスコミは世上の厳しさを騒ぎ立てるけど、大事なのは自分の現実を把握することじゃないかとしみじみ思う。
今日食べるものがあって、健康で、ちゃんと働けて、寝るところもある。
それに感謝して必要以上に先のことを心配せず、1日を過ごすこと。
そういう自分であったり、家族の為にそういう家庭を作ったりすることが今私のできる、またすべきことで、
そうしていれば、大概のことは何とかなるのではと思う。

心配してもしなくても、起こるべきことは起こるべき時に起こってくるもの。
恐れず力まず自然体を心がけてこそ、何かの時には、すばやく適切に動くことが出来るのではないかな…。

なんか話がそれちゃったけど、今年も心楽しく有意義な年になりますように。
もちろんミ~ンナがよ