Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

加賀の『白山比メ神社』  その3

2009-02-22 13:49:06 | Weblog
ついに目的の『白山比メ神社』に車が着いた時、外は大荒れの雪模様。はっきり言って、猛吹雪でした。風はゴーゴー、辺りは雪、雪、雪。
寒さにひゃあひゃあ言いながらも帽子の上からグルグルにマフラーを巻きつけ、いざ参拝。

こんな天気でなければきっと風光明媚なところなのだろうなぁと思いつつも、他へ目をやる余裕なし。ひたすら真直ぐに歩いて行くとすぐにお社殿の前に出ました。

まずは本殿にお参り。
いつものように手を合わせると、お社殿の中央に大きな火(キャンプファイヤーみたいなの)が燃えているのが見えました。
金剣社で見た光景と似ているのですが、こちらは火を取り囲む輪が3重で、内から2つめまでは右回り、残る3つめは左周りでそれぞれ巫女さん達が舞いを舞っておられます。

白い着物に赤い袴の巫女さんのような装束をした女神が御立ちになり、おっしゃるには、

『中央に燃えている火は【いのちの火】です。私たちは常にこの様にして、ここから世界に向かって、【いのちの火】を放っているのです。
この火が世界の末々にまで行き渡るよう、心ある者はお手伝い下さい。』

とのこと。
願わくば、こちらを参拝した人々の中で女神の意思に同意する者たちが、それぞれこの【いのちの火】を地元に持ち帰って放射、広めて欲しいとおっしゃっている感じでした。
きっとそれは、人々の心を暖かく包んで【いのち】を育む光であり、それをまた、人々を通して広めたいというお考えなのでしょう。

このお宮の由緒書きには、ご祭神の【ククリヒメ】さまは【いのちの親神さま】とありましたので、母なる女神、地球神ともいえるかもしれず、【母なる地球への感謝】や【生かされていることへの感謝】を心に持っている人々ならば皆、自然とこの【いのちの火】をいただいて帰り、周囲に放っているのかもしれませんね。

(※ 同行のAさんは、参拝中、ピッタリと地面に足が吸い寄せられる感じで、ものすごくグラウンデイングできたそうです。さすが【いのちの親神様】との感想でした。
なるほどですね~。)


また交信?中、踊りの輪から 『よいやさ、よいやさ』 の掛け声も聞こえていて、これに関しては 『88回が大切』 と言われました。
なんのことやらよく分かりませんが…。

…しばらくして天から降りてくる螺旋のエネルギーも収まり、目を開けると、

≪アア!びっくり!!≫
なんと手が凍りついていました。文字通り雪で濡れた指先が、合わさったままくっついてしまっていたのです。まじ寒ッ!!

早々に退散しようと帰りかけたところ出口のあたりで『白山荒前神社』というお宮を発見。
行きにAさんが、「後でお寄りします」と神様にお話してあったところだったため、ここも皆で参らせていただくことに…。


手を合わせると、やはり女神が立たれ、

『あなたにこの矢を差し上げます。≪ここぞ≫という時にこれをお使いなさい。』
とおっしゃり、90cmぐらい?の白い矢羽のついた立派な矢を下さりました。


このお社には看板もなく何の説明もなされていなかったので、社務所まで戻り、中にいらした巫女さんにお尋ねすると、

「あのお宮は、『ククリヒメ』の荒御魂でお道具を扱われます。」
といわれました。

なるほど、それならば神さまのパワーが強かったことにも納得できるし、道具として矢を下されても不思議はないなと思われました。
でも矢を私に下さった理由は、今のところわからないのです。
矢を射なければならないような事態がこの先起こってくるのかもと思うと、ちょっと引きますよね…。使うことの無きように祈るばかりです…。


さて今回のこの旅。
この後お昼を食べた「おはぎ屋」のご主人にひょんなことから白山の神さまは3つあると教えられ、急遽午後からは南へ下り、勝沼の【平泉寺白山神社】にも参拝し、その日は山中温泉泊。3時に旅館へチェックインする予定が6時頃の到着となりました。(だって元々は、1社だけ詣でるつもりで来たんだもの…)

これで加賀、越前は詣でたものの、美濃である岐阜の【白山中居神社】までは行くことが出来ずじまいでしたが、ここはまた後日訪ねることにし、とりあえずはぐるっと白山の周りを車で巡る旅で終わりました。

(※ 白山七社については5社までは詣でることができ、残り2社については、特に参る必要も感じられなかったので一応はこれで良いようです。)



今回白山比メ神社に呼ばれ、何か次に行く場所の指示なり、今後私のやるべきことなり、お示しいただけるかと思って出かけた旅でもありましたが、終わってみれば特に何のメッセージもなく、ちょっと拍子抜けした感もあり。今回もなんでお呼びが掛かったのか、結局よくわからないままですが、まあ起こるべきことは起こっているのだと信じることにいたしましょう。


ただ、私達が加賀に行ってる間、自宅では小さな地震があったそうで、その他にも16日は福島で震度4の地震があったとか。
18日の朝には福井嶺北で震度4の地震。勝沼の平泉寺あたりでは震度3だったようです。その後も毎日のようにちょこちょこ各地で揺れている様子。
私個人的には、今年は大なり小なり【地】がよく動く気がしており、もしかすると、そんなことも【16日までに】と白山の神様がおっしゃったことと多少関係しているかもしれません。


自覚があるないにかかわらず、昨今は沢山の方がたが、いろんなお役を担って動かれているご様子。そのお陰で様々な大難が小難で治まっている気がしています。
本当に有難いことです。
いろんな噂が飛び交う中、恐怖に踊らされるのでなく、【世界は滅びたりしない。これから益々良くなっていくのだ】と皆が思えるようになったらいいなと思います。

それにしても、白山流の歓迎の仕方って、この季節、【吹雪】なのでしょうか。
一貫して参拝が終わるまでは大雪、終わると止むの繰り返しでした。
【歓迎】じゃなくて【浄化】だったのかな…。行く前も帰ってからも、見る夢は水に関わるものばかり。お風呂掃除してたり、庭で水撒いてたり、金魚鉢の水換えしてたり…。


余談ですが、加賀一宮駅近くの白山比メ神社参道駐車場脇にある『おはぎ屋』さん。十割そばと笹寿司、絶品でした。おはぎも色んな種類があって甘さ控えめ。さすがにお米が美味しいの!おはぎアイスもありました。どぶろくも売っていて、前からどんな味か興味深々だったので、初めて飲めて嬉しかったです。次回があればまた立ち寄りたいお店でした。




加賀の『白山比メ神社』  その2

2009-02-20 19:42:37 | Weblog
次に辿りついたのは『金剣宮』(※注 これも実は漢字が違ってて実際は【剣】がもっと昔の?難しい字です。)でした。
【きんけんぐう】とお読みします。

これまた、ヤニーズが、何故だか曲がる道を1本間違えたら着いたという状況。
参拝の栞で確認したところ、こちらのご祭神は『アマツヒコヒコホ二ニギノミコト』で、もちろん?白山七社の一つでした。

その頃から雪がチラホラし始め、ひゃあ~寒い! お社が建具で囲って室内にしつらえてあるのを見つけると、全員一目散に中に入ってホッと一息。


早速お参りさせていただくと

『よう来た、よう来た。』と、立派な着物を着た男性の神さまがお出になられました。
私たちを大変歓迎して下さっているご様子で、にこやかに『ゆっくりして行くがよい。』とおっしゃられ、
お拝殿の中では、大きな火を取り囲むように輪になった神々?が、右回りに進みながら舞いを舞って、いらっしゃいます。

(私たちを歓迎して舞って下さっているのかしら…?ありがたいこと。)

としばし感謝。


「舞いを舞われていた中に猿の面をつけた方がおられ、目立っていたのだけど、あれはサルタヒコの神だったのかもしれないね。」とは参拝後の私の談。
(※ この神社にはサルタヒコノミコトもお祀りされていました。)

Aさんは私の隣で手を合わせながら、私の見たのとはまた違った、武将のようなお姿の神を見られていたそうです。
私としては、それを聞いて、(それも在りだよな~)と思いました。

なんせ栞によれば、源義経が奥州に向かう途中に立ち寄られ神楽を奉納したらしいお宮だし、尚武の神だし、木曽義仲が戦に大勝した時、馬20頭寄進したこともあったとかも書いてあったし…。
お宮の名前も要は【剣】、=【刀】ってことでしょ?地名の【鶴来】も元は【剣】だったというのですからね。
やっぱ武将は切っても切り離せないでしょう。
でも『よく来た』と歓迎して下さったところは同じでした。

パワーのあるお宮だったので、その後は皆でおみくじを引き盛り上がりました。
七福神のおみくじで、私のところには弁財天が来て下さいました。
ちょうど、「うちには弁財天がないの」、と話してたところだったので嬉しかったです。みんなのおみくじも、それぞれピッタリのものでした。

そうこうする内に雪が本降り、というより吹雪になってきて、体中雪だらけになった私たちは寒さに凍えながら車に乗り込み、今度こそ目指す神社へと向かったのでした。
つづく…。

加賀の『白山比メ神社』  その1

2009-02-19 10:57:44 | Weblog
先日、『白山比メ神社』へ行って参りました。【しらやまひめじんじゃ】とお読みします。
  ※注  ヒメのメは【口】偏に【羊】と書きますが、私の技術不足により変換出来ないため、カタカナ表示になっています。

白山比メ神社はその名のとおり、加賀の白山がご神体の神社です。他にイザナギ、イザナミのミコトもお祀りされています。

今回は2月16日までに参るようにという神様よりのお達しだったので、大阪の友人Aさんご夫婦と私たち夫婦、計4名での参拝となりました。

…最近は、神様お仕事?というと、この4名で回ることが多くなっています。他からも夫婦で神様に呼ばれたという話を耳にしているので、男女のエネルギーがバランスした状態でのお祈りを求められている傾向があるのかもしれませんね…。


さて、前日までは春のような暖かさ(静岡なんか、ニュースでは最高気温25度とか言ってましたよね…)でしたが、翌日からドンと冷え込むという天気予報でしたので、雪道を懸念し、スノータイヤを持っていない私たちは、名古屋から【特急しらさぎ】で小松まで行くことにしました。そこでAさんご夫婦と待ち合わせ、車に便乗させていただき、いざ白山比メ神社へと向かったのであります。


2~30分走った頃でしょうか。川沿いの山道で、突然ナビの調子がおかしくなり、道に迷ってしまいました。
夫達が騒いでいる中、以前九州のヘイタテ神宮へ参った際、同じ様にナビが壊れ道に迷ったあげく、とある神社に辿り着いたことを思い出した私。
その時、これも何かのお導きだからとそのお宮にお参りしたところ、お出になった土地の神様が、『この後は私が案内する』とおっしゃり、
そのお陰か、参拝後は全く正常にナビが作動。
結果スムーズに目的地に着いたという経験があったため、今回もどこか立ち寄るべきお宮があるに違いないと即座に直感。
その話をしていると、すかさずAさんが、ナビ画面上に赤い鳥居を発見!

「ここに寄らないといけないの」と強行に主張する妻2人に対して、「ナンデ行くのや」といぶかる夫2人。
…依然として納得がいかず、そんな神社に寄る気もない?夫達を無視するかのごとく、それでもそのまま車は走りつづけ…。磁石に吸い寄せられるようにどんどん鳥居マークに近づき…、そして遂に到着。


降り立ってみれば、名も無いような小さなお宮で、お清めの水さえ止められている状態。
とりあえず鳥居をくぐり、お社に向かって歩いていくにつれ強まる吐き気に、ゲボゲボしながら隣をみると、一緒にいたAさんも気持ち悪い様子。

(水があるのに詰まっている。流れ出ることが出来ず、苦しい感じ?!…)


持参したお香を焚き、4人並んでお参りすると、立派な白龍さんが姿を現し、空へ舞い上がられ、羽衣をまとわれた女神様が私達の目の前にお立ちになられました。

『ありがとう存じました。』と何度もおっしゃられ、『これで自由に流れられます』とのこと。
手を合わせている間中、天からは目映いばかりの白光が降り注がれていました。
…祈り手はいつも、エネルギーの通路であり、滋養を与えたり変容を促すのは常に天からのエネルギーなのです…。(地からの時もあります)

とりあえずは、お役に立てたようでヤレヤレ。吐き気も納まりました。

祈りを終えて、「ここには白龍さんと女神さまがいらっしゃったね」と、Aさんと頷きあったものの、
はてさて、それにしてもこちらは何てお宮で、どなたが祀られているのでしょう?と首をひねりながら戻りはじめたところ、つと道端に、夫たちがご由緒のかかれた立て札を発見。


参拝前には誰も全く気づかなかったのですが、それによれば、このお宮は【岩本宮】。
【白山七社】の一つでご祭神は≪白山比メ大神(しらやまひめおおかみ)≫様。明治以前、寺社が合祀されていた時は≪十一面観音≫様も共に祀られていた模様。

(はあ~なるほどね。白山比メ神社へ参拝する前にここにも寄らなくてはならなかったというわけね…。)

今回は【白山比メ神社】に来るようにとだけ言われていたので、それ以外の所に行くつもりが全くなかったし、【白山七社】なんてものがあるのも知らなかったので、ナビが壊れなければ素通りするところを、呼び止められた形になったのでした。


「そう言われてみれば、ナビが壊れたのは丁度この神社の横を通り過ぎた辺りだった…」とは夫達の弁。
そう自分達で口にしつつも、「ほ~らね?!」と詰め寄る妻達を避けるように、
「でもやっぱりナビが壊れたのは、工事中かなんかの電波の影響を受けたせいじゃないのか?」と、なおも抵抗を見せるヤニーズ。
(←夫達は、2人ともタバコ大好きなので、タバコのヤニをヒントに妻達がそう命名)


そんな中、(そういえば、ここ2~3日、やたら数字の【7】が目についてたなぁ。白山に七社あることのお知らせだったのかしらん。
それなら【7】だけじゃなくて一言【社】もつけ加えてくれれば分かりやすかったのに…。)とブツブツ思う私。
相変わらず、文句が多いと叱られそうですね…。


(まあ、この流れで行くと、白山七社全部回りなさいってことになるのかな…?)と思いながら、予想どおりすっかり正常に戻ったナビに従い、先へ進んだ私たちでした。

つづく


≪この冬急成長!!≫

2009-02-12 12:37:55 | Weblog
≪この冬 衝撃的に急成長!! ≫ したものは、私の腹回りである。
昨冬ユルユルで、腰からずり落ちそうだったズボンのウエストボタンが、今期は普通に息しただけで今にも千切れ飛びそうな状況…。
…これはマズイ。体重はさほど変わっていないのに、一体どうしたことなのか…。

恐るおそるメジャーで測ってみたら、妊婦の時の臨月を上回る数値!!
会社にいたなら、まぎれもなく、堂々、メタボ認定されるところだ。(いなくたってメタボはメタボだけど…)

最近、しゃがんだりすると、前より一層お腹がじゃまだなあとは思っていたのよ。すぐ息も上がってハアハアするし。
そのせいで、ヒザも痛くなったりしたのかも…。


あ~あ。どうすればいいんでしょうねぇ。
痩せる(引き締める)には運動と食事をセットで頑張らないとダメなんでしょうねぇ。

一応、チョコチョコ運動?はしてるし、そんなにバカ食いもしてないつもりなのにメタボになったということは、基礎代謝が落ちて、普通にしてるだけで太る年齢になったということでしょうか…。

まあ、ご飯系の炭水化物、揚げ物系の脂質、オヤツ系の糖分、これが私のデブ化三大要因であることは、容易く想像されることではありますが…。

でも好きなのよね…、でも止められないって言ってる場合でもないかも…。
お腹が重くてしんどいなんで、ホント妊婦以来だわ…。


それはそうと、来週そうそうに、石川県の『白山比メ神社』へ行ってきます。
お呼び出しがかかったので、ともかくそこだけ参って帰るつもり。何かの流れは来てるようなのですが、まだ明らかではなく…。
また神様から、とんでもないことを申しつけられないよう、祈ってはいますが、じたばたしても、言われるときは言われちゃうので祈るだけ無駄という事実も…

しばらくは、忙しない日々が続くのかな…?!、考えてる暇があったら動けと言われそうな今日この頃です。






じっくり淹れたコーヒーは美味しい。

2009-02-06 20:37:53 | Weblog
じっくり丁寧に淹れたコーヒーは美味しいって、当たり前だけど、
でもホントだよね~。

うちは最近ティファールの小型の電気ポットでお湯を沸かすことが多いんだけど、それでコーヒー淹れても実はイマイチ美味しくない。
コーヒーメーカーが壊れてからは、もっぱら《モンカフェ》とか買ってきて、手で淹れてるんだけど、お湯の熱源が違うだけでも全然味が違う。

今の所うちで一番美味しいのは、ストーブのヤカンのお湯で淹れたヤツかな。
電気よりガス、ガスより石油ストーブ、そして多分、石油ストーブより炭とかの
直火で沸かしたお湯で淹れたものの方が美味しいんだろうね。

豆はさ、毎回コーヒー豆を挽いて使ってた時もあったけど、残りの豆がどうしてもだんだん酸化してくるので、
最近はお手軽に1回ずつの《モンカフェ》か、同じタイプの《キーコーヒー》のを飲んでるかな…。スーパーで売ってるアレですよ。

まあね、うちの連中は私を含めて、全然、コーヒー通とかではないからこれで十分なのよ。


さっきも、夕飯の後にストーブのお湯で自分用にトポトポ淹れてね、
苦いのヤダからミルク加えたら、まあ、なんていい香り!!ささやかな幸せタ~イム!

そんで、美味しいなぁ…って飲みながら、ふと考えた。
(いつかは最後の1杯を飲む時が、来るんだよなぁ誰でも…)って。



毎日のことだと、何でも当たり前のことになって、人ってコトサラ注意を向けなくなるものだけど、
ホントは当たり前のことは一つもなくて、例えばコーヒーにしたって同じ状況で飲む同じ味のコーヒーなんてないんだよね。

そんで、その飲んでる一瞬ていうのも、過ぎてしまうとみんなイッショクタの【過去】になっちゃうから、あんなこともこんなことも、
振り返れば【すべて夢のごとし】となってしまうわけだ。曖昧で形のない【記憶】でしかなくなる…。


だからこそ【今】が大事?!【今どれだけ、肉体をして味わえる感覚を体験していられるか】ということ?!この有限の時間の中で?!



私たちは肉体に宿り、この世界を旅している存在だから、いつかは必ず帰るべき時が来る。
そして誰だって、旅行に来てると思えば、それなりに充実した時を過ごして、色んな体験をしたいと思うでしょ?!


ちょっと話はそれるけど、チベット仏教なんかによると、人間界に生れることは、神界に生れるより幸運なことなんだって。
神界は何でも思いのままだから、それに溺れて堕落したり、自我的な執着を育てたりしちゃうことがあるらしい。幸せ過ぎてダラケルって感じかな?!

そもそも神通力のあることと、悟りが開けてることは別のことなんだよね。

悟りが開けてる状態とは、神界も含めた六道の転生輪廻の輪からはずれた状態のこと。
次元でいくと、4次元まではまだ【善悪】が存在するので、それを超えた世界である【5次元以上に住まう状態】であるらしい。
光でいうと、【分極しない光の世界】【絶対的愛の世界】とも言う?!

だからお供え持って来ないと怒る神様とか、信者だけ護ってくれる神様というのは、悟りの状態にいらっしゃるとは言えないらしい…


人間は確かに愚かなところもあるけど、本人のやりようによっては、自分育てをして意識を拡大し、ついに5次元の存在に仲間入りできるチャンスのある、
稀有な機会を与えられた状態にいるらしいよ。

だから、チベットのお坊さん、ラマ達は、働くヒマがあったら修行しなさいとまで言うんだって。
人生は短い、与えられたチャンスは短いからまず修行して、残った時間で仕事したり生活したりしなさいって。

まあ現代の日本に生きてる私たちには、そう言われても中々実状にそぐわないことではあるけどね。
だからせめてもこの旅行を楽しもう、輪廻の輪から外れるにしても外れないにしても、十分満喫できたらって思うんだよね。


魂は永遠であっても、この身体でこの環境、家族で生きられるのは1度きり。もちろん時間も1度過ぎ去ったものは2度とは戻らない。
逆に【すべては常ならず。故にまた、救われることも有り。】なんてこともあるわけで…。
だからたかがコーヒー1杯だって、時間のある時だけでも丁寧に淹れて、心から味わって飲むって、意外にスゴイことかもっても思う。


そしてこの、現代ニッポンで、
いつでも、どこでも、何にでも、それくらいの集中した意識を向けて生きられたら、それだけでも大修行、
人生としては大成功なのかもと思ったりするんだけど、いかが?






ハトとルリビタキ

2009-02-01 19:46:09 | Weblog
お昼頃、川原まで散歩に出かけた。
今日は晴天だが風がかなり強かった。
冷たい北風をやり過ごそうと、エスキモーのようなフードのブルゾンを着、めげずに歩いていると、
前方10メートルぐらいのところで、小学校低学年ぐらいの男の子が、道の脇の草むらを覗き込んでいる姿が目に入った。

(何が動物でも見つけたのかな?)と思って目を凝らしていると、次の瞬間、
イキナリ足元にあった石を拾ってその草むらに投げつけた


中から飛び出てきたのは、1羽のキジバトだった。
まさに鳩が豆鉄砲をくらったとはこの事。目をギョロギョロさせてアタフタと必死の形相で飛び立つ。

少年は面白がって更に2度3度、飛び去るハトに石を投げつける。

(まあ!何てこと!!ハトに石を投げるなんて!)

瞬間的に、湧き上がった怒りでいっぱいになった私は、思いっ切り非難を込めて少年をギッと睨んでやった。
私の視線に気づいた少年は、一瞬きまり悪そうな顔をして怯んだが、すぐにまた、次の石を投げた。

近くにいた母親が、やめなさいと言ったが一向お構いなし。



コトの一部始終が行われている間も、普通に歩き続けていた私は、かなりな所まで彼らに近づいていたのだが、
あと少しのところで、草むらから興味を失い再び歩き始めた彼らを追い越すこと叶わず。
嫌々ながら、その後暫らくその背中を見ながら一緒にウオーキングする羽目に陥った。

私の先を歩きながらも私の存在を気にしてか、少年が1~2度振り返る。
コワイおばちゃんと思ったか…。

その様子を見ながら、怒りと非難の気持ちは中々治まらないものの、
同時にいくら腹が立ったからと言え、その感情をそのまま憎悪の視線にして、少年にぶつけた事を後悔している自分に気づき始めた。


(…あの子はきっと何の悪気もなく、ただ単純に驚かすのが面白くてやったことなのだろう…。おそらくは生き物に対する思いやりや愛情の気持ちが、まだ未発達なだけなのだ。

それに母親はただ止めなさいというばかりで、何故それをしてはいけないか、一言も言って聞かせなかった。
それでは子供には、なぜイケナイのか伝わらない。
もし叱る時に、<ハトが可哀想だから>とでも付け加えていれば、それはきっと子供の心の何処かに残っていくだろうに…。
まあ、母親もただ、人目を気にして一応注意しただけのことで、生き物を大切に思う気持ちはなかったのかもしれないけど…。


とは言え、何にせよ、だからと言って、私が少年を睨みつけていいことにはならない。エネルギー的には邪悪な想念をぶつけたことになる。
それは明らかな間違いだ。(あ~あ
私がするべきことは、少年を【非難】することではなく、
突然石を投げつけられどんなにか恐ろしい思いをしたかであろうハトに、せめてもの【癒しの光を送ること】だったのだろう。(反省
もちろん必要があればの話しだが…。


そしてまた、こんな思いも頭をよぎった。


(悪意があろうとなかろうと、自分のしたことは何らかの形で、いつか必ず身に帰る時が来る。それがこの3次元の世界の法則だ。
だからいつかこの少年も、何も自分は悪くないのに、突然、何かしらの危害を加えられる経験をするのかもしれない。そしてその時、多分こう思うのだろう。
《何故、自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか?》と。
だけど、もしそうなったとしても、その時その理由を解ることは、きっとないんだろうなぁ…。)



色んなことをあれこれ考えながら歩き続けていると、何の予告も無しに、川に浮かんでいる鴨の群れめがけ、大きく弧を描いて飛んでいく石が目に入った。

「エッ!」
視線を石の出所辺りに移すと、黒いジャンパーの男が得意げに笑っているのが確認された。そしてそのそばにはあの少年。

事態はすぐに理解された。
あの少年の父親が、鳥を脅かして面白がる遊びを子供にやって見せていたのである。
これではあの少年がハトに石をぶつけても何の不思議もない。
父親は、どうだと言わんばかりの晴れがましい笑顔である。


(父親からして、他の生き物を思いやるという感情の部分が、今のところ未発達なわけなのね。何の悪気もなく面白がってるだけなのが手に取るように伝わってくる。
でもそれはそれ。私は私。
これもきっとご縁なのよ。私が批判の心を捨てて、物事を在るがままに見れるようになる為に、彼らは私に、この状況を味わせてくれたのよ、きっと。


(それにもしかしたら、彼らは動物とのふれ合いとか、心の交流とか経験したことのない人達なのかもしれない。
それを思えば、生き物から沢山の喜びをいただいてる私はなんて幸せ者だろう。
本当にありがたいこと!!



心からそう思ったら嫌な気持ちは吹き飛んで、足取りも軽くなり、やがて川原の道と林の道の二股に分かれているところに辿り着いた。

私は進路を林の道に決め(その家族はそのまま川原の道へ消えていった)幸せな気持ちのままニコニコ歩いていると、
またまた前方に、今度は巨大な望遠レンズ?の付いたカメラを構えて立ち止まってる60代ぐらいのおじさま方を見止めた。

小鳥を撮影されてるようなので、お邪魔をしないように、写真を撮り終わられるのを待とうと後ろに立って見ていると、レンズの先に小さなグレー?!の鳥。

「何を撮られてるんですか?」
小声でそっと聞くと
「ルリビタキ。」との返事。
「青くて美しい鳥でしょう?普通は高山に生息している鳥なんだけど、越冬に降りて来てるんだよ。ここ木曽川でも2年前から、見られるようになってね。」

とそのおじさまは、ご自分のカメラを指さし、デジタル画面に映った小鳥の姿を見せて下さった。

なるほど青いお腹の辺りにオレンジ色もみられる。

「これがルリビタキなんですか!初めて見ました。可愛いですねっ。グレーに見えたのは日影に居たからだったんですね。」

その時、まるでそうだと言わんばかりにルリビタキが日なたに移動してくれたので、肉眼でもその美しい瑠璃色を見ることができた。とても嬉しかった!

それからすぐ足元近くに飛んで来て、暫らくじっとしていてくれたので、私もしゃがんで、携帯でその姿を写真に収めことができた。

十分楽しませてもらったので、
ルリビタキがここに来てくれたこと、人々を幸せにしてくれてることに感謝し、
この森でこの冬を安全に楽しく暮らしますように、護られますようにと祈ってからバイバイと手を振り、そろそろと歩き始めた。

するとそのルリビタキ、急にバタバタと羽ばたいて、何度か枝にとまりながら私の後を追うようについて来る?!。
そして最後に私の身体をかすめるように道をよぎったかと思うと、そのまま反対側の木立の奥へと姿を消して行った。

なんかルリビタキがお見送りしてくれたようで、またまた嬉しかった。
やっぱり私は幸せものだ


このように、1日散歩しただけでも、鳥に石をぶつける人もいれば、わざわざ写真を撮りに訪ねて来ている人もあり。
この川には水鳥も沢山越冬に来てるし色んな小鳥に遭えるので、双眼鏡やカメラを手に、バードウオッチングに来ている人々の方が数としては多いと思うけど、
まるで関心もない人ももちろんいて、ホント人間って様々だとあらためて感じた私です。