Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

おかしな時計。

2008-11-27 20:06:18 | Weblog
例の掛け時計。おととい、時計屋さんに修理に持って行って驚いた。
なんと修理代が18000円ほど、も、かかると言うのだ!おまけに直ってくるまでに1ヶ月!!だって。

振り子付きのオルゴール時計は、今はメーカー修理しか対応できないらしく、そうなるとそれなりに費用がかかるとのコト。
家を新築した時、お祝いでいただいたお金で買ったので、フンパツして良い品を買ったのが、この後に及んではアダとなり、修理費もよりハイクラスになってしまうとのことだった。
そんなに掛かるとは、考えてもいなかったのでさすがに即決できず、一旦家に持ち帰ることにした。

(それだけのお金を出せば、新しい時計が買える。でもお祝いでいただいた物に違いないし、修理すれば直るものを捨てる気にはなれない…。
然しながら1ヶ月は長すぎる…。)

いろいろ考え、家族でも相談し、やっぱり時計は高くても直すことにして、戻ってくるまでの1か月間は目覚まし時計をリビングに置くことで合意に達した。


そしてその翌日の朝、止まった時計を風呂敷に包みながら、時計の壊れた理由について、私なりに思い至ったことを夫に話していた時のこと…。

「あのね、うちの時計、今までは20分も時間を進めてあったじゃない?!みんな寝坊だったり、ノロかったりで、遅刻しないように。でもさ、もうこれからは、進めないでちゃんと正時間に合わせなさいってことなんじゃないかな?!
ごまかしの時間じゃなく、正時間に合わせて生活しなさいってお知らせじゃないかと思うの。この次元の、『社会』の単位である時間にも、ちゃんと同調することが、『今ココに生きる』ことになる訳だもんね。肉体のある身としては、きっとそれも大切なことなのよ…。」

…そう言い終わった途端、突然止まっていた時計のオルゴールが鳴り響き、カチカチと時計が動き出した。

(なんで…?!)

そして、それから暫らく何事もなかったように時を刻み、30分程して再び突然止まってしまった。


その後そのまま、ダイニングテーブルの上に置いてあるのだが、何もしていないのに、突然動いたり止まったりを繰り返している。? ? ?


今まで時計は、壊れたら壊れたまま、止まったら止まったままだと思っていたのだけど、その認識が誤りだったのかしらん…?


明日には再度時計屋さんに行く予定のこの時計。
普通に修理されて戻ってくるのを願っています。


破壊魔。

2008-11-25 14:38:29 | Weblog
かねてより、『破壊魔』の異名をとる私である。
特に電化製品の破壊を得意としている。原因は不明のことが多い。

特にここ2~3日はひどかった。(ナニが…?!)


前兆として、3週間ほど前、家を新築した8年前に購入した掛時計が、突然止まっていた。
電池切れかと思い交換したが、動かない。色々やってみたが動かない。ついに寿命かとため息をつき、夜までそのまま放かっておくことに。

オルゴールの音がキレイなところが気に入っており、壊れちゃったんだとがっかりしながらその夜、仕事より帰宅した夫にコトの次第を説明した。

するとどれどれと言って時計を診ていた夫。と、暫らくしてこともなげに、「直ったぞ」の一言。
「へっ!?」と目が点の私。
聞けば、別段何をしたわけでもなく、電池を1度取り外して入れ直したら、動いたらしい。
「なんで~?!私が触った時はうんともちゅんとも言わなかったのにぃ!!」と騒いでいたら、「壊すの名人だもんな。」と言われた。…悔しい。

でもよくあるコトなので、なんとも反論できない。


そして一昨日。

どうにも体が、重くだるい。珍しく頭もグヮ~ンとして痛い。

これはもしやと、【13の月の暦】を見て納得した。
【青い嵐の日】だったのだ。この日は浄化のエネルギーが激しく、説明では【すべてのものを焼き尽くして灰にするほどの、強い破壊の力】

まあ、同じ浄化でも水よりずっと激しくて、時には骨まで白い灰にしてしまうようなパワーのある日なのだ。とはいえ、20日に1回は周ってくるわけだから、毎回そんな強力な影響を受けるわけでないけど、今回は新たな260日周期に入ってから初めての【青い嵐の日】(←マヤンオラクルでは、【カウアク】で【雷】の意味)だったのでいつもより強く受けたのかもしれない。


そして(話をもとに戻すが、)その日のお昼ごろ、ふと見ると、再び時計が止まっていた…。
(正確にはとてもノロ~く動いていたのだが…。)


今度は夜に夫が触っても、一旦は直ったものの、やっぱり翌日には遅れ出した。
『一旦は直る』というのも不思議だけどね。


そして時を同じくして、息子の部屋の鳩時計も止まった。(これは電池切れの可能性大だけど、とても高いところにあるので、椅子の上に乗っても、180cm超の息子でなければ手が届かない。よってまだ確認できていない。息子が大変物臭で、ちっとも直そうとしないせい。そろそろ蹴りを入れてやらなきゃ!)

他には、電球を1つ(←スイッチを入れた途端、バシッ!とふっ飛んだ)、お皿2枚を破損。

↑こうやって書いてみると、思ってたほどそんなに大したこともないかな…。
その他細かい物は、多々壊しているのだけれど、しょっちゅうなので、忘れてしまっているという事もあり…。


まあ何が言いたいかといえば、こうして様々なものが壊れたお陰で?、今日は晴ればれ!まるでその前のことがウソのように、体も元気で気持ちがいい!

今日は【赤い龍】の日で【創始】のエネルギー。

最近は気のせいでなく、本人の意思を無視して、体から出来事からすべて、この【13の月の暦】に同期しているみたいなのだ。
数年前から、氏神さまはじめ、日本古来の神様から指示されることに関しては、いつもこの暦とシンクロしていたので、なるほど地球はもう4次元?で動いているのねと思っていたけど、ここへ来て、人間である私もそのリズムやエネルギーに多大なる影響を受けているようなのである。
多分私だけでなく、【大勢が】なんだと思う。

それが何だと言われれば、『何でしょう?!』としか言えないけど、人間が作り出した時間に縛られずに、宇宙のリズムに同期しながら生きられ始めてるんだとしたら、それは嬉しいことかな。

だってその方が自然だと思うし、きっと楽に呼吸していられる。
世間では、息をすることさえ忘れて生きている人もいるのだろうし…。多分そういう人達は、自分が、何故そんなに辛くて苦しいのかも分からず生きているから、気の毒だよね。

というわけで、今日はこれから時計屋さんに行って、修理のお願いをしてみるつもり。よく考えたら、息子の鳩時計なんて、彼の1歳の誕生日におばあちゃんが買ってくれたものだから、そろそろ15~6年動いているわけで、それが現役なんだから、この時計さんにも頑張ってもらわなきゃね。

然しながら、『破壊魔』の汚名?を返上できる日は来るのか。
出来ればもっとイイ異名をとりたいものだ。ねっ。



神ごと。

2008-11-20 21:22:38 | Weblog
最近でこそ「神ごとって一体何?!」の世界でなくなったけど、10年ほど前までは、神様がいるってことさえ知らなかった私。もちろん神事(しんじ)など知ろうはずもなく、興味もなかった。
前も書いたけど、その後次第に、日々色んな摩訶不思議な出来事が起こるようになり、それに巻き込まれて行く内に、学ばせてもらったことばかりなので、今でも神様については、普通は当然知っている様な些細なことを知らなかったりもする。まあ、学んだと言っても、せいぜいちょっとカジッタぐらいだしね。

もちろん私は神主さんではないので、神事(しんじ)など一つも出来ないし、祝詞もちゃんとしたのを聞いたのは、七五三の時など数回だけ。もちろん唱えられようもない。だって読み方もよく分からないんだもの。


なのに先日戸隠に行く時、ついに祝詞集なるものを購入してしまった。
大祓いの祝詞が必要な気がしたからだ。
今までは自分の言葉で祈るだけだったんだけどね。

とは言え、どこで売ってるのか全く分からなかったので、結局ネットで検索して【仏壇屋さん】から手にいれた。そのせいかどうか分からないけど、最後に【般若心経】もついていたお得な祝詞集だった~いやいや~、【お稲荷さん】の祝詞はあったけど、【龍神祝詞】は載っていなかったので何とも…。【かまどの神様】の祝詞まで付いていたのに何故【龍神】がないのか不思議といえば不思議…。

注文したのが旅行のつい3~4日前だったので、必ず持って行くのに間に合うようにお届け日の指定までした私。【仏壇やさん】も丁寧に梱包して、すみやかに送って下さいました。感謝。


そうまでして手に入れた祝詞。それで、実際現地で『大祓いの祝詞』の出番はあったのか?!  

ジャン!!  答えは『▲』でした~。
あるにはあったけど、それよりもっと活躍したのが、(これも初めて知ったものだが)『ひふみ祝詞』というのが正解。

こっちの方が断然短くて簡単なので、他の観光客の手前、利用頻度大に。
これだってブツブツ唱えてれば、ハタから見て十分変な人だろうけど、(※最近は人にどう思われようと自分は平気になってる)が、周りの人の迷惑を考えると中々に良かったと言える。
だいたい私は『大祓いの祝詞』の節回し?とか分かんないから、もし人目もはばからず読み上げていたら、まちがいだらけで、余計怪しい人に思われたと思う。


『ひふみ祝詞』は膨大な光を呼び込む言霊なので、パワフルな浄化のツールになるらしい。祝詞集をネットで探していて、初めてその存在を知り、実際唱えてみたら効果があったので早速使わせていただくことにしたのだ。
だから本当をいうと、ほとんど何の知識もない。いつもと同じ…。こんなんでイイのか…?これでいいのだ!(←誰?)…ホント?!

ともかくそれ以来、ちょっとしたことにも、活用させていただいている。先日も仕事から帰った夫の隣に立ったら、突然左足首が痛くなったので、早速唱えてみたらスッと痛みが消えた。おお~『ひふみ祝詞』素晴らし下手な除霊より早いかもしれない。神様ありがとうですね。


さて、その『ひふみ祝詞』ですが、私は友人に教えてもらった、『アルクトゥルスの光速前進』というサイトに紹介されていた『ひふみ祝詞』を実践してみました。興味のある方は、サイトを除いてみてね。何事も縁ですから。労力を惜しまず動くこと大事ですよ。なんちゃって。


それで実際戸隠で、何に祝詞を奏上したかというと、それが、書けない。
書こうとすると制限が掛かるので、許可が下りてないと知るのだ。

こういうことは結構あって、いわゆる『神ごと』にも情報制限があるのだなあと思うのであった。理由は人間の私にはぜんぜん教えてもらえないけどね。
かと思えば、8月の常陸参りの時のように、事細かにあった事すべてを書くまで終わらせてもらえない時もあるのだけれど…。
まあ、今回は『自分ごと』大で、神様に頼まれて行ったわけでもないから、ことさらにシェアすることもないという事かも。


何のかんのと今日も無事1日が、ほぼ終わりになりました。
きのう今日と、急に寒くなったので、早速居間に石油ストーブさんが登場しています。やっぱり暖か~い。寒い日に、スートーブの火がチロチロ燃えるのを見ながら、抹茶オーレなんぞを飲む至福…。ありがたいことです。










思い立ったが吉日。

2008-11-14 12:46:14 | Weblog
子供の頃から、これだけは座右の銘?にしている。
要は、『何でも思いついたり、目についたりしたことは、すぐ実行する』こと。(本当の意味は、それで合ってるのかどうか定かでないけど、ここではそういうことにしてね。)

日々、『生きる』ということは、実際めんどくさいことばかり。(と思うのは私だけでしょうか…)

ご飯を食べれば当然片付けねばならず、生活していれば掃除が必要という具合に、様々細々色んなやるべき事?が目白押し。

そんな中で優先順位をつけて、効率良くこなしていくのも手だとは思うけど、私はとかく忘れっぽいので、自分を叱咤激励し、(←そんな大したことか?!)
ともかく『気づいたことは気づいた時がやりどき』と思ってコトに当たっている。

まあ、家事で言えば照明器具の傘の埃を拭くとか、押入れの整理をするとか…そんな程度のことですが…でもバカにすることなかれ。結構たまれば大きいんだから。


何でも一度気づいたことというのは、それが解決されるまでは、ずっとそこにエネルギーが向け続けられるそうで、
「あっ、あれやってない。」とか「あれ、何とかしなきゃ」と思う度に、100%ココにあるべき自分のエネルギーがそっちに流れてしまい、無駄に消失してしまうらしい。
だから、やりかけの仕事とか、なかなか着手できてないことなんかがあると、その未処理の事柄の数だけ、エネルギーが四方に飛び散り、
例えば細かい穴の開いたバケツで水を汲んでるみたいな状態になるわけ。
これってあまりよろしくない状態でしょ?!
だって、今やりたいことが『水を汲むこと』なのに、
ホントは1回で終わらせられる所が、何度も何度も汲み直さないといけなくなるってことよ?!
穴開いてんだもん、ザ~ザカ漏れちゃうじゃん。


と言うわけで、常に何でも気がついた時に、その場でできる限り取り組んで、実行して行くように心がけるのがイイようです。
何でも、後回しにしないこと。
これって『今に生きる』ことにもなると思うし、集中するので、結局最短の時間と労力で処理できることになるんでないかな?
そうすると本当にやりたいことに、必要なエネルギーが十分かけられるようになって、結果オーライになると思うのです。
もちろん自分のやりたいことを実現させる時にも、これは大事なことだと思いますしね。

でも正直言って、どうにもめんどくさいこともあるし、物理的に無理な時もあります…。
ポイントはですね、『心がける』ことと『完璧を目指さない』ことだと思うのですがいかがでしょう。

苦手なコトに鍵がある。

2008-11-09 23:08:31 | Weblog
少なくても私の場合、今までずっと、このパターンが続いている。

例えば縫い物。
子供の頃から大ッキライ!!(だった…)

中1の家庭科でブラウスを作った時などは、糸を切ろうとして誤って布地にハサミを入れてしまい、背中に修復不可能な穴を開けてしまったことも…。

そんな私をよく知る母は、「あんたがキルトするなんて、今でも信じられない…!」と、作品ができる度に首を傾げている。
いいのよ、何とでも言って。私だってびっくりよ。


そもそも何故、ハワイアンキルトを習い始めたかといえば、ハワイに憧れ、ハワイアンキルトのクッションが欲しいと思ったところが、当時は売っておらず、
ならばと通販で自分で作る用のキットを購入したのに、説明書を読んだだけでは、全く作れなかったことによる。

仕方なく、一大決心をして(教室までは、車で高速を運転して通わなくてはならなかった…。それまでそんな経験はなし。これだけでも大冒険!)
名古屋までの片道1時間の道のりを、必死の運転で通い始めたのが6年前。
以来、1年ほど都合によりお休みした時期があったものの、未だに習っているのだ。



もともと「キルティングってどうするの?!」の状態で教室に入った私だったので、最初は玉止めの仕方から教えてもらった。
入ってから気づいたのだが、私以外の人は、ハワイアンキルトが始めてなだけで、キルトは経験者のようで、全くの初心者は私だけ…。
他の人と違って、私は縫い目もボロボロだし、針は何本も折るし、作業はノロイしで、慣れるまでは、さんざん、泣き泣きだった。
でもどうしても、クッションが欲しかったので、何度か挫けそうになりながらも、ついには完成させることができたのだ。(※注 初級クラスで最初に習うのは、クッション)
物欲の塊というか、執念の結果と言うか…。

出来上がった私のクッションは、ほんとに縫い目もガタガタで、人に見せられるような代物ではなかったけど、完成させることができたことが、自分でまず驚きだった。
思えばキルティングが上手く出来なくて、4本目の針を折った時など、(←下手な人が無理に針を使うと折れることがある。)
「絶対私には無理!出来るようになんてなれそうもない!みんなはどうしてできるんだろう…」と悲嘆にくれたのがウソのよう!!

何度も手に針を刺してしまいながらの制作だったので、所々血のシミがついた作品になってしまったが、
どんなに出来が悪くても、私はとても嬉しかったし、自分に対する自信にも繋がった。ともかく完成したのだ。私だってやればできる!!(どんなにレベルは低くても…。)
後日、まあまあ人並みに縫えるようになった私をみて、どんなに先生が褒めてくれたことか…。相当ひどかったのを知ってるからこそだよね。


そしてそれから、私のハワイアンキルト人生が始まったのである。
というのは大げさだけど、小物からベッドカバーに至るまで、課題の作品やキット商品など様々なものを、これまでそれなりに作ってきた。
やり出す前には、すごく苦手だと思ってたことから、こんなに世界が開けるとは思ってなかった。
まず楽しい。(それも驚き?!)そして少しずつでもやり続ければ形になること、その喜び達成感などを、実感することができた。


実際ベッドカバーなどは、毎日1時間づつ針を持って、完成までに2年ほどかかっている。
ハワイアンキルトは、基本的に全部手縫いなので、途方もなく時間と手間がかかるのだ。
あれを一遍にやろうと思ったら、誰でもまず、絶対出来ないと思うだろう。
でもそれが、根気よくコツコツやると、ちゃんといつか完成されるのである。
塵も積もれば山となるという諺があるけど、まさにそんな感じ。

そしてそこにあるもの、キルトに込められてるものは、時間と愛情なのだ。

それが証拠?に、普段ろくろく口も聞かないうちの息子が、私が何も言わないのに自分からそのキルトにくるまって毎日寝ているのである。
確かに人が手で作った物には、暖かさや居心地の良さなど、その物以上のものが宿るのだろうという気がする。



そんなこんなで、今は目出度く中級になり、簡単なことだったら、初級の生徒さんにアドバイスできるくらいになった私。(威張ってもイイ?!)

『継続は力なり』とか『根気』とか『時間を形にする喜び?』なんてのも身につき、我ながらイイ経験をさせて貰っていると思う。

何でもやってみなきゃ分かんないもんだね。ちょとした小物の仕立てやミシンかけなんぞもササッと出来るようになったし、
本を見ただけで大体の作り方もわかるようになったりで、私にしてはスゴ~い進歩。


最近は洋裁にも少し興味が出てきたし、この先本格的な刺繍も、習ってみようかと思っているところ。
自分では気がついていなかったのだけど、もともと『布』が好きだったようで、染めにも興味があるので、
その内、色んなものを組み合わせて、自分のオリジナルな何かを作ってみるのも、面白いかもと思ってみたりしている。



と言うわけで今日は、『苦手に思ってることから、意外に何かが広がっていくこともあるよ』というお話でした。

毎日、何だかツマラナイと思っている方、自分が普段避けていることを思い切ってやってみると、面白い展開がみられるかもしれませんよ






幸せを感じる時。

2008-11-06 22:23:44 | Weblog
の前に、戸隠より戻りました~のご報告を少し。

まあいつもの如くいろいろあったんだけど、楽しかったんだけど、
今回は神行ではなく自分ごとだったので、特にここでシェアさせてもらうほどのことはないのですが、
奥宮の隣にある九頭龍神社で、友人が龍神祝詞をあげた時、突然ものすごい風が吹き出したのは面白かったですね。

『そなた達の祈り、まことに殊勝である。』とか言われちゃったし。お喜びいただいてたみたい。

あと中宮だけで限定販売されている、龍の描かれた金色のお守り。
思わずみんなで買っちゃいました。いかにもご利益ありそうな感じで、(ご利益は開運と金運上昇だったっけかな?)
本殿の天井に描かれている龍の姿を写したもので、中々に良しでした。


戸隠は先入感なく、直接行って見て感じていただきたい所なので、ここらで私の感想は止めときますね。
実際自分で体験するのが一番ですもの。



さて、今日もいいお天気でした。
ので、朝から洗濯機を3回ほどまわして、布団カバーやシーツなどもお洗濯。

麻の枕カバーはそのまま干しても良かったんだけど、やっぱりシャリッとさせたいなと思いアイロンがけ。


お昼前のひととき、夏よりずっと柔らかになった日差しが入る窓辺で、いつものようにアイロンをかける…。
脱水した後すぐにアイロンをかけると、簡単にシワがのびキレイに仕上がるので、私はいつもこの方法。

熱くなったアイロンを布の上に滑らすと、蒸気と共に洗剤のフローラルで清潔な香りが立ち上り、シワガとれて布面がするするになっていく…。

「ああ~幸せ…。」


最近の私の幸せってこんな感じです。ささやかでしょ?!

『穏やかな時間、静けさ、平安。』
『小鳥の声、木々の香り、お日さまの暖かさ、時には雨の音。』
『深呼吸できる幸せ、体の動く幸せ。家族のために何かできる幸せ…。』


本当は幸せは、日々、日常の中に誰でも沢山溢れている。
でもそれに気づけないこと多々あり。それは何故か…?


(…あのね、母なる神の愛に繋がってないと、天のギフトを受け取れず、父なる神の愛と繋がってないと、天が私達に、常にギフトを与えてくれてるのを、信じられないんだって。)

私は自分で経験したので、それが真実だと知っている。
誰でも天にとても愛されていて、それに気づいてその繋がりにちゃんと接続していると(←多くの人は、何らかの理由でその繋がりが断たれている可能性大。)
特別なことがなくても、普通にしてて幸せを感じられるようになるらしいのですね。


大抵の場合、自分がどういう状態なのか、自分ではわからないことが多いので厄介なんだけど、実は簡単なことだったりするわけなのです。


なんちゃって。


ともかくいつ何が起こっても可笑しくない世の中で、一層『今』を大事にするべき時を私たちは生きているのかもしれません。
『明日』や『いつか』を頼みにするのでなく、今やりたいこと、やってみたいこと、できることはドンドンやってみること。それが今の私のモットーです。