臨床現場の言語聴覚士(ST)

臨床現場の言語聴覚士(ST)のブログ、です。
摂食・嚥下障害や高次脳機能障害などについて考察します。

自信喪失③

2008年03月30日 | Weblog
タイトルにもあるが、自信喪失中である。

基本的に、STは忙しくないほうが良いと考えている。

摂食・嚥下障害や構音障害は、人間に特有の呼吸・嚥下・発声を口腔周囲で行っていることに起因しており、目的地にはやく行きたいから飛行機で、という訳にはいかない。

つまり、逃れられない(胃ろうなどを考えなければ)。

失語症にしても、言語を話すことに関しては、人間しか話せる口腔器官や脳を持っていないこともあり、いわゆる動物実験で回復起序の研究が行いにくく、また、剖検では、言語症状と病巣の関係性をリアルタイムに照合出来ない。光トポグラフなどの検査所見もあるものの、大脳の表層しか分からず、なかなか全体的な観察が困難のように思われる。

しかし、なかなかSTリハビリに、希望が見出せないことに自信喪失しているのではない。

例えるなら、手にすくった砂が、こぼれ落ちるのを、どこまで防ぐべきか?で悩んでいる。

特に嚥下は、ターミナルと直結している。

QOLを考えなければ、食思不振でも、熱発でも、経鼻などで栄養補給できて、とくに食事介助も必要ない。

こうした経口摂取の判断場面で、STとしてどう関わるのか。

もう関係ない、と関わらないのか。

多分、STとして、というよりも、どう物事を考えるか、といったことによって、関わり方が変わるのだろう。

人間性がどうだ、こうだ、とここで性善説などを引っ張り出すつもりは全く無い。

そのまえに、STとして、今の自分に出来ること、出来ないことを判断して提供するリハビリを組み立てたり、普段からスタッフの力量を見極めておいて、ここから先はSTが診る、といった判断を下すべきだろう。

そう言っている自分が、出来ていないのだが。

評価する、のは良いのだが、出来ないとわかっていることを、良く出来る保障もないのに強いるのは、どうも心情的に強制しにくい。

ST学生の頃は、評価して、計画したリハを実施し、再評価することが仕事だと考えていたが、そうではない。

生活の一部として、リハビリがあり(もしくはリハビリを受けさせられ)、それが延々と続いていく事は、例えば平均寿命や生活歴を念頭に置くことの大切さに繋がっていく。

女性で70歳、CVA後、認知症といった場合、平均寿命を考えて、あと15年はある。

その間、地域で継続的なリハが提供出来るか、をまず考えなくてはならない。

自分の属する施設でのリハが終わりで、全て終わり、ではない。

ひるがえって、STだから頭頸部だけ診ていれば良い時代は、終わっている。

頭頸部のリハは専門分野なので、出来て当たり前だが、診る範囲は、可能な限り、全身を診れるようにしたい。

ただし、普通は全身を診る訓練を受けていないので、臨床に出てから、機会を見つけて、問題意識を持って勉強する必要がある。

試練であるが、乗り越えたい試練である。

そうすれば、のちのちの摂食・嚥下領域の認定ST取得時にも役に立つだろう。

自信喪失②

2008年03月29日 | Weblog
因子が多すぎる。

もっとシンプルに考えて、STを行いたいのだが、そうは上手くいかない。

こちらの評価以前に、余裕がない状態の方が多い。

AもBも、両方の選択肢をとってあげたいのはやまやまでも、どちらかだけ、という場合がある。

そうした場合に、腕があれば、可能になるのかもしれない。

担当のSTが違うと、予後も違う、のだ。

自信喪失①

2008年03月28日 | Weblog
人間は、誤嚥する動物である、と分かってはいるのだが。

脳血管障害型やアルツハイマー型の認知症で、先行期が…だったり、普通だったら胃瘻のレベルの方々が、経口摂取するのは、とてもハイリスクだ。

傾眠状態なら食べない、と教科書には書いてあるが、そうなると、食べれない人ばかりになってしまう現状。

これがまた、閉口状態なら物理的に入らないのだが、閉眼でも気配で分かるのか、口にスプーンが近づくもしくは、口に触れたりして、開口される場合が多い。

療養病床の削減がもうじき、本格化するのだろうが、目の前の現実世界では、すでに先取りして、普通だったら胃ろうだったり、顕性や誤嚥性の肺炎で既にターミナル状態の方々と、どう向き合っていくのか、をマネージメントしなくてはいけない。

いま、嚥下障害を診る、ということは、食べれて良かった、さぁおしまい、では無く、いつ食べるのを止めるべきか、を念頭に置かなくてはならないだろう。

○○度ギャッジアップ、一口ごとの嚥下を確認して下さい、で話しが済めば、よいのだが。

CVA後に、1週間だけ食べれて、肺炎になって、胃ろうになって、さようなら、って、どうなのだろうか。

何を評価したのだろうか。

食べることと、安全に食べることは、違う。

残念ながら、食べる楽しみと安全な経口摂取の両立を、同時に選択出来ない病態は存在する。

一旦、安全第一で”嵐”をやり過ごし、天候回復を待つ間に、次の出航に備えて、地道な訓練を行い、出航出来る日を待つ、というのも、立派な方策だと思うのだが。

食べたいから食べてもらいました、肺炎です、では、無責任だろう。

せめて、経口摂取OKと判断して、経口摂取による誤嚥性肺炎にしたのなら、少しでも、軽減出来るように介入するべきだ。

そのためには、原因が経口摂取にあると判断が出来なくてはならない。

発熱があったとして、それが経口摂取による誤嚥性肺炎なのか、唾液の誤嚥による不顕性の誤嚥性肺炎なのか、尿路感染症なのか、自律神経系の体温調整がうまくいかないことによる発熱なのか、食事摂取に伴う発熱なのか、脱水、外気温の上昇などなど思いつくだけでも、様々な発熱の原因がある。

そうした原因の鑑別に関心を持たなくては、熱発の原因が分からない。

原因が分からなくては、介入しようが無い。

下手に介入して、悪くするのなら、介入しないべきでは?

そうした反省から謙虚に学ぶ事が、必要不可欠だ。

でないと、延々と被害者を製造し続けることになる。

どれだけ代償を支払ったか⑤

2008年03月12日 | Weblog
最近、聴診をせざるを得ないことが多い。

頚部聴診だけではなく、いわゆる肺野の聴診をする必要が高いことが多い。

理由は、誤嚥性肺炎が多いからである。

かなり昔から、肺炎は老人の友、であったが、今もそれは基本的には変わっていない。

そのことを念頭に置いて、嚥下障害や呼吸を見る必要がある。

聴診で、何を聞くのか。

自分の場合、呼吸の音なのだが、これが本当に難しい。

意外な盲点として、聴診器の選び方もある。

なかなか、こうした文字情報で、聴診のコツを説明するのは難しい気がする。

このへんは、こういう音がするはず、というのをまず、おさえてみると良いかもしれない。

頚部聴診なら、STは得意だろう。

それを少し、下でもやってみる。

少しずつ、音が小さくなるのではないだろうか。

気管支は、どの辺りで分岐しているのだろうか。

更にその先は?

ここからは、残念ながら、解剖が絡んでくるので、この辺りまでの聴診をまず、押さえよう。

それから、次のステップに進むことをお勧めする。

いきなり、きちんとしたフィジカルアセスメントを取ろうとしても、多分、難しいと思うので。

自分の場合、今のスタイルで聴診することが出来るようになるまで、3年近くの年月と、様々な解剖学の知識、研修会参加などが必要だった。

あと、聴診器も吟味しなくてはならない。

先程述べた辺りまでの聴診なら、健常人の深呼吸であれば、わりあい分かるのではないだろうか。

ただし、いわゆる寝たきりの方々の場合で、肺活量が少ない場合、本当に聴こえにくい事が多い。

そうなると、聴こえる聴診器が必要となる。

また、必要な音を選択できる耳も必要である。

カクテル・パーティー効果、である。

心音、腸音、体を通じて聞こえてくる外界の音(テレビ、換気扇、人の声など)などから、欲しい音(この場合は肺の音)を選別できなくてはならない。

残念ながら、きちんと聴診器を当てることがまず、難しいことも多いのだが。

きちんと使えると、色々な情報を取れる。

折角なので、もう少し。

肺の音が聞こえるのは、どうしてなのか、と、無気肺の関係が分かると、いいと思う。

どう治療すれば良いのか、が分かると思うので。