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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

阪堺電気軌道 東湊停留場!

2020年09月24日 | 

大阪府堺市堺区にある東湊停留場は、恵美須町停留場から浜寺駅前停留場までを結んでいる阪堺電気軌道阪堺線(14,1km)の停留場として、1912(明治45)年4月1日に開業しました。

踏切を挟んで千鳥式に配置された単式ホーム2面2線を有します。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は877人で、これは阪堺線の全31駅中4位です。

  <東湊停留場の年表>

 ・1911(明治44)年12月1日:阪堺電気軌道(初代)の停留場として開業
 ・1915(大正4)年6月21日:阪堺電気軌道が南海鉄道と合併したことにより、南海鉄道の所属となる
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により、南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の所属となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に分離譲渡したことにより、同鉄道の所属となる
 ・1980(昭和55)年12月1日:南海電気鉄道が阪堺線と上町線の軌道事業を阪堺電気軌道(2代目)に譲渡したことにより、同社の所属となる
 ・2012(平成24)年3月:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(浜寺駅前方面を望む)

 
(恵美須町方面を望む)

 
(浜寺方面行きホーム)

 
(恵美須町方面行きホーム)


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山陰本線 居組駅(旧駅舎)!

2020年09月23日 | 

兵庫県美方郡新温泉町居組字大坂にあるJR西日本の居組駅は、京都駅から山陰地方の日本海沿岸の各都市を経由して下関市の幡生駅に至る全長673.8kmの山陰本線の一般駅として、1911(明治44)年11月10日に開業しました。

かつては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有していて列車交換も可能でしたが、その後、3番線のポイントが撤去され、さらに2008(平成20)年3月15日のダイヤ改正で2番線ホームと跨線橋が閉鎖されたので、現在は鳥取方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、2019年に新しい簡易駅舎に建て替えられました。

居組駅の利用者は少なく、2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は18人で、これは起終点駅を除く山陰本線の全158駅中148位です。

この居組駅は、兵庫県に所在する山陰本線の駅としては起点から見て最後の駅です。

居組駅が属する山陰本線は、京都市の今日と駅から西方向へ延び、丹波・但馬・山陰地方の各都市を経て下関市の幡生駅に至る路線で、新幹線を除くJR線の在来線としては日本最長です。しかしながら、起点から終点までを通して走る優等列車の設定が史上一度もない本線の一つとなっています。これは、区間によって乗客の流動に大きな偏りがあり、東西方向の交流が必ずしも盛んでないことや、かつての国鉄(日本国有鉄道)や現在のJR西日本が、山陽新幹線開業以降、山陰本線沿いの各都市から直接山陽新幹線に至る路線(陰陽連絡路線)を強化してきた結果です。

  <居組駅の年表>

 ・1912(明治44)年11月10日:国鉄山陰本線の一般駅として開業
 ・1971(昭和46)年4月1日:貨物取扱い廃止
 ・1983(昭和58)年4月4日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年6月1日:鉄道部制度の発足に伴い、福知山支社の直轄から豊岡鉄道部の管轄に変更される
 ・2008(平成20)年3月15日:2番線ホームと跨線橋を閉鎖
 ・2010(平成22)年6月1日:豊岡鉄道部が廃止され、福知山支社の直轄になる
 ・2012(平成24)年3月17日:ダイヤ改正により、普通列車の一部が通過となる
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2013(平成25)年9月 :跨線橋が撤去される
 ・2018(平成30)年11月 :旧駅舎の解体工事が始まる
 ・2019(平成31)年3月 :新駅舎が完成

 
(駅 名 標)

 
(鳥取方面を望む)

 
(居組駅旧駅舎・ホーム側)

 
(居組駅旧駅舎)

 
(旧駅舎内)


 撮影年月日:2016(平成28)年6月17日


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今日はバスの日!

2020年09月20日 | 今日は何の日

9月20日はバスの日です!

1903(明治36)年の今日(9月20日)、福井九兵衛と坪井清兵衛の2人によって創業された二井商会という会社が、京都市の堀川中立売~七條駅間、堀川中立売~祇園間で、蒸気自動車を改良した6人乗り(運転手、助手、乗客4名)の乗合自動車(幌なし)を使用して日本で初めてバスの営業を始めました

しかし、まだ明治時代のこの頃は、ライバルの乗合馬車屋からの妨害があったり、また車両の故障も多かったため、本格的なバス営業の継続は難しく、この二井商会はせっかくバス営業を始めたにもかかわらず、翌1904(明治37)年1月には経営破綻してバス営業を終えました。

1987(昭和62)年の10月に開かれた全国バス事業者大会で、日本で初めてバスが走った9月20日を記念して「バスの日」と定めました。

毎年この日の前後には、バスが安全・安心で環境に優しく、暮らしに便利な公共交通機関であることを利用者に理解していただくとともに、バス運転者の担い手不足を背景とした業界のイメージアップ、将来の担い手となる子供との交流などを目的として、全国各地でバスに関するさまざまなイベントが行われています。

バスの起源は17世紀にフランスのブレーズ・パスカルが考案した「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車で、前部に馬を操縦するための運転席を、後部に人員を輸送するための客室を備えていました。 比較的安価な運賃で利用でき、一定の経路を時刻表にしたがって運行するなど現代のバスと共通する特徴を持っていました。
そして、19世紀末頃までバスの車両は馬車によるものが一般的でしたが、自動車が発明されてからは専ら自動車が用いられることが多くなり、20世紀に入ってからは世界的に自動車によるバスが一般的となりました。 

ちなみに、バスの語源については、ラテン語で、「すべての人のために」という意味のomnibus(オムニバス)から来ています


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今日は遺品整理の日!

2020年09月19日 | 今日は何の日

9月19日は遺品整理の日です。

大阪府箕面市に本社を置き、梱包事業、給食事業、生花事業、産直市場など、さまざまな事業を展開する株式会社アヴァックが、秋の彼岸の月である9月に祖先を供養するとともに、故人の遺品も供養して整理し、遺族に新たな一歩を踏み出すきっかけの日にして欲しいとの願いを込めて、9月19日を「遺品整理の日」に制定しました。

日付は、依頼された遺品の整理をすぐ「ク(9)イック(19)」にするという意味から、この日になりました。

遺品は、はいわゆる遺産の内でも動産など物品全般を指しますが、こと故人が生前に使用していた生活雑貨や衣類・家具・家電製品など古物としては財産価値の薄い物品も含まれ、この故人の残した遺品を整理することを遺品整理といいます。

そして、故人の遺品を遺族で分け合うことを形見分けと呼び、急な出来事の場合、あるいは借家や賃貸アパートなど賃貸住宅を明け渡さなくてはならないような場合は、葬儀などの法事が終わってから、直ちに遺品整理・処分にかかることが多いです。
しかし、少子高齢化・核家族化を背景に、独居老人の孤独死が社会問題化し、家具や生活用品が大量に残された状態で住人が亡くなった場合、残された遺族には遺品の整理と廃棄が負担となるケースも増えてきています。

遺品整理の外部委託先としては、便利屋、特殊清掃業務会社、遺品整理専門会社などがあり、また、一般社団法人遺品整理士認定協会による発給する遺品整理士という民間資格もあります。


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京阪電鉄宇治線 桃山南口駅!

2020年09月18日 | 

京都府京都市伏見区桃山町丹後にある桃山南口駅は、中書島駅から宇治駅までを結んでいる京阪電鉄(初代)宇治線(7.6km)の御陵前駅として、1913(大正2)年6月1日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する有人駅です。
上り・下りそれぞれのホームの宇治寄りに駅舎(改札口)がありますが、改札内で上下線ホーム同士の移動はできません。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は4,738人で、これは起終点駅を含む宇治線の全8駅中6位です。

当駅は、1913(大正2)年7月に桃山御陵で予定された「明治天皇御1年祭」の参拝者輸送の目的で開設された駅です。

桃山南口駅が属する京阪電鉄宇治線は、京都・大阪から宇治周辺の名所への行楽路線であり、また京都市伏見区・山科区南部や宇治市北部の宇治川右岸と京都市中心部や大阪方面を結ぶ通勤・通学路線でもあるります。そして、六地蔵駅~宇治駅間が西日本旅客鉄道(JR西日本)の奈良線と並行しています。

  <桃山南口駅の年表>

 ・1913(大正2)年6月1日:京阪電鉄(初代)宇治線の御陵前駅として開業
 ・1914(大正3)年9月 :貨物取扱い開始
 ・1934(昭和9)年9月21日:室戸台風が来襲し、停電と浸水で全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1934((昭和9)年9月27日:営業再開
 ・1935(昭和10)年6月29日:山科川が氾濫で浸水して全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1935(昭和10)年7月1日:営業再開
 ・1935(昭和10)年8月11日:宇治川が氾濫で浸水して全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1935(昭和10)年8月13日:営業再開
 ・1943(昭和18)年10月1日:太平洋戦争中の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により、京阪電鉄と阪神急行電鉄が合併して京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)となり、同鉄道の駅となる
 ・1945(昭和20)年9月15日:輸送混乱防止のため、営業休止
 ・1946(昭和21)年2月15日:営業を再開
 ・1949(昭和24)年11月25日:駅名を桃山南口駅に改称する
 ・1949(昭和24)年12月1日:京阪神急行電鉄より京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線の各路線が分離譲渡される形で京阪電気鉄道(2代目)が発足したことにより、同鉄道宇治線の駅となる
 ・1953(昭和28)年9月25日:台風13号により被災し、宇治川から山科川へ逆流した水で当駅~六地蔵駅間が浸水して不通になったことにより、営業休止
 ・1953(昭和28)年10月1日:営業再開
 ・1961(昭和36)年9月16日:第2室戸台風により、駅周辺が浸水する
 ・1981(昭和56)年3月30日:上りホームの駅舎が竣工
 ・1982(昭和57)年3月 :ホームに点字ブロックを設置
 ・1986(昭和61)年4月1日:朝と夕方のラッシュ時に禁煙タイムを実施
 ・1992(平成4)年3月 :下りホームの駅舎が建て替えられる
 ・1994(平成6)年5月1日:喫煙所を除き駅構内終日全面禁煙化
 ・1994(平成6)年10月 :自動改札機を設置
 ・1998(平成10)年8月5日:構内踏切を廃止
 ・1999(平成11)年4月1日:「スルッとKANSAI」対応カードが利用可能になる
 ・2004(平成16)年8月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年1月21日:ICカード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2011(平成22)年5月2日:早朝・深夜時間帯に駅係員無配置となる
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始により、TOICA・manaca・Suica・PASMO・Kitaca・SUGOCA・nimoca・はやかけんが利用可能になる
 ・2015(平成27)年4月1日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(宇治方面を望む)

 
(踏切上から中書島方面を望む)

 
(下りホームの駅舎)

 
(上りホームの駅舎)


 撮影年月日:2019(令和元)年12月7日


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