大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

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今日は京都市電開業記念日!

2020年02月01日 | 鉄道

2月1日は京都市電開業記念日です!

1895(明治28)年の今日(2月1日)、京都で民間企業の京都電気鉄道により、日本初の路面電車が塩小路東洞院通~伏見町下油掛間(伏見線)6.4Kmで営業を始めました。 一般営業用の電車としても日本初です。
 
ちなみに、東京の市電は1903(明治36)年に営業を開始しました。 なぜ東京ではなく京都で日本初の電車が開業したかというと、国内に先駆けて水力発電が行われたこと(世界でも2番目)が挙げられます。 というのは、当時の京都は東京遷都に伴って天皇のお膝元という地位を失い、市民の間で衰退が懸念されたことから、その挽回策として政府からの下賜金をもとに平安遷都1100年祭記念事業の一環として、琵琶湖疏水の開削を行って水力発電所を建設しました。 しかし電力を得ても、当時はまだ電灯の使用が見込めず、産業用の電力としてもなじみがなかったため、その電力の唯一の使い道が路面電車だったのです。 また、京都は計画的に建設された都市のため、主要道路が碁盤の目状になっていて電車の運行に都合が良かったことも理由として挙げられます。

開業当初は停留所の概念がなく、路面電車は任意の場所で乗降扱いを行っていました。 しかし道路の幅が狭く、電車の開業後も道路を横断する人が絶えなかったことから、開業2か月後には轢死事故が発生してしまいました。 そこで路面電車による交通事故を防止するため、運転手の側に「電車の先走り」という12~15歳の少年を配置し、雑踏や街角、橋上では電車の約9メートル以内を先行し、昼は赤旗、夜は提灯を持って走りながら「電車、来まっせ。電車、来まっせ」と声を張り上げていたらしいが、時にはこの先導役の少年自身が電車に轢かれるという痛ましい事故もあったといいます。

京都電気鉄道は琵琶湖の疏水による水力発電によって電力が供給されていたため、疏水の流れが止まると電車も休業となっていました。 また、水利事務所の機械故障や琵琶湖の増水などによってもたびたび電車の運行が止まったそうです。

その後、京都市によっても1912(明治45)年の4路線7.7Kmの開業を皮切りにして独自に路線建設がなされ、それと競合するようになった京都電気鉄道は、京都市電と激しい客取り合戦を繰り広げたそうです。 しかし均一運賃制への移行のためもあって、1918(大正7)年7月1日に京都市に買収されました。 京都市は買収後の1921(大正12)年6月26日に軌間をそれまでの狭軌1067mmから標準軌1435mmに拡張しました。

京都電気鉄道買収後も京都市電の路線は次々に延長され、最盛期は76.8Km、車両は351両(1957年度)の路線となり、それに伴って乗客も増え続け、1963(昭和38)年には1日平均56万4488人の利用がありました。

しかし、その後の自動車の普及により乗客の減少が続いて経営が困難となっていき、路線も次々に廃止されていきました。 そして伏見線も、毎年正月三が日には京都駅から日本有数の初詣客で賑わいをみせる伏見稲荷大社への参拝客を輸送し、平時でも京都市街と伏見を結ぶ重要な路線でしたが、1970(昭和45)年3月31日限りで廃止され75年の歴史に幕を閉じました。 廃止後その路線は、京都市バス81号系統、82号系統に転換されました。

伏見線の廃止の要因は乗客の減少もさることながら、その併用軌道部が道路の東側に寄っていたことが廃止を早めた要因として挙げられています。すなわち、勧進橋以北では河川工事により道路の中央を走るようになったが、それ以南は道路の東側を走っており、そのためにこの部分が道路を遮る形となってしまっていたこと、さらにこの道路が主要道路の国道24号線で自動車の交通量も多かったことが廃止を早めたのではないかと言われています。 



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