大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄鍛冶屋線 市原駅!

2015年05月17日 | 

市原駅は、加古川線の野村駅(現在の西脇市駅)と鍛冶屋駅とを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった鍛冶屋線(13.2km)の旅客駅でしたが、1990(平成2)年4月1日に鍛冶屋線が廃止されたことに伴い、廃駅となりました。

市原駅はもともと播州鉄道の一般駅として、1921(大正10)年5月9日に開業しました。 その後、播丹鉄道を経て、国鉄鍛冶屋線の駅となります。
廃止時は単式ホーム1面1線のみでしたが、かつて貨物の取扱いをしている頃は、駅舎横の切欠き部分の貨物ホームへ積降線を1線有していました。
また、開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅となってからも解体されずに廃止時まで残っていました。

市原駅が属していた鍛冶屋線は、1923(大正10)年5月6日に播州鉄道が全通させました。 播州鉄道はこの地方の特産品である酒造米の山田錦の輸送を主たる目的に、加古川を起点にして高砂・谷川・三木・北条・鍛冶屋と5方向へ路線を開業させましたが、やがて経営不振に陥り、1923年12月21日に播丹鉄道へ譲渡します。
しかし、その播丹鉄道も太平洋戦争中の1943(昭和18)年6月1日に戦時体制の国に買収されて、国鉄鍛冶屋線となりました。

この鍛冶屋線も昭和40年頃からモータリゼーション化と地場産業の変化に伴い、旅客・貨物輸送量共に年々減少していき、1984(昭和59)年の営業係数(100円稼ぐのに必要な費用)は1026にまでなっていました。
こうしたことから、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により、鍛冶屋線は1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。 地元では鍛冶屋線特定地方交通線対策協議会を開いて、第3セクター鉄道への転換やバス転換などいろいろ協議した結果、1988(昭和63)年12月に全線を廃止してバス転換することに決定しました。

そして鍛冶屋線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、1990(平成2)年4月1日に廃止され、それに伴い市原駅も廃駅となりました。

 <市原駅の年表>

 ・1921(大正10)年5月9日:播州鉄道の一般駅として開業
 ・1923(大正12)年12月21日:播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄鍛冶屋線となり、同線の駅となる
 ・1959(昭和34)年8月20日:貨物取扱い廃止
 ・1973(昭和48)年10月1日:荷物の取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年4月1日:鍛冶屋線の廃止に伴って廃駅となる 

 

 

 

 


 撮影年月日:1989(平成元)年4月9日



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