爺やの一人暮らしの記録あれこれ

妻に先立たれた爺やの日常生活や心の思いを記録してみたい。子や孫たちが爺やの日常などを知ってもらえたらそれでいいのだ・・。

●今日は私の74歳の誕生日である......

2015年03月09日 10時44分05秒 | 日記







今日(3月9日)は私の74歳の誕生日である。感慨無量である。

考えてみると、私が母親の胎内にいた時から、私の心臓は動き始めて、今も不整脈ではあるが確かに鼓動している。73年間、一日も休まず、一度もサボることもなく、不眠不休(?)で働き続けている。まことに、不思議な臓器である。大人の心臓はその人のこぶしくらいの大きさで、重量は200~300gほどの袋状の筋肉のかたまりにすぎないのであるが、実に大きな仕事をしているのだ。

心臓は、血液を体のすみずみまで、まんべんなく循環させるためのポンプの役割をしている。そのポンプの働きを、私たちは鼓動として感じるのである。
心臓は、1日に約10万回もの収縮と弛緩を繰り返し血液を送り出しているのだ。その血液の量は、毎分約5リットル、1日にすると7000~8000リットル、ドラム缶40本分もの血液を全身に向けて送り出していることになるのである。

これを一年に換算すると3千500万回、73年間では25億5千万回以上も拍動した計算になるのである。心臓が一回収縮する時の力は、手のひらにテニスボールを置いてぎゅっと思い切り握る程度の力だそうである。私は、自分の心臓に向かって「ほんとうに、長い間、おつかれさま....」と言いたい気持ちになる。

この心臓は、一体、誰が動かしているのか。ただ、偶然に動いているのか。絶対にそのようなことはあり得ないと堅く信じている。車のエンジンが偶然にできて、偶然に動き出すことは考えられない。私は、世界中のすべての人が無神論者になっても、創造主なる神の存在を信じる。この心臓を動かしているのは全能者なる神以外に考えられないのである。

私は、20代の若い時に神を信じて、73歳まで生きて来た。そのことを一度も後悔したことはない。私がクリスチャンになった時、バカにしたり、嘲って笑った友人もいた。でも、そのようなことは全く気にしていない。私をバカにした同僚の一人は、何故か、生きている意味も分からないまま、若くして胃癌になって死んでしまった。とても気の毒に思っている。しかし、私は、神を信じた時から、自分は日々神に生かされていると実感するようになったのである。

今も、「現代の科学の時代に、神を信じるというのは愚かなことだ。」という人がいるのも事実である。でも、昔も今も、謙虚な科学者の中には神を信じている人が多い。あのノーベル物理学賞をもらった山中教授は、TVの対談の中で、「神」ということばを使っていた。それが、どのような意味で使われたかは分からないが、何か、謙虚な科学者という印象をもったのである。

人間のいのちというのは、実に神秘的である。人間が万能であるかのように言う人もいるが、医学や科学が入ってはならない神聖な領域というものもあると信じている。人間は思い上がってはならない。どのような人間も神になることはできないのである。人間は、神に生かされている存在であり、神の被造物であると、私は、堅く信じているのである。そういう意味において、人は謙虚でなければならないと思っている。

私は、子供の頃、真夏のある日に、緑の草の上に寝転がって、青空を見上げながら、左の胸の上に手を置いて、心臓が鼓動を打っているのを感じたことがある。また、真冬の晴れた日に、やはり、友達と雪遊びで疲れたあと、雪の上に寝そべって、冬の青空を見ながら、やはり、「ドキッ、ドキッ、・・・・」という鼓動を聞いたことがある。何か不思議な思いになったのである。

そして、青年時代になって神に出会ったのである。私が、灯台で無線通信士として働いていた頃、その岬まで徒歩で訪ねてくださった宣教師がいたのである。誠に不思議な出会いであった。「人生は出会いで決まる」ということばがあるが、私がその宣教師に出会っていなければ神に出会うこともなかったのである。神に出会っていなければ、今頃は、人生真っ暗闇であろうと思うのである。私は、神に出会って、本当に良かったと心から思っている。

この原稿を書いていた時に、ちょうど同じ時間に、宅急便で、3人の子どもたちから、誕生日のプレゼントが届いたのである。遠くに離れていても、こんな父親のことを忘れないで覚えていてくれることがうれしいのである。長女からは「高級・冷凍生菓子」、次女からは、いろいろな種類の入浴剤など(ゆずの湯・へちまの湯・生姜の湯・柿の葉の湯・その他、たくさん..)、息子からは、衣類に貼る温熱シートや、(レンジで温めて)繰り返し使える“ゆたぽん”など体を温めるたくさんのグッズである。みな心のこもったものばかりで、うれしい限りである。

それから、今朝、Aさんという人から「誕生日おめでとうございます」というメールが届いた。この人は、子供の頃、日曜学校に来ていた女の子で、いつも笑顔でニコニコしていた子である。今は、もう主婦になっていて、40近い年齢であるが、この人は、一度、誕生日を聞いたら絶対に忘れないという特殊な能力の持ち主で不思議な子である。うちの家族の誕生日をすべて覚えている変わった子である。3年くらい前に、再会したのであるが、子供の時と少しも変わっていないのだ。相変わらず、ニコニコしているのである。

今晩は、冷凍生菓子を解凍して食べて、薬用乳剤を入れた風呂に入って、寝る時はゆたぽんを入れて寝れば、ぐっすり眠れるだろう・・・・。(笑)


「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組はあなた(神)に隠れてはいませんでした。あなた(神)の目は、胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが書き記されました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」(詩篇139:15,16)