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好友会 日本語教室

長野県飯田市 竜丘公民舘に教室があります。
中国語を母語とする方の日本語学習をお手伝いします。

脳とれ

2007-01-17 15:32:18 | 帰国者
高齢者用の脳トレが最近多く見かけられます。
ニイハオでも始まりました。
上一行目と縦一列目に、簡単な1,2桁の数字を入れて交わったところで足し算や引き算を行う簡単なものですが、結構楽しそうに皆さん取り組んでいます。
スタッフの手作りによるものもありました。
遊戯や手遊びを楽しむだけじゃなくて、脳の老化を抑えるこのような脳トレも今後の課題になると思います。
スタッフの人たちが 一生懸命がんばっています。

ニイハオ訪問

2007-01-12 12:53:27 | 帰国者
先ほどニイハオにいってきました。
今年に入ってはじめての訪問です。
十数人の方が來所されていました。
丁度朝の健康診断(血圧測定)の最中でした。
一人の方がちょっと血圧が高めでしたが、そのほかの人はOKでした。
今日は最近流行の「塗り絵」、簡単な足し算引き算の「脳トレ」をやりました。
皆さーん、これはボケ防止ですよー、10分でやりましょう。
あちこち笑いがおこりました。
、、、

再助走

2006-12-30 18:29:40 | 帰国者
体調をくずして、ボランティア、暫く立ち止まった
先日「ニイハオ」に顔をだした。
10数名の帰国者の方達がこられていた。久しぶりだった。
皆さんに元気な声をかけた。元気な声が返ってきた。うれしかった。

竜丘の秋

2006-09-17 19:03:18 | 帰国者
竜丘の秋 

朝6時過ぎ ドドーンと花火がなった           
竜丘小学校の校庭の 観客席には
もう沢山の席取りシートが 敷き詰められている
まだ誰もきていない
本部席の使い古したテントが 開始をまっている

学校の坂を下りると 家々の庭の
日当たりのいいところの 柿が色づき始めた
でも半分以上は まだ青い
昨日 久しぶりに雨が上がり
暖かかった
今日の運動会
お願いだ 天気になっておくれ

帰国者三世のK君
元気すぎるK君
今日は君の出番だ
加油 加油 加油!



帰国者の宅老所(11)

2006-03-30 06:22:09 | 帰国者
 以前帰国者2世ヘルパーのBさんの活躍ぶりを紹介しましたが、その中に日本語の話せない通所者為の「簡単な日本語教室」があります。

はーい、次は言葉のお勉強ですよー!
1. 面白い  有意思(よういーす) 
2. 楽しい 高興 (かおしん)
3. 頑張れ    加油 (ちゃーよう)、、、、
など、というものです。

 毎回、教材の資料を準備するのが大変なので、みなさんの関心の深そうな言葉を集めて「言葉の勉強(1~30課)」を作りました。絵を入れて分かり易くしようと頑張っています。日本人スタッフの人達も勉強になります。通所者の皆さんとスタッフのコミュニケーションに少しでも役に立てばいいなーとおもっています。


多文化共生を考える集い

2006-03-16 09:28:05 | 帰国者
3月12日、飯田市りんご庁舎で、
Heading towards a multicultural age ~ Now is the time to talk ~ を副題に、下伊那在住の外国人をパネリストとして自由な話し合いが持たれた。
基調講演には「二つの祖国を持つ私 ~今、ここに生きる~」を話題提供として満蒙開拓団帰国者2世の大橋春美さんが、帰国した時、隣近所の人達から受けた忘れられない親切や、高校生になってから自分が中国帰国者2世であることを知られたくないと、ひたすら小さな心を痛め隠し通そうとした心情を吐露された。「皆と同じでないと恥ずかしい」、今は飯田市内で教師となり、帰国者3世も教える立場となって、彼等彼女らが同じ思いをしているだろうことを思いやれる「二つの祖国を持つ私」を述べられた。

 大橋さんは、昭和53年(1978年)に中国遼寧省より帰国した。その時8歳であった。豊丘村の帰国第一号である。当時は今のように日本語教室など無く、全く日本語の話せない一家は近くの小学校で3ヶ月日本語を教えてもらった。教師も中国語が分からず、始めは所謂Non-varbal教育で絵や音楽などで日本語の手ほどきをうけた。大橋さんはまだ小さかったから日本語の覚えも早かったが、親たちは中々日本語が出来ずに大変苦労していた。外国語を覚え、その文化に馴染むことには「勇気」が要ることを感じたという。
次に、大橋さんが語ったお話の要点をまとめてみたい。メモ書きからなので若干の違いはご容赦ねがいたい。(筆者)

 父は日本人で、5歳のとき渡満し、長じて中国人の母と結婚した。父は現地では「日本鬼子!」といじめを受けたこともあったという。日本に帰国してからは、「あの人達は中国人だ」と見られ、「一体私達は何人なのだろう?」と思ったものだ。
 でも、近所の人達はとても親切にしてくれた。日本の文化も習慣も知らない私たちは、時には恥ずかしい思いをしたこともあった。
 ある「遠足の日」の朝、私と母はおにぎりを作る「海苔」がないことに気がついた。友達の家が近くにあったので借りにいった。朝6時、玄関はしまっていた。怪訝な顔で家人が出てきた。「海苔 2枚貸してください」頼んだ。中国では海苔2枚くらいは借りる感覚ではなく「困っているからちょっと頂いておくよ、お互い様だから」というのだが、どうやら日本では違うようだと後で知ることになった。借りたものはきちんとお礼を言って返すのが礼儀だよ、と。同じこの隣人には、足のない私達を車であちこち送り迎えしてくれたことを今でもしっかり覚えている。
 日本に来た当初、お弁当にコッペパンを持っていった。中国人は冷たいご飯は食べない。皆が持ってくるのは、その冷たい「お弁当」だ。私にはそれが食べられなかった。周りの友達が私のコッペパンを覗き込んで冷やかした。涙をこらえ、うつむいて食べた。
 豊丘の小学校では水泳の時間がある。生徒たちは楽しそうにそれを楽しんでいる。ところが私にとって水泳の時間は苦痛そのものだった。普通中国人は人前で肌をさらすようなことはしない。とても恥ずかしいことなのである。そのためか、私はプールや川などで水に触ったことさえなかった。水泳の時間が近づくと私は決まってお腹が痛くなった。それが長いあいだ続いた。でも、5年生頃には、私は水泳リレーの選手になっていた。
 高校生になってから、ある「漢詩」の時間の前に、その先生に呼ばれた。「漢詩をみなの前で、中国語で読んでくれないかなー。漢詩は韻を踏んでいるので聞いていてきれいだから」といわれた。私は動顚した。私は当時私が中国人であることをひたかくしにしていた。何で、みなの前でそんなことをさせるのか。顔がまっ白になった。「私、出来ない!」私はその先生に強く拒否して、その気持ちを伝えた。先生は私を直ぐ理解してくれた。
 机を並べる友達が、私が中国人であることを知って、私から離れていくことを心の中でおそれていた。友達との関係を崩したくなかったのだ。いつかは友達にそれを話したいと思ってはいたが、なかなかそのタイミングはやってこなかった。
 中学校の教師になってから、あるつどいで「外国人生徒」のことについて話し合う機会があった。私はその時まで自分が帰国者の2世であることを教師仲間にも話していなかった。その時初めて、自分が同じ帰国2世であることを告白し、外国人子弟の教育について自分の意見を述べた。
 目を20数年前に戻してみると、辛くて寂しくて悲しい思い出が多かった。でも、その時があったからこそ今の自分があるのだとつくづく思っている。物事をプラスに考えるのとマイナスに考えるのとでは気持ちの在り様が全く違ってくる。今では当時のことをあり難いと思うようになっている。
特別な目で見られたくないと思う傍ら自分たちは日本人からなかなか理解してもらっていないという思いがある。ある人にお聞きした言葉に同感する。「ひとは同類を以って癒される」。中国人が日本で困っている同じ中国人の助けになってあげたいと思っている。日本人の地域社会の温かさを今ここで感じながら。



帰国者の宅老所(10)

2006-03-03 15:00:57 | 帰国者
 3月3日、今日はおひな祭りです。風は冷たいのですが、もうすっかり春の陽射しです。
玄関に飛び込むといきなり、憩いの部屋(仮名)から賑やかな声が聞こえてきました。それもそのはず、カスタネットとタンバリンがテーブルの上にありました。つい最近購入したものです。ヘルパーのBさんがカスタネットを両手にはめてやり方の説明をしていました。
いつもの顔が全員そろっているようです。私は先週これなかったので早速、一番奥に腰掛けているMおばあちゃんと話しこみました。
Mおばあちゃんは昭和5年生まれ、今年77歳です。昭和15年平岡村(元天龍村)から一家7人で渡満しました。敗戦時逃避行ののち方正県の収容所で一家離散の状態になりました。現地で結婚され、新しい一家で平成5年飯田市に永住帰国されました。一昨年一緒に帰国したご主人に先立たれました。今は体のご不自由な息子さんと市営団地にすんでいます。その息子さんもすでに50歳を超えていますが、Mおばあちゃんはその息子さんの面倒を見ています。時々は息子さんの外の兄弟が様子を見に来てくれるといいます。
「雨、雪ではやらんが、それこそ毎日外に出て運動していますよ。だから最近歩くことに自信がついてきて、結構動けるようになった。ところが、年のせいか、時々片足がぶるぶる震えるようになって困っています。モノに掴っていると震えないんだが、、ははは。」おばあちゃんの顔つきは、残留50年の悲哀を内に秘めて屈託がありません。
おばあちゃんは自然に折れた脚に金属を入れています。8年になるそうです。入れたときお医者さんは「20年はもつ」といいました。だからまだ12年は大丈夫。傍らに居る息子さんを見ながら、「私が動けなくなっても、この子は畑に野菜を植えたり、ご飯を自分で作ったり、買い物ぐらいは出来るから、大丈夫だよ!」と。
ふれあい街道ニイハオはMおばあちゃんと同じような人達の今日をあったかーく包んでいました。

帰国者の宅老所(9)

2006-02-11 06:48:45 | 帰国者
 2月10日、外は相変わらず寒く、宅老所「ふれあい街道ニイハオ」も、部屋の入り口あたりはちょっと涼しいのでストーブがある近くに皆集まっていた。帰国者とスタッフが一緒になって雑談している。今日は、帰国2世のOさんがボランティアで参加し話の輪の中にはいっていた。一段とにぎやかである。
Mおばあちゃんは、いつものにこやかな顔でいった、
「今朝本当に寒かった、でもね、今日も散歩にでたの。出てから杖を忘れたのに気がついてもう一度取りにもどってね、えらかった。」
「杖忘れるくらいなら、調子がいいんだ、よかったですね。」
「はは、そうか」
「ところで、今日はHおばあちゃん来てないですね」
「今ね、輝山会病院に入院している、腰痛がひどくなったみたい。」

 スタッフの声が、突然話の輪の中に飛び込んできた、「風呂あいたよ、Mさん入いる?」「うん、入いる入いる、ありがとう。」話しが途切れて話題が変わる。
 私が聞いた、
「T(男性)さんは、将棋なんかできますか?」。
ヘルパーのBさんが通訳してくれた、
「このTさんはね、将棋できないんだってさ、でもマージャンすきらしいよ、団地の自宅では1人でマージャンしているんだって。へんだね。手が不自由だからマージャンパイを出してただ触っているだけだそうよ。」
 Oさんが話を付け加えた、
「Tさんの、住んでいたところは中国の北の方だったから寒いでしょ、冬は空気だってあまりよくない。病気になっても我慢してほとんど病院にいかないの、そんなこと繰り返していたからこんな体になっちゃったとおもうよ。」 
ニイハオのお風呂がTさんの不自由な身体を少しでも癒してくれることをそっと願った。 

帰国者の宅老所(8)

2006-01-28 09:30:07 | 帰国者
~1月27日~ 
今日も「ふれあい街道ニイハオ」は、笑い声につつまれていました。びっくりしたのはBさんがついにI所長を躍らせてしまったのです。日頃誠実で何事も丁寧に対応されている所長が袖口の長い中国式舞踊衣を身にまとい額に汗しながら一生懸命踊っている姿に帰国者の来所者の皆さんは感激してしまいました。手拍子をしながら見つめていました。曲目は「高山青(青い高山)」でした、
高山青澗水藍
阿里山的姑娘美如水呀 
阿里山的少年壮如山哪
啊啊、、、
この歌は元々台湾の歌ですが、中国本土でも人気のある歌のようです。Bさんも大好きな歌です。両岸には政治的な問題を抱えていますが、小さな宅老所の片隅でこのように互いの文化を理解し讃えあう活動に草の根の力強さを感じています。そして、帰国者一世の人達が淡くても長い一条の虹をかけてくれているように私には見えました。
 今日は、歌集「懐メロ(1)ニイハオ」を皆で一緒に作成しました。この歌集はニイハオ編集2冊目のものです。費用は多くはかけられないので、私が原稿をパソコンで編集し、A3の用紙を量販店で安く買い、印刷はボランティアセンターグループ・くらりネットのリソグラフ印刷で行いました。戦前から昭和40年代の流行歌を中心に編集しました。65曲を選曲しました。一部約110円で作ることができました。以前帰国者のKさんが、帰国時当時何回も流行歌を聞きながら日本語を勉強したと語ってくれました。今日もそのKさんが来所されていました。




帰国者の宅老所(7)

2006-01-21 14:24:29 | 帰国者
~1月20日~
今日の「ふれあい街道ニイハオ」は、笑い声であふれていました。中国帰国者2世のヘルパーBさんが中国語のCDの歌にあわせて歌ってくれたからです。
踊りながら、歌の文句の動作をいれながら帰国者一世の1人1人に語りながら、手を取り合ってうたうのです。「別逗我了!(からかっちゃやだよ)」生真面目なAおじいさんは笑いこけながら逃げ出しました。またまた大笑いです。
日本語のあまり出来ないBおばあさんは「ここ、楽しい」を繰り返していました。 「じゃあこれから、皆の知っている『北国の春』を中国語で歌いましょう」とラジカセから流れるはずのメロディーを待ちましたが、いっこうに出てきません。そのうちに別の曲が流れてきました。「こりゃだめだ、壊れてる」、私(筆者)はBさんに、次のプログラムに進めてもらい、ラジカセを持って急いで近くの電気量販店に駆けつけました。親切な若い店員は、一目見るなり「これ、ランダム選曲になっていますよ」と言って呆れ顔です。ものの一分ほどで正しく設定してくれました。直ぐ宅老所に持ち帰ると、皆さんまだお茶を飲んでいるところでした。『北国の春』を二回も皆で歌いました。この歌は帰国者の人達にとっては特別の思いがあるのでしょうか、皆大好きな歌です。
 歌が終わったら、次は言葉のお勉強...
1. 面白い  有意思(よういーす) 
2. 楽しい 高興 (かおしん)
3. 頑張れ    加油 (ちゃーよう)、、、、
生徒さんは、スタッフを含めた全員です。Bさんの巧みな先生ぶりはまた皆を楽しくさせてくれました。
台所では、いつものボランティアの奥様たちがおやつの用意に余念がありません。