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正しくは「金正日は畑中理の息子だった」佐藤守著「金正日は日本人だった」の内容紹介

2020-01-29 20:54:09 | インテリジェンス
前回投稿の末尾でリンクした佐藤守著「金正日は日本人だった」(絶版)についての
山中英雄氏のアマゾン書評を取り上げながら、本書の内容を紹介をしてみます。

<山中英雄氏のアマゾン書評の抜粋>
◆1◆ 著者、佐藤守氏の紹介
著者の佐藤守氏は旺盛な著作活動、ブログ活動、講演活動をつづける憂国の防衛論客だが、もとは総飛行時間3800時間という記録を誇る空軍パイロットで、しかも空将で南西航空混成団司令をつとめられた猛者の軍事評論家である。
本書は新資料に基づく分析ではなく、著者が匿名の人物の話を元にいろいろな既存資料を渉猟して推理をまとめたもので、
金正日=日本人という本書の説(厳密には金正日=日朝ハーフ説)はあくまでも佐藤守氏の仮説である。
・・・・

(↑への当総研からのコメント)
國體の広報窓口と思しき筋、並びに、落合莞爾氏の持っている諜報情報により、
「金正日は畑中理の息子」説は、正しいとの追認がされています。

<山中英雄氏のアマゾン書評の抜粋>
◆2◆ 
▼金日成を名乗った人間は多数いる。金日成将軍、というのは抗日戦士の英雄として称号化している。北朝鮮初代主席の金日成の本名はキム・ソンジュ(金聖柱)で、もともとはチンピラみたいなものだったのだが、その討伐隊である朝鮮革命軍に降伏し、更にソ連に逃げている。
金策は金日成より10歳年上で、金日成の師のような存在だったといわれる。
二人はハバロフスクで初めて会い、このとき金策と金日成の妻の金貞淑の間にできた不倫の子が金正日、というのが佐藤守氏の仮説である。

▼1998年6月26日ロシアの「トルネード7」紙が、
「金正日は、建国の父、故金日成の実子ではなく、養子だった」と報じた。
衝撃的な事実を暴露したピョートル・パクは、朝鮮名で朴一といい、ソ連当局の指示で、1940年代に金日成にマルクス・レーニン主義を教えた。
更に、彼はスターリンから北朝鮮に総合大学設立の命を受け、金日成総合大学を設立し、初代副総長に就任した。朴一が語ったところによると、
彼が「金正日は金日成の子ではない」と知ったのは平壌に赴任していたころで、金一家にも頻繁に接していたが、長男ユーラ(金正日)と二歳年下の次男シューラ(修羅)の兄弟仲の悪さに驚き、たまたま傍にいた金策にひどいユーラのいじめを聞くと、
金策の口から「父なし子だからどうしようもない。父親の愛がないからひねくれたんだ」と思いがけないことを聞いた。
どうやらこの会話が真相解明のきっかけになったらしい。
 しかも、金正日養子説を唱えたのは、
1993年、モスクワで発行された「ノーバヤ・ブレーミヤ」誌3月16日号においてトマノフ氏なる人物が暴露したが、当時、存命中の金日成はなんら反応を示さず、黙認している。

▼金正日の父は、金日成ではなく金策である。
金策は、大日本帝国陸軍が朝鮮半島に残した残置諜者である。金策は金日成に忠実な同志であるが、朝鮮戦争時に戦死(その後、心臓麻痺に発表が改められる)したとされる。金策は「共和国英雄」とされるが、金日成による暗殺説もある。

▼金策は、大日本帝国陸軍参謀本部が朝鮮統治への反体制運動の中に送り込んだ間諜(スパイ)であり、1901年設立の国家主義右翼団体「黒龍会」のメンバーで民間人であるが、明石元二郎系列の人物であるといわれ、本名は畑中理(はたなかおさむ)「堀杉作説」。
金策は、金王朝による擬似天皇制支配体制を推進した張本人である。

▼満州の抗日連軍の幹部のなかで唯一、金策が日満軍警の掃討を逃れ、無傷でかの地に留まり続けられた謎も、ハバロフスクでの最高会議機密が日本の満州国特高警察にすべて筒抜けになっていた理由も、金策が日本軍と内通していたことで氷解する。

▼金策には、金正日の異母兄弟にあたる金国泰、金巳男という息子がいて、金正日は金国泰を全面的に信頼していたフシがある。金日成は女漁りが激しく、貞淑との夫婦仲は悪かったが、貞淑は「心臓麻痺」で死ぬ(これも暗殺説あり)。金日成の死後、金正日は金策を「美化」している。

▼金正日は金国泰を全面的に信頼している。金国泰は1998年4月から1ヶ月間、アメリカ政府から入国ビザを得て心臓病治療の為に、ニューヨークのマウント・サイナイ病院に秘密入院した。この病院はユダヤ系資本の全米最高級の病院で、治療費、入院費も全米トップクラスで、その個室に保険なしで入った。しかも随行員連れてのアメリカ入りで、随行員旅費などを含めると金国泰の入院費用は10万ドル超えと言われているが、金正日の秘密口座からすべて負担した。

▼金正日は、日本の「ラ王」や「力うどん」カップラーメンを食べ、カラオケでは日本の軍歌を歌い、車はセンチュリーに乗り、パソコンはNECを使用し、妻は日本生まれの在日、日本のテレビ番組を好み、日本では赤坂の芸能ショーに毎晩通う。 「金正日のお抱え料理人」の藤本健二氏によれば、金正日はカップ麺を食べながら「日本の料理というのは、こういうインスタントも含めて、すべてカツオブシが基本になっているのだな」といつも感心していた。

▼1982年当時、金正日は万景峰号で極秘来日し、赤坂のコンドルブルーのショーを見て、すっかり気に入り、北朝鮮にコンドルブルーの舞台を再現し、「喜び組」にそっくり同じショーをやらせている。プリンセス天功のイリュージョンを見たのもコンドルブルーで、その後たびたび北朝鮮に招くようになった。コンドルブルーを訪れたときの写真がある。 1985年から19889年まで、ほぼ毎年コンドルブルーに姿を現していた証言がある。 金正日は、退廃的な喜び組のショーに参加させて高官たちと共犯関係をつくり、地盤を固めていった(重村智計説)。

▼当時9歳だった金正恩が1992年頃、真正旅券を使って別人に成りすまして日本に極秘入国していた。「金正日のお抱え料理人」の藤本健二氏によれば、正哲、正恩、ヨジョンの高英姫の子供たち3人も両親同様、日本好きで、日本のお菓子はもとより、日本食も抵抗なく食べていたし、日本語を勉強し、日本についての知識もあった。

▼北朝鮮が隠密裏に第三世界に武器輸出をできるのは、日本というマネーロンダリングの場所があるからで、イランは北朝鮮からスティンガーミサイルを買い、その代金をスイスやシドニーを経由させて東京に移す。2002年の金正男の入国はその代金を回収するための来日だった(菅沼光弘氏)。

▼朝鮮総連の許宗萬がバブル期に考案した仕組みとは、学校を含めた総連関連施設を担保に朝銀信用組合から融資を引き出し、朝鮮総連自らが独自の経済活動をして、パチンコ店や不動産業の経営に乗り出し、その利益を北朝鮮に送金するもので、この功績で許宗萬は朝鮮総連のドンとなった。 北朝鮮は、朝銀への公的資金注入を条件として小泉首相に交渉を持ちかけてきた。 小泉内閣は表が竹中平蔵で裏は飯島勲。この朝銀信用組合の破綻処理に公的資金1兆4千億円が投入されたが、隠れ親北朝鮮派の小泉首相が「鶴の一声」で実施している。

▼日本人拉致はアメリカの陰謀だったという説、つまり、朝鮮人民軍によしみを通じていた米CIAが、北の工作部隊と朝鮮総連を使ってやらせたという説である。

▼昭和49年8月の韓国・朴正煕大統領暗殺未遂事件は、米CIAと日本の公安当局黙認の元で、朝鮮総連と反朴派KCIAが組んで行った謀略だった。

▼「金正日のお抱え料理人」の藤本健二氏によると、金正日は数字合わせで縁起を担ぐ性格で、「カブ」(花札の「オイチョカブ」で最高の数字である「九」を指す。バカラでも同様)に拘っていた。例えば、金正日の誕生日2月16日は2+1+6=9、金正恩の誕生日1月8日は1+8=9、後継者に正恩決定は2009年、日朝首脳会談は9月、更に2回目の日朝首脳会談は2004年5月22日に開催されたが5月22日は5+2+2=9である。 ちなみに、北朝鮮が建国したのは1948年9月9日。陰陽学では最大の吉祥日、重陽の節句である。重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれ、日本の天皇家の紋章、菊。。。。これまた興味深い事実である。
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(↑への当総研からのコメント)
金正日が親日的であるのは、知る人ぞ知る話です。北朝鮮の軍歌が戦前の大日本帝国の軍歌に酷似しているのも、指摘されています。
金正日が度々お忍びで来日して銀座のコルドンブルーでショーを見ていたこと、喜び組が、それを真似たものであること、も有名な話です。

重要なのは、公安調査庁の外事部部長の菅沼氏の指摘です。
イランへの武器輸出の代金をマネーロンダリングで綺麗にして、そのお金を日本で受け取っていた、という話。金正男は、単に東京ディズニーランド好きで来日していたわけではなかったのです。
これは、間違いないでしょう。

<山中英雄氏のアマゾン書評の抜粋>
◆3◆
・内務大臣の後藤新平は、縁戚の佐野学や長州上士の家系である野坂参三を日本共産党に送り込むことで日本の共産主義運動に対処しようとしたのではないか(堀杉作説)。
畑中理も、「革命を買い、コントロールする」という役目を与えられていたのではないか。野坂が日本担当で畑中が朝鮮半島担当。
北朝鮮の革命歌謡には日本の軍歌から剽窃したものが多い。
金日成には日本を恨む動機がない。もともと馬賊みたいなものだし、日満軍警と決死の戦いをした形跡もない。 カンボジアのシアヌーク殿下は日本賛美の映画を作っているが、この映画はシアヌーク殿下が平壌亡命中に朝鮮人民軍の全面協力のもとに制作されている。

<山中氏のコメント>
 「野坂参三が長州上士の家系で、後藤新平が彼を日本共産党に送り込むことで日本の共産主義運動に対処しようとしたのではないか。野坂が日本担当で畑中が朝鮮半島担当(堀杉作説)」に驚き! そういえば、日本共産党元委員長の宮本顕治も山口・田布施出身であり、そうすると、戦後の日本共産党も「革命を買い、コントロールする」という役目を与えられている、所謂「自民党と日本共産党のプロレスごっこ」が、アメリカ・ソ連・中共を欺く戦後日本の政治実態だったのか?

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(↑への当総研からのコメント)
「日本共産党の正体」については、当総研ブログ1期で触れている通りです。

問題は、「野坂参三が長州上士の家系で、後藤新平が彼を日本共産党に送り込むことで日本の共産主義運動に対処しようとしたのではないか。」
についてです。
これについては、國體の広報窓口と思しき筋から、「Yes」との公表があるのですが、
つまり、「野坂参三は國體奉公衆であった」ということになると、
近代日本史が書き換わるぐらいの重要情報になります。
野坂参三は、ソ連の工作員として、スターリンに謁見し、日本に共産革命を起こすと述べていることが、機密情報開示で明らかになっており、日本共産党も、この情報が公開されたことで、野坂参三を急遽、日本共産党員から除名した、
とのことです。(西鋭夫・講座・談)
つまり、「野坂参三は國體奉公衆であった」なら、二重スパイとして、高度な偽装工作をやっていたことになります。
今後、更に、検討すべき情報です。


<山中英雄氏のアマゾン書評の抜粋>
◆4◆
・金正恩は金正日と横田めぐみの息子で、横田めぐみの母「横田早紀江」は李氏朝鮮皇太子李垠と日本皇族の梨本宮方子王女の間に生まれた女子であり、金正恩は旧朝鮮王室と日本皇室の血が流れている。

▼方子王女は伏見宮系梨本宮家第三代守正王の第一王女であり、日本の皇族だった。それが日韓併合に伴う政略結婚で、李王家皇太子の李垠と結婚して李王垠妃となった。

▼公式には男子を二人産んだ事になっていて女子は記録にない。ところが昔から皇族では女子は「員数外」であって嫁入り先にも困るので、こっそり尼寺に入れちゃったりするわけですね。京都には無数の尼寺があってたいてい皇族と関係があったりする。この李方子さんが産んだ女の子が、あの横田めぐみさんの母親である「横田早紀江」さんだ、という説です。言ってみれば、横田めぐみさんは、朝鮮王室と日本の皇室、双方の血筋を引いた、超名門の娘と言える。

▼北朝鮮の金王朝は二代目の金正日政権に至って、三代目からその先の「王朝」としての正当性を保証するための担保として、旧朝鮮王室と日本皇族の血を引く横田めぐみさんを、金正日の「嫁」として欲しがった、というストーリーが横田めぐみさん拉致の目的。



(写真引用させて頂いたブログ)


▼板垣英憲「マスコミに出ない政治経済の話」ブログによれば、
●「北朝鮮は、大日本帝国陸軍のスパイ養成学校である中野学校出身の残置諜者が、日本を守るための第2の日本として建国した」「横田めぐみさんは新潟県の海岸から北朝鮮の工作員に拉致されたけれど、そのとき、日本の警察と自衛隊が、周囲から見守っていた」「皇室の血を受け継ぐ横田めぐみさんは、北朝鮮の女帝になっている」「横田めぐみさんは、2012年5月、7月、9月の3回、密かに帰国して公安警察と交渉したが失敗し、今後は皇室関係者と相談すると言い残して北朝鮮に行った」等々、様々に取り沙汰されている。
●北朝鮮が3年前に、「横田めぐみさんの娘であるキム・ウンギョン(ヘギョン)さんを国外に出国させてもよい」と当時の鳩山由紀夫首相に伝達してきていたのを受けて、鳩山由紀夫首相が金正日総書記宛てに親書を送り、自ら北朝鮮に乗り込む決意をしたところ、外務省が反対したため、実現しなかったという。埼玉新聞が5月29日付け朝刊「3面」(第3総合面)で「めぐみさんの娘出国容認」「北朝鮮幹部が3年前に伝達」という見出しをつけて、「共同通信の芹田晋一郎記者」の記事を掲載した。
 これは、飯島勲内閣官房参与の電撃的訪朝を受けて、北朝鮮首脳部が、「3年前から日朝関係の改善に努力していたのに、日本政府が受け入れなかった」ということを懸命に印象づけようとしているとも見える。つまり、「今回、安倍晋三首相には、本気で受け止めて欲しい」というメッセージなのであろう。安倍晋三首相、小泉純一郎元首相、あるいは自民党の小泉進次郎青年局長の「訪朝」が取り沙汰されているいま、北朝鮮が、そのための「地均し」を進めていることが窺える。

●北朝鮮が朝鮮半島統一に向けて動き出せば、日本は当然、この「第2の日本」である北朝鮮を勝利させるために、全面協力することになる。それには、いまの平和憲法の下における防衛省・自衛隊では、十分に協力することはできない。やはり韓国軍を攻撃できる体制を整えておく必要がある。この意味では、日本国憲法改正・国防軍=皇軍創設は、急がなくてはならないのだ。

<山中氏のコメント>
 ブログ写真を見ると、李氏朝鮮皇太子妃「方子」さんは、横田めぐみの母「横田早紀江」さんと顔がそっくり似ている。これでは親子と言わざるを得ない。
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(↑への当総研からのコメント)
李氏朝鮮皇太子妃になった「伏見宮系梨本宮家第三代守正王の第一皇女「方子」様は、
横田めぐみの母「横田早紀江」さんと顔がそっくりであることは、ネット検索して、ご確認頂けるものです。横田早紀江さんは、このことを「公の場で否定」していますが、あくまで、公的な場で否定しているに過ぎません。夫の滋氏は、「日本銀行」勤務でした。
天皇家関係と見て、間違いないでしょう。

<山中英雄氏のアマゾン書評の抜粋>
◆5◆
・「朝鮮戦争」まで金策(畑中理)が仕組んでいたとは・・大日本帝国陸軍恐るべし!!
 ソ連崩壊後、公開された旧ソ連公文書の分析の結果、朝鮮戦争は金日成、スターリン、毛沢東の共同謀議によって始められたが、スターリンと毛沢東は一度も会談していない。 この時に、スターリンも毛沢東もアメリカよりもむしろ、日本の出方を相当気にしていたこと、中ソへの交渉に金策がどうやら深く関わっていたという事実である。
 三者共謀といっても、どうしても南北統一を図りたい金日成が、腹を割って話し合う機会のないスターリンと毛沢東を煽り、両国の合意を取り付けたようで、この策謀を授けたのが金策ではないかと思われるのだ。
 つまり、朝鮮戦争は金策の策謀ではないか。アメリカが参戦し、南主導で半島統一されれば統一韓国が共産主義の防波堤になるし、北朝鮮が統一すれば金王朝を打ち立て防共の砦にすればよい、もしかしたら、アジア主義者の金策としては、民族自決のために朝鮮半島は朝鮮民族の統一国家となることが望ましいという理想のために金日成を動かしたのかもしれない。金策の任務は朝鮮半島にソ連が進出して日本が赤化するのを防止することであり、そのために金策は金日成に擬似天皇制を進言した?
・・・・

(↑への当総研からのコメント)
そもそも、畑中理は、「金策」という朝鮮名を使用しています。
北朝鮮建国に当たって、資金面での金策を一手に引き受けたから、、、であるなら、
「名前、そのまんまやん!」
ということになります。(笑)
さらには、「金日成」として、誰かテキトーな人物を立てたのか、
はたまた、金策自身が、「金日成」になりすましていた、可能性もあります。

また、「ウバイドワンワールド國體黄金」の隠し場所として、
北朝鮮管轄の「らじん(羅津)」という港の海底に、すさまじい分量の金塊を保管していた、
ということが、落合莞爾氏の天皇諜報系情報として、出ています。
それは、「古代から」のことであり、そこを守る精鋭の屈強な近衛兵部隊は、
易経で言う「八卦」を模して、八色の幡(はた)を掲げた部隊であった、
そこから、「八幡」信仰が生まれている、ということです。

この「らじん(羅津)」港は、「金策市の管轄」になっていましたが、その後、特区として・・・。
(以降のことは、各人で調査して下さい)

とまれ、
「朝鮮戦争」については、フェイクのヒストリーが、公式歴史として語られているので、
その発端については、よくよく、見直してみる必要があります。
國體の天皇諜報系情報として出ていることでは、
「余命三年時事ブログ」のかず先生の情報が正しい、とのことで、
李承晩が九州に電撃侵攻して、九州を強奪する計画だったのを寸前で阻止するため、
北朝鮮がソウルへと南侵した、ということです。

この点については、再度、このブログで取り上げます。

本日は以上です。
それではまた。