2023年4月21日、お参りしました。
由緒書より
「当神社は、前方後円墳の後円部のほぼ中央に鎮座する弥生時代以来の集落の存在する地です。新撰姓氏摂津神別に『坂部大彦命之のち也允恭天皇御世造立國境之標因賜姓坂部合部連』と記載されている坂合部氏族の居住地で、その子孫坂合郡朝臣として朝廷に奉仕し、この地を開拓して土地の名を坂合部と称し、何時の日か下坂部と称するに至る。
尼崎市内に残存する古墳中最大のこの古墳こそ、氏族祖神の墳墓の地である。その後墳上に人事やを建立し、祖神を崇敬したものと思料せられるも創祀年歴等は不祥である。
当初は、全景の如く氏族の首長大彦命及びその後儿を祀る神社であったが、藤原氏の全盛期当地方を支配した際その祖神たる春日大社を勧請奉祀したものと信じられる。
天皇第六十代醍醐天皇制定された延喜式神名帳に、摂津川辺郡に伊居太神社ありとあるのは、正に当神社のことである。古老の伝うる処によれば、昔大和の春日大社より神の使者として神鹿が当神社に到来したと云う。
後世江戸時代に至り青山氏がこの地を支配する。青山氏亦藤原氏の後儿にして春日社はその祖神である。」
兵庫県尼崎市下坂部4丁目13-26
map
社標
鳥居
手水舎
狛犬
社務所
拝殿
本殿
伊居太稲荷社
境内
由緒書より
「当神社は、前方後円墳の後円部のほぼ中央に鎮座する弥生時代以来の集落の存在する地です。新撰姓氏摂津神別に『坂部大彦命之のち也允恭天皇御世造立國境之標因賜姓坂部合部連』と記載されている坂合部氏族の居住地で、その子孫坂合郡朝臣として朝廷に奉仕し、この地を開拓して土地の名を坂合部と称し、何時の日か下坂部と称するに至る。
尼崎市内に残存する古墳中最大のこの古墳こそ、氏族祖神の墳墓の地である。その後墳上に人事やを建立し、祖神を崇敬したものと思料せられるも創祀年歴等は不祥である。
当初は、全景の如く氏族の首長大彦命及びその後儿を祀る神社であったが、藤原氏の全盛期当地方を支配した際その祖神たる春日大社を勧請奉祀したものと信じられる。
天皇第六十代醍醐天皇制定された延喜式神名帳に、摂津川辺郡に伊居太神社ありとあるのは、正に当神社のことである。古老の伝うる処によれば、昔大和の春日大社より神の使者として神鹿が当神社に到来したと云う。
後世江戸時代に至り青山氏がこの地を支配する。青山氏亦藤原氏の後儿にして春日社はその祖神である。」
兵庫県尼崎市下坂部4丁目13-26
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社標
鳥居
手水舎
狛犬
社務所
拝殿
本殿
伊居太稲荷社
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