2014年6月17日に行きました。
説明書より「孫文記念館は中国の革命家であり思想家の孫文(1866年~1925年、号は中山または逸仙、英文名 Sun Yat-sen )を記念する日本で唯一の博物館である。この建物は神戸で活躍した中国人実業家、呉錦堂(ごきんどう)(1855年~1926年)の別荘[松海壮]を前身としている。還暦を迎えた同氏は当時の建築の粋を尽くして増築した八角三層の楼閣に、故郷への想いを込めて[移情閣]と命名した。松海壮の本館には1913年(大正2)3月、準国賓として来日中の孫文が、神戸在住の中国人および財界有志による歓迎昼食会に招かれ立寄った。本館はその後、神明国道(現国道2号)の拡幅により撤去されたが、移情閣とその付属棟はそのまま残された。戦後は神戸華僑総会によって管理され、1982年(昭和57)に日中国交正常化10周年を記念して兵庫県に寄贈された。孫文ゆかりのこの建物は1984年(昭和59)11月12日に孫中山記念館として一般に公開された。1991年(平成3)、明石大橋建設にともなって建物は解体されたが、2000年(平成12)3月25日に復原工事が完成し、同年4月21日から孫中山記念館として再び公開された。この記念館では、神戸との関わりを中心とした孫文の生涯、呉錦堂の事業、移情閣の複原などの展示がおこなわれている。移情閣1993年、兵庫県の重要有形文化財に、2001年、国の重要文化財に指定された。建物は木造軸組に、外装材として無筋中空のコンクリートブロックを緊結して積み上げた構造となっている。コンクリートブロックを用いた建物としては最初期のものであり、その構造や技術を伝える遺構とし重要である。」
呉錦堂は、1854年に中国浙江省の寧波(ニンポー)に近い東山頭生まれ。明治18年(1885)長崎、明治23年(1890)から神戸に住み、幅広く貿易商を営んだ人です。
神戸市垂水区東舞子町2028-61
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孫文書「天下偽公」碑
天下を公と偽(な)すは「礼記(らいき)」(前漢)の「礼運」篇にみえ、孫文が好んだ言葉の一つです。
この碑の元とされた「天下偽公」の書は、1924年11月、孫文が兵庫県立神戸高等女学校で「大アジア主義」の講演を行ったとき、請われて揮毫したもので、現在は兵庫県立神戸高等学校の「校宝」とされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/33/a2ce907010788a462f110be4fd4465e1.jpg)
説明書より「孫文記念館は中国の革命家であり思想家の孫文(1866年~1925年、号は中山または逸仙、英文名 Sun Yat-sen )を記念する日本で唯一の博物館である。この建物は神戸で活躍した中国人実業家、呉錦堂(ごきんどう)(1855年~1926年)の別荘[松海壮]を前身としている。還暦を迎えた同氏は当時の建築の粋を尽くして増築した八角三層の楼閣に、故郷への想いを込めて[移情閣]と命名した。松海壮の本館には1913年(大正2)3月、準国賓として来日中の孫文が、神戸在住の中国人および財界有志による歓迎昼食会に招かれ立寄った。本館はその後、神明国道(現国道2号)の拡幅により撤去されたが、移情閣とその付属棟はそのまま残された。戦後は神戸華僑総会によって管理され、1982年(昭和57)に日中国交正常化10周年を記念して兵庫県に寄贈された。孫文ゆかりのこの建物は1984年(昭和59)11月12日に孫中山記念館として一般に公開された。1991年(平成3)、明石大橋建設にともなって建物は解体されたが、2000年(平成12)3月25日に復原工事が完成し、同年4月21日から孫中山記念館として再び公開された。この記念館では、神戸との関わりを中心とした孫文の生涯、呉錦堂の事業、移情閣の複原などの展示がおこなわれている。移情閣1993年、兵庫県の重要有形文化財に、2001年、国の重要文化財に指定された。建物は木造軸組に、外装材として無筋中空のコンクリートブロックを緊結して積み上げた構造となっている。コンクリートブロックを用いた建物としては最初期のものであり、その構造や技術を伝える遺構とし重要である。」
呉錦堂は、1854年に中国浙江省の寧波(ニンポー)に近い東山頭生まれ。明治18年(1885)長崎、明治23年(1890)から神戸に住み、幅広く貿易商を営んだ人です。
神戸市垂水区東舞子町2028-61
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孫文書「天下偽公」碑
天下を公と偽(な)すは「礼記(らいき)」(前漢)の「礼運」篇にみえ、孫文が好んだ言葉の一つです。
この碑の元とされた「天下偽公」の書は、1924年11月、孫文が兵庫県立神戸高等女学校で「大アジア主義」の講演を行ったとき、請われて揮毫したもので、現在は兵庫県立神戸高等学校の「校宝」とされています。
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