2023年11月29日、お参りしました。
当地区が屏風と呼ばれるのは、往古、八柱権現が天の磐船に乗って降臨し、村主伊賀目に神憑して当社を奉らしめ、その磐船が屏風の如く聳え立っているからという。古来、当村は幡多郷(現・八多)内の一村に八多神社の境外摂社として村内鎮守し、八多神社を大宮と崇る祭祀を行っていたが、明治年間に分離した。当初、淡河弾正の所領地であって、数々の奉納品や、三木城主別所長治奉献の偑刀を所蔵するも、1580(天正8)年の羽柴秀吉の三木城攻めの兵火により、社殿を始め奉納品悉く焼失した。後の1588(天正16)年社殿再建、1742(寛保2)年本殿覆再建等々の棟札を所蔵している。更に1915(大正4)年に本殿・幣殿・拝殿を新築し、翌5年に下宮と称せし岩佐神社を合祀した。
神戸市北区八多町屏風字頓行司362
map
鳥居
手水舎
拝殿
本殿
末社、金比羅神社・出雲神社・八柱神社
稲荷神社
当地区が屏風と呼ばれるのは、往古、八柱権現が天の磐船に乗って降臨し、村主伊賀目に神憑して当社を奉らしめ、その磐船が屏風の如く聳え立っているからという。古来、当村は幡多郷(現・八多)内の一村に八多神社の境外摂社として村内鎮守し、八多神社を大宮と崇る祭祀を行っていたが、明治年間に分離した。当初、淡河弾正の所領地であって、数々の奉納品や、三木城主別所長治奉献の偑刀を所蔵するも、1580(天正8)年の羽柴秀吉の三木城攻めの兵火により、社殿を始め奉納品悉く焼失した。後の1588(天正16)年社殿再建、1742(寛保2)年本殿覆再建等々の棟札を所蔵している。更に1915(大正4)年に本殿・幣殿・拝殿を新築し、翌5年に下宮と称せし岩佐神社を合祀した。
神戸市北区八多町屏風字頓行司362
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鳥居
手水舎
拝殿
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末社、金比羅神社・出雲神社・八柱神社
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