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佐賀・肥前浜宿(重伝地区)の町並み

2016-09-10 20:15:39 | 佐賀
2016年9月5日、4日の夜に阪九フェリーに乗船し、5日新門司に7時半着、台風12号を避けて大分の日田市の豆田町の町並み、福岡のうきは市の筑後吉井の町並みを散策し、再度、大分自動車道、長崎自動車道と西に進んで、佐賀県の肥前浜宿(重要伝統的建造物保存地区)に行きました。
途中の金立SAです。



佐賀県鹿島市浜町2696
map
説明書より『浜町の町並みは多良往還筋と浜川に沿って広がっており、その骨格は、往還筋を主軸とする街路、河川、そこから引き込まれた水路を構成要素として成立しています。町並みの主軸をなす街路は、鹿島から多良へ向かう長崎街道脇往還で、浜新町・大村方・八宿・中町を通って、浜橋を渡り、継の手に折れて、南舟津・庄金に至ります。肥前浜宿は、浜川の河口につくられた在郷町で、室町時代には町として成立していたと考えられます。江戸時代は宿場町として栄え、明治以降も酒造業や水産加工業に支えられ、豊かな町並みがつくられました。人口も多く、江戸時代から「浜千軒」といわれ、藤津郡でも有数の町でした。400年ほどの前の慶長年間には、スペインのドミニコ会が備前で最初の教会を建てています。このような歴史を持つ町並みでは、今でも土蔵造りや茅葺町家が建ち並び、伝統的な景観を色濃く残しています。これらの伝統的建物は、江戸時代後期から昭和初期にかけての建物が中心ですが、茅葺町家から洋館まで、バラエティに富んでいます。また肥前浜宿は江戸時代からそれぞれの地区に異なった業種の人々が住み分けていた名残りで、今でも地区ごとに町の雰囲気が異なります。そのため海道(往還)沿いや周辺には、商家町、漁師町、下町、田町など変化に富んだ風景が広がります。』
JR肥前浜駅の南300mの東西400mくらいの通称酒蔵通りです。無料駐車場が通りの両端にあります。

町並み案内図

継場(登録有形文化財)
『旅人の荷物を運送(中継)する問屋で幕府が定めた人馬の料金が適用されました。この継場の建物は江戸時代の建物で入口には馬をつないだ鉄の輪が残り、帳場の跡や人足が控えていた部屋があります。継場前の旧往還は、近年「酒蔵通り」と呼ばれ、往時の面影を残しています。』



浜郵便局跡(八宿公民館)
「明治時代になると、政府によって郵便制度が敷かれました。浜郵便局の開局は明治18年(1885)で、藤津郡内では嬉野局に次いで2番目でした。現在公民館となっているこの建物は、昭和12年(1937)に造られ、昭和50年まで郵便局として使われました。なお、現在の地名「八宿」は、「八本木宿」(昔は八本木村と呼ばれていた)という地名が短くなったものです。』

山口宗昭家住宅(湯間口醤油屋)
「この住宅は、この通りでも古いものの一つで、19世紀中ごろにさかのぼる建物です。山口家は江戸時代は武士で、鹿島藩士の名簿(着到帳)にも記されています。内部は2階建てで、元武士の屋敷らしく格式が高い造りとなっています。周囲は古い街並みが連続して良好に残り、昔の面影を色濃く残しています。」























光武酒造(佐賀県遺産)
『光武酒造場は、通りのちょうど中間に位置しています。この通り一帯には、戦前まで十数軒の造り酒屋をはじめ、醤油屋、油家、魚市場など白壁土蔵の町家が並んでいました。現在、酒を醸造しているのは数軒だけです。しかし現在でも使われなくなった土蔵が多く残り、昔の酒蔵の繁栄の様子をしのばせていることから、通称「酒蔵通り」と呼ばれています。』









呉竹酒造蔵(登録有形文化財)
「昭和8年(1934)に建てられた呉竹酒造の母屋と土蔵は、当時の経済力を反映して、ケヤキ等の「各地名材」を使用し、共にこの通りでも最も大きいものです。」



魚市場













南舟津の町並み、茅葺町家が建ち並びます

浜橋より浜川の鷺



















天満宮





お疲れ様でした。

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