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汐見地蔵尊

2023-11-21 19:00:25 | 東京
2023年11月18日、お参りしました。
 江戸時代(1603-1868)初期頃、都心東部を流れる隅田川は河口を現・中央区に属し、東京湾にそそいでいました。東側沿岸に埋立造成された島、石川島は石川八左衛門の領地で、江戸幕府下の懲役場(寄せ場)が設けられていました。河岸西部の築地側(旧船松町)は町なかを運河が流れ、水路として利用されていました。東京湾における潮の干満を観測したり、水量調整のための水門も設けられていたと言われています。
 永代橋は関東郡代伊那忠順が1698(元禄11)年に幕府の命令によって創設したものです。このあたりの川岸は、江戸に出入りする千石船の停泊地や、千石船からの荷受けや航海用具、飲用水の提供などの業務地区として栄えた土地でした。また流人を八丈島に運ぶ流人船の港が設けられ、1606(慶長2)までに1822人の流刑者が数えられています。また、小伝馬町1丁目には「囚獄」(牢獄)があり、評定所(最高裁相当)・寺社奉行・町奉行・勘定奉行・火付盗賊改から送られた者を収容していました。死罪の大半は牢内で執行され、さらに死者の内臓を"薬"として採取して専門業者が処理していたと言われています。死罪の延べ人数は10万人を超えたと言われています。
 文化4年(1807年)富岡八幡宮祭礼日に永代橋の崩落事故が起り2,000余名もの犠牲者が出ました。その後、1855(安政2)年10月2日、江戸を中心に大地震が発生して武家屋敷や町屋の多くが倒壊し、続いて市内各所から火災が起こりました。火災による約2000人の死者と、町方では1万6千棟ほどが倒壊し、4600人あまりの死者が出る大きな被害を被りました。続いて1856(安政3)年8月には大暴風雨によって多くの建物が損壊し、1858(安政5)年にはコレラが流行して武家方で2万2554人、町方で1万8680人の病死者が出ました。1862(文久2)年には、今度は麻疹が流行して1万4210人の病死者が出ただけでなく、コレラの再流行でさらに6742人が病死したと伝えられています。
 明治時代に入りこの地に怪奇現象が起こり川底から一体の石像と多数の人骨、歯牙歯骨が出ました。人骨は両国の回向院に、石像と歯牙歯骨はこの地に葬って供養しています。歯を病む者が祠前の塩を持ち帰り口中を漱げば痛みが治り、お礼に塩や揚枝を供する習しで霊験すこぶるあらたかな地蔵尊として篤い信仰を集めています。

東京都中央区湊2-18
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近所の方が掃除をされていました。

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