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イオラニ宮殿その1

2016-06-16 20:29:14 | ハワイ
2016年6月11日、セントアンドリュースカテドラル教会から南に歩き、イオラニ宮殿に行きました。予約不要のオーディオツアーは、$14.75です。日本語での説明を聞きながら部屋を廻ります。
「イオラニ宮殿は1882年から1893年までの約10年余の間ハワイ王国の中心でした。カラーカウア王と彼の後継者リリウオカラニ女王の公邸であり、またハワイ諸島の指導者たる男女が、海外から訪れた各界の名士と出会い親交を深めた所です。1796年、ハワイはカメハメハ1世により君主国家として成立しました。そして1893年、リリウオカラニ女王の代に王朝が転覆するまで存続し、まず最初に臨時政府が取って代わり、その後ハワイ共和国となりました。1898年にハワイ諸島は合衆国の領土に併合され、1959年にはそれまで準州だったハワイがアメリカ合衆国の第50番目の州となりました。1893年にハワイ王朝が終焉を迎えた後、宮殿は議会場及び行政部庁舎へと改装されました。1969年に宮殿の敷地に隣接する州議事堂が完成するまで、政府の業務はそのまま引き続き行われました。大規模な修復工事の後、1978年にイオラニ宮殿は歴史博物館として再び一般公開されるようになり、王朝在りし日の壮厳な姿を今に伝えています。」

紋章
『ハワイ王国の紋章は、ハワイ語で"ウア・マウ・ケ・エア・オ・カ・アイナ・カ・ポノ"即ち「土地の命は正義によって護られる」というモットーが刻まれています。』



ハワイの歴史
「ハワイの首長たちとその民の歴史は、最初のポレネシア人がハワイ諸島に移住して来たのは1000年以上昔にまで遡ります。ほぼ孤立した状態の島で生活していく中、ポリネシア人の先駆者たちは複雑かつ洗練された特有の文化を発達させてきました。彼らの社会的体系は、身分、階級、そして一族を基盤に構成されており、マカアイナナと呼ばれる庶民は、絶対的な権威を持つ彼らの指導者アリイに対し、神と同等とも言える崇敬の念を抱いていたのです。」
「最初のイギリス人探検家たちがハワイ諸島に到着した時、ハワイ各島の首長らはお互いに戦争をしていました。欧米人の到来後20年もする内に、ハワイ島の首長だったカメハメハが他島の首長たちを打ち負かし、それぞれの島を軍事力と外交交渉によって次第に統一していったことで、内乱は沈静化されたのです。カメハメハ1世は1810年までにはハワイ王国を築き上げ、1819年の死に至るまでの間、多数の首長による支配社会から1人の統治者によって治められる社会へ、また他から孤立していた社会が島外から訪れる外国人と絶え間なく接触する社会へ、そして自給自足から市場経済へと、様々に移り変っていく時代を通し国民を導いていきました。」



受付で料金を払って、オーディオを受け取り宮殿へ



ガイドツアー$21.75、音声案内ツアー$14.75、地下ギャラリーのみ$7







宮殿の横側























『新しい宮殿の建築スタイルは「アメリカン・フローレンス様式」と呼ばれますが、がっしりした張り出し部分や奥行きの廣井ベランダ、高い天井、そしてたくさんの出入り口や窓が配されているため、ヴィクトリア時代に熱帯や亜熱帯地方の国々に多く建てられた、植民地風の重要な政府官邸に極めて近いものになっています。』

天井





宮殿の入口
「大広間の随所に見られる見事な木々は、ハワイの歴史を物語るのに相応しい背景となっています。両側の壁に穿たれた飾り棚にはカラーカウア王への贈り物が置かれ、その上方にはハワイ王朝歴代の国王や王妃の肖像画が掛けられています。宮殿における大工仕事を監督したのは、ホノルル蒸気製材所のジョージ・ルーカスでした。彼は木工装飾部分に贅を尽くしたハワイの天然木であるコアやコウ、そしてカマニ材を用いました。」























































王座の間
「カラーカウア王の在位時代を再現すべく修復されました。王朝転覆後、王座や王冠、カメハメハ王家において代々受け継がれてきた豪華な羽のマント、公式行事の際にハワイの首長たちを先導した丈の高いカヒリなどは、すべてホノルルにあるバーニス・パウアヒ・ビショップ博物館に移され、やがてそれらは展示されることになりました。シャンデリアや鏡、軒じやばらと呼ばれる窓枠最上部の飾りやカーテン、そして中央のソファや脇に置かれた椅子など、すべては細部にわたって忠実に復元・複製されています。」

「新宮殿には最初、当時としては最新式のガス灯のシャンデリアが設置されていました。しかし世界旅行中の1881年、国王はパリで見た電灯の展示にすっかり魅了されてしまいます。こちらの方が新しかったからです。彼は早速ハワイ諸島に電気を導入し、この最新技術を披露する場として宮殿を利用しようと決意しました。トーマスA,エジソンが実用的な白熱電球ょ最初に発明してから7年も経たない1886年11月、国王誕生50年記念を祝う王室主催祝賀式典のため、イオラニ宮殿の外にアーク灯が飾られました。1887年には宮殿の主だった部屋に電気が導入されています。ハワイの人々はカラーカウア王と同様にこの新しい発明を大歓迎し、数年以内にはホノルルの通りや家々も電気が灯されることになったのです。」













勲章
「盾の形を下額縁様の飾り、ベルベットで裏張りし金箔を施した楕円形の額に、鍵付きのガラス扉を前面ら取付けたものです。これらはカラーカウア王に授与された4つのハワイ王国勲章と12の外国勲章を展示するため、ボストンの宝石商シュリーヴ・クランプ・アンド・ロウによりデザインされました。」





青の間
「非公式な行事の場合、訪問客は宮殿の正面玄関を入ってすぐ左にある青の間に通されました。ここでは小さな謁見や略式の集いなどが行われたり、王座の間での公式謁見の前に、宮殿に訪れた人々が集まったりしたのです。青色の生地が張られた椅子やソファが心地よく配され、グランドピアノがあります。ハワイ王室の方々は皆楽才に優れていただけでなく、音楽の夕べをことのほか楽しまれてので、この部屋で音楽会が催されることもしばしばのことでした。」

























正餐室
「カラーカウア王の宮廷を訪れたヨーロッパからの訪問客は、この正餐室で母国の君主たちや殊勲を受けた先達らの肖像画の下で食事をしました。英国海軍リチャードD、トーマス少将や、フランスのナポレオン3世、そしてプルシアのフリードリヒ・ヴィルヘルム4世の肖像画が重厚な食器戸棚の上に掛けられています。テーブルにはフランス製の陶磁器やクリスタルのボヘミアングラス、イギリス、フランス、中国、合衆国製の銀食器が並んでいます。」



















時計
「ブロンズとオルモル金メッキで出来た華麗な時計は、フランス皇帝ナポレオン3世から、カメハメハ4世に献上された贈物のひとつです。」







銀食器





水洗トイレ







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