「考えない練習」というタイトルの本を買いました。
このごろつくづく考えないことの大切さがわかるようになりました。
そして、考えないでいられることの難しさもわかるようになりました。
若いころの私は、考えて考えて生きておりました。
考えて考えて生きる答えを見つけようとしておりました。
そうして答えを探して来たから出会えたのですが。
考えている状態というのは、
頭の中でぐるぐる回っているだけです。
私は、ボランティアとして、時には、仕事として
こころの中の声を聴かせていただく機会があります。
そこは、それぞれの過去の痛み、哀しみ、怒りを見つけることができます。
なんとか逃れたいと、考えているつもりが・・・。
過去の痛み、哀しみ、怒りの渦のまわりをぐるぐる回っているだけの
状態に陥っていることになかなか気づくことができません。
自分自身の思考のとらわれを
少しずつ客観的に観察できるようになるにつれて
お話をうかがっている方のとらわれも見えるようになっています。
そして、考えない練習をしながら、
正直な自分と向き合い、
自身を受け入れようと努力することによって
出会わせていただいた方へのやさしさを
つまりは、自分へのやさしさを
育てられています。
娘は、友人にとても恵まれております。
娘の友人は、みなやさしくて、気立てが良くて
おまけに、美人さんが多いのです。
私は、そんな娘に、やさしくあるコツを尋ねることにしました。
そしたら、こんなメールをもらいました。
以下引用です。
自分の中に、おしゃれなかわいいマグカップがあって、
そのマグカップは、
自分の気持ちに素直になって、
自分に優しくしてあげたときに、水が入っていくの。
そうやって、自分に優しく優しくしてると
中の水が溢れて、
周りの人に、分けてあげられて、優しく出来るから・・・
周りの人も優しくしてくれる!
でも、そのグラスをいっぱいにしようと焦らなくていいと思う。
もうグラスがいっぱいで水が溢れてる誰かが、水くれるから。
とりあえず、自分に優しくしてればいいと思う。
・・・・・と、だいたい私は、考えてる。
考えられないときは、全く考えられないけど。
でも、ま、それでいいと思ってる。
私には、思考の悪い癖があります。
育った家庭は、言い争いが多くて
身うちの批判をすることが多かったので・・。
私は、つい神経質になってしまって
自然体で、自分を表現することが苦手です。
人間関係も、悪い方へ悪い方へと考えてしまいます。
これでも、ずいぶんと自分を変えてきたつもりなのですが・・・。
実は、一昨日
5月に結婚を控えた一人娘の
両家顔合わせの食事会があったのです。
そんな時 私は、
いつもの自分を保つことが、困難な状況に落ちいってしまいます。
過剰に神経を使い
物事を悲観的に考えてしまう悪い癖です。
そこからなんとか
「いま」へもどろうと苦しみました。
支えてくれたのは、夫と娘です。
育った家庭では、受け取ることのできなかったやさしさです。
何事も、100パーセント良かったり、
100パーセント悪かったりすることはないですから。
私が、負の部分だけに、強く反応してしまうのですね。
いまは、病み上がりのような気分です。
疲れて、悲しかったけれど
いまは、ほっとしたやさしさに包まれています。