here and now

ほんとうの親離れについて、私の思うこと。

お話を聴かせていただくことが好きです。

こころがあったかくなるのを感じることが好きだから。

傾聴に関わることをずっと続けて来ました。



いま感じていることです。



悩みにとらわれておられる方には、共通点があります。

ほんとうの親離れをしておられない。

こころの自立をしておられない。


ご自身の親子関係をありのままに見つめる勇気がない。

見つめたら、それを受け容れる方法をご存じない。


ご自身の痛み、悲しみを切々と訴えておられる。

この苦しい思いから、誰かに

救い出してほしいと探し続けておられる。


これは、この世に生まれた時

誰もが持つあたりまえの人間の感情です。


幼い赤ちゃんの気持ちです。


子どもは、親に、絶対の愛情を求めます。

子どもは、わがままで、自己中心的です。

それが子どもの純粋さです。


子どもの自己中心を怒る人は、

そんなにはいないはずです。

大人になれば、理解できるようになると

わかっているからです。


ところが、子どものわがままを

感情の部分で、受け容れることができない人がいるのです。


実は、その人自身が、子どもの時に、

親から絶対の安心をもらっていないからです。


親の悲しみを、子どもが受け容れたのです。

聞きわけのよい子どもです。

親孝行なよい子です。

そんな人が大人になって苦しむのです。


私の母は、後妻の子でした。

母の父、私の祖父という人は、父親を早くに亡くし

母親ひとりの手で、一人息子としてだいじに育てられました。

田舎の町会議員していて、おっとりとした人格者だったようです。

そこへお嫁さんが来て、ひとり娘が生まれたけれど

姑さんからいじめられて、子どもをおいて出て行ってしまったそうです。

そこへ、母の母、私の祖母が嫁いで来たわけです。

母は、兄二人の後に生まれたはじめての女の子ではありますが

次女として育てられたわけです。

近所には、継子いじめされていないかと

長女を見る監視の目がありました。


祖母は、周囲に遠慮して、母をいちばんに

かわいがって育てることができませんでした。

母は、幼い、自身の

当然のわがままを、抑え込んで、大人になりました。

私の母は、芯の強い、愛情深い、りっぱな人です。

けれど、母のこころの、深い部分には

常に、さびしさがありました。

まさに、この世に生まれたときの

安心をもらっていなかったからです。


母は、田舎から町の長男の家に嫁に来て

懸命に良い嫁になろうとがんばりました。

その時に、母の中にくすぶっていた感情

満たされない愛情

無意識の怒り、憎しみは、

いちばんぶつけやすい

ひとり娘の私に向かったというわけです。


「私は、母に憎まれて育ちました。」

こう申し上げたら、不快な思いをされる方

否定される方

説教してくださる方

おられるでしょう。


ただし、これは私の個人的な感じ方です。

この感情、たとえ受け容れがたい、許しがたい感情であっても

一度は、ありのままに認め、ゆるし、受け容れる段階が必要なのです。


それをするのは、最終的には、自分自身しかおりません。


しかし、ひとりでは、できない作業でもあります。





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