はなはなひろば活動日誌

横浜市鶴見区にある
子育て支援施設の日誌です

再び陸前高田に行ってきました

2011-08-27 16:58:31 | 日記

8月23日、24日、25日とスタッフなど5人で、陸前高田“きらりんきっず”に行ってきました。代表の伊藤さんに会うのは3回目です。
スタッフのお連れ合いMさんに車を出していただき、運転をお願いしました。往復1,100キロのドライブでした。
「きらりんきっず」は、24日ファンケル化粧品会社の美容師さん(あちこちの店長さんだそうです)が、7名とマッサージの方3名の方々が、情報を得て被災地の女性のお化粧をしてくださることになっていました。この日、集まった女性は約40名、お化粧とハンドマッサージをしてもらっていました。
この企画の第1回は、避難場所であった高田第1中学校(わたしたちが前に訪れたところ)で行われ、これが第2回目だったそうです。
8月始めに、「きらりんきっず」は中学校の図書室の一画のひろばから“わいわいカフェ”(太田さんという男性がコンテナなどを使って仮設の建物を建て、そこでカフェを開いている)の一部を使わせてもらえるようになり、この日、その前庭にテントを張って青空美容室を開催したのです。
わたしたちは、その前庭に横浜からもって行った衣類をブルーシートに並べ、自由にだれでも持って行ってもらえるようにしました。
紳士物の衣類が多かったのでどうかしらと思っていたのですが、予想に反して、ほとんどなくなっていました。
それ以外に、伊藤さんからベビーカーを1台リクエストされていましたので、もちろんそれも積み込んで行き、ちょうどそこに居合わせた、おじいちゃんに手渡しできました。後から、すぐにそのベビーカーに乗って、お子さんとお母さんもお礼に見えました。
「きらりんきっず」の活動場所は、ハンドマッサージに使われていましたので、来所した親子はちょっときつそうでしたが、お昼近くまで遊んでから、帰宅されました。
お化粧をしてもらった女性は、美容師さんとツーショットで記念写真、ハンドマッサージを受けている人たちは、ゆっくり話を聴いてもらいながらの時間で、とても癒されていたようでした。
何組もの取材が入って、様子をカメラに収めたり、マイクを向けたりしていたので、とてもにぎやかな時間でした。
「きらりんきっず」に来られた親子の中に、以前はなはなから宅急便で送ったベビーカーにお子さんを乗せてこられ、すでに、はなはなに送られてきていた写真付のお礼状と顔が一致し、初めてお会いした気がしないで、懐かしさと嬉しさを感じたものでした。
途中、伊藤さんのご自宅に招かれ、お母様が畑で丹精に作られたというトマト、枝豆、スイカ、とうもろこしと、都会では味わえない採りたての野菜のおいしさを十分に味あわせていただきました。
お昼は、わいわいの冷やし中華そばをみんなで食べました。隣の席に座った女性たちは、天井から蜘蛛が降りてきて大騒ぎでしたが、それも決して都会ではありえない光景で、むしろ興を添えてくれたかのように感じました。
ファンケルの一行が、仕立てたバスで帰られた後少しして、1時半過ぎに帰途につきました。
津波で流されてしまった、多分以前は高田のメイン道路だったと思われるところを、一巡してみましたが、5月の時とさほど変っていないと感じたのは、わたしだけではなかったようです。5人とも、言葉にならない思いでした。
前回よりは、わたしの気持ちに余裕があったのか、目に入ってくるものが、とても具体的に見えるものがありました。
土台だけ残された家々の連なり、その前に手向けられた花々、模型のおもちゃ、写真などなど。へしゃげてしまった車も数限りなくありました。
あちこちにうず高く積み上げられた瓦礫の山は、いったいいつになったら、きれいになるのでしょうか。
新たな町つくりはどうなるのかと考えてしまいました。
伊藤さんが、切実な思いでおしゃっていた「仕事がないので、人々が町を離れていってしまう」ということは、この現実を目の前にしたときには、痛ましいほど、分かる気がしました。
気が遠くなるような復興計画に、わたしたちも注目し続けていく必要があるのではないかと思いました。
「きらりんきっず」も「わいわいカフェ」も今は、日常に戻り静かな日々を送られていることでしょう。
わたしたちは、これからも「はなはなひろば」で出来る最大限の支援をずーっと続けて行こうと思いを新たにしました。
          M


最新の画像もっと見る

コメントを投稿