まあいずれも民主主義が行き詰ったところに救世主のように現れて、大衆の熱狂を得る点は同じだが
ネットを見てるとそういう主張する人がいる。
確かに日本のマスコミはダメな部分はたくさんあるが
だからといってネットが正しいかというとそうではないだろう。匿名の発信者によるいい加減な情報に溢れている
ネットにはその人にとっては心地よい情報に溢れている そうしてその心地よい情報だけを積み重ねて 心地よい世界(観)を作ることができる
結局ネット利用者の既成のマスコミ批判はそういう既成マスコミで掬いあげられない部分が大きくなってきたからだと思うけど まあこの辺はまだ仮説ね
しかし
ネット上では、いかにも片寄ってる人ばかり。他人の意見には耳をかさず、自分と同類だと感じれば馴れ合うが、議論というよりひたすら自己主張、自分と違う意見には感情的に攻撃する人が多いのはなぜか?(いわゆるネット右翼の態度だが、左翼系の人もそう)
結局 人は 一旦構築された自分の考え方を変えられない なぜなら一旦構築された考え方は安定した状態にあって変えるにはエネルギー(迷い、悩み)が必要
ネットには多様な価値観が溢れているが 自分の好きなものだけ取捨選択して受容できる。あえて迷い悩むために自分と違う考え方を受容する必要は無い
その人がすごい読書家で様々なテキストを客観的に読みこなしていて 多様な価値観を知りつくしている
その上でないと片寄った思想だと判断できないと思う
でもそんな人はまあ身の回りにはいないですよ
それでは何を根拠にしているかというと、漠然とこれが中立だよとされているものがあって、そこからはずれていると片寄っている思想になる
そういう漠然と中立なものはテレビが流している。流している総量が多いだけなのだけど客観的かつ中立的なように一般人には感じさせてしまう(なおテレビは少数が多数に向けて発信しているから少数が確信犯的に客観を作っているのかもしれない)
「私は無思想です」と言った場合、それは「私はテレビしか見ていない」と同義なのかも
もちろん無思想も片寄った思想のひとつであるよ
この目に見えない「思想」っちゃそもそもなんじゃらほい?
よく「世界観とか物の見方考え方のことだよ」と言う説明がされるけど
私なりに最近考えた結論は「思想=新聞などのテキスト」に過ぎないんじゃないかと思う
産経読む人は産経のテキストに書いてある論理の構造で物事をとらえるし、産経の書いてあるようなことを外部にも反復して発言する。たまに他の本を読んでも産経に推奨された本しか読まないか若しくは産経的な読み方、受容しかできない
これは産経に限らず赤旗とかゴーマニズム宣言の場合でも同様
片寄ってる思想というのはようはその人が単一的なテキストしか読んでないしそのおうむ返ししか発言していないということである
組織労働者の祭典
とはいえなんか役員議員のだらだらあいさつと決議文の朗読で盛り上がりにかける
なんか盛り上がる企画は無いものかしら
音楽とか文化(´・ω・`)?ライブ ダンパ 革命的旋律で… と自分でも意味不明なり
1年ぶりのご無沙汰です。まだ1年?
ちょっと前のコメント欄見たら濱愚痴さんを名乗る書き込みがあって、他にも知ってる名前もいくつかあったんで一瞬びっくり。
でも、冷静に考えると本人じゃないよね?さすがにそんな暇ではないだろう。アクセス解析からみてもどうも違うようだ。
むしろ近隣の人の成りすましという可能性が大な気がする。
しかしなんでそんなめんどくさくも手の込んだとするのか動機がわからん。愉快犯?ブログの更新が滞ってたから何かしら挑発して書かせようとした?
1年放置しておくとほんと話題に取り残されるなー。
ブログって何のために書くのかわからなくなってしまったのね
なんか主張してもどこかで聞いたような意見の受け売りになってしまうような感じで。
気が向いたらまた書くよ。
NHKの爆問学問で絶賛してた
なるほど20世紀少年に通じてる
もやもやとした社会不安
~はたして誰に向けてアピールしていたのかしら
CMは番組宣伝ばかりでたまに見ると創価学会や聖教新聞が提供してたりするので、経営面も含めてほんとーに大丈夫なのか?特定の勢力にのっとられてるんじゃないのか?
杞憂ならいいけど、県民のテレビだから食い物にされないよう監視していなかいとな
と思いました
来年もよろしく
昔は良かったね(あまり使いたくない言葉だけど^^;)
現代、保守も革新も理論的に後退、幼稚化した、大衆におもねって選挙やマスコミ受けする理屈ワンフレーズが幅をきかせ根本が無い
あべしんぞーが言う美と三島由紀夫/東大全共闘が言う美は全く次元が異なる
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三島由紀夫の功罪のひとつ
虚弱児が力を求めるあまり国家権力と自分の同一化を指向するっていう定型的なイメージを作ってしまったこと
小林よしのりもそういうとこあるのは、三島にひきづられているのだろうな
ブログ市長問題が、私のブログ再会のきっかけになったのですが、よくよく見るともうすでに硬軟さまざまにツッコミ入れてくださってる人たちがいるようなんで、私がいまさら書くこともねーなー。後は市民が目覚めるのを待つのみですよ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-647f.html
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ブログ市長で思い出したのが、濱口和久氏。
仮にもお世話になった栃木市に恩義や愛着を感じるわけでもなく、ブログで栃木市議に対して「レベルが低い小学生からやりなおせ」ですとよ。 http://blog.livedoor.jp/kazuhisa431014/archives/51399112.html
レベルが低いってあんたがどれほどのレベルよ、って感じ。
いまでも栃木市長特別補佐って肩書きなんだからよ、議会との関係がこじれては恩義のある市長に迷惑がかかるって想像力が働かないのかね。
石の上にも三年の気概で民主党でがんばってれば今ごろ国会議員になれていたろうに、これまたお世話になった民主党島根県連や連合島根にまさに足跡で砂かけて、自民党に鞍替えするような人間なので、これからもなかなか人々の信頼は得られないでしょうね。(自分が絶対正しい、理解できない連中はばか、という批判には耳を貸さないスタンスは、当人が批判している共産党に似ている。)
「少なくとも馬鹿と口にする当人が客観的に馬鹿に見えることも多いので、注意が必要だろう。文字通り「馬鹿という奴が馬鹿」である。」(ウィキペディアの馬鹿の項目を参照。)
この1年間仕事もしんどく(何しろ午前様、休日出勤が多かった・・あといわゆる「板ばさみ」状態になってしまうことも多くてなぁ・・そうならないように動いてきたんだが・・・)、闘病生活(メンタルもフィジカルも)もあったり、ちょっとしんどかったので、ネットもテレビも新聞も雑誌もなるべく見ないで(地元紙のみ目を通していたが)、ブログの更新もお休みしていたのですが、
最近、気概がありすぎて間に「ち」の字がはさまってる南のほうの市長の問題とか、面白い事件が多くてね。
発信しなければならんことはたくさんあるなぁ・・・と思いまして再開することにしました。
目標1日1更新!
「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と言ってのける、さすがキリスト教のメッカ(ツッコミ上等^^;)。悔い改めれば許してもらえるのですよ。
* * *
かたや日本人はよほどいらだってるのか、掲示板やらブログで、弁償しろだの学生への処分が甘いだのという主張の多いこと、多いこと。
まぁ、このニュースだけでなく、人の過ちを見つけたら、さも鬼の首でもとったようにバッシング。ほんといやな連中だ。人を見下して、自分たちが正義の味方にでもなったかのような優越感に浸っていやがる。
ます「自分たちが一切過ちを犯したことが無いと自身を持って言える人間が、彼女らに石を投げるが良い」って、言いたいね。
以下引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci
岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
<中略>同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080626-00000009-jij-soci
京都産業大学の男子学生3人が、イタリア・フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の柱に落書きしていたことが25日、分かった。大聖堂は世界遺産に登録された地区にあり、大学は3人を処分する。
同大によると、3人は19歳と20歳。3月に旅行した際、日付と名前のほか「イタリア旅行記念」「京都産業大学」などと油性ペンで落書きしたという。大学に同日、メールで通報があった。「たくさん落書きがあったのでやってしまった」と話しているという
先日、JC(青年会議所)やってる方と話したのですが、その言葉の端はしに「我々は社会に貢献するすばらしいことをやっている!自分自身を誇っている!」って感じの高慢チキな意識が見えて、なんか嫌だったなぁ。
社会貢献って別に声高に誇ることでもないだろうし、精神的にも経済的にも余裕のある人が余裕を持ってやるものだと思うんですが、なんかその必死さに違和感を覚えた。
そんで、そいつが「会社で雇ってるバイトが働きが悪い、熱意が無い。倫理意識が無い。」みたいなことを言うわけですよ。宗教やってる連中が、宗教信じない人に対して「あぁ、なんてかわいそうな人たちなんでしょう」ってな態度をとるけど、そういう感じで・・
ついワシも「黙ってても親の資産受け継げるあんたに、労働者の気持ちなんかわからんでしょう。」と言ってしまったのですが、結構やんわりと言ったつもりだったんだが・・・ストレートすぎただけに根にもたれたかもしれません。
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こういう連中が庶民感覚から遊離した天下国家論ぶってるわけですが、まあ・・・政治ごっこに熱中しすぎて会社を潰しそうな気がするなぁ・・・現に高度資本主義が進展して地方の産業は危機に瀕しているという情勢が客観的にとらえられているのか・・・まぁ会社潰れれば潰れたで労働者の気持ちもわかるでしょうが。
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まぁ、JCってもたまたま会った人がそうだっただけなんかな・・・どうなんでしょ。別のJCやってる知り合いは「会社の付き合いがあるから入っただけで、夜遊びだけが楽しみ。」と言ってたしなぁ・・・