桜の開花宣言が出てたので、ナイスタイミング。
そうだ、京都、行こう。
と思い立って、25日にネグリ不在の講演会@京大に行ってきました。今回は京阪を利用して出町柳から歩きました。京大辺りが目当てなら京阪が便利なんだな。なるほど。
翌日予定されていた『よみがえる京大サイクロトロン』の上映会にも参加する心積もりで一泊@ネットカフェし、翌朝は早くから起きて知恩寺でお念仏を聞いたり、銀閣寺・法然寺辺りまで足を伸ばして散策を満喫しました。気持ちよかったよ
知恩寺で
哲学の道
さくら~♪
さくら~♪
残念ながら固い蕾の状態がかなりありましたけど...。ニュースでは開花したよって話だったんですが、京都でも南寄りのことだったんですね。
では講演会のご報告。 池田さんのBlogでも紹介されていたのでリンクしておきます。
ぼやかしめの写真を使います
主催者を代表して、壇上にあがられたのは3名(向かって左から市田さん、王寺さん、廣瀬さん)。
最初にこれまでの経緯説明と「アントニオ・ネグリ氏来日中止に関する声明」、ネグリ氏が事前に送ってくれていたという講演原稿『大都市とマルチチュード』が読まれました。
その後、壇上の3名による討論、フロアからの質疑に応答といった手順で、2時間半があっという間に過ぎていきました。
講演原稿の内容が、私の中でまったく消化されていないので、ほとんど考えられていないのですが、少なくとも「大都市」というタームがネグリにとっては唐突ではなく、「帝国」の延長線上にある思想的タームであるということ。
唯一登場した具体的な人間像としての「都市計画者」が、原文では「ユルバニスト」であり、日本語訳にするとその実像を正確に表しきれていないことなどはわかりました。
上記はフロアからの質疑に対して応答された中で説明されたことで、双方向の知の交流が作動した結果と思います。
実は最初に質問された方が、その場の話題に直接関係のないチベット問題に言及し、結局は「日本の人権侵害など中国の人権侵害に比べたら」みたいな「演説」をぶったので、脱線するかなと少々覚悟したのですが、壇上の市田さんがかなり思い切った返しをしたため、うまく収まったと思います。
周辺的な事柄になりますが、コミュニケーションのあり方については私自身の問題関心のひとつなので触れておきたいのですが、今回のようなことが決して特殊な状況ではなく起こりうることの要因の一点は、質問者があらかじめ(講演を聴く前から)質問を決めてくるということが考えられます。応答になっていない。
これは、私にとっては専門知と一般知という差ではなく、何度か参加した学会や研究会でも感じた気持ちです。
以前にもタウンミーティングのやらせ問題に関連して書きましたが、こういった集まりは半分以上は参加者によって作られるといって過言ではない。なので、悩ましい。
某MLで知ったのですが、今回の問題の質問者は、京都では講演荒らしとして有名な人らしいです。
ただ知を公に開くといった際に、こういったことが起こりうるのは想定内だと思いますし、これに懲りて知を囲い込むという方向には行ってほしくないと部外者としては思います。
それはネグリが唱える「共(common)」の考え方にも反しますし。
ところで、実務的な話について。
今回政治犯の証明が取れなかった理由として一挙に腑に落ちたのが市田さんの話で、フランス時代のネグリが、法的なステータスをなんら持たなかった、という指摘でした。フランスにいた14年ほどの間で、ネグリは大学教授にまでなっていたのですが、「いないこと」になっていたらしいです。
イタリア政府からのネグリ引渡し要求に対して、フランス政府は「そんな人はいません」と返答していたという話でした。
というわけで、急に「査証(ビザ)を用意しろ」となった点(誰が指示をしたのかなど)は不明なのですが、その後はシステムに従って機械的・自動的に流れていってしまったのではないかとのことです。
つまり、日本の査証(ビザ)を申請する際には犯歴を「自己申告」するのですが、正直に申告した結果、「政治犯を証明する書類」が必要ってことになったわけです。
ふーむ。
機械的・自動的ってコトバから、某H法務大臣(死刑制度自動化論)の顔がチラつきますなぁ(爆)
これは、入管って厳格に作動してるじゃんという話ではもちろん無いのでしょう。何よりも「来日3日前に急に査証が必要」となる経緯、そこだけは機械でも自動でもなく、国家主権で、胸八寸で決定されています。理由など教えてくれない。
ともに来日する予定だったネグリさんのパートナー、ルヴェルさんは大阪大学や日仏会館などで講演予定でしたが、こちらも査証(ビザ)を要求されたとか。
フランス国籍の方は、本来短期滞在の場合にはビザを免除されるはずで、もちろん彼女には前歴もありません。
ビザがいらない身分(国籍)の優位性、あるいは希少性を指摘された方も居られましたが、その辺りも含めて、この当然のようにグローバリゼーションが語られる時代に、人の移動はまだまだ「自由」ではないということを、つくづく痛感した一日でした。
京大の時計台
時計台前にあるカフェで
長くなりましたので、「よみがえる京大サイクロトロン」上映会の感想は、また後日。