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by hamarie_february

おおさか社会フォーラムに行ってきた

2010-03-31 02:26:57 | イベント(他カフェ含む)

Another world is possible!― もうひとつの世界は可能だ。

テレビっ子の方はタモリさんの番組「世にも奇妙な物語」を思い浮かべたり、もしくは4次元か5次元の最先端宇宙論の話かと思われる方もおられるかもしれませんね。(ないですか...すみません)

はい。これは、2001年より始まった「世界社会フォーラム」の合言葉ですね。

以下、基本情報をWikipediaより抜粋~

世界社会フォーラム(@Wikipedia)とは、スイスのダボスで開催される「世界経済フォーラム」(通称ダボス会議)に対抗するために作られた、アルテルモンディアリスムのサミット。ATTACの呼びかけにより、ブラジルのポルトアレグレで第一回が開催された(通称ポルトアレグレ会議)。グローバリゼーションが世界にもたらす影響と問題を民衆の立場から考え議論を重ねる場。「過激な反グローバリゼーション運動」ではなく、世界の格差構造を見据えた地球規模の連帯と、民主的現実的代替案を求める世界中のNGO・NPO・社会団体による世界的ネットワーク。

世界経済フォーラム(@Wikipedia)とは、ジュネーヴに本部を置く非営利財団。ダボスでの年次総会が有名。選ばれた知識人やジャーナリスト、トップ経営者や政治指導者が一堂に会し、健康や環境等を含めた世界が直面する重大な問題について議論する場。

アルテルモンディアリスム(@Wikipedia)とは、新自由主義的なものとは異なった政治面・経済面・社会体制面などにおける人種、民主主義、平和、社会的公正の構築などのグローバリゼーションを模索・推進する諸運動の総称。

ATTAC(@Wikipedia)とは、トービン税の実現を目指す社会運動団体。

トービン税金(@Wikipedia)とは、投機目的の短期的な取引を抑制するために、国債通貨取引に定率の課税をするというアイデア。提唱者であるノーベル経済学賞受賞者ジェームス・トービンの名による。

 

というわけで、この地域バージョンとも言える「おおさか社会フォーラム」が先週、春分の日とその翌日(3月21日・22日)に開催されたので、行ってきました。

おおさか社会フォーラム 公式ブログ

「はるまきちまき」さん♪

以前から「世界社会フォーラム」の存在は知っていたし、このインパクトある合言葉もずっと頭の隅にこびりついておりました。

しかし、「議論の場」に過ぎないことへの徒労感のようなものと、極めて経済政策に軸足をおいた議論が高度でわかりにくく、ほとんど素通りしておりました。今回ツイッターで情報を得て、やっぱり一度参加してみるべと思い立った次第。

Wikipediaによると、世界社会フォーラムあるいはアルテルモンディアリスムとしては、グローバリゼーション自体(例えばインターネットやスカイプの普及)には肯定的な立場を取ります。が、新自由主義的ではなく、より社会正義に見合ったものを求める、という主張らしい。 

グローバリゼーションも新自由主義もいとも簡単に使うけど、なんとなくわかってる程度のワタシ。難しいです。

ひとつ間違えやすいのが、新自由主義の英語はネオリベラリズムだということ。つまりリベラリズム(自由放任主義)→ニューリベラリズム(ケインズ主義)→ネオリベラリズム(新自由主義)という流れになります。

で、新自由主義でなければケインズ主義に戻るのか?というと、そうとも言えず、グローバリゼーションを前提にした、社会公正的な新しい経済体制を求める立場みたいです。

ちなみにワタシ(とりあえず)は、市場至上主義で反グローバリゼーションですが・・・。

まぁ、グローバリゼーションはOK云々するものではなくて、すでに、ここにある事実です。翻って言えば、ある団体が反グローバリゼーション団体かそうでないかの明確な線引きはかなり曖昧で、かつ難しいと思います。今回の「おおさか社会フォーラム」に参加した団体も、反グローバリゼーション抗議行動をしていないほうが少ないと思いますし(過激かどうかは主観に左右される問題)。

そもそもインターネットをグローバリゼーションの功に含めちゃえば誰しも肯定せざるを得ないのかなという気もしますし・・・。

さらに困難なのは、社会的公正や社会正義とは何かという合意。

な~んて考え出すと夜も眠れないわけですが(ウソ)。

ひと昔前、世界の貧困問題の前提だったのは南北格差に代表される先進国vs途上国という図式でしたが、いまや先進国内での貧富格差が広がり、失業者・低所得者層・ホームレスなどが増加しております。他方、途上国では商機をつかんだ富裕層が出現し、都市中間層が台頭しています。

これこそグローバリゼーションが引き起こした変化のひとつで、貧富格差も国境を越えるという新たな段階が出現してきているわけです。

(これを階級格差と捉えれば、新しくもないですけどね)(ウォーラステインに言わせると、帝国的な覇権国家はいずれ没落するのでした)。

・・・と、マクロな視点で俯瞰すれば理解できる格差も、例えば「高学歴ワーキングプア」や「釜ケ崎の野宿者」、「若者の労働争議」などとミクロにテーマ化されて議論されると、ホントにそれはグローバリゼーションの問題なの?という気がしないでもありません(世代間格差に焦点が移りますしね)。

さらに、「大阪の公害」、「郵政改革」、「核兵器」や「アフガン・イラク戦争」、「普天間基地問題」までありまして、ちょっと参加団体の領域を広げすぎかなという気がしました・・・。

そもそも「世界経済フォーラム」への対抗から始まったからには、別の経済システムの模索と実践の報告をメインとするのが本筋だろうと思う(テーマで言うと、通貨取引税、不正な債務帳消し、マイクロクレジット、フェアトレードなど)のですが、それらは3つぐらいの分科会で纏めて紹介されているだけでした。

各々の分科会が、最終的に一堂に会して話し合われるような場もなかったのは非常にもったいなかったし、案の定、参加したい分科会はかぶってるし、悪くすれば、蛸壺的というか、活動紹介の見本市みたいになってしまう危険性もあるなと思いました。

と、文句ばっかり言っておりますが、やっぱり参加してよかったと思ってます。

特にドキュメンタリー映画の『悼画 金城裕治さん 辺野古・「命を守る会」のねもとにあるもの』を観ることができたのは、「活動見本市的な構成」のおかげ。偶然の産物でした。

また本筋に近いところでは、南米エクアドルから来日されていた「ジュビリー・エクアドル代表」のデルファ・マンティージャさんのお話が大変興味深かったです。

ジュビリー(@Wikipedia)とは、債務と貧困を考える世界的NGO。

いわゆる債務帳消しに関する議論は、「チャリティ」を強調するだけでは、なかなか日本人になじまないと言われておりますが、国際金融機関(世界銀行・国際通貨基金IMF)やODAなどの融資=借金が、「不正な契約」により行われたとすればどうでしょうか。例えば汚職がからむ債務契約や欠陥ダムの債務などは誰だって払いたくないんじゃないでしょうかねぇ。

また、モノ・カネ・ヒト・情報が国境を越えて活発化するグローバリゼーションの最も大きな特徴は、「ホットマネー」、つまり為替、株式、金融商品等への短期投資が地球規模で劇的に流動化したことです。その規模は実態経済の40~50倍にも上ると言われていますが、この前提となる新興市場(途上国)の金融制度、投資環境の整備や自由化促進は、国際金融機関、つまり先進各国の主導によって行われてきました。

にもかかわらず、開発が失敗したら、すべて途上国が債務を負うべきというのは、どうにも理不尽に思えます。

そうしたなかで、まず北欧のノルウェーから開発政策を進めた側である「貸し手の共同責任」の議論が出てきたそうです。

そして昨年11月、南米エクアドルのコレア大統領は、汚職を理由として「国債利子の返済停止と償還拒否宣言」を発表。

その後も貧困・飢餓問題や地球環境問題の根本的な解決、先進国による軍事的・経済的支配からの自立をめざして、次々と斬新な政策を発表しているそうです。

例えば、「アマゾンの石油開発を中止し補償を認めさせる」「世界銀行・IMFの代表を国外追放」「米軍基地の撤去」「水と食料へのアクセス権を憲法に明記」「環境債務・気候債務について先進国を追及」などなど。

いやぁ、すごいですね。

しかし当然ながらというか、日本の新聞(特に経済新聞)での報道は、かなり批判的で冷ややかなものだったようです。「そんなことをしたら国債の格付けが下がって資金繰りに困るのはエクアドルだ」と・・・。

うーん、現状ではそれも尤もな話なんですよね・・・。

(主張は容易く、実現は困難)

さて、(主張は容易く、実現は困難ということは前提として)もうひとつの世界は可能なのでしょうか。

終了間際に少しだけ参加した「気候変動・生物多様性」の分科会では、「もうひとつの世界は可能でも、もうひとつの地球はない」と言ってました。

で、なるほど!と気づいたんですね。そっかぁ、「もうひとつ」というのは、そういうことなんだと。

つまり「もうひとつ」ということの社会的意味。物理的には無理難題な「もうひとつ」が、社会的には可能かもしれない、と、この社会運動は言っているんですね(いや、違うかもしれませんが)

例えば、地域経済、地産地消ですべてが充足できるような生活をし、そういう生き方もありなのかなーと。

もちろんグローバリゼーションの恩恵を受けたい!という人は無理にそれに合わせる必要はありません。理想は、グローバリゼーションと地域経済の接続で、場合によって選択可能になることですけど、そこまでうまい話は無理かな・・・。

 

でもでも・・・世界の片隅で起こった金融危機が、瞬く間に全世界を駆け巡ってしまい、全世界の方々の生活や経済がボロボロになってしまうような、唯一無二の世界は、もうイヤだし、ヤメにしたい。

・・・と、そういうことであれば、賛成してくれる方はけっこういるような気がします。その人数が多ければ多いほど、「もうひとつの世界」は、もしかしたら作れるかもしれません。


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