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先週の土日、20~21日に東京お台場の日本科学未来館で開催されたサイエンスアゴラに行ってきました。
つぶやきはこちら→ http://twilog.org/ha_marie/date-101120
別件の旅行ついでだったので土曜日のみ。朝が弱いので出足遅く、帰り早目に引き上げし、しかも「プチついオフ」気分で、ご挨拶に忙しかったため、あまり見て回る余裕もなかったのですが、とりあえず思ったこと、気づいたこと、印象に残ったことなど、自分メモとしてあげときます。
サイエンスアゴラも今年で5回目。 さすがに骨格が固まってきたなーという気がしました。(と、一参加者の分際で大仰な書き方になっちゃいますが、そこはスルー願いますm(_ _)m)
「サイエンスアゴラは、サイエンスコミュニケーターのお祭りだ」ということの意味や認知が固まってきたなーというか…。←やっぱり偉そうw
思うに、サイエンスコミュニケーションは、 コマーシャル的なもの 問題提起的なもの、に大きく2分類されるのかなと思ってますが、 コマーシャル的なものは、サイエンスパフォーマーを初めとして、実演・工作のイベンター、各地域の科学館スタッフなど、分厚い層がいるんだなぁと改めて思わされました。
アゴラの目玉としての「プレゼンテーション・コンテスト」も、年々積み上げてきた貫禄のようなものが感じられ、ほかの企画でも、この層はより深く高くなっていて、新たな才能に驚き、たのもしくさえ感じることが多かったです。
一方、 問題提起的なものについては、足踏み状態なのかなという印象でした。
議題は、科学技術行政への市民参加の問題、若手研究者の活用の問題、科学技術の危険性の問題。。。あたりに集約されてきたと思います。
問題提起というと、やはりシンポジウム関連にならざるを得ないわけですが、幾つか見て回った限りでは、ここ数年言ってきたことからの進展を、まずダイジェスト的にスカッと見せて欲しいわけですが、なかなかそうはなってなかったですね。
シンポジウムという形態における制限もあるかと思いますが、興味があって、ずっと事象を追っかけている関係者しかわからない話かもなーと。(その割には、参加者はどこもかしこも多かったですが…。そして、そういう内輪の決起集会なのであれば、企画は大成功なんでしょうけどw)
さらに、案の定というか、参加したどのシンポジウムでも、時間が足りず(時間管理が出来ず)会場とのセッションはお預け状態でした。 そんなわけで、まったくこれまでの経緯を知らない一般の方が参加出来るようなものではないことは確かで、おそらく一般の方は、 問題提起的なものに足を踏み入れる気さえ起こらないのではないでしょうか。
サイエンスアゴラでは、 コマーシャル的なものが楽し過ぎるし、時間もないし…ということもあるかもしれませんが。 そんななか、「サイエンス大喜利」という試みは、そういった境界を超えていたのかもしれません。私は残念ながら参加出来ていないので詳細は不明ですが、企画者の意図としてはそうなのかなーと。(企画者に伺ったわけではありませんが)
それから、印象に残ったのが、「科学技術行政と市民とのつきあい方」というシンポジウム(トークセッション?)における「熟議」についての議論でした。 途中からの参加で最後のディスカッションしかマトモに聞けてないですが、(「熟議」は賛否ある議題に対して使うというが)使える技法なのかという質問に対して、パネラーが、北海道GMコンセンサス会議(熟議の一手法)を例に「使える/使えないという価値観の正反対にあるものがコンセンサス会議で、コンセンサスを得られないことの意味を突き詰めるのが目的」(←私の超訳です)と答えたことが印象的でした。
かなり哲学的(←つまり使えないw)で、これで科学技術行政と渡りあっていけるのかなと心許ないですが、渡りあうということさえも違うのかとも思ったり…。
しかし例えば、未来館で企画展示されていた「ロボットスーツHAL」が福祉用ロボットになっていった経緯などを考えると、何よりもまず、賛否は研究者の心の中にあるべきではないかと思うわけです。 HALの開発者の山海さんは、この科学技術が戦争に使われるのだけは嫌だと思い、強い意志でその方面からの誘惑を跳ね除けて来られたわけで、山海さんがTVで涙ながらに訴えていた様子を私は忘れません。(←NHKの「ようこそ先輩」w)
科学と技術は違うだとか、研究者は原理を研究するだけで後は行政の仕事だとか、高み見物してる方々には、ホントに考えて欲しい事だし、考えればこういった「熟議」に自ら足を運ぶということもあるだろうと思います。
幸い、これからは大型研究費に「科学コミュニケーションの試みと成果」を報告せねばならないようです。この報告が、やっつけ仕事になっていないか、見守っていきたいと思います。←やっぱり最後も偉そうw
> 科学と技術は違うだとか、研究者は原理を研究するだけで後は行政の仕事だとか、高み見物してる方々には、ホントに考えて欲しい事だし(略)
に関する話だと思いますが、放送大学の機関誌(?)にちょうど物理学者の対談があり、ノーベル賞を受賞された小林誠先生は、危惧される面として「発想の幅が狭くなるのではないか」とご意見されています。
色々省いて書いておりますので誤解もあるかと思いますが、ご参考まで。
めっちゃ久々のコメントでドキドキしました(笑)
ご紹介頂いた対談、全体像がわからないので、ずれてるかもしれませんが。。
何か製品化などのゴールがある場合、発想が狭くなることは必然ですから、私としてはそういう事を求めてないのです。
私が山海さんの例で示唆したかったのは、発想のままに作っちゃった(あるいは出来ちゃった)後にどうするかって問題なんです。
どうも為すがままにしちゃう(自分には関係ないと思う)人が多いのかなってことで。。
最先端研究や技術が製品に結びつかないことが多いのかなってことでした。。