浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ

 中部電力を被告にした浜岡原発永久停止裁判(静岡地裁浜松支部)の原告団・弁護団・支援組織の共同ブログです

浜岡原発ニュース 3月22日(木) 浜岡原発5号機が今日から定期検査に入りました

2012年03月22日 22時44分30秒 | 浜岡原発ニュース
浜岡原発ニュース 3月22日(木) 浜岡原発5号機が今日から定期検査に入りました

 中部電力は3月21日発表の「プレスリリース」で、浜岡原発5号機が3月22日から「第5回定期検査期間」に入ることを発表しました。

 同時に、別紙で「参考:浜岡原子力発電所5号機定期検査中の主な点検、工事[PDF:138KB]」と「 添付資料:浜岡原子力発電所5号機における主復水器細管損傷に係る対応状況について[PDF:413KB]」を発表しました。

 内容は中電のHPで読むことができます。

  ☆

 浜岡原発のトラブルに関する公式情報は、中電のHP内で「プレスリリース」と「浜岡原発 運転情報」の両方を参照してください。

 「運転情報」では「事故・故障などの情報」だけではなく、「過去の「事故・故障など」に関連する情報」も参照してください。

 「事故・故障などの情報」は「2011年」分では、1月の3号機建屋内の火災の2件と、10月の5号機損傷訴訟の和解、以上3件しかありません。2010年は3件、2009年は5件です。

 さらに、それとは別に「法律・大臣通達に基づき国へ報告をおこなった事象」の一覧が掲載されています。「1976年3月26日」に始まって「2009年12月1日」に至る71件が掲載されています。

 【文責・雨宮智彦】

原告の思い 2 大和忠雄さん(県被爆者の会西遠支部長)

2012年03月22日 22時41分23秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 2  大和忠雄さん(県被爆者の会西遠支部長)

 (2012年3月5日の第4回口頭弁論での「意見陳述」に加筆してあります)

 原水爆被害者の会の副会長兼西遠支部の支部長の「大和」と申します。1940年生まれで5才の時、広島で原爆に会いました。

 1945年8月6日と9日に、アメリカ軍が投下した原爆は「爆風」と「熱線」により、30万人近い住民の都市を一瞬にして壊滅させ、同時に強力な放射線と放射線降下物からの残留放射能で地獄を生み出しました。

 当時5才の子供だったが、あの当時の事は、今でも鮮明に覚えています。

 突然地震のように、ぐらぐらと新築の家が動き、ガラスが飛び散り、何が起ったのか分らないまま、私の祖母がまだ敷いてあった布団を頭から被せてくれたので怪我もしませんでした。

 郊外にあった私の家に市内から逃げて来られた人が5人程居られ、火傷には油を塗れば楽になるとの事で塗っていましたが、2人の方はその後何処かに行かれ、あとの3人の方は、死亡され、名前も住所も不明のまま、近所の公園で焼かれ、埋葬されました。

 当時の光景は、地獄絵図のようでした。だから広島市内の公園には、慰霊碑が多くある筈です。

 私の祖父も旧宅(爆心地から300m程度の場所)へ荷物を取りに行く途中、己斐附近で被爆し、夏なので、半袖の腕が出ている部分がケロイドになり、最後には内臓疾患で亡くなりました。

 私の中学校時代の担任の先生ですが、体格もよくて、柔道もやっていた人が、2~3ヶ月入院するからとの話だったが、そのまま亡くなられました。後で原爆病だったと聞き、家もごく近所だった事もあり、ショックでした。

 友人・知人達が広島に来た時、平和公園・原爆記念館・資料館を見せる度、当時の光景が浮かび、辛い思いをします。
 
 63年経過した2008年に「胃ガン」になり胃を4分の3切除し、「原爆症」に認定されております。何故今になってと思いましたし、5才のことで何が原因かが思い当たりませんが、被害者の死体を焼くのを見ていて、その空気を吸ったためかと思っています。

 私どもの団体は、日本原水爆被害者団体協議会、通称「日本被団協」と言います。一貫して核廃絶を掲げ、非人道的な兵器の使用によって地獄の体験をした私達は、再び同じ苦しみを地球上の誰にも味あわせては成らないことを、国の内外に語り伝え、語りついで行かねばと活動しています。

 生きながらえた被爆者は、「家族」「友人」「住む家」も失い、職場も学校も失って悲嘆のどん底に陥れられながら、多くの苦しみを一つ一つ乗り越えて、ヒロシマ・ナガサキをよみがえらせました。

 放射線の健康に与える影響に不安を抱き続けてきた、被爆者は同じ苦しみを地球上の誰にも決して味あわせては成らないと核兵器の速やかな廃絶を求め続けてきました。

 この度の原発事故の深刻さに学び、全国の電力会社に私達被団協が原発操業停止と廃炉を求め申し入れました。2011年10月13日、中部電力に
   新・増設計画を取りやめること。
   現存する原発について年次計画を立てて操業停止・廃炉にすること。
   自然エネルギー・再生エネルギー利用に大転換する事。
  結果、中電の回答は「国策が決まらないので、私どもには何も回答できないとの事 でした。片一方では国策が決まらないと言いながら、1,000億をかけて防潮堤を 作る手配をしていることはどうかと思います。

 原子力エネルギー利用に100%の安全性はありません。しかも2万発以上が存在する核兵器の廃絶も急がねば成りません。

 放射性降下物からの放射性被爆で恐れなければ成らないことは、目に見えない程の微粒の放射降下物を、鼻や口から吸引、摂取する事による「内部被爆」です。この内部被爆は可能な限りさけねば成りません。放射性降下物による放射能障害は短期に発症するのはまれで、相当の期日後に発症する事が殆どです。

 国民に放射能障害をもたらす、原発・核兵器の廃絶をこれからも求め続けます。    


原告「準備書面(1)」を読みたい方はメールで送りますのでご連絡ください

2012年03月16日 22時44分05秒 | 浜岡原発裁判の内容

原告「準備書面(1)」を読みたい方はメールで送りますのでご連絡ください

 3月5日に提出した原告側「準備書面(1)」を読みたい方は、このブログ(メッセージで)か事務局にご連絡ください。メールに添付して送ります。

 また原告訴状なども、欲しい方はご請求ください。

 近くの方でしたら、USBメモリーで受け渡しすることもできます。

 パソコンの使えない方(ご自分では、ここにアクセスできませんが)は、紙で印刷した書面をお貸しして、自分でコピーしてもらい、元の書面は返してもらう方法もありえます。

 今のところ、事務局で印刷して配布する方法は、事務局の負担が大きすぎて、取れないと判断しています。

 すみません、そして、まだブログにファイルを埋め込む方法がわからないので。わかりしだい、ブログに埋め込みます。

 【事務局・中谷信和】


浜岡原発裁判支援の行動 3月11日(日) 東日本大震災1周年の浜松行動に参加・あいさつ

2012年03月12日 21時22分43秒 | 浜岡原発裁判支援の行動等

浜岡原発裁判支援の行動 3月11日(日) 東日本大震災1周年の浜松行動に参加・あいさつ

 3月11日(日)、3・11東日本大震災・福島第一原発事故1周年のメモリアル行動が全国でおこなわれました。

 浜松では「浜岡原発はいらない浜松の会」が12時から3時まで、JR浜松駅前の広場でおこなった「浜松行動」に、私たちも参加して、浜岡原発永久停止裁判代表の桑山源龍さんがあいさつをおこないました。

 集会参加者は約220人でした。

 


浜岡原発裁判支援の行動 3月10日(土) はままつ共同法律事務所10周年で訴え

2012年03月12日 21時17分18秒 | 浜岡原発裁判支援の行動等

浜岡原発裁判支援の行動 3月10日(土) はままつ共同法律事務所10周年で訴え

 3月10日(土)12時から午後3時まで、浜松市中区JR浜松駅前のホテルで開かれた「はままつ共同法律事務所創立10周年」記念のレセプションに参加しました。

 共同法律事務所からは弁護士として、塩沢さん、杉尾さん、平野さんの3人と事務員の天野さんが浜岡原発裁判を担当しています。

 「浜岡原発永久停止裁判」から原告などが参加、事務局の落合勝二がごあいさつをしました。

 


わたしの思い 3月5日(月)第4回口頭弁論を傍聴して Y・K

2012年03月12日 21時05分46秒 | 原告・支援者の思い

わたしの思い 3月5日(月)第4回口頭弁論を傍聴して Y・K

 1、意見陳述は、宗教者、被爆者、市民、よく考え抜かれた人選と思います。それに、その内容もよかったです。

 2、今回の立証の内容も、なるほどと思い、ワクワクするものです。息の長い斗いですが、頑張っていこうと思います。

 3、もう少しすると事故調査委員会の報告が次々と出ると思います。すると、立証にさらに有利な状況になると思いますがl。しかし、あまり長期化させない方針なのかどうか

 ※ 斑目委員長が、民間の事故調のヒアリングで「建てるべきでないところに建てた」こともまちがい、と証言をしたようです。これももう少し事実かわかればと思います。

 ※ 原子炉の中がもしかしたら地震で破壊されたかも知れないことも。

 4、大橋弁護士の「わかりやすい裁判」「マイ訴訟」もなるほどと、よく納得できました。まわりに広めて、頑張りたいと思います。

 

 


浜岡原発裁判日記 3月5日(月) このブログへのみなさんのアクセスが過去最高に

2012年03月07日 05時37分58秒 | 浜岡原発裁判日記

浜岡原発裁判日記 3月5日(月) このブログへのみなさんのアクセスが過去最高に

 今日は、ブログ開設から43日目です。

 昨日、このブログへのアクセスが「134PV、63IP」で、一日の記録では過去最高になりました。

 つまり、63人の方が、134回アクセスしていただいた、ということで。アクセスしていただいた皆さんに、深く感謝いたします。

 累計で、1170人、2095アクセスです。

 ありがとうございます。

 これからも見に来てください。

 


浜岡原発裁判の解説 昨年の提訴への中部電力の反応を中電HPで見ることができます

2012年03月07日 05時03分47秒 | 浜岡原発裁判の内容

浜岡原発裁判の解説 昨年の提訴への中部電力の反応を中電HPで見ることができます

 私たちが「浜岡原発永久停止訴訟」は昨年5月27日に静岡地裁浜松支部に提訴、別のみなさんが静岡地裁に7月1日に「浜岡原子力発電所運転終了・廃止等請求訴訟」を提訴しました。

 この2つの提訴以前に、静岡地裁で敗訴し、現在、東京高裁でたたかわれている浜岡原発訴訟があります。

 つまり、現在、浜岡原発についての3つの訴訟があり、それぞれ「東京高裁」と「静岡地裁」と「静岡地裁浜松支部」で争われています。

 このブログでは、この3つの訴訟を、それぞれ「東京訴訟」「静岡訴訟」「浜松訴訟」と命名して、解説していきます。

  ☆

 このうち昨年提訴した2つの訴訟に対する被告・中部電力の反応を、中部電力のホームページで見ることができます。

 浜松訴訟については、中部電力の「プレスリリース」の5月27日(提訴日)に書かれています。下記です。  

http://www.chuden.co.jp/corporate/publicity/pub_release/press/3157579_6926.html  

 静岡訴訟については、同じ「プレスリリース」の7月1日(提訴日)に書かれています。下記です。

 http://www.chuden.co.jp/corporate/publicity/pub_release/press/3160124_6926.html

 みなさん、実際にごらんください。

 実際に見てわかるように、「静岡地方裁判所浜松支部に、浜岡原子力発電所の「運転永久停止」を求める訴訟」と「静岡地方裁判所に、浜岡原子力発電所の運転を終了することなどを求める訴訟」が違うだけで、あとは、まったく同じ文章です。手抜きではないですか?

 そして、中電は「当社は、今後、津波に対する安全性を一層高めるため、防波壁の設置などの対策を速やかに実施するとともに、浜岡原子力発電所の運転を再開するにあたりましては、地元の皆さまを始めとして広く社会の皆さまに、その内容をご説明してまいることとしております。」と言ってます。

 「広く、社会のみなさまに」って、ボクは聞いたこともありません。

 そして「今般、訴訟が提起されましたことは、私どもにとって誠に残念なことと考えております。」としています、

 さらに「今後、訴状の内容を詳細に検討したうえで、浜岡原子力発電所の安全性について、裁判所のご理解を得るよう最大の努力を払ってまいる所」としています。

 「浜岡原子力発電所の安全性について」、住民の「ご理解を得るよう最大の努力を払って」はくれないのですね。

 今調べたら、2003年7月、現在の東京高裁訴訟が静岡地裁に提訴されたときの、2003年7月3日の中電発表(ホームページで見れます)も、基本的骨格は同じでした。

 なあんだ、過去の文章の使い回しですね。 

 「私どもにとっては誠に残念なことと考えております」と「の内容を詳細に検討したうえで、浜岡原子力発電所の安全性について、裁判所のご理解を得るよう最大の努力を払ってまいります」という部分は4つの文書で、すべて共通しています。

 こういう文章を、ホームページに掲載している中電のHPは、そのなかで生きている個人・人間の声がまったく聞こえません。

 どうしたら「原発が安全であることを市民にわかってもらえるか」という中電職員の声・思いは、まったく伝わってきません。

 中電にとって、裁判とは、その程度のものか、と感じます。

 【雨宮智彦・文責】


浜岡原発裁判 第4回口頭弁論 3月5日(月) 報告

2012年03月05日 19時52分42秒 | 浜岡原発裁判日記
浜岡原発裁判 第4回口頭弁論 3月5日(月) 報告

浜岡原発永久停止裁判 第四回口頭弁論 2012年3月5日(月)雨

 10時 弁護士会館に原告や傍聴者が集まり始めた。傍聴抽選のために裁判所に出かける。

 10時30分 雨天のため裁判所内の待合室で傍聴の抽選。抽選で外れた原告も、30席分の原告席で傍聴に参加。しかし、入りきれない参加者は法廷の外の待合室等で閉廷まで待っている。

 参加者には事務局から、今日の裁判の日程や準備書面内容の目次、陳述する原告3人の紹介などを載せた案内チラシを配布した。
 
 参加者80人。

 11時 裁判が開始。

 裁判長は藤原俊二、右陪席は鈴木雅久、左陪席は石川慧子
 
 訴訟代理弁護士17名のうち、今日の参加者は12名

   田代博之、大橋昭夫、森下文雄、塩沢忠和、杉山繁二郎、阿部浩基、
   杉尾健太郎、小池賢、平野晶規、加茂大樹、末永智子、山形祐生、
   名古屋から北村弁護士参加。
   
 中電側は10名の参加。

 最初に、原告3人による口頭陳述
    桑山源龍さん(第四次原告・浜松市) 11:03~11:08
    大和忠雄さん(第四次原告・浜松市) 11:08~11:14
    神崎伸子さん(第三次原告・磐田市) 11:14~11:19
 
 3人ともに、宗教者の立場、被爆者の立場、母親の立場、それぞれ、自分の気持ちとともに、自分に関わる分野での原発に関連した訴えで、裁判官にじっくり聞かせる内容であった。陳述が終わるたびに、静粛にする必要がなければ、大きな拍手を送りたい気分であった。

11:20~11:45 阿部浩基弁護士が、準備書面(1)を陳述した(その内容は報告集会で要約報告)。

   陳述後、阿部弁護士は訴訟の進行として、今回の書面に続いて、次回追加の書面を出す。その内容は、以下の5点であることを説明した。
  ① 放射性物質の人体への影響、危険性について
  ② 過酷事故対策が取られていないこと 
  ③ 原発がなくても電力供給に支障がないこと、原発は効率的でないこと
  ④ 使用済み核燃料の問題「トイレなきマンション問題」
  ⑤ 福島原発事故をどう考えるか、実態はどうか。
 原告としては、被告側の反論は、その後でいいとした。

 裁判官は、次回公判は、6月11日(月)15時からで、6月4日までに原告の追加の書面を提出すること、その後、進行協議をもうけるとした。

報告集会  地域情報センターホール 12:03~12:55

 司会 落合勝二

 最初に田代博之弁護団長のあいさつ

 4次原告52名が新しく参加してのはじめての裁判になる。一次から四次までが勢ぞろいした。弁護団も浜松からの弁護士が加わって完備された。原告三人の陳述内容も、裁判が前進している証だ。
支える会も活動している。全国的にも裁判が起こり、立ち上がっている。全国と連帯した裁判だ。この裁判は大きな責任がある。日本だけでなく、全世界のための核廃絶のとりでとなることは疑いない。 
今回は科学的、工学的、物理的反論を行った。今後も意義ある口頭弁論を団結して頑張っていこう。

 次に、報告集会に参加の弁護団の自己紹介(塩沢弁護士は、報告集会は欠席)がされた。

 阿部弁護士から、準備書面の内容紹介があった。今回は、被告中電側の準備書面への反論であった。

  ① 原告がどこまで立証しなければならないのか。資料もないし、限界がある。危険性がないというのであれば、被告が立証すべきだ。従来は原告が事故の具体的危険性を示せということであったが、これには限界がある。考え方を転換する必要がある。
  ② 浜岡原発の危険性を主張した。
  (1) 政府の安全審査指針は、事故が起こった時、単一故障の対処でクリアできるという考え方をしている。福島の原発事故では、一か所ではなく、共通原因のもとでに同時に多数の故障が起きている。安全指針はそうなっていない。問題がある。安全委員会も瑕疵があったと認めている。
  (2) マークⅠ型格納容器の欠陥
開発したアメリカの技術者が欠陥があるといっている。日本の設計者も問題があるとしている。
  (3) 使用済み核燃料プールの破損の危険性
格納容器が最後の防護壁としているが、使用済み核燃料プールの安全性に問題がある。
  (4) 地震と耐震設計
日本は地震国。アメリカやフランスは地震のないところ。アメリカも西部の地震帯を避けて建てられている。日本だけが地震のあるところに立っている。アメリカから来た地震を想定していない技術では、一応考えていても十分ではない。
  (5) 平成12年に安全指針の改定があった。加速度800ガルとなった。中電は1000ガルとしている
が、柏崎刈羽原発では、1600ガル以上であった。浜岡は大丈夫か。耐震設計基準自身が古くなっている。現指針をクリアしているからだけでは安全とは言えない。国のバックチェックもまだ終わっていない。指針自体を改定する必要がある。
  (6)津波 中電は、原発の前に砂丘があり、堤防があるから何もしなくていいと言っていた。それでも心配だとして、防潮堤をつくっている。言っていること自体が矛盾している。科学的だといっているが、これから検証が必要だ。
  (7)  地震時地殻変動
 地盤の隆起やへこみで原子炉や格納容器が心配だ。全体が1メートル隆起すると言われる。中電は、相対的隆起で凸凹ではないと言っているが、必ずしもそうではない。柏崎では、建屋自体が傾いている。地盤が傾いているからだ。いまの指針では考慮しなくてもいいことになっている。
  (8)  先行する裁判では、地震動の強さがどのくらいかについては研究者の意見が異なる。裁判所は被告側が通説で、原告側は仮説だとして、切り捨てている。まだ究明されていない。安全性に余裕を取る場合、最大限の大きな地震が起こると予想して対策を取るべきだ。
  (9)地盤  活断層が本当に動かないのか。
  (10)  原子炉の老朽化 先行裁判でも大きなテーマになった。その結果、浜岡1,2号機廃炉になった。3,4号機
でもひび割れ、配管が薄くなっている、圧力容器が中性子でもろくなっているなど、対策は十分か。
  (11)  テロや航空機事故対策も考慮しているか

 続いて大橋弁護士からの補足説明があった。

 阿部弁護士の弁論は緻密であった。分かりやすい訴訟をめざしている。

 3人の原告陳述も分かりやすかった。裁判官が人間の心を持っていれば伝わるはずだ。社会的常識を示していけばいい。これまでは難しい裁判であった。我々は手作りの裁判をすすめ、危険な面を出していけばいい。今後も原告の陳述をしていこう。
 次回公判は6月11日15時からだが、4月28日13時半から17時まで、県教育会館で、弁護団と原告有志で学習会を行う。書面づくりに原告も参加していこう。
 市民運動が大切だ。千人、一万人訴訟も起こっている。この裁判の原告は静岡市はごく一部。東部と中部の人たちをどうしていくかも課題。神奈川、首都圏にも、さらには愛知県にも呼び掛けたい。
 国に対しての裁判も玄海、柏では視野に入れている。マスコミも大切だ。法廷外のとりくみが大切。
 今後も、弁護士は老いも若きも頑張りたい。

 会場からの質問。

  ① 民間や政府、国会の事故調査委員会の報告書が出るが、福島では、地震で原発が壊れた可能性もあるので、これらの報告書を裁判で活用してほしい。 → 活用するつもりでいる。
  ② 国会のなかで、斑目氏は「建てるべきでないところに建てた」といっているが、どこのことを言っているのか。  
  ③ 分かりやすい裁判をすすねるということはいいことだ。

 大橋弁護士の話。

   今後の裁判の進め方は、原告の主張、被告の反論という繰り返しになり、丁々発止はないかもしれない。あまり早くに進行するのが有利かどうかは分からない。技術論争をやらないわけではないが、素人の裁判として、手作りの常識的線で追い込んでいく。原発はだめを風化させないことが大切だ。

 名古屋・北村弁護士

  30名の弁護士のいる名古屋の第一法律事務所所属で、弱い人に寄り添う法律事務所です。
  原発のことで、いろんなところに出かけている。前からここには来たかった。35年前、名大の恩師が口酸っぱく原発のことを言っていた。脱原発弁護団が昨年7月、120名で結成された。二か月に一回、東京で会議をやっている。浜岡原発のことは知りたかった。もう一つの静岡の裁判にも行っている。こちらにも関わりたい。二つほど感銘を受けた。静岡とはやり方が違う。
  ① この裁判では、意見陳述をそれぞれの階層の人が、生活に密着した主張をしている。静岡裁判では、陳述すると言っても一言で終わってしまう。
  ②  弁護士も裁判官に分かるように主張している。静岡では意見陳述がない。  
 私は、中国残留孤児の裁判やイラク違憲訴訟にも関わってきた。イラク訴訟では歴史的な判決が出た。4000人の原告で、毎回意見陳述をした。DVDを見せたり、毎回図書館などで資料を取り、具体的な訴えをした。具体的で身近なものを裁判所に伝えていくことだ。
 全国各地に出かけているが、名古屋で訴訟を起こすことは難しいが、14000人の人に事務所ニュースを発行しているが、反応はある。これから弁護団会議、裁判にも出かけたい。

 会場から若い弁護士の感想を聞きたいという声が出て、若手を代表して末永智子弁護士が発言した。

 末永弁護士

  私は書面の津波のところを書いた。文系なので、科学的なところは得意ではない。みんなに助けられて、書き上げた。これからも充実した書面を書きたい。
 
 最後に、あいさつで集会を終了した。
 
 次回のテーマの紹介があったが、その内容に賛成だ。福島の被害実態は問題だ。放射線被害は長期間見ないと分からない。過激な判断は慎んだ方がいい。故郷に帰っても、仕事がない、人口が少ない中で、どうするかに直面している。どこでも起こる事態だ。経済学の領域でもっとやってほしい。3月、福島で経済学会以外の参加も得て、別の学会がある。福島の実態報告を学問の
世界でどうとらえるか。地味な仕事ではあるが、裁判官の心を打つように、事実でもって究明していく。

 【執筆・長坂輝夫】
    
   

原告の思い 1 桑山源龍さん(浄土宗栄秀寺・前住職)

2012年03月05日 16時04分03秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 1 桑山源龍さん(浄土宗栄秀寺・前住職)

 (3月5日の第4回口頭弁論で、原告として発言した内容です)


 私は浄土宗、栄秀寺の前住職で、桑山源龍と申します。前住職ではありますが、春、秋のお彼岸とお盆には、町内の檀家さんのお宅を回り、お経を詠んでいます。

 昨年の春、彼岸の7日間には、お経がおわったお茶の一服には、決まったように東日本大震災と大津波に続く福島原発の爆発事故が、話題の中心になりました。私も、原発が爆発している様子をテレビで見て、どれだけの放射能がまき散らされているか、心配でなりませんでした。

 ですから、浜岡原発永久停止訴訟、この「裁判の原告になってください」との呼びかけには躊躇することなく参加しました。

 私が知る何人かの宗教者から10年も前から原発の危険を訴えられ学習してきたにもかかわらず、具体的な行動をまったくといっていい程、おこなってきませんでした。福島原発事故を目の当たりにして、「知ってはいるけど行動できなかった」ことを深く自省いたしました。

 原発事故は生きとし行けるものの「命」を不安にさせ、「命」を奪い取るものです。

 こんな事態に直面し、昨年秋、全国104の宗派・団体が加盟する全日本仏教会は宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」を採択し、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指すことを呼びかけ、日本カトリック司教団も国内のすべての原発の即時廃止を呼びかけるメッセージを発表しました。

 春・彼岸も間近になりました。檀家さんのお宅を廻ってお寺に帰る頃は、真っ赤な夕日がお寺のイチョウの背景に、真西に沈んでいきます。そのたびに私は善導大師の「発願文(ほつがんもん)」を心の中で読み始めます。

 「彼の国に到りおわって、六神通をえて、十方界に入って苦の衆生(しゅぜい)を救攝(きゅうしょう)せん」

 (あの世に行き着いたら、六つの神通力を得て、この世に戻って、苦しむすべての人々を救いたい)。

 私は80才になりますが、我が国に原発を作ってしまったことを子どもたちや孫たちに懺悔を込めて、「命」と共存できない浜岡原発とすべての原発の廃止を訴え続ける覚悟です。



 ※ 善導大師(ぜんどうだいし) 中国・唐の時代、西暦7世紀の人。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立した。



浜岡原発裁判 第4回口頭弁論 3月5日(月) 速報

2012年03月05日 15時52分28秒 | 浜岡原発裁判日記
浜岡原発裁判 第4回口頭弁論 3月5日(月) 速報

 雨が心配でしたが、小雨でした。

 第4次提訴を2月7日におこない、原告が181人に増えた第4回口頭弁論が午前11時から、静岡地裁浜松支部でおこなわれました。

 約80人が参加し、傍聴席は60席なので抽選になりました。

 原告側「準備書面(1)」の弁護士による口頭弁論と、原告3人の口頭弁論をおこないました。

 原告は第4次原告で宗教者から栄秀寺前住職の桑山源龍さん(第4次原告団代表、浜松市)、第4次原告で広島で5才で被爆した大和忠雄さん(浜松市)、第3次原告団から神崎伸子さん(磐田市)が女性の立場でそれぞれ5分間の発言をおこないました。

 法廷終了後、報告集会を地域情報センターホールでおこないました。

 弁護士さん12人が前に並んだので、急遽、机を1つ追加しました。

 法廷では次回第5回口頭弁論は、6月11日(月)午後3時開廷と決まりました。

 テレビ局のビデオカメラがNHKなど4台来ましたので、たぶん夕方のニュースで報道されると思います。見た方は、どのテレビ局でどういうニュースだったかご一報ください。

 報告集会のあと、代表の桑山さんと浜松中央郵便局に寄って、振替口座開設の手続きをおこないました。まもなく、郵便振替口座を開設できると思います。

 【原告団事務局・中谷則子】