静岡県の会代表の林弘文さんからいただいたものを著者の許可を得て掲載します。
浜岡原発の事故・故障(2013年3月19日現在、林弘文作成)
浜岡原発1号機(電気出力54万kW沸騰水型、Mark-1、11976年3月営業運転開始)
2009年1月運転終了。廃炉。)
〃 2号機(電気出力84万kW沸騰水型、Mark-1、1978年11月 〃 )
2009年1月運転終了。廃炉。)
〃 3号機(電気出力110万kW沸騰水型,Mark-1改良、1987年8月 〃 )
〃 4号機(電気出力113.7万kW沸騰水型、Mark-1改良11993年9月〃 )
〃 5号機(電気出力138万kW沸騰水型改良型、Mark-1改良2005年1月〃)
1974年10月(浜岡1号) 試験運転中、再循環配管バイパス管に「応力腐食割れ」発見。
加工時にひずみが残り、使用する水の温度さで、溶接部に平衡に長さ12mm
、深さ2.4mmのひびが発生。
1975年10月(浜岡1号) 燃料保護容器チャンネルボックス損傷の恐れ―冷却水孔閉塞。
1976年3月26日(浜岡1号)主蒸気隔離弁パッキング部より水の滲み―原子炉1日停止
点検修理。
1976年5月23日(浜岡1号) タービン湿分分離器レベル・スイッチ不調のためタービ
ントリップし、原子停止。
1976年6月5日(浜岡1号) 再循環ポンプM-Gセットトリップで出力低下。
1977年9月25日(浜岡1号)定期検査中、圧力容器の給水スパージャー近辺部分にひび
割れ発見。熱的疲労(炉内温度280度、給水温度180度)による。グ
ラインダーで削りとる。給水スパージャー付近の工法を改良した。
同じく圧力容器の制御棒駆動水戻りノズル部にひび割れ発見(奥行き20
cm、深さ最大9mm。16mm厚さを削り取り、炭素鋼に達する。熱的
疲労(制御棒駆動水温度30度)によるもので、ノズル部分を塞ぎ使用を
やめた。
1977年11月4日(浜岡1号)定期検査中、再循環系ライザー管の応力腐食割れ発見。
1977年11月12日(浜岡1号)定期検査中、制御棒駆動水戻りノズルのひび発見。
1978年2月22日(浜岡1号) 制御棒駆動水圧管(178本)すべて腐食、数本に水の滲
み発見、すべて交換。
挿入用配管(外径3.4cm、肉厚4.5mm)98本
引き抜き用配管(外径2.7cm、肉厚3.9mm)98本
そのため、1978年12月20日まで、約1年半原子炉停止。
世界に例がない。
1978年6月(浜岡1号)放射性廃棄物入りドラム缶放置など、放射線管理不良で労働基準
局検査。(内部告発による)。
1979年3月22日(浜岡1号)給水制御系の警報設定器誤作動で原子炉停止。
1979年4月18日(浜岡1号)B-補助ボイラー蒸気管の損傷発見。
1979年12月 浜岡原発周辺採取の松葉、カキ殻からマンガン54、コバルト60 検出。
(名大理学部、古川研究室分析)。静岡県および中部電力でも追試し、浜岡
原発起源と確認。)
1980年2月4日(浜岡2号)原子炉冷却材浄化系再生熱交換器逃し弁出口温度上昇を発見。
原子炉を停止し、2月10、11日発電停止し、同逃し弁内面を研磨ししま
り具合調整。
1980年3月15日(浜岡1号)A-補助ボイラーを点検中、蒸気管からの水漏れ発見。
1980年9月29日(浜岡1号)高圧給水加熱器の小配管から蒸気漏れ発見し、原子炉を停
止して点検。ベント管の内面浸食で減肉、小孔を発見、炭素鋼をステン
レス鋼に交換。
1980年12月24日(浜岡2号)調整運転中、B-原子炉再循環ポンプM-Gセット停止。低
出力運転を継続。
1981年4月23日(浜岡2号)格納容器内のバルブのパッキング部の圧力逃し配管の温度
上昇。3日間原子炉停止。
1981年7月20日(浜岡1号)濃縮廃液ポンプの軸封水用配管の切損 約1トンの廃液漏
れ、廃液中のソーダが炭素鋼を腐食。ステンレス鋼に交換。
1982年2月2日(浜岡2号)調整運転中、格納容器内の弁駆動用窒素系から窒素ガス漏れ。
原子炉停止。
(1982年から1985年の間、中部電力から原子炉の事故・故障が1件も報告されていない。
しかも、13か月もの連続運転を行っている。夏季に行っていた自主点検は、「正常に運転
している原子炉を止める方が危険性が高い」との理由でとりやめている。そのためか、1987
年以降、原子炉の事故が急増している。無理な運転か、老朽化のためではないかと思われ
る。)
1985年4月25日(浜岡1号)運転中,主蒸気止め弁の寸動試験で試験装置の不調を発見。
点検・補修のため出力低下。
1985年7月24日(浜岡2号)定期検査中、屋外循環水配管の塗装作業者1名転落死。
1986年9月26日(浜岡2号)取水路内部で1名死亡。
1987年8月28日(浜岡1号)原子炉再循環ポンプ停止制御回路の電源系統(電磁接触器)
の損傷と同停止系制御回路の補助リレー端子リード線接触不良から再循環
ポンプ1台停止、タービン停止、原子炉自動停止。
1988年2月1日(浜岡1号)原子炉再循環ポンプ駆動設備の保護装置電源スイッチ(電磁
接触器)1台損傷、その結果、再循環ポンプ2機とも停止、出力は約1分後に54万kWから22万kWに急降下。点検のため原子炉停止。
世界的に例がない。
1988年5月22日(浜岡2号)高圧注入系蒸気管のドレン配管から水漏れ
水(液体の相)と蒸気(気体の相)が流れているときに起こる浸食で
配管内面に馬蹄形のへこみができ、最大の部分に穴があいた。
1988年7月20日頃(浜岡2号)原子炉再循環ポンプB封軸部冷却本体と冷却水配管を結
ぶフレキシブル・チューブ銀ろう溶接部に亀裂―水漏れ。原子炉を止め、
点検・交換。
1988年9月17日(浜岡1号)定期検査中、圧力容器下部から2~3秒に1滴の水漏れ。(日
本ではじめての事故)インコアモニタ・ハウジング(炉内計装管を収納す
るため圧力容器下部に取り付けられている管)30本中1本に長さ13mm
の傷が発見された(ヘリウム漏洩テスト、空気泡テスト、ファイバースコ
ープによる内面目視検査、渦電流探傷試験、超音波探傷試験を実施)。原因
は溶接を丁寧にやりすぎ、引っ張り残留応力があり、応力腐食割れと判断。
容器内の1次冷却水・燃料をすべて抜き取り、圧力容器の洗浄。放射能の
低下を待ち、人海戦術での修理が必要。
1988年10月1日(浜岡2号)6月17日からの定期検査で、高圧注入ポンプの異常振動
があり、異物が定検中に混入し、羽に絡みついていた。
1989年5月9日 中部電力と公害連との交渉
浜岡1号機の圧力容器からの1次冷却水漏れ事故についての検査方法と
結果の説明 傷の形状、鋭敏化から「応力腐食割れ」と結論。
1989年9月19日(浜岡3号)定格出力運転中、主蒸気隔離弁の作動試験で、8弁のうち1
弁の作動が確認できなくて、原子炉を停止。弁を分解して調査すると、弁体
摺動ガイド(ガイドリブ)にわずかなへこみがあり、弁体の下部ガイドにあ
たり弁体に引っかかっていた。原因は蒸気の流れで弁体が振動し、ガイドリ
ブに弁体下部が繰り返して接触したと推定。へこみ部分をステライトで肉盛
り溶接して元にもどした。
1989年10月12日 中部電力と公害連との交渉
浜岡2,3号機事故の説明、および1号機の事故の再説明
1990年4月24日 中部電力と公害連との交渉
浜岡原発1号機の事故の再々質問。浜岡1,2,3号機の運転状況、同4号機の
建設状況についての説明。
1990年10月25日 中部電力と公害連との交渉
1号機:6月17日に第11回定期検査に入る。1988年、1989年、インコアモニタ
―ハウジングで騒がせた。今回、原子炉停止時にヨウ素131の度が高く出
たので燃料368体すべてチェックした結果、5体から漏れが発見。
被覆管が剥がれる損傷で、1体は日本核燃料開発に、4体は英国燃料会
社に送る。
2号機:昨年10月9日より運転再開。4月29日に原子炉圧力スイッチ2系列の
1つが誤作動したので取り換えた。6月26日から中間点検で10日間運
転停止。
3号機:5月13日から運転再開。順調に運転。
4号機:原子炉建屋、タービン建屋の地下1,2階建設。格納容器(高さ38
m、直径24m)を3月15日に組み立て開始し、9月18日に検査を
うけて完成。
1991年10月20日 嶋橋伸之(29歳)が慢性骨髄性白血病で死亡。
中部電力の孫請け会社「協立プラントコンストラクトkk」で、
1981年3月~1989年12月の8年10カ月、中性子計測をして50.63
mSv(ミリシーベルト)を被曝した(死後、両親のもとに返された
放射線管理手帳から、慶応大学の藤田裕幸先生が計算した結果)。
1993年5月6日、嶋橋正秀、美智子(伸之氏の両親)が、藤田先生と渡海弁護士の勧めで
磐田労働基準監督署に労災認定。
1993年9月3日 浜岡4号機 運転開始。
1994年2月29日 中部電力 1993年2月24日~1994年2月29日まで、浜岡原発では
1件の事故、1件のトラブルは発生していない(中電報告)。
1994年3月16日 静岡県磐田労働基準監督署所長に労災認定の署名用紙378,184名のう
ち、129,731名を提出(残りは、労働省と科学技術庁に提出)。
労災認定基準
1976年11月8日付け、労働省労働基準局長から、各都道府県労働基準局長あてにださ
れた通達「基発第810号」は、「電磁放射線に係る疾病の業務上外の認定基準について」
電離放射線に係る疾病とは
(1)急性放射線症
(2)急性放射線皮膚障害
(3)慢性放射線皮膚障害
(4)放射線造血器障害
(5)白血病
(6)白内障
の嶋橋さんは(5)に該当する。これについては「相当量の電離放射線に被曝した事実
があること」となり、相当量とは、0.5レム×(電離放射線被曝を受ける業務に従事した
年数)となり、8年10カ月を入れると、4.42レムとなる。44.2ミリシーベルト(mSv)
になるから、彼はこの規準を超えている。さらに、白血病については、「被曝開始後少な
くとも1年を超える期間を経て発生した疾病であること」という条件があるが、これも
越えている。その後、嶋橋伸之氏の労災認定はおりた。
1994年12月(浜岡1号)排ガス 放射能モニターで異常検出。
希ガス1900億Bq。原因は燃料1体の被覆管にピンホール発生(後に、
破損はひび状態と判明)。引き取り手がなく、2012年まで1号機のプール
保管、現在5号機のプールに移送。
2001年11月(浜岡1号) 作動試験中に緊急炉心冷却システム(ECCS)につながる配管
(厚さ約1cm、内径15cm)が突然破断。1ヶ月後、配管にたまった水
素ガス爆発と判明。手動で原子炉停止。
2002年4月24日 中部電力 浜岡1号機の制御棒駆動機構ハウジング部の漏洩の説明。
余熱除去系配管破断の原因:原子炉内の炉水が放射線分解で、水素と酸素
が発生して、主蒸気と混合して運転とともに余熱除去系配管に集まり、蒸
気は凝縮するが、非凝縮の水素と酸素は配管の頂部に集まり、高温蒸気で
着火して水素と酸素の燃焼が急速に伝搬して圧力変動で破断した。対策と
しては余熱除去系蒸気凝縮系配管を撤去した。
1,2号機の耐震チェックの実施結果の説明。
2002年5月25日(浜岡2号)緊急炉心冷却システム(ECCS)系配管の溶接部から放射
能を帯びた冷却水漏れが発見されて、原子炉停止。
2006年6月(浜岡5号機)低圧タービンの羽根が突然脱落。修理に8カ月。この年の稼働
率32.9%。
2006年9月 国の耐震審査指針改定 浜岡原発の基準地震動Ss800ガル。
2007年7月 新潟県中越沖地震 柏崎刈羽原発 破損 屋外変圧器火災。
2009年1月、浜岡原発1,2号運転停止、廃炉に入る。1165体の使用済み核燃料が燃料プ
ールにある。
2009年10月 台風18号で、御前崎佐倉の海岸の護岸堤防 破壊。
2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震、大津波、福島第一原発の原子力災害発生。
2011年5月14日(浜岡5号)菅総理の要請を受けて、中電が原子炉停止した直後、5号機
復水器内の海水が流れる細管(直径3cm)が破損。細管付近の別の配管(直
径20cm)の蓋がはずれ、噴き出した水蒸気で、再管が破損した。400トン
の海水が流入し、うち5トンの海水が炉心に入った。