浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ

 中部電力を被告にした浜岡原発永久停止裁判(静岡地裁浜松支部)の原告団・弁護団・支援組織の共同ブログです

原告の思い 9 後藤好子(第3次原告団、磐田市在住)

2012年10月29日 20時17分03秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 9 後藤好子(第3次原告団、磐田市在住)

浜岡原子力発電所運転永久停止請求事件 第6回口頭弁論 

2012年10月1日 静岡地方裁判所浜松支部御中

 意見陳述書       

             第3次原告団  後藤 好子  

 私は1937年浜松市で生まれ、75歳の後藤好子です。1962年2月結婚し、浜岡原発から西へ直線距離30kmの磐田市内、裸祭りで有名な見付天神社のふもとに50年住んでおります。共働きで子ども2人を産み育て、そして5人の孫がおります。

 この50年間、安心して住み続けられる街にしたい、子どもたちが健やかに安全な環境の中で育つ磐田市にしようと住民運動を進めてきました。

 浜岡原発は、これまでトラブルがたびたび発生し、2009年8月の駿河湾地震では、5号機に大きなゆれがありました。東海地震が起こるといわれて30年余になります。震源域の真上にある浜岡原発は本当に心配です。

 そして昨年の3月11日の東日本大震災、日本観測史上最大のマグニチュード9の揺れと巨大津波、東京電力福島第一原発事故による放射線被曝、避難所を転々と変えられ命をなくした人も含めて1万5千人を超える死者が出ています。

 あれから1年半以上経ちましたが東北3県などいまだに34万人が避難生活を強いられています。今年の夏の猛暑、そして短い秋、すぐ厳しい冬がやってきます。住まいと仕事を失い、家族もバラバラで先が見えない暮らし、親しい人を失った深い悲しみなど、被災者の多くは心身ともに疲労と悲しみが重なっています。

 9月11日東京電力福島第一原発事故による放射線被曝による甲状腺異常はないのか。福島県の18歳未満の子ども36万人のうち8万人の健康診断の結果が出ました。この時点では被曝による影響発病者はないという発表でしたが、今後生涯にわたって調査追跡するとしています。福島県の子どもたちは、一生涯不安を抱えて生きることになります。

 9月11日、国の有識者会議が浜岡原発の被害想定を出しました。東日本大震災と同規模のマグニチュード9クラスの南海トラフ地震で激しい地震動が襲い、防潮堤を越す津波が押し寄せると指摘しました。浜岡原発で重大な事故が発生したら、日本社会全体に甚大な影響を及ぼすと昨年5月14日から菅元首相の強い要請で、1号機~5号機すべてを停止しています。

 世界一危険な浜岡原発は「30年代まで稼動可能」ではなく、国民の命と国土を原発災害から守るために、この法廷が一日も早く永久停止・廃炉の判決を下すことを切望して私の意見陳述とします。


原告の思い 8 枝村三郎(第2次原告団、 藤枝市在住)

2012年10月29日 20時12分04秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 8 枝村三郎(第2次原告団、 藤枝市在住)

浜岡原子力発電所永久停止請求事件 第6回口頭弁論 

    2012年10月1日  静岡地方裁判所浜松支部

  第二次原告団  枝村三郎

意見陳述書

 私は第五福竜丸事件や浜岡原発などの歴史研究家です。日本の原発開発計画は、1954年ビキニ水爆により焼津漁船の第五福竜丸が被曝した年です。広島・長崎に続き第三の被曝で、国民的な原水爆禁止運動となりました。米国は「反原水爆」世論を沈静化するために、原発開発を原子力の平和利用」として進めました。

 地震のない米国の沸騰型原子炉の導入は、54年当初から物理学者や科学者会議から「地震国の日本では原発事故の危険がある」と指摘されました。60~80年まで全く耐震基準がないまま、浜岡原発1~2号機など建設されました。

 1976年8月に地震予知連絡会で石橋克彦東大地震研助手が、「駿河湾でマグニチユート8クラスの東海地震説」を発表し衝撃を与え、1978年9月「原発耐震指針」が策定された。プレートテクトニクス理論によるプレート境界で大地震発生すると、1981年7月に耐震指針と建築基準法が大幅に改定されました。

 1995年1月阪神大地震で巨大構造物が倒壊する大惨事となり、改めて原発の耐震性が問題になりました。原子力安全委員会は2006年9月「改定新指針」を出し直下型地震・プレート型地震など考慮すること、活断層の危険性が問題となりボーリング調査が始まりました。原子炉の耐震基準が現実に起きた巨大地震に追いつけない、日本の原発は巨大地震に対し安全でないのです。

 1997年10月に石橋克彦神戸大教授は岩波書店『科学』で、東海地震による浜岡原発事故を想定し「原発震災」を警告しました。巨大地震と津波による「自然災害」と、「原発災害」が複合し大惨事になると。昨年3月福島原発事故で外部電力の喪失と配管破断により原発震災が現実となりました。政府・東電の防災対策の無策と原発事故の判断ミス・対応ミスの「人災」が加わり三重災害です。

 静岡県は過去に明和・慶応・宝永・安政大地震と、100~150年周期でマグニチュード8.4クラスの巨大地震に襲われました。今後「東海・東南海・南海三連動地震、南海トラフ地震」という、マグニチュード9クラスの巨大地震が予想されます。御前崎は明和地震で15㍍の津波、安政地震で1㍍の土地隆起が起きている。浜岡原発五号基分の海水導入管が30キロ、冷却・空気配管などが総延長600キロです。重要配管の固定を15年も放置するなど、配管全ての安全点検は不可能です。中部電力は原子炉建屋が巨大地震1回30秒に耐えられるが、4~5回連動し3~5分続く上下・左右の震動で耐えられないとしています。

 浜岡原発は予想される巨大地震で、配管破断による原発事故が当然想定されます。最も危険視されている浜岡原発の永久停止・廃炉を求めます。


原告の思い 7 大石秀之(第1次原告団、掛川市千浜在住)

2012年10月29日 20時07分09秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 7 大石秀之(第1次原告団、掛川市千浜在住)

浜岡原子力発電所永久停止請求事件
第6回口頭弁論 2012年10月1日 静岡地方裁判所浜松支部

        第1次原告団 大石秀之

                      意見陳述書

 掛川市千浜在住の大石秀之といいます。私は中小零細業者の立場から、意見陳述をさせて頂きます。

 商売は、自宅も事業所も、海岸から1.5km、浜岡原発から西へ7kmほどのところで、30数年間、自動車販売と修理をしております。最近は、亡き祖父が始めた自転車業も引き継ぎ、様々な新しいお客さまとの出会いが広がってきました。本当にありがたい事で、地域の皆さんには、大変感謝しております。
 
 しかし、東北沖地震の大災害や福島の原発事故は、私たちを不安と恐怖に落とし入れています。それまでの生活、生業を一変させてしまいました。営業を始めこの間に、私は、他の事業所よりもお客様に喜んで頂ける様に、様々な事業展開、第二創業を続けてまいりました。
 
 しかし、ここに来て、作業場の老朽化がひどく、更なる設備投資が必要になっています。経済的にも、新たな設備投資が難しくなっている中で、もし今、浜岡原発の事故が起きれば、生存すら危ぶまれる事になります。

 中小業者の集まりで、福島の方に現在の様子をお聞きしました。事故後1年半にもなるけれど、未だに家族がバラバラにで避難され、事業も復帰できないと言っていました。
 
 同業者の紺野さんは、福島第一原発から北へ20数kmのところで、商売をされていました。事故後、全てを置いて、避難されたそうです。それまでは息子夫婦と共同経営で順調に事業をのばしてきたのに、一瞬にして失った事を「とても悔しくてたまらない」と涙をこらえて話されていました。

 原発事故による営業被害は、大変なものだと思います。たとえ損害の賠償がされようとも、失われた地域のつながり、生業で築き上げてきたノウハウは、元に戻らないのではないでしょうか!家族の絆を取り戻すことや、人の心の「痛手」は、長い時間が必要でしょう。

 原告団の一員として、改めて訴状を読み解きました。原子力発電所の存在はそのもおは、憲法に謳っている「平和的生存権」と、良好な環境で暮らす「環境権」の保障を脅かしていると、確信しました。掛川市では、公共施設に自然エネルギーを利用し、電力をまかなおうと取り組みが始まっています。中小業者も、仕事おこしに、自然エネルギー利用を積極的に勧めなくてはいけないと、行動をおこしています。

 私たちも、まだまだ商売を続けていきたいと思っています。一刻も早く、浜岡原発が永久停止・廃炉への道へ進むことを、願っています。


浜岡原発裁判の内容 10月1日(月)第6回口頭弁論の詳報

2012年10月11日 06時54分54秒 | 浜岡原発裁判の内容

浜岡原発裁判の内容 10月1日(月)第6回口頭弁論の詳報

 浜岡原発永久停止裁判 第6回口頭弁論

2012年10月1日(月)晴れ

10:00 弁護士会館に原告や傍聴者が集まり始めた。傍聴抽選のために裁判所に出かける。

10:30 屋外で傍聴の抽選。

抽選で外れた原告も30席分の原告席で傍聴に参加。

参加者には事務局から今日の裁判の日程や被告の準備書面(2)の目次、原告の準備書面(3)の目次、陳述する原告4人の紹介などを載せた案内チラシと、原告準備書面(3)の陳述原稿を配布した。

参加者90人。

11:00 裁判が開始。

裁判長は桐ケ谷敬三(新たに担当)、右陪審は石川慧子、左陪審は小川敦、

   訴訟代理弁護士18名のうち、今日の参加者は12名

田代博之、大橋昭夫、塩沢忠和、杉山繁二郎、阿部浩基、北村栄、杉尾健太郎、

        小池賢、平野晶規、加茂大樹、末永智子、山形祐生、

被告側は10名。

 最初に裁判長が書類の確認

大橋弁護士から、被告中電側から準備書面の大事なところ、何が安全なのかを語ってほしい。陳述はしないと原告側に伝えられているが、傍聴者・原告・報道の方々もいるので、本当に安全だというのなら、その努力をしてほしい。裁判所も訴訟指揮をしてほしい。

裁判長は、本件はそこまで考えてはいない。原告の準備書面(3)が事前に提出されなかったことを原告側に聞いた。

杉尾弁護士から、被告の準備書面を踏まえての書面になっているので、提出が本日になったことを説明し、原告本人からの陳述としたいと伝え、裁判長は要点のみですねと確認。

 11:03~11:17 原告落合勝二が原告の準備書面(3)の概要陳述を行った。

   御前崎の海底地形の説明して、①巨大地震により砂丘堤防は崩壊する恐れあり、②地震での液状化などによる砂丘の不安定化について、③砂丘の植栽、テトラポットは巨大地震に対して効果がない、④標高18mの防波壁では、予想される津波を防ぐことはできない、⑤建設中の防波壁は地震動と津波の衝撃力に耐えられない、の5点について陳述を行った。(別紙陳述原稿参照)

 11:18~11:34 原告4人による口頭陳述(一人4分)(別紙原稿参照)

  第一次原告・大石秀之さん(掛川市) 中小業者の立場から

第二次原告・枝村三郎さん(藤枝市) 第五福竜丸や浜岡原発の歴史を研究した立場から

第三次原告・後藤好子さん(磐田市) 子育ての立場から

第四次原告・中谷信和さん(浜松市) 原水爆禁止の市民運動の立場から

  4人の原告は、それぞれの立場から浜岡原発の危険性と、脱原発の道に歩みだす展望を語った。

 裁判長から、次回期日の日程調整の提案があり、次回は以下に決定した。

次回第7回口頭弁論は、2月18日(月)11:00からとする。

 11:38に終了

 報告集会  地域情報センター 1146~12:40

司会 第一次原告 清水澄夫

報告集会に参加した弁護士は、田代博之、大橋昭夫、塩沢忠和、杉山繁二郎、阿部浩基、北村栄、

杉尾健太郎、小池賢、平野晶規、加茂大樹、山形祐生、の11名。

 ◎田代博之・弁護団長のあいさつ

傍聴席をいつもいっぱいにすることは大変心強い。被告が事前に提出した準備書面は、安全神話にしがみついていることが明らか。内容の紹介があってしかるべきなのに、一言もない。事前に説明をしてほしいと書面で出したが、説明しないとの返事であった。法廷でもさらに説明をと促し、裁判長にも訴訟指揮を発揮してほしいと希望した。今度の裁判長は危険だ。議論を尽くしていくことが大切。一方が黙り、他方がしゃべるのでは心配だ。

原告団を一次から四次まで、それぞれの分野のエキスパートを選んで、分かりやすく語り、力を発揮してきた。今後とも続けてやっていきたい。原発問題は日本列島では選挙の大きな争点となる。大衆運動としても裁判所に学習をさせたい。

◎原告4人の陳述を終わっての感想

 ・大石秀之さん 民商に所属。東北の被災地には全国の仲間があらゆる物資を送った。福岡からは、商店街で訴え、費用をまかない、船を東北に運んだ。阪神淡路の震災の教訓を生かしていきたい。

 ・枝村三郎さん 第五福竜丸の研究をやってきた。ビキニ被災の時に、原発が導入された。核兵器反対の世論を鎮静化させようと、原発が導入された。原発は電力供給だけではない。原発イコール原爆だということを忘れてはいけない。民衆に役立つ研究をしたいと「近代史研究会」の活動をしてきた。今回「浜岡原発と住民運動」をまとめて出すことになった。地元にも運動があった。

 ・後藤好子さん 大変な重荷を下したばかり。どう話そうかと悩んだ。4分でまとめるのが大変だった。縮めて縮めてまとめた。女性としての気持ちを語った。子どもが健康で健やかに育ち、日本を支えていってほしい。70歳を過ぎてよく署名活動をやるなと、署名してくれる人から言われるが、原発ゼロまで頑張りたい。

 ・中谷信和さん 陳述で話せなかった資料「1957年から2010までの環境における人工放射能(CsとSr)の月間降下量変化」「アメリカの原子力施設と乳がん患者の相関関係図」「米国における肺炎とインフルエンザによる乳児死亡率変化と核実験との関連」「米国における1958年から1982年間の全国学力検査適性試験の成績と受験生の誕生年及び核実験との関連」の説明をした。

 12:05~

 杉尾弁護士の話。被告の準備書面は福島原発事故を踏まえているが、中身がない。防潮堤を作って安全ですと言っている。原告の土木の専門家の落合さんが準備書面を用意し、陳述した。原告本人が準備書面を語ったのは私にとって初めての経験だった。写真も使って説明した。模型も使ってやるつもりであったが、やれなかった。原告の陳述は毎回やってきた。今後もやりたい。裁判所からは今回でもって一次から四次までは終了と言われている。五次と六次の提訴があれば、その人たちの陳述はやる。年内の五次提訴を考えると、訴状との関わりで次回は2月となる。被告の準備書面に対する反論も準備したい。

 大橋弁護士の話。今後の予定について。五次、六次提訴について。もっと幅広くやろう。玄海原発訴訟並みの裁判にしよう。これからは公募方式でやりたい。これまでは焼津まで、静岡は若干だった。五次は静岡・富士・富士宮まで。六次は沼津・三島・熱海を公募で考えている。また被告として国を加えたい。新しい訴状も作っていこう。全県で各自治体に原告がいて、訴えていく。地域の運動強化にもつながる。10月はじめに5次六次原告の議論をして、これまで運動をしてきた人たちに働きかけていきたい。原則は公募。希望する人すべてを受け入れたい。

 今回の裁判は、こんなにも被告がおとなしい。言うべきことは被告は言うべきだ。マスコミにももっと説得すべきだ。中電には説明責任がある。さみしい思いだ。今日は本当はもっと言いたかった。

 塩沢弁護士の話。なぜ国を相手にするのか。法廷を活気あるものにしたい。訴訟指揮もしっかりしてほしい。緊迫した内容のあるものにしたい。裁判所的には訴状とどう関係があるのだと思うかもしれないが、法廷のルールの中で運動するジレンマがある。全国では国を被告にしている。国が浜岡を止めた。国家的プロジェクトとして進めた国が原発を止める義務がある。国に差し止め法的責任を果たさせたい。運動にも弾みがつく。構えを大きくしたい。

 北村弁護士の話。

 名古屋の弁護団の一員。全国の裁判に関わっている。静岡訴訟も三か月に1回、8月に5回目、11月に6回目、1月に7回目と進めている。中電はここと同じ態度。弁護団は国会事故調査委員会の報告を中心に、準備書面を出した。

 いま、東京高裁の控訴審で動きがある。一審の記録だけでなく、証人尋問をやる。石橋氏と田中氏の証人尋問をやることになった。しっかりみたいい裁判長が言っている。時期的に浜岡原発の判断がいつごろ出るか。本訴と一緒に1~4号機の運転をするなの仮処分をやっていて、5号機が入っていない。静岡訴訟の人が中心に11月27日仮処分の提訴の準備をしている。仮処分の債権者(原告のこと)になってほしい。2000円の印紙代がかかる。そこの判断が一番早いのではないか。運動として原告を広く集めることも大切。全国では原発弁護団が結集し始めた。正直なところ、これまで負けてばかりで、もう止めたいという声もあった。

 3・11後、元気な人もいれば、疲れた人もいる。証人を用意するのも大変だ。1年経って、新潟、東海原発、福井(地元で反対が少なく大変)も、京都もやり始めた。気運が高まっている。9月7日に脱原発法案を提出した。野田首相は後退が著しい。自由法曹団が今月21~23日に、焼津に全国から結集して、渡辺先生の話を聞き、現地見学もやることにしている。名古屋には関西電力東海支社がある。行動を起こした。200~300人で毎週金曜日、団原発行動をやっている。

 この後、本日参加の弁護団の紹介があった。

 落合さんの発言。一次から四次までの原告を含めた県の組織を結成したい。11月11日に結成を考えていたが、この日は、全国的に脱原発の行動が提起されている。11月18日ではどうかの声もあり、各原告の協議で日程を決めていきたい。

 大橋弁護士の話。11月12日に18時から弁護団会議を行う。

                  ~12:40 

以上

(文責;長坂)


浜岡原発裁判 10月1日(月) 原告「準備書面③」の原告陳述

2012年10月03日 06時40分27秒 | 浜岡原発裁判の内容

浜岡原発裁判 10月1日(月) 原告「準備書面③」の原告陳述

 10月1日(月)に開かれた浜岡原発永久停止裁判第6回口頭弁論で、原告側「準備書面③」を原告の落合勝二さんが陳述しました。(弁護士のお話では、「準備書面」の解説を弁護士ではなく原告が話すのは、あまり例がないそうです)、

 被告側「準備書面②」は法廷に提出されただけで、口頭での説明はおこなわれませんでした。

 以下は、落合さんの当日の陳述です。

 

 「原告準備書面(3)陳述 

 原告の落合勝二です。原告準備書面3の陳述を行います。

 先月8月29日,内閣府有識者会議は,「南海トラフ地震」で最大級の地震が起きた場合,御前崎市の津波予測高さは最大で19mと発表しました。

 本年3月に発表した、21mの津波予測高さより、少し下りましたが、いづれにしても巨大な津波の予測です。

 浜岡原発周辺の海底地形は,御前崎海脚といわれる浅い海が、半島状に突き出ているためが他のところよりも高くなります。

 海岸線で押し寄せる津波の高さが19mであれば、後に山がある浜岡原発のような地形では遡上高さは30mから40mにもなります。 

 浜岡原発は、津波が巨大化する特質をもった地にあり、立地条件としては最悪の場所にあります。   

 津波は海岸でみる波と違い,高速度で押し寄せる連続した海水の流れであり,大きなエネルギーをもち,すざましい破壊力を持っています。

 次に巨大津波により砂丘堤防は崩壊するおそれがあることを述べます。

 被告は,原発敷地前面には標高10から15mの砂丘堤防があるから,安全であると主張しています。

 では,砂丘が,想定される地震,津波に対して,抵抗力があるでしょうか。

 今,全国的に海岸侵食がおこり,遠州灘海岸においても侵食が急速に進んでいます。

 浜岡砂丘などの遠州灘海岸の砂丘を形成した主要な土砂供給源は,天竜川です。

 海岸浸食の主な原因は,天竜川水系のダムが土砂を堰き止め,海への流出が極端に減少したことにあります。

 自然の土砂供給サイクルがこわれたことで,浜岡の砂丘も年々侵食されつづけ,巨大地震や津波に抵抗できる保証はありません。

  次に地震での液状化などによる、砂丘の不安定化について述べます。

  被告は,「砂丘堤防は充分に締まった砂や砂礫が分布しており、大津波に対して,砂丘は一定の防波機能が期待できる。」としています。

  しかし、砂質系地盤ては,地震の強い振動により内部の間隙水圧が高まり、液状化現象がおき,地盤が流動化します。

  液状化などで,砂粒子のかみあわせがゆるみ,非常にルーズな状態になり,砂丘は不安定化し、抵抗力が低下します。

  せん断抵抗力が減少した砂丘に,高速かつ大量の津波が押し寄せ,容易に砂は流され,砂丘は崩壊し、巨大津波に対する防波機能は期待できません。

  次に砂丘の植栽、テトラポットは巨大津波に対して効果がないことを述べます。

  想定される津波の上陸時の速度は毎秒14m程度です。

  東日本大震災では,各地の防潮林が津波に対して無力でした。

  気象庁によれば,津波高さ8m以下の津波であれば防潮林の効果は期待できるが,8mを越える大津波には全面的被害,無効果とされています。

  被告は、適正な植栽があると主張しますが、現状は、強風により松の木などは育たず,枯れて砂丘がむき出しの箇所も多く見られ津波への抵抗性は期待できません。

  波打ち際に設置してある6トンテトラポットは,高速度の津波には抵抗できず、容易に遠方に押し流されます。

  しかも、現地のテトラポットは台風などの高波によって移動し、脚がもぎれてバラバラになったものもかなりあります。

 東日本大震災では、推定重量170トンもの岩が河口より500mも移動した例があります。

  次に標高(T.P.)18mの防波壁では,予想される津波を防ぐことはできないことを述べます。

 海岸線で高さ19mの津波が押し寄せれば,当然のことながら,18mの防波壁では,1m以上越えて海水は連続して原発敷地に流れ込みます。

 大きな運動エネルギーをもって押し寄せた津波は,あたかも砂丘の滑り台を這い上がるがごとく進行し、防波壁に当り,19mの高さをはるかに超えて流れ込みます。

 防波壁からの越流水深を3mと仮定しても、流れ込む海水量は、一分間で約370万㎥にもなります。

 津波の流れ込みにより,水面標高18mの巨大な池がたちまち出現し、満水状態になるのにわずか3分程度しかかかりません。

 深さ10~12mで水没した状態が長くつづき,建屋等への海水の浸入を防ぐことは不可能です。

 さらに,海水のみが防波壁を乗り越えるだけではありません。

テトラポットや,砂丘の砂,松の木,アスファルト舗装のガレキが,敷地内や取水槽に大量に流れ込み,施設の破壊や冷却水の取水が不可能に陥る危険性があります。

 冷却機能が失われ,福島第一原発事故の二の舞になることが予測されます。

  次に建設中の防波壁は地震動と津波の衝撃力に耐えられないことを述べます。

 防波壁の基礎は,岩盤に根入れされた鉄筋コンクリート製地中壁であるから十分な支持力があるとしています。

 基礎の上に,鉄骨と鉄筋コンクリートのL型ブロックをのせた構造で、1ブロックの長さ12m,重量900トンのものを連結した,連続体構造物です。

 被告は,この防波壁は頑丈にできており,充分な強度をもつと主張していますが、次のような重大な問題点があります。

 第一に、津波の波力は,「9mの水深の進行波が防波壁でせき上がり,この進行波の3倍に相当する水深の静水圧分布が働くものとして設定」としていますが、あまりにも過小な波力の設定です。

 第二に、東北地震により観測された最大加速度は,宮城県栗原市で2,933ガルでしたので、これを考慮した設計とすべきです。

 第三に、防波壁の高さは,基礎の先端より最大で約40mですが,岩盤で固定とした片持ち梁として設計する必要があります。基礎は、長柱杭基礎として設計するべきです。

 頭部に非常に重い防波壁ブロックをのせた構造形式は、細長く高い電柱の上に重いものを載せたと同じことで、きわめて不安定な構造物です。

 第四に、 津波により洗掘現象がおき,構造物の破壊が多く発生しますが,設計上いかなる検討をしたのか明らかにして下さい。

 防波壁周辺で洗掘がおきた時、引き波の時の残留水圧や,噴砂現象により,防波壁そのものが転倒し壊れることが想定されます。

 第五に、長大な連続体構造物が,長周波振動をふくむ地震動によってどのような動き方をするのか,解析する必要があります。

 地震動や地盤の隆起によって,大きな力が働き,接合部での切断や折れ曲がりによって破壊される可能性があります。

 防波壁は,全体として安定性が確保されなければ、その存在価値はありません。

 連続体構造物の安定評価は,断面方向のみを考慮した2次元設計では、全体の評価はできません。 

 防波壁の構造設計詳細および基礎設計詳細について地質構成も含めて,全容を明らかにされるよう釈明を求めまして陳述を終ります。

 


お知らせ 浜松で浜岡原発の地層・断層・地震の学習会があります

2012年10月02日 06時03分17秒 | 各地のお知らせ・報告・投稿・発言など

お知らせ 浜松で浜岡原発の地層・断層・地震の学習会があります

 浜岡原発 学習会「浜岡原発は 南海トラフ巨大地震に耐えられるか ~ 地層・地震・活断層 ~」

 10月7日(日)
 時間 午後1時開場、1時半開会  
 会場 浜松市地域情報センターホール
    (遠鉄電車遠州病院駅下車、東へ徒歩5分)

 講師 伊藤通玄さん(地質学、元静岡大学教授)

 南海トラフ巨大地震(M9)の震源域の真上にある中部電力浜岡原発。

 静岡県は、いくつかのプレートが重複して沈み込む危険地域です。予測される震度7で、新生代第三紀層の柔らかい地層の上に建っている浜岡原発は大丈夫なのでしょうか。
  ☆
 昨年3月11日の東日本巨大地震で「日本列島の地震活動期」が明確になりました。駿河湾地震では、浜岡5号機の異常振動があり、地下の「低速度層」もみつかりました。
  ☆
  巨大地震で浜岡原発はどうなるか?地元の地質専門家がお話します。

    < 主催 >
 浜岡原発永久停止裁判静岡県西部の会
 浜岡原発はいらない浜松の会
 浜岡原発はいらない浜北の会
 浜岡原発はいらない湖西の会
 なくそう浜岡原発天竜の会
 なくそう浜岡原発浜松北区の会

  < 連絡先 >  090-9899-7674  落合勝二 

 10月28日(日)
浜岡原発
    現地と地質見学会

 ☆ガイド 伊藤通玄先生
 ☆時間と行き方は検討中です
   午前から午後まで1日の予定
 ☆詳しくはお問い合わせください

 


原告の思い 6 中谷信和(第4次原告団、浜松市)、第6回口頭弁論にて

2012年10月02日 06時00分26秒 | 原告・支援者の思い

原告の思い 6 中谷信和(第4次原告団、浜松市)、第6回口頭弁論(10/1)にて

 原告意見陳述の全文を掲載します

「浜岡原子力発電所永久停止請求事件
第6回口頭弁論 2012年10月1日 静岡地方裁判所浜松支部

                                        第4次原告団 中谷信和

                      意見陳述書

 第4次原告の中谷です。原水爆禁止の市民団体の立場から、放射線が人間に与える影響について発言します。

 日本人が受ける自然放射能は年間で2から3ミリシーベルトです。国際組織による外部被曝の線量の低めの評価では、年間2000人の日本人がガンで亡くなっていることになります。

 もちろん、私たちに与えてきた放射線の影響は、自然放射線だけではありません。広島・長崎以後、核実験と原発の放射能が地球を汚してきました。

 1954年,アメリカによるビキニ水爆実験1回だけで、太平洋を広島原爆の1000倍の死の灰で汚しました。全世界で2000回以上繰りかえされた核実験によって、40年前のピーク時には、日本でも、放射性降下物は3.11直前の1万倍もありました。

 核実験の人間への影響を明らかにした一例をあげます。アメリカのスターングラス教授はアメリカで1才未満の乳児の肺炎とインフルエンザによる死亡率が、1950年代から6〇年代に、その前後は急激に減っているのに、異常な停滞をしているのを公表し、核実験の死の灰の影響であると推定しています。

 国際組織の推計では、1945年から半世紀で放射線によって失われた命は、全世界で117万人または6500万人です。

 核実験だけでなく、すべての原発も、日常的に低レベルの放射能を放出し続けています。アメリカのグールド博士は、全米の原子炉や原子力施設の周辺160kmの3000の郡で、女性の乳癌が他地域より数倍高い発生率であることをつきとめました。

 浜岡原発でも日常的に低レベルの放射能を大気と海に放出しています。静岡県と中部電力が1980年におこなった調査で松の葉とカキの貝殻からコバルト60とマンガン54が検出されています。

 たとえ微量でも、内部被曝と生物濃縮を考慮すれば、安全とは言えません。

 原発1基で1年間に広島原爆千個分の死の灰がつくられ、大事故では、その一部が環境に放出されます。チェルノブイリ事故から25年目の昨年、ウクライナ政府の「調査報告書 未来のための安全」は、子どもや大人の甲状腺ガン、慢性疾患、白内障、心臓・血管疾患などの多発と、子供たちの多数の健康悪化を報告しています。
 福島県では子どもたち4万2千人の43%に甲状腺異常が見つかっています。

 この大地が、放射能で汚染されていくことを、黙って見ていられません。もともと地球の生きものは40億年前、放射線から守られた海のなかで生まれました。そして、大気や磁場ができたことで上陸してたくさんの種が繁栄することができました。わたしたちの青い地球は、いのちと生態系を守るオアシスです。

 いのちと未来を守るために、まず私たちに一番近く、一番危険な浜岡原発を永久停止させる決断をする時です。国民のいのちを守るための、司法としての責任が果たされることを心から願って、私の陳述とします。