「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

11月19日(火)20時~・11月20日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

神経質者の生き方

2020年12月25日 06時47分48秒 | コラム 

神経質者の生き方、それは感謝の心と他者に対する思いやりの心を育てるよう心がけること。

そのためには、たくさんの本を読んだり、多くの体験をして、視野を広げることです。

世の中は自分を中心にして動いているのでありません。

「生活の発見会元顧問 河野基樹講演集 神経質者の生き方より抜粋」


大阪水曜ほっと集談会一世です。

自分が、自分がと100%自分で生きていたときは生きている実感が乏しく、常に虚しさと孤独感に支配されていたように思う。

還暦を前に河野基樹先生が残された言葉の数々が心に沁みる。

20代のことだった。

人間関係で悩んでいることを先生に電話でお伝えした。

それでは今から会おうか?と言われたことがあった。

びっくりした。

当時、地元の大きな病院の副院長という要職であった。

息子のような年齢の若造にも、真摯に向き合ってくださった。

感謝の言葉しか見つからない。

ご恩返しはできない。

先生は天国の住人である。

神経質症に悩む若い人に、これから私なりのご恩つなぎをしたいと思う。

2020・12・25


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集談会は最高の学びの場

2020年12月24日 08時22分49秒 | 集談会日記

大阪水曜ほっと集談会一世です。

本日は、クリスマスイブですね。

さて私一世は、昨日名古屋水曜集談会にオンラインで参加をさせていただいた。

すばらしい出会いであった。

面の皮がずいぶん厚くなった私でも初めて参加する集談会は緊張する。

ふと私の心は40年前の初々しい10代の頃にタイムスリップした。

集談会の会場前をうろうろして、入ろうかやめようか30分ほど考えて思い切って入室した。

そこから私の本当の人生がスタートとしたのかもしれない。

今では考えられないが、私にもそのような時代があった事を忘れてはいけないと感じた。

会員歴を重ねることで、心が曇り参加者の気持ちに寄り添えないことへの自戒である。

さて、おこがましいが名古屋水曜集談会の雰囲気を一言で申し上げると家族よりも家族的であると感じた。

名古屋水曜集談会に一歩足を踏み入れると、そこには優しい時間が流れている。

初めての参加者ということで皆さんが気遣ってくださることがうれしくもあり恥ずかしい。

皆さんの自己紹介を聴いているとそれは、かつての私であり未来の私でもある。

ここでは、ひとりひとりが指導者であり生徒である。

永遠の初心者であり続けたいと思った。

皆さん集談会は最高の学びの場です。

2020・12・24

 


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かくあるべしセンサー

2020年12月23日 21時00分55秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

かくあるべしで、自縄自縛状態であった日々、それは今も時々訪れる。

しかしながら森田の学びを続ける中で、自分が、いかにかくあるべしが強い人間であるかという事を自覚できた事は幸運であったと思う。

自分を客観的に見ることは、とても難しい。

集談会での自己紹介を聴いている中で少しずつ自分の中のかくあるべしに気づかされた。

すると不思議なことに今までとは違った景色が現れ生きている世界が変わった。

認められたいという承認欲求は相変わらずであるが、それを他者に求めることをやめた。

自分は、生きているだけで尊い存在である。

振り返ると学生時代にも職場においても、かくあるべしは、容赦なく忍び寄ってきた。

その攻撃に無防備にさらされ続けた日々が痛々しい。

学校では成績や道徳、職場では規律や売り上げ目標そして親子、夫婦では期待や扶養義務という名を借りてかくあるべしがどんどんやってくる。

今は、かくあるべしが近づくとかくあるべしセンサーが働いてその場から距離を置くようにしている。

最近は求める対象が農作物や花などの自然であったり、料理、洗濯など実生活における家事などそして表現手段としての素人芸術など自らコントロールできることばかりである。

世間常識から離れた結果として心穏やかな日々である。

そういえば、2年まえから年賀状を書くことも止めた。

会えば直接お礼も言うしメールやラインも使う。

それだけでも、師走の心の負担が減った。

 

2020・12・23


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融通無碍(ゆうずうむげ)

2020年12月22日 10時12分09秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

ジングルベルに、お歳暮、年賀状に、御節料理と師走の風物詩が街を駆け巡ります。

今年も本当に色々ありましたね。

さて、皆様にとって今年はどんな1年でしたか?

良いも悪いもすべては、是日々好日と思えれば良いのですが、、、、

今年1年を私一世が漢字1文字であらわすとすれば、ずばり『融』です。

融には、様々な意味があります。

とけて、まざり合い一つになる。

わだかまりがなくなって仲よくなる。

互いに打ち解ける。

新型コロナ感染症の影響で、オンラインによる地域、時間を超えた交流が生まれました。

今月も、大阪水曜ほっと集談会、兵庫平日読書会、那覇集談会に参加させていただき、そして明日は名古屋水曜集談会に参加予定です。

さて融の付く言葉を探してみました。

融合、融和などたくさんありました。

その中でも一番好きな言葉は、融通無碍です。

「考え方や行動が何にもとらわれずに、自由気ままであること」という意味です。

由来は仏教用語で、仏教での「融通無碍」は、「この世にあるものはすべてつながっており、互いに影響を与えている」という意味になっています

私の個人的な見解ですが、この融通無碍という言葉の中に森田療法を理解するうえで大切なヒントが隠されていると思うのですが、いかがでしょうか。

森田先生の言葉より

「何々でなければなくてはならぬ」という「べし」すなわち当為を持ち出すのが、当世の教育の弊害であって、教育が高いほど、ますますこの「べし」で鍛えあげて、融通の利かぬものになってしまうのである。

 

2020・12・22 一世


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志(こころざし)その後について

2020年12月21日 08時51分03秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今からちょうど2年前にこのブログに志(こころざし)という内容で投稿をさせていただいた。

不遜にも1人でもこの集談会を必要とする会員がいる限り必ず続けると書いた。

当時は集談会の運営面で厳しい状況下にあり、1からのスタートであった。

実質は、マイナスからのスタートだったかもしれない。

その時に支えていただいた幹事、世話人の皆様への感謝の気持ちは、生涯決して忘れない。

あらためて大阪水曜ほっと集談会のその後についてお伝えしたい。

毎月、毎月何とか少人数ながら開催を維持してきた。

ところが今年3月以降は、新型コロナウイルス感染症のため対面での開催が厳しくなった。

幸いにも世話人の会員様より提案をいただき、Skypeを使ったオンライン集談会への移行に成功した。

大阪府以外に、和歌山・兵庫・愛知・沖縄と参加者も増えすばらしい出会いにも恵まれた。

すべては、私自身の学びであった。

今年ご縁をいただいた、すべての皆様にお礼を申し上げたい。

ありがとうございました。

最後に当時掲載させていただいた生活の発見会の生みの親である水谷啓二先生のお言葉を再度引用させていただく。


私(水谷 啓二)は、「人生は、ラセン型に動く」と言っています。

けっして、直線的に動くものではなく、動けるものでもありません。

好調だけの、一本調子を維持してゆこうとしても、そんなことは許されません。

また調子が悪いからと、職業を辞めたり、学校を休んだりしますと、それこそ

悪循環に陥り、後退する方向へとラセン型をたどりながらどんどん行ってしまいます。

それとは、正反対に、調子のよしあしを問題とせずに、真面目に職業生活や学生生活を、

つづけていますと、進歩し、向上し発展する方向へのラセン型の良循環過程をたどることになります。


2020・12・21 一世


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